ウルド=ブラームとガニオによる3幕の凄絶なパ・ド・ドゥは深い余韻を残した・・・パリ・オペラ座バレエ公演

ワールドレポート/東京

佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki

パリ・オペラ座バレエ団

『マノン』ケネス・マクミラン:振付・演出

パリ・オペラ座バレエ団が4年振りに来演した。別項に書いたヌレエフ版『白鳥の湖』に続くプログラムは、ドラマティック・バレエの巨匠とうたわれるケネス・マクミランの振付・演出による『マノン』だった。マクミランが英国ロイヤル・バレエ団の芸術監督在任中の1974年に、アベ・プレヴォの小説を基に創作した全3幕の大作である。パリ・オペラ座バレエ団がこれをレパートリーに採り入れたのは1990年だが、日本で上演するのは今回が初めてとあって話題性は高かった。公演は5回。マノンと相手役のデ・グリューには練達の表現力が求められるため、ドロテ・ジルベール&ユーゴ・マルシャン、ミリアム・ウルド=ブラーム&マチュー・ガニオ、リュドミラ・パリエロ&マルク・モローと選りすぐりのトリプルキャストが組まれていた。このうち、ウルド=ブラームとガニオが組んだ回を観た。なお、ウルド=ブラームはこの5月に停年を迎えるため、日本でのエトワールとしての舞台は今回が最後になるという。

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ドロテ・ジルベール、ユーゴ・マルシャン
Photo Kiyonori Hasegawa(写真は他日公演より)

バレエ『マノン』の原作となったのは、フランスを代表する小説家、アべ・プレヴォが1731年に発表した『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』である。プレヴォは聖職者でもあったが、何度か聖職を離脱したり、軍隊に入ったり、国外に逃亡してトラブルを起こしたりと波乱に富んだ人生を送ったが、この小説にはそのような自身の経験が投影されているという。男を惑わし破滅へと導く魔性の女の物語は、スキャンダラスな内容も手伝ってセンセーションを巻き起こし、後々まで様々な分野のアーティストに影響を及ぼした。1830年にはジャン・ピエール・オーメールの振付によるパントマイム・バレエ『マノン』がパリ・オペラ座で上演され、また作曲家のジュール・マスネはオペラ・コミック『マノン』(1884年)を、ジャコモ・プッチーニはオペラ『マノン・レスコー』(1893年)をそれぞれ作曲した。20世紀に入ってからも、『情婦マノン』や『恋のマノン』のタイトルで映画化されている。マクミランも、このファム・ファタルに創意をかき立てられたのだろう、原作の時代設定をフランス革命前の1780年代に移し替え、マノンと彼女に振り回される男たちの姿をバレエ作品に結実させた。用いた音楽はすべてマスネだが、『マノン』からの曲は使用せずに、『マノン』以外のオペラ作品や、歌曲『エレジー』、宗教劇『聖母』、管弦楽組曲などから選曲している。統一感のある、見事な音楽構成である。

幕が開くと、暗い舞台の中央にマントにくるまり行儀よく座る男がいる。マノンの兄レスコー(アンドレア・サリ)である。冒頭に登場させたのは、マノンの人生を左右することになるからか。レスコーは、修道院に送られることになっている妹が馬車で着くのを待っている。そこはパリ近郊の宿屋の中庭で、貴族や女優、商売女、物乞いやスリなど、様々な階層の人々がうごめいており、繰り広げられた群舞も猥雑な世の中を映し出していた。第1場の見せ場は、マノンと学生のデ・グリューが出会って恋に落ち、一緒にパリへ発つところだが、これに続けて、マノンに魅せられたムッシューG.M.(フロリモン・ロリュー)に、レスコーが妹を見つけて差し出すと持ちかけ、彼から金を受け取るシーンが加えられ、波乱が起こりそうな展開を予感させた。ここで踊られるマノンとデ・グリューの "出会いのパ・ド・ドゥ(PDD)" だが、二人が背中合わせでぶつかった瞬間に、互いの身体に衝撃が走った様子が見て取れた。マノンのウルド=ブラームは、最初は戸惑いもみせていたが、優しく包み込むようなデ・グリューの腕に身体を委ね、高くリフトされるたびに身をしならせ、つま先にまで喜びをあふれさせた。デ・グリューのガニオがみせた繊細なサポートや伸びやかな脚さばきも忘れ難い。情熱的だが、ピュアで清々しさを感じさせるPDDだった。用いられた曲は『エレジー』。オーケストラの力強く歌いあげるような演奏は二人の恋をあおるように響いたが、同時に、甘美な中に哀切さの漂う旋律は恋人たちの行く末を暗示するようでもあった。

