バティストーニ、ウルド・ブラーム、そしてマリアネラ・ヌニェスが競演した『ジゼル』、パリ・オペラ座バレエ
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ワールドレポート/パリ
三光 洋 Text by Hiroshi Sanko
Ballet de l'Opéra national de Paris パリ・オペラ座バレエ団
『Giselle』Jean Coralli
『ジゼル』ジャン・コラリ:振付(Jules Perrotジュール・ペロー原振付)
パリ・オペラ座バレエ団はガルニエ宮で『ジゼル』を5月2日から6月1日まで上演した。前回の2022年(6月から7月)から2年振りである。7月1日の最終公演で1841年6月28日のサル・ペルチエ劇場(当時のパリ・オペラ座会場)で初演されてから180年余で298回に到達し、次回のシリーズでは300回を超えることになる。
ブルーエン・バティストーニ
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
ブルーエン・バティストーニ
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
最初に見ることができたのはブルーエン・バティストーニのジゼル、マルク・モローのアルブレヒトという組み合わせだった。(5月16日)ブルーエンは去る3月26日に『リーズの結婚』のヒロイン、リーズを踊ってエトワールに任命されたばかりで、今回がエトワールとしての最初のシリーズとなった。
第一幕の初めから踊る喜びがブルーエンの全身にあふれていて、誰もが惹き込まれた。第一幕のヴァリエーションは、15歳の時に入学試験で踊ってオペラ座バレエ学校の生徒となった思い出もあるという。第二幕ではジゼルが他のウィリたちと違って、裏切った恋人に復讐するのではなく、相手を許す女性であることに的を絞ってヒロイン像をイメージしていった。初々しいすっきりとした表情の奥に、アルブレヒトへの揺るがない愛情がうかがえる。エトワールの任命時にも現れた謙虚さは、狩りに来た王侯たちを前にした場面の演技に自ずと真実味を与えた。ヒラリオンにアルブレヒトの持っていた剣に刻まれた伯爵家の紋章を見せられ、自分に首飾りをくれた貴婦人バチルドが恋人の許婚者だと知って、アルブレヒトから離れていく場面は圧巻だった。幸福の絶頂から疑いが生まれ、絶望の底へと突き落とされていくのが表情と光を失った視線、力の抜けた身体とが一体となった演技によって、客席からも手に取るようにわかった。
ブルーエン・バティストーニ マルク・モロー
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
マルク・モロー
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
マルク・モロー
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
これに対して、マルク・モローは農民ロイスに変装して通ってくるアルブレヒト役でベテランらしい落ち着いた演技によって品位のある貴公子を演じ、二人はよく似合ったほほえましいカップルとなっていた。フロリアン・ロリユーも二人に嫉妬する森番ヒラリオンの激しい怒りを全身にみなぎらせていた。長身を活かした高さのある跳躍を見せたニコラ・ディ・ヴィーコと農民男女のパ・ド・ドゥを踊ったスジェのオルタンス・ミレ=モーランは、19歳という若さを感じさせないゆとりがあった。はつらつとしていて、動きが細やかで、バランスも抜群だ。オペラ座バレエ学校を卒業して、2022年に首席でコール・ド・バレエに入り、同じ年にパリ・オペラ座振興会の新人賞を受賞している。昇級試験にも毎回成功し、将来を期待されているダンサーである。ちなみにオルタンスは元エトワール、エリザベット・モーランとオペラ座の小道具方ジェローム・ミレの娘で、弟のゴーチエもオペラ座バレエ学校の生徒である。
