金森穣による瑞々しいグランド・バレエ『かぐや姫』全3幕が世界初演された、東京バレエ団

ワールドレポート/東京

佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki

東京バレエ団

『かぐや姫』金森穣:演出振付

東京バレエ団が、ヨーロッパでの経験も豊かな振付家・舞踊家の金森穣と共に、日本発のグランド・バレエを創作すべく2年7か月を掛けて取り組んできた『かぐや姫』がこのほど完成し、全幕通しての世界初演が行われた。日本最古の物語文学とされる『竹取物語』に創意を得た金森は、登場人物に独自の解釈を施し、新たにオリジナルなキャラクターを加えて脚色し直し、より普遍的なテーマを持つ物語バレエに仕上げた。音楽は、印象派音楽の創始者とされる、色彩感豊かな作品を生み出したクロード・ドビュッシー。イマジネーションを喚起するドビュッシーの楽曲を巧みに用い、バレエの伝統的な様式と自身が芸術監督を務めるNoism Company Niigataで培ったモダンな舞踊法を見事に融合させた金森の手腕はさすが。世界に向けて発信するにふさわしい瑞々しいグランド・バレエの誕生を喜びたい。3回公演のうち、初日と同じキャストによる最終日を観た。

『かぐや姫』は、よく知られるように、月という異界から遣わされた「かぐや姫」が月へ還るまでの出来事を描いた作品だが、原作の『竹取物語』を大胆に翻案しているので、初めて観る人は戸惑うかもしれない。まず、「かぐや姫」を見つけるのは媼(おうな)に先立たれた「翁」で、それも金欲に抗えない貧しい竹取という設定。ほかに、かぐや姫と恋におちる「道児」という村の若者を新たに登場させた。また、かぐや姫に求婚する貴公子たちが課せられた難題に苦労するといった原作のエピソードは省かれ、代わりに、かぐや姫を迎え入れた宮廷という特異な世界の内実に焦点を当てた。「帝」を幼くして即位した孤独な権力者に設定し、帝に愛されない孤独な正室の「影姫」をかぐや姫の対極の存在として新たに設け、作品のテーマの一つである"孤独"を浮き彫りにしている。なお、2021年11月に初演された第1幕の舞台装置や衣装は日本風のデザインで特色づけられていたのに対し、今年4月に初演された宮廷が舞台の第2幕は特定の国や時代を想定しない美術に切り替えられた。今回の完成版では、3幕とも具象性を排した抽象的なもので統一しており、そのため舞台装置は総じて驚くほどシンプルで簡素だった。その分、照明が効果的に用いられていた。また、場面に応じて巨大な満月や欠けた月を背後に投影し、時の移ろいを暗示していたが、プロローグの季節は春、第1幕は夏、第2幕は秋、第3幕は冬と変え、ここでも時の推移を伝えていた。

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© Shoko Matsuhashi

プロローグ。翁(木村和夫)が竹取りに出掛けると、舞台は満月に照らされた海に転じた。「緑の精」が表現する波打つ海は、やがて屹立する竹やぶへと変容していったが、緑の精たちのポアントを駆使した女性群舞は見事だった。海は生命の源であり、潮の満ち引きは月の引力によることから、海を月のメタファーと捉えての導入であろう。翁が竹やぶの中にコケシのような小さなかぐや姫を見つけて連れ帰ると、かぐや姫はあっという間に成長して姿を現した。なお、翁は連れ帰ったかぐや姫を黒衣が掲げ持つ媼の位牌に見せて報告するが、位牌の意味を知らない外国人には分かりづらいかもしれない。

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© Shoko Matsuhashi

第1幕では農村での質素な日常が描かれる。孤児の道児(柄本弾)は働き者で、こき使われても屈託なく応じ、童たちに慕われている。かぐや姫(秋山瑛)は腕白な童たちと一緒に遊び、盗み食いをしてたしなめられるが、それを庇ってくれた道児に心を惹かれる。そんな天真爛漫なかぐや姫の姿を、宮廷の女官や大臣たちが後方に設けられた二層の段上で見ているシーンは伏線として効いている。月を眺めて涙ぐむかぐや姫を道児が慰めるようにして、二人は踊り始めた。〈月の光〉の旋律にのせて、秋山は美しく身体をしなわせ、柄本は優しく包み込むように秋山を支え、高くリフトし、燃え上がる心を初々しくうたいあげた。そんな二人を嫉妬のあまり引き離す翁の木村の演技はリアルだった。翁がかぐや姫を見つけた竹やぶをさまよっていると、今度は財宝や反物を授かった。その有り様を見ていた村人たちは、自分も宝物を得ようと竹を倒していく。欲に憑かれた人間の浅ましさに加え、人間の欲望が自然破壊を招きかねないことを示してもいた。美しく着飾ったかぐや姫は、鳥かごのような輿に乗せられて都に向かい、引き離された道児が茫然とたたずむところで第1幕が終わった。

第2幕の舞台は宮廷。正面後方に大きな階段を据えて二層構造にし、赤いぼんぼりが幾つか吊るされているだけで、宮廷らしい雅さはなく、どこか空疎な印象を与える。最初に登場するのは影姫(沖香菜子)で、赤と黒の交じった総タイツ姿で、帝に愛されない鬱積した想いを晴らすかのように、四人の大臣を従えて大胆に身体を操って妖艶に踊る様は凄みを感じさせるほどで、到着したかぐや姫に向けた眼差しには険しい敵意がこもっていた。四大臣を踊った宮川新大、池本祥真、樋口祐輝、安村圭太は、影姫にへつらいながらも互いに激しい闘志を漲らせて踊り、こちらも凄みを感じさせた。かぐや姫の美貌に魅せられた宮廷の男たちが彼女に襲いかからんばかりに迫る群舞からは強烈なパワーが放たれ、男たちに手渡される純白の総タイツのかぐや姫の清楚な美しさを際立たせた。村ではバレエシューズだったかぐや姫はトゥシューズに履き替えているが、そこに宮廷の規範を感じさせた。階段の上に現れた帝(大塚卓)はかぐや姫の方に下りてくるが、威厳を誇示するように肩をそびやかし、角張った大仰な仕草で振舞うものの、家臣たちに疎んじられている哀しさを漂わせてもいた。宮廷では、男性なら「帝―大臣ー家臣たち」、女性なら「正室―側室―女官たち」というヒエラルキーが見て取れるが、地位の高さは必ずしも幸せを約束するものではないのだ。