第2場はパリのデ・グリューの下宿で、ガラ公演などでよく踊られる "寝室のPDD" が始まった。マノンはデ・グリューが父親に手紙を書いているのを遮り、甘えるように踊りに誘った。デ・グリューはマノンの悩ましげな眼差しに抵抗できず、彼女に向き合い、身体を絡ませ、抱き合い、はしゃぐように床を転げた。二人がパリで過ごした燃えるような愛の日々彷彿させるようなデュオだった。ガニオは一途な青年のままだが、ウルド=ブラームのマノンには妖しい魅力が備わっていた。デ・グリューが手紙を出しに行った留守に、レスコーがムッシューG.M.を伴って現れた。マノンはG.M.が差し出す宝石や高価な品の誘惑に負け、彼の求愛を受け入れ、連れ立って出て行った。ここでは、G.M.の肩に乗せられたマノンが脚を回すように体をひねり、レスコーに支えられて床に下りるといった振りが繰り返されたが、何とも絶妙な緊張感をたたえたトリオだった。レスコーは戻ってきたデ・グリューに、マノンとG.M.の関係を認めれば皆が得をすると説得した。金次第で動いてしまうレスコーの抜け目なさが、ここで強調された形だ。

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Photo Kiyonori Hasegawa

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Photo Kiyonori Hasegawa

第2幕の第1場は高級娼家のパーティで始まる。ムッシューG.M.に伴われて着飾って現れたマノンは、レスコーに連れられてきたデ・グリューに再会して動揺するが、デ・グリューにG.M.と賭博で勝負するよう促す。デ・グリューのいかさまは見破られてしまうが、混乱に乗じてデ・グリューとマノンは逃げた。パーティで、娼婦たちの媚びを売るような群舞や、客の男たちとのやりとりからは、あからさまに快楽を求める人々の姿がリアルに伝わってきた。レスコーのサリが酔っ払ってふらつきながら陽気に踊るソロは見もので、続く愛人(エロイーズ・ブルドン)とのデュエットでも確かなテクニックを披露した。一方、マノンが男たちに掲げられ、男たちの手から手へと受け渡される様は、心地よい流れに身を委ねてしまうマノンの危うい生き方を象徴しているようにも思えた。マノンは一層、艶やかさを増しており、デ・グリューが裏切られたのも忘れて想いを再燃させるのも無理はないと思わせた。第2場はふたたびデ・グリューの下宿で、マノンとデ・グリューは互いの愛を確かめるようにPDDを踊った。マノンがデ・グリューの心を取り戻そうと、何度も後ろから抱きつく仕草が印象的で、デュエットは平穏に紡がれた。二人は逃げる支度をするが、G.M.から贈られた宝石に固執するマノンにデ・グリューは怒りを爆発させる。そこにG.M.が警官とレスコーを率いて現れ、マノンは売春容疑で逮捕され、レスコーは騒ぎの中に撃たれて命を落とした。

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ドロテ・ジルベール、ユーゴ・マルシャン
Photo Kiyonori Hasegawa

第3幕はフランスを離れ、犯罪者と売春婦の流刑地ニューオリンズに移る。船から降りてくる売春婦たちは、髪を短く切られ、薄汚れた服を着ている。マノンも、夫と偽ってついてきたデ・グリューと一緒に出てきたが、彼女に目を付けた看守に引き離された。看守の部屋に連れてこられたマノンは、自分のものになるよう強いられ、屈辱を受けもしたが、看守の誘いは拒否する。その場に踏み込んできたデ・グリューはとっさに看守を刺し殺してしまい、マノンと共にルイジアナの沼地へ逃げ込むが、力尽きたマノンはデ・グリューの腕の中で息絶えてしまう。痛ましい最期だが、この最終幕で、これまでにない新たなマノンを見る思いがした。最初は可憐な娘として登場したが、愛の喜びに目覚めたものの、誠実さに欠け、宝石や贅沢な生活への誘惑には抗えず、我がままに振る舞ってきたが、すべてを失い、虚飾を捨て去った流刑地のマノンには、ボサボサの髪にボロボロの服でも、内から滲み出る別種の美しさがあった。看守が与える高価なブレスレットをはねつけるのは、見捨てずに尽くしてくれるデ・グリューがいるからかも知れないが、かつての自分が疎ましいからかも知れない。ウルド=ブラームは、そんなマノンの内面の変化をきめ細やかに表していたと思う。デ・グリューのガニオも、ひたすらマノンを想い続ける青年の、一途にたぎる心を手に取るように伝えていた。そんな二人による幕切れの"沼地のPDD"は秀逸だった。仰向けに横たわったデ・グリューは、何度もマノンの身体を押し上げたり、宙に舞わせようとしたりするが、マノンにはそれに応じるだけの力がなく、腕や身体はだらりと下がったままで、デ・グリューは絶望感に打ちひしがれるばかりだった。二人の渾身の演技が合致した凄絶なPDDは、深い余韻を残して終わった。この二人は別格としても、レスコーら脇を固める人々の踊りや多様な群舞も迫力があり、ドラマの背景や世の中の有り様を浮き彫りにしていた。また、ピエール・デュムソーの指揮による東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団が、マスネの音楽に込められたニュアンスを陰影深く奏でていたことも、付け加えておきたい。
(2024年2月17日昼 東京文化会館)

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