今回のシリーズはミリアム・ウルド=ブラームのアデューともなった。1982年生まれのミリアムは多くの名ダンサーをオペラ座に送り出したクロード・ベッシー前バレエ学校校長時代に学んでいる。厳格な教育と破格の感性から生まれたミリアムの踊りは他のダンサーにはない独自のものだ。5月18日のアデュー公演のカーテンコールは20分間も拍手が鳴り止まず、ファンからの熱いエールに応えていた。透明感のある優美さ、歳を経ても失われることのない少女の雰囲気、身体の重さを感じさせない独特の浮遊感、音楽との一体感といった点で他に類のない踊り手だった。テクニックを前面に出すのではなく、視線や指といった細部にまでていねいに表情を織り込んで人物を彫琢したために演技は自然そのものだ。(詳細はhttps://www.chacott-jp.com/news/worldreport/paris/detail036013.html)残念だったのは、アルブレヒト役が呼吸のピッタリ合ったマチアス・エイマンやマチュー・ガニオといった過去に何度も踊ったパートナーでなかったことだろう。1984年生まれのマチュー・ガニオは来年3月1日にクランコ振付の『オネーギン』がアデュー公演となる。マチアス・エイマンは1987年生まれの36歳で、引退までわずか6年を残すのみとなった。長い間舞台から遠ざかっているだけに早期の継続的な復帰が待望されている。こうした状況にあって、ユゴー・マルシャン、ジェルマン・ルーヴェといった次世代のエトワールの成熟に加えて、プルミエール・ダンスールやスジェの若手から新しい人材が台頭することが求められている。
ミリアム・ウルド=ブラーム ポール・マルク
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
ポール・マルク
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
ミリアム・ウルド=ブラーム ポール・マルク
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アネモーネ・アルノー グロリア・プーボー クレール・ガンドルフィ アナスタジア・ガロン 桑原咲 ルチアナ・サジョロ セジュン・ユン
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シリーズの後半には英国ロイヤル・バレエ団のスター、マリアネラ・ヌニェスが客演ダンサーとして二日間舞台に立った。『リーズの結婚』のコーラス役としてマルセリーノ・サンぺが客演したのを皮切りに始まった二つのバレエ団の交流の一環である。5月27日にガルニエ宮の中に入ると、客席には遥々英仏海峡を渡ってきた英国人ファンも目立った。
マリアネラ・ヌニェスはタイプは違うが、引退したミリアムと同年齢だ。共通しているのはそろって年齢を感じさせないことだろう。1982年アルゼンチン生まれで、ブエノスアイレスのコロン歌劇場で活躍した後に渡英し、2002年からすでに22年間プリンシパルを務めている押しも押されぬスターである。
女優のような演技とワンショット毎の生きた表情は他に類がないだろう。広く舞台を演技空間として使い、友人役だけでなくぶどう狩りの農夫・農婦たちといった脇役にも笑顔を振りまいていた。訪れてきたアルブレヒトの手を思わず両手でつかむ仕草に純真さが溢れていたように、手先、指、手の甲にまでおよぶ全身が演技に総動員され、足が2本とも動いていなくても感情の動きが上半身と目だけでも伝わっている。若い貴婦人バチルドを最初に見た時の驚きと憧れの表情にすでに村娘である自分との距離が明確に示されていた。マリアネラの破格の安定度を誇る動きから余裕が生まれ、音楽と一体化して演技が自然そのものになっている。マリアネラの演技では、恋人に裏切られたことをすぐには信じられず、フィアンセが現れた途端に自分に対して無表情になったことで、初めて全てを悟る。いったん遠くを見やったところで、花占いをした時と同じ旋律が流れる。幸せだった過去を回想する短い時間を経て、「やはり占いの通りに愛されていなかったのだ」と現実を前にしたところから、狂乱の渦に飲み込まれ、何歩か踏み出したところで足が痙攣するように震えた。第二幕の幕切れで、墓の前のせりで消える直前に、アルブレヒトの方に伸ばされた2本の腕にはジゼル思いの全てが結晶していた。
マリアネラ・ヌニェス
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
マリアネラ・ヌニェス ユゴー・マルシャン
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
マリアネラ・ヌニェス ユゴー・マルシャン
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
マリアネラ・ヌニェス
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
アルブレヒト役のユゴー・マルシャンはマリアネラの自然な演技に導かれ、時間が進むにつれてドラマの中に入っていった。第一幕の幕切れでのジゼルを失った放心状態、第二幕でのウィリーたちに囲まれての踊りでは全力を振り絞り、鐘が鳴る時にはまさに青息吐息だったが、身体の動きは最後までコントロールされていた。