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© Shoko Matsuhashi

かぐや姫が教育係の「秋見」(伝田陽美)の厳しい指導に反抗して翁の元に逃げるものの、翁に叱りつけられる場面や、かぐや姫を失った道児が働く意欲をなくして村人たちに虐げられる場面が挿入された後、眠れぬ夜を過ごしたかぐや姫と影姫が出会って踊るシーンは極めて印象的。暗澹たる想いを募らせる二人は、いたわり合うように心を通わせ、光と影のように一対となり協調していった。無垢なかぐや姫に魅せられていく帝と、帝の孤独に共振していくかぐや姫と、そんな二人に嫉妬する影姫によるパ・ド・トロワも緊張感に満ちていて印象深かった。帝とかぐや姫の手がつながると、影姫は遮るようにからみ、かぐや姫はそれをすり抜けて後ろに回るなど、三人は危ういバランスを保ちながら、それぞれの哀しみを踊りで奏でていた。かぐや姫は宮廷に忍び込んできた道児と久しぶりに再会して一瞬ためらうが、喜びも露わに踊り始めた。オーケストラ版の〈月の光〉にのせ、高くしなやかなリフトを交えて、二人は情熱をほとばしらせて踊った。秋山は、宮廷での様々な経験を経て大人になったのだろう、以前とは異なり道児を包み込むような優しさをみせていた。二人は逃亡を図るが妨害され、取り残されたかぐや姫は立ちはだかる帝や宮廷の人々の前で泣き暮れた。かぐや姫を慈しんで育てた翁は、彼女をかばうどころか責める始末で、権力や欲望に毒された者の醜さをのぞかせていた。

第3幕は、かぐや姫が月の使者である「光の精」に誘い込まれて見る夢で始まった。かぐや姫は道児の幻を見つけて喜んだり、帝や大臣たちの幻に怯えたりするが、その幻は光の精たちにより引き離され、消えてしまう。光の精の女性群舞は、せわしなく動き回ってかぐや姫の心をかき乱したが、いかなる抵抗もはねつける不気味なパワーを放っていた。悪夢から覚めたかぐや姫は、翁に四大臣の誰かと結婚するよう言いつけられる。翁の申し出に色めき立った四大臣は、秋見から結納品を献上するよう空の宝箱を渡された。我こそはと張り合う四人は、互いを睨みつけながら、持てるパワーを炸裂させてアグレッシブな踊りを展開した。帝が沈んだ心で宮廷を歩くかぐや姫を見つけて強引に迫ると、かぐや姫はやわらかく拒みながら、帝の心の闇に同調しもしたが、受け入れようとはしない。帝はかぐや姫の頑なな心を知り、かぐや姫が宮廷を去るのを止めなかった。帝の大塚は、かぐや姫に対する微妙な心の揺れを、さし伸ばす手や身体の動きで細やかに伝えていた。

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© Shoko Matsuhashi

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場面は農村に移り、財宝を求めて竹林を荒らす大臣たちと、竹林を守ろうとする村人たちの戦いが始まった。村に戻ってきたかぐや姫が倒された緑の精たちを助け起こしていると、道児が現れたので喜んで抱きつくが、赤子を抱いた妻を見て愕然とする。戦いは、帝が率いる宮廷人たちと道児が率いる村人たちの戦争に拡大するが、この展開は急すぎて違和感を覚えた。惨状をとめられないかぐや姫が声にならない悲鳴をあげると、強烈な光がすべてを包み込み、人々はみな倒れた。光の精たちが現れると、人々は目を覚まし、何が起こったのかと振り返った。それは己の非を悔いることにもつながるようだ。かぐや姫は、道児を妻のほうに押しやり、帝を影姫に向かわせ、許しを乞う翁に別れを告げると、光の精に記憶を失うストールをかけられ、光の精に伴われ、空にかかる月への階段をのぼっていった。かぐや姫は何のために月から遣わされ、なぜ月に還らねばならなかったのか、という問いを残して。

以上が金森の『かぐや姫』。東京バレエ団のダンサーたちのレベルの高い踊りを活かした振付は見応えがあり、SFファンタジーとして純粋に楽しむこともできるが、それだけではもったいない。『かぐや姫』には、幾つもの普遍的な問題が盛り込まれていて、真に奥が深い。入念な構成だけに、金森が張り巡らした意図は、一度見ただけではとらえきれない。長い作品なので物語の流れを中心に書いため、音楽にはほとんど触れられなかったが、場面に合った絶妙な選曲で、ドビュッシーの音楽の多彩さに改めて気づかされもした。また、日本の伝統芸能にお馴染みの「黒衣」は、かぐや姫だけに見える闇の力という設定だが、場面の素早い展開を促すだけでなく、底知れぬ力を感じさせる効果があった。気付いたことは色々あるが、とても書ききれない。金森の『かぐや姫』が海外で披露されて、どのような評価を得るか。それを知るのが待ち遠しい。
(2023年10月22日 東京文化会館)

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© Shoko Matsuhashi

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