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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2015.11.10]

ミショーの形と言葉とシュイナールのダンサーが描いた美しいムーヴマン

Compagnie Marie Chouinard  カンパニー マリー・シュイナール
"Le Sacre du printemps" "HENRI MICHAUX : MOUVEMENTS" Marie Chouinard
『春の祭典』『アンリ・ミショーのムーヴマン』マリー・シュイナール:振付

カナダのケベック州モントリオールに本拠を置く、カンパニー・マリー・シュイナールが来日し、横浜、高知、金沢で公演を行った。横浜では、独特の奇異なヴィジュアルで知られるマリー・シュイナールのイメージによる『春の祭典』と『アンリ・ミショーのムーヴマン』が上演された。

tokyo1511f_02.jpg 「アンリ・ミショーのムーヴマン」
Chorégraphie / Choreography: Marie Chouinard
Photo : Sylvie-Ann Paré
Interprète/Dancer : Lucy May

マリー・シュイナールの『アンリ・ミショーのムーヴマン』は、ミショーの本(ガリマール書店版を使用とプログラムにある)の中に入っていくイメージで始まった。アンリ・ミショーは20世紀フランスで活躍した詩人で画家でもあった。
舞台では、ミショーが造形した濃淡のない様々な形が背景の大スクリーンに次々と映し出され、呈示される。抽象的だが、どこかにヒューマンなニュアンスが感じられるものだ。その抽象的でかつニュアンスがあることが、ムーヴマンを誘発し、ダンサーは様々に踊っていく。
最初は呈示された1つの形にたいしてソロで踊られ、形が次々と代わり、代わるたびにダンサーも交代していく。台湾のクラウド・ゲート・ダンスシアターの林懐民の作品を連想させたが、林の「カリグラフィ」は、漢字がモチーフになっており、筆の運びにムーヴマンを触発されたものだった。
男性も女性も同じ黒い衣装で踊ったが、元々このカンパニーのダンサーには男女の区別は希薄というよりも、むしろ女性が主体である。
途中、一人の女性ダンサーがリノリウムにもぐるような格好で、ミショーの詩を朗読する。『閃きに向き合って』という詩集から「ムーヴマン」という詩だ。
時折、意味のない、肉体自体から発せられるような叫びが混じり、ユーモラスにも感じられる。二次元で描かれたミショーの形と言語で書かれたミショーの詩を、シュイナールが三次元の運動として表す試みだ。実際、最初は無音で踊られ、運動に伴なうかのように音楽(カナダ人作曲家Louis Dufort)が始まった。ミロが色彩で踊ったとすれば、ミショーは言葉と形で踊ったのだろうか。
おそらくは、ダンサーの形から受けたインスピレーションが振付を形成していったのだろう。形とムーヴマンの関係で言うと、まず、身体で図形と同様の形を創って始めるものが多かった。そこは確かに分かり易いが、もう少し意外性のある、心理的なもの、意味を連想してしまうもの、挑戦的なものなどがあっても良かったのではないか、とも思った。

tokyo1511f_01.jpg 「春の祭典」
Chorégraphie / Choreography: Marie Chouinard
Photo: Marie Chouinard
Interprète / Dancer: Dominique Porte

シュイナール作品は、しばしば長い彎曲した爪を着けて踊られるが、ストラヴィンスキーの『春の祭典』とは、どこかプリミティヴなイメージが通底しているようにも思われた。その爪を牛の角のように見せて踊るシーンは、優れて造形的だったし、印象深かった。しかし、少しこしらえ過ぎているようにも感じられるところもあった。作品の流れとしては少し類型的で、エネルギーもそれほど湧き上がってくるとは思えなかった。
また私には「反バレエの美学ともいえる1913年ニジンスキー版に通底する」とは思えなかった。シュイナール作品のどこにバレエの動きと対応するものがあるのだろうか。フォーサイスはバランシンの動きを脱構築して、新たな動きを構成して作品を創ったが、シュイナールにそうしたバレエを特定したダイナミックな作業が行われた形跡はない。シュイナールの美は、バレエとは隔絶したところにある、と思われる。舞踊と呼ばれるものであれば、なんでも一括して論じていまうのは、おかしなことだ。
(2015年10月24日 KAAT 神奈川芸術劇場)