ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2011.07.11]
熊川哲也が東京・渋谷のBunkamura オーチャードホールの芸術監督に就任した。もちろん、バレエだけではなく、オペラやクラシック・コンサートなどを視野に入れた活動になる。舞踊界からジャンルを越えて指導的立場で活躍する人材が現れるのは希なこと。例えると、伊藤道郎以来、ともいえるのではないだろうか。 オーチャードホールの芸術監督として熊川は、渋谷の街が持つエネルギーと劇場が提出するハイカルチャーが融合発展するといった構想を練っているそうだ。今日では、劇場と観客の関係も大きく変わりつつある。横浜に『キャッツ』を上演するための劇場があるのだから、渋谷にバレエを専門に上演する劇場があっても不思議はない。JR渋谷駅の向こう側にはミュージカルを中心に上演する新しい劇場もオープンするという。世界の檜舞台で活躍した舞踊界出身の芸術監督ならではの着想に期待するところ大である。

初々しく美しかった小野絢子のジュリエット

ケネス・マクミラン振付『ロメオとジュリエット』
新国立劇場バレ団
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新国立劇場バレエ団のマクミランの『ロミオとジュリエット』初日。川村真樹、マイレン・トレウバエフ、小野絢子、本島美和、湯川麻美子の5人のダンサーがプリンシパルに昇格する、という発表があった。それまでプリンシパルは山本隆之だけだったから、今後は6人体制となる、という。終演後、芸術監督から今まで一人しかいなかったので…、という説明があったが、それにしても5人一気の昇格とは驚いた。
そしてソリストからプリンシパル・ダンサーへの昇格の発表があった小野絢子が、ジュリエットに扮し、マクミラン作品の全幕に初めて挑戦した。ロミオはマリインスキー・バレエ団のプリンシパル、ディニス・マトヴィエンコのゲスト出演。小野絢子は外国人ダンサーとペアを組んで全幕の舞台を踊るのも初めてだ。
ケネス・マクミラン振付『ロメオとジュリエット』は、2001年に新国立劇場バレエ団のレパートリーとなり、2004年に再演されているので、今回が7年ぶり3回目の上演となる。前2回の上演ではデボラ・マクミラン監修、ジュリー・リンコン演出とクレジットされていたが、今回それは記されていない。

『ロミオとジュリエット』はイタリアのヴェローナを舞台に、ルネッサンス前夜という時代背景の中で、ロミオやジュリエットなどの若者たちの青春のピュアな情熱がドラマティックに展開していく恋愛悲劇。
とりわけマクミラン版には、若き日にクランコとともに19世紀型のクラシック・バレエの革新に情熱を燃やした、マクミランの熱い創作エネルギーが込められている。ディヴェルティスマンやグラン・パ・ド・ドゥといった19世紀バレエの形式的表現に対して、物語の時代的・社会的背景を捉え、登場人物の感情を大胆に表現してリアリスティックで今日的な舞踊表現を創ろうという強い意欲が凝縮されている傑作だ。20世紀のバレエを代表する作品のひとつで、全世界の観客から受け入れられている、と言っても過言ではないだろう。

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開幕は「街の広場」となっていたが、英国ロイヤル・バレエのヴァージョンなどでは”The market place”(市場)となっている。ヨーロッパの多くの都市でみられる街の市場に人々が集い、様々な物売りや芸人や娼婦など雑多な職業の人間が集まって争ったり、騙し合い、憎み、恋し、裏切ったり・・・。人間的で猥雑さ溢れるエネルギーに満ち満ちている街の中心地。そこには中世の呪縛からの解放を求めるルネッサンス前夜の時代の潮流が、るつぼとなってたぎっている。
ロミオとジュリエットはキャピュレット家の仮面舞踏家で出会い、人目を避けながら心の窓を開く。そして二人が愛を確かめ合うバルコニーのシーン。ここには、マクミラン版の特徴が顕著に現れる。伝統的に激しく対立してきた家の娘と息子であることをお互いに知ってはいるが、身体に沸き起こった強く惹かれあう気持ちを信じ、迸る感情を表現してキスを交わす。バレエ表現が、混沌とした時代のエネルギーに突き動かされて運命的な愛に陥っていく二人の若者の魂を鮮やかに浮かび上がらせている。時代性を鋭く追求することによって、普遍的な人間性を描くことに成功しているのである。

小野絢子は、バルコニーのシーンだけは小林紀子バレエ・シアターの公演で踊ったことはあったが、物語バレエの傑作と言われるマクミラン版『ロミオとジュリエット』全幕への初挑戦のプレッシャーにも臆するところなく、初々しさを表し、柔らかく滑らかなステップで踊り美しかった。身体の移動に無理がなくスムーズでロミオとも適切な間隔を保って、清々しいバレエ・シーンを踊った。
新国立劇場バレエ団のシーズンゲストダンサーだったもともあるマトヴィエンコのロミオも当然のこととはいえ全力投入の熱演だったが、時折、孤軍奮闘に見えてしまったところもあった。

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しかし今回の「街の広場」は少々、ボリュームが不足していた。この作品はバーミンガム・ロイヤル・バレエ団から衣裳提供を受けている。協力してもらっているのだからとやかく言うのはどうかと思うけれど、物売りや芸人などこの広場に集まっている諸々の職業の人々がほとんど省略されている。両家の従者を除けば、娼婦と街の女たちだけで構成されているので「市場」とは言いにくかったのかもしれないし、娼婦の踊りばかりが目立ってしまい、若者たちが彼女たちと戯れる場所のように感じられてしまうのだ。
また、第2幕の結婚式を祝うマンドリンを奏でる人たちが、不思議なぬいぐるみを着て踊る。英国ロイヤル・バレエ団のヴァージョンとは明らかに異なるこの表現の意図するところを理解することは、私にはできなかった。クランコ版の影響か? などと自問はしてみたのだが。
ともあれ、マキューシオとティボルトの死の哀しみを、結婚を祝う明るく軽快なメロデイによって彩る、というプロコフィエフ&マクミランの卓越した表現を深く味わうことができなかったのは、この作品を観るときはいつも心して味わっているだけに残念だった。
終演後のトークショーによると、芸術監督のビントレーは、ロンドンで同じヴァージョンを見て「六時間前に東京に着いてリハーサルも見ずにいきなり本番を観た」そうだ。それでこの作品は千回以上みているが「感動した」という・・・。

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マクミラン版の『ロミオとジュリエット』は、新国立劇場バレエ団にとっては極めて重要なレパートリーではないだろうか。20世紀の物語バレエはこの作品を起点として始まった、といっても過言ではない。この作品の優れたヴァージョンを創ることは、今後の新国立劇場バレエ団とって非常に重要なことだと思われる。
確かにビントレー振付の『アラジン』も優れたエンタテインメントである。新国立劇場バレエ団のダンサーたちは、ビントレー作品を踊ることでレバルが上がっている。これは良いことでわれわれも非常にうれしい。しかし、重要なレパートリーの舞台を充実させることに心を注がなければ、バレエ団としての発展は望めないのではないだろうか。
(2011年6月25日 新国立劇場 オペラパレス)

撮影:鹿摩隆司
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