ヤスミン・ナグディとマシュー・ボールによる『眠れる森の美女』(英国ロイヤル・バレエ、シネマシーズン)が8月25日より1週間限定公開される

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2022/23は、平野亮一がルドルフ皇太子を踊った『うたかたの恋-マイヤリング-』で始まり、8月25日より上映される『眠れる森の美女』で終了する。
今シーズンの最後に上映される『眠れる森の美女』は、言うまでもなくマリウス・プティパとピョートル・チャイコフスキーによる古典主義バレエの傑作だ。そして英国ロイヤル・バレエにとっても大変に重要な演目であり、カンパニーの変遷の節目節目ではいつも上演されてきた。
第二次世界大戦中はダンスホールとして使用されていたこともあったロイヤル・オペラ・ハウスは、終戦後の1946年2月20日、ニネット・ド・ヴァロワ版『眠れる森の美女』(オリバー・メッセレル美術)の上演により、戦時の長い眠りから解き放されて本格的な活動を再開した。また、1997年から2年半にわたる大改修工事が行われたロイヤル・オペラ・ハウスでは、1999年12月、リラの精に扮したダーシー・バッセルの導きによって再び目覚め、リニューアルされた劇場にロイヤル・バレエが戻り、活動を再開した。そして2006年、ロイヤル・バレエ団創立75周年を記して、ド・ヴァロワ版『眠れる森の美女』(オリバー・メッセレル美術)が、モニカ・メイスンを中心としたスