「薄井憲二バレエ・コレクション」に基づいてバレエ・リュスと対話した劇場実験の試みが、京都芸術劇場 春秋座で開催された

ワールドレポート/京都

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

去る1月20日(土)に京都芸術大学内にある京都芸術劇場 春秋座で「蘇るバレエ・リュスー薄井憲二バレエ・コレクションの同時代的/創造的研究ー」という劇場実験を試みるプロジェクトが開催された。これは薄井憲二バレエ・コレクション・キュレーターを務める関典子(神戸大学准教授・ダンサー)を始めとする15人の研究会メンバーによる3部構成のアートイベントである。<このプロジェクトが目指すのは、バレエ・リュスの復元や回顧ではない。「薄井憲二バレエ・コレクション」の資料から、同時代の我々、研究者やアーティストたちそして観客が何を得、何を創造するのか? を薄井憲二生誕100周年の2024年から未来を見据えるツアー>である、とその趣旨が謳われている。また、この京都芸術劇場 春秋座は、歌舞伎の上演を想定して作られており、「古典芸能を新世紀へと受け継ぐことはもとより、新たな創作活動通じて表現の可能性を追求する事件と創造の場」として作られた劇場である。

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映像「Nymphe」 撮影:松本豪

第1部は映像・歴史・人物というカテゴリーが設定されていたが、ここでは冒頭に登場した映像作品『Nymphe』(映像/工藤聡、作曲/佐藤一紀、演奏/佐藤一紀 三浦栄里子)が興味深かった。
深海のような暗黒の沈黙空間で動くクラゲを見ているような3次元映像が透明な巨大スクリーンに姿を表した。クラゲは変形しても一定の基本形が感じられるが、Nympheは全体が変貌し、一部分が消えてまた別の部分が現れたり、空間を動きながら自律した色彩とリズムにより様々に変化し、暗黒の中に踊るダンサーとおぼしき動きが幻灯のように感受された。それはニジンスキーの『牧神の午後』の踊るNympheたちのエロティズムを朦朧とした空間の被膜の中に想起させ、100年前のバレエ・リュスという衝撃的な芸術事件の一端が幻としなって現れたようだった。映像を作った工藤聡はスウェーデン在住の振付家、映像作家で、2003年のポーランド国際振付コンペティションでディアギレフ賞を受賞しているそうだ。続いて「現代人にとってバレエ・リュスとは」講演・鈴木晶、「薄井憲二とバレエ・リュス」講演・斎藤慶子があった。

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「パラード」撮影:松本豪

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「パラード」撮影:松本豪

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「パラード」撮影:松本豪

第2部は舞踊・衣裳・音楽。まず、舞踊は、『パラード』(2023年初演)が関典子の振付・出演、佐藤一紀、三浦栄里子のピアノ演奏により上演された。バレエ・リュスの『パラード』(エリック・サティ:音楽、パブロ・ピカソ:舞台美術・衣裳、ジャン・コクトー:台本、レオニード・マシーン:振付)は、1917年にパリ、シャトレ座で初演された一幕もので、見世物小屋の前で、中国人の手品師、アメリカ人の少女、馬や曲芸師などが、さまざまに芸を凝らして客を呼び込む様子をマイムで見せるもの。キュビズムによるピカソの美術、衣裳が有名。
関典子のダンスは、リュス作品のサティの音楽にサイレンやタイプライターなどの現実音が採り入れられていることから触発され、いわば一人<パラード>と言った趣向だった。この舞踊は観客席からではなく舞台上で観ることが観客に推奨された。
ダンサー(関典子)は、バレエ・リュスのピカソの衣裳デザインを援用して、今日風の真っ赤なダウンに黒いパンツで花道から、サイレンを回しけたたまし音を響かせながら登場する。回転抽選器をギイギイ回し、水の入った大きなボトルを振り回す。タップシューズを打ち鳴らし、タイプライターを打つ乾いた音とペーパーを抜く独特の音、ピストル、船の汽笛といった自然界にはない人工的な音を次々と発しながら、ダンサーは白い縞模様のパンツのピエロとなっておどけて走り回りつつ踊った。ピアノ演奏と舞台上で発っする音が響き合う。さらに黒い大きな箱を開けると、そこには音程に応じた音を出すワインボトルが並べられていて、これを木琴のマレットでランダムに打つ。そして天真爛漫に踊ったピエロは、最後は花道のセリから沈んで消えたが、バレエ・リュスを描いたイラスト本が開かれて残り、余韻が表れた。サティを始めとするバレエ・リュスの実験的アイディアを使って、女性らしく細やかで柔らかいスラプスティックなモダン感覚が現れた舞台だった。

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バレエ・リュスでイジコフスキーが着用して踊った「青い鳥」の衣裳と再現されたもの