ヴァランティーヌ・コラサンテは努力家だけに舞台を重ねるに従い、前よりもぎこちなさが少なくなり、ミルタの冷厳さにより説得力があるようになってきていた。ジェレミー=ルー・ケールはきちんとした役作りでヒラリオンを演じた。農民二人のパ・ド・ドゥではニナ・セロピアンが闊達な踊りを見せ、相方のアンドレア・サーリもきれいな身体ラインを見せていた。しかし、アンドレア・サーリは途中で動きが音楽とずれてしまい、バランスを崩してしまったのが惜しまれた。
カーテンコールは異様なほどの熱気に包まれ、スタンディングとなったが、それだけ充実した舞台だったことは間違いない。
ユゴー・マルシャン
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
マリアネラ・ヌニェス
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カミーユ・ボン
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ニーヌ・セロピアン アンドレア・サーリ
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三人の個性は異なるが個性的なジゼルを見ることができたが、今回のシリーズは23公演を数え、六人のジゼルが登場した。主要出演者の組み合わせは以下の通りだった。
セウン・パク(9回、ギヨーム・ジョップと4回、ジェルマン・ルーヴェと3回、ジェレミー=ルー・ケールと2回)、ミリアム・ウールド=ブラーム(4回、ポール・マルク)、オニール 八菜(4回、ジェルマン・ルーヴェと3回、ユゴー・マルシャンと1回)、ブルーエン・バッティストーニ(3回、マルク・モロー)、マリアネラ・ヌニェス(2回、ユゴー・マルシャン)、イネス・マッキントッシュ(1回、アンドレア・サーリ)。
昨年プルミエール・ダンスーズに任命されたばかりの若手、イネス・マッキントッシュが今回も主役に起用され、首脳陣からの期待をうかがわせた。
ミルタ役ではヴァランティーヌ・コラサンテとロクサーヌ・ストヤノフが6回、エロイーズ・ブルドンが4回、シルヴィア・サン・マルタンが3回、クララ・ムーセーニュとカミーユ・ボンが2回務めた。
(2024年5月16日、18日、27日 ガルニエ宮)
マリアネラ・ヌニェス
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
ポール・マルク
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
ヴァランティーヌ・コラサンテ
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
アルチュス・ラヴォー
© Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
ミリアム・ウルド=ブラーム
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『ジゼル』2幕バレエ
リヴレット テオフィル・ゴーチエ、ジュール・アンリ=ヴェルノワ・ド・サンジョルジュ
音楽 アドルフ・アダン
振付 ジャン・コラリ(ジュール・ペロー原振付1841年)
アダプテーション パトリス・バール、ウージェーヌ・ポリヤコフ
装置・衣装 アレクサンドル・ブノワ
パトリック・ランジュ指揮 パリ・オペラ座管弦楽団
配役(5月16日、18日、27日)
ジゼル:ブルーエン・バティストーニ/ミリアム=ウルド・ブラーム/マリアネラ・ヌニェス
アルブレヒト:マルク・モロー/ポール・マルク/ユゴー・マルシャン
ミルタ:カミーユ・ボン/ヴァランティーヌ・コラサンテ/ヴァランティーヌ・コラサンテ
ヒラリオン:フロリモン・ロリユー/アルチュス・ラヴォー/ジェレミー・ルー・ケール
ヴィルフリート:アレクサンドル・ラブロ/オーレリアン・ゲ/オーレリアン・ゲ
ベルト:アネモーヌ・アルノー/アネモーヌ・アルノー/ニノン・ロー
クルランド公:シリル・ミティリアン/フロリモン・ロリユー/シリル・シュークルーン
バチルド:マルゴー・ゴーディー=タラザック/クレール・ガンドルフィ/クレール・テセール
農民のパ・ド・ドゥ:オルタンス・ミレ=モーラン ニコラ・ディ・ヴィーコ/マリーヌ・ガニオ、ジャック・ガストット/ニーヌ・セロピアン アンドレア・サーリ
二人のウィリー:リュナ・ぺニェ ジェニファー・ヴィゾッキ/マリーヌ・ガニオ オルタンス・ミエ=モーラン/マリーヌ・ガニオ オルタンス・ミエ=モーラン
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