ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

From Tokyo <東京>: 最新の記事

From Tokyo <東京>: 月別アーカイブ

秀 まなか Text by Manaka Shu 
[2009.12.10]

ドラマ性を際立たせたカラボス、キエフ・バレエ『眠れる森の美女』

KYIV BALLET /Viktor Litvinov " Sleeping Beauty"
キエフ・バレエ/ヴィクトール・リトヴィノフ『眠れる森の美女』
tokyo0912c01.jpg

チャイコフスキーの三大バレエ『白鳥の湖』『くるみ割り人形』『眠れる森の美女』を引っ提げ、キエフ・バレエが2年振りに来日した。かつてボリショイ・バレエ、マリインスキー・バレエと並んで旧ソ連の三大バレエと称され、レオニード・サラファーノフやアリーナ・コジョカルを輩出したウクライナの名門だ。期待を持って、渋谷・オーチャードホールでの『眠れる森の美女』の11月27日の夜公演に足を運ぶ。

 エキゾチックな容姿をもつ、新進のナタリア・マツァークのオーロラ像は、輪郭がはっきりと浮かび上がって来ず、冗長な印象を与える。2004年のセルジュ・リファール国際バレエ・コンクール銀賞受賞の実力で難所を手堅くまとめているものの、1つ1つのポジション、エポールマンでの立ち姿の角度が甘いからだ。
この作品のヒロインを踊ることは、女性バレリーナが、クラシック・バレエと正面から向き合うことを意味する。16歳で登場する無邪気なオーロラ姫が、リラの精の力を借りカラボスの魔力に打ち勝って王子と結婚するまでのドラマを、チャイコフスキーの美しい旋律に沿って描く、この作品の技法は純粋なクラシックだ。パの中に演技をこめ、そのパを積み重ねて、自身のオーロラ像を完成させる。つまり、オーロラ姫は厳格なポジションでのみ、紡ぎ出されるヒロインなのだ。
だが、全3幕を通じて、マツァークのポジションには隙がある。オーロラに求められる厳格さを欠いたことで、結果としてドラマの欠如を生み出してしまった。特に、3幕の王子との結婚式の際に、明確なポジションから滲み出るべき、女性としての威厳が失われてしまったことが残念だ。
 

tokyo0912c02.jpg

逆に、悪の象徴であるカラボスからはドラマ性が際立つ。ベテランのオレグ・トカリは、登場した瞬間から舞台をさらい、マイムと演技で、物語をどんどん進めていく。例えば、プロローグでは、オーロラの生誕式に招待されなかった怒りを、肩を小刻みに震わせて表現する。必要最小限の、自然なマイムはワガノワ・メソードに忠実で、分かりやすい。在団20年以上の豊富な経験から培った手法は、舞台に居並ぶ若手の団員とは全く異なる次元の圧倒的なもので、好演していたユリヤ・トランダシルのリラの精でさえ、善の象徴としてカラボスと互角にわたりあえないほどだった。

彼の力演には、音楽との掛け合いが一役買っていたことも見逃せない。日ごろから接しているウクライナ国立歌劇場管弦楽団がともに来日したことで、音楽とマイムが見事に一致し、まるで呼吸するよう。ダンサーを無視した独りよがりな演奏、聞くに堪えない演奏を背景にしたバレエ公演が多い中で、これほどの調和をみせる演奏は特筆ものだ。国際的に活躍する看板バレリーナ、エレーナ・フィリピエワの優れた音楽性も、この管弦楽団で磨かれたのだと納得した次第である。 同時に、この日の彼女の不在は、余計に存在の大きさを感じさせた。デジレ王子のデニス・ニェダク、フロリナ王女のカテリーナ・カザチェンコは丁寧に、きっちりと踊っており、マツァーク、トランダシルとともに、これからのキエフ・バレエを引っ張っていく存在になるだろうという、将来性を覚える。だが、まだ誰も、主役として、観客を物語に引き込む気概を示す域には至っていない。
 転換期の真っ只中にあるキエフ・バレエが、フィリピエワの後継者を育てるには、もう暫くの時間の猶予が必要なようだ。
(2009年11月27日 オーチャードホール)

写真提供/光藍社
※画像をクリックすると、大きな写真をご覧いただけます。