続いて衣裳。「バレエ・リュスの衣装デザイン」についての講演は本橋弥生(京都芸術大学教授)。まず、バクストなどが作ったバレエ・リュスのオリエント風の美術・衣裳が、ポール・ポアレなどによりパリのファッションに大きな影響を与え、モードとなったこと、さらに、ピカソ、マティス、シャネルなども加わってパリを中心としてヨーロッパに広まったことなどが解説された。
そして「薄井憲二バレエ・コレクション」に収蔵されている「青い鳥」の衣裳は、バレエ・リュスが上演した『眠り姫』(1921年ロンドン、アルハンブラ劇場)と同時期に制作され、スタニスラス・イジコフスキーが着用したもの。この100年前の貴重な衣裳が、今回のプロジェクトのために再現制作され、それを着用した後藤俊星(貞松・浜田バレエ団)が、舞台で「青い鳥」のヴァリエーションを踊った。その「青い鳥」の衣裳を復元して制作した鷲尾華子(衣裳家)も講演し、素材・色合い・風合い・技術を再現することを目指し、「手染めによるシルク布をベースに、手刺繍などによる工芸的装飾をふんだん施し、且つ複雑な身体動作を想定しながら、当時の鮮やかで煌びやかな色彩やディテールを蘇らせました」とし、アップリケや刺繍など、色彩を再現するためのきめ細やかな努力が語られた。劇場ホワイエでは「青い鳥」の再現しされた衣裳が展示され、多くの観客が見入っていた。私はマリインスキー劇場で観た『シエラザード』の舞台美術に忘れがたい強い衝撃を受けたが、バクストの根源的とでもいうべき強烈な美は再現制作であっても感受された。
音楽は『Chronicle1910』(山中透:作曲・演奏/竹内祥訓:映像)。1910年のハレー彗星の大接近によるパニックと1909年5月にパリ、シャトレ座で初演されたバレエ・リュスの衝撃を連想。バレエ・リュス作品に使用された音楽をリサーチして再構成し、作曲家のオリジナル作品をくわえたもので作曲家自身が演奏した。映像はバレエ・リュスの舞台美術や衣裳などのをデジタル処理し、現代のイメージに変換を試みている。

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再現された衣裳で「青い鳥」ヴァリエーション 後藤俊星  撮影:松本豪

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後藤俊星  撮影:松本豪

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「牧神とニンフの午後」撮影:松本豪

休憩の後は、関典子の振付・出演、佐藤一紀と三浦栄里子の演奏による舞踊『牧神とニンフの午後』(2022年初演)だった。頭から肩のあたりまでウエディング・ヴェールのように紗布を被り、身体に長い薄物の衣裳を着けた関典子が様々にポーズをとって踊る。バレエ・リュスでニジンスキーが踊った『牧神の午後』で特徴的だった手の平を広げて手首に角度をつける動きが、身体とともに変化し様々な表情を作った。ヴェールが100年前の作品と共鳴していることを示唆し、牧神と遭遇したニンフであることを表し、神秘的なエロティシズムも表現していた。やがてニンフは舞台中央のセリから消え、照明が何も無い舞台をしばらく照らした。この舞踊は舞台空間全体の変容を感じてもらうために、観客は2階席から観ることが推奨された。なお、バレエ・リュス『牧神の午後』はクロード・ドビュッシー:音楽、レオン・バクスト:舞台美術・衣裳、ワツラフ・ニジンスキー:振付により1912年にシャトレ座で初演された。
また、ホワイエでは「サウンドインスタレーション『Chronicle 1910』(山中透:作曲/竹内祥訓:映像)」が流され、「薄井憲二バレエ・コレクション」から関連資料の複製が展示された。(関典子:監修)
同時に「薄井憲二バレエ・コレクション」を収蔵する兵庫県芸術文化センターでは、今回再現された「青い鳥」の100年前の衣裳や資料の現物の一部が展示されている。(3月10日まで)
バレエ・リュスというと、興味本位の話題だけを並べて終わってしまうことも多いのだが、こうした「薄井憲二バレエ・コレクション」のような精細に集められた資料にあたって100年前の実験的舞台と対話し、新たな舞台芸術に挑戦していく試みを評価したい。

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「牧神とニンフの午後」撮影:松本豪

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「牧神とニンフの午後」撮影:松本豪

また、最後に故薄井憲二氏についてひと言、付け加えておきたい。
セルゲイ・グリゴリエフ著「ディアギレフ・バレエ年代記 1909ー1929」(2014年平凡社刊)の監訳は、バレエ界に大きな実績を残した氏の最後の仕事となった。これは以前から氏が温めていた企画だったが、出版不況のためになかなか実現が難しかったものである。そのあとがきには、
「バレエ・リュス関係の書籍は数多い。・・・しかし、バレエ団の真実ということになると、この書に勝るものはない。それは著者のセルゲイ・グリゴリエフが、ディアギレフの企画の最も早い時期から関わり、バレエ団として確立してからその崩壊まで、常に側近であり、内部の人間だったからである。」と記されている。この出版企画は、巷に様々行われている言説によるのではなく、バレエ・リュスの全作品に舞台監督として深く現場に関わったグリゴリエフの自伝を翻訳し、その実態に迫ろうとしたあくなき探究心から生まれたものと言えるだろう。この事実からも「薄井憲二バレエ・コレクションの価値が推察されるのではないだろうか。

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春秋座ホワイエの展示 撮影:松本豪

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音楽『Chronicle 1910』 撮影:松本豪

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