ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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唐津 絵理 text by Eri Karatsu 
[2011.07.11]
From Osaka -大阪-

関西の7人の男性俳優を使った振付家きたまりの挑戦

演出・振付:きたまり “ Taka a chance project 026 ” KIKIKIKIKIKI『ぼく』
伊丹アイホール
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伊丹アイホールによる“Taka a chance project”は、関西を拠点に活動するパフォーミング・アーティストと劇場が、3年間に亘って様々な切り口から共同製作を行っていく好企画である。3年というのがよい。1年なら安全な作品群で済ませてしまうかもしれないが、チャンスが3回もあるとなれば、冒険しないわけにはいかない。今回のきたまりの振付による2回目となるこのプロジェクトも、そんな企画意図を真摯に受け止めた挑戦的な作品であった。

舞踏出身のきたまりは「トヨタコレオグラフィーアワード2008」や「横浜ダンスコレクションR2010 ソロ+デュオコンペティション」に入賞するなど、今やコンテンポラリーダンス界をリードする若手振付家である。しかし近年では、演劇作品に客演することも多く、ついに今回の新作『ぼく』では、7名の男性俳優だけが出演する作品に取り組んだ。
舞台中央に9㎡ほどの舞台が設置されており、観客はその四方を取り囲んで観賞する。その観客の脇を通り抜けて、まず最初に、土佐和成(ヨーロッパ企画)が舞台に上がり、ただお辞儀をして立ち去る。次に登場するのは平林之英(Sunday)。あるものは素早く、あるものは照れながらひとりずつ挨拶。彼らの登場する過程は、男たちの素の身体の軌跡となって強く印象づけられる。次の登場では自己紹介、名前や星座、出身地等など、用意されたセリフなのかあるいは即興なのかわからないまま、普段着の洋服で登場した俳優たちの個性的なプレゼンテーションに立ち会う。次第にセリフや動きに緩急がつきはじめ、前の俳優の声を遮り、ついには竹ち代毬也を中心とした喧嘩が勃発する。声と身体を使って、まるで駄々っ子のように組み合う男たち。そこで幼い頃から男たちの行動は極めて身体的であったことに気がつく。 
作品全体は、簡単な構成やルールの中で進行し、俳優たちの意思に任せられての登場やセリフ、掛け合いも多いという。例えば、喧嘩することは決まっていても、誰が開始するかは決まっていない。こうした作品構成が成立するのも、dracom主宰の筒井潤や悪い芝居の山崎彬、 男肉du Soleilの池浦さだ夢等、出演者自身の多くが作家や演出家であるということに起因しているだろう。即興的にセリフを創造し、瞬間的に自らの身体を演出することは、作家・演出家、そして俳優でもある彼ならではの得意技といってもよい。
男たちが泣いたり、ボールを投げたりと、遊びか宴会芸か、はたまた内面の発露かというユニークな告白が継続していくなか、照明とミラーボールが状況設定に高い効果をあげている。ミラーボールが上空でくるくると激しく回るかと思えば、舞台スレスレまで下りてきて、ゆっくりと回りながら床面や客席を照らし出す。男たちの内面を象徴するかのようにシンプルに変化する照明が、観客の内省を促す。
「かっこつけていること」、「生まれ変わったら」、「自分の良いところ」、「親について」等など、個人への真摯な投げ掛けも、本音か芝居かすら不明で、観客の思い込みは彼らの返答や身体の動きにあっさりと裏切られる。どんなシリアスな問題も軽やかに笑い飛ばす「ぼく」たち。
全編を通して、ダンスらしい振付はほとんどみられないが、取り立てて物語らしい筋書きはなく、演劇とも一線を画す作品となっている。ダンスと演劇を横断しているというよりも、そのどちらでもない舞台。でこぼことした個々の身体の質感と、その身体に包まれる破天荒な男たち。その無鉄砲さと哀愁を放った男たちの身体が、妙に可愛らしく感じられた『ぼく』たちであった。
(2011年6月11日 伊丹アイホール)
出演=池浦さだ夢(男肉du Soleil)、竹ち代毬也、筒井潤(dracom)、土佐和成(ヨーロッパ企画)、平林之英(Sunday)、二口大学、山崎彬(悪い芝居) ほか

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撮影:阿部綾子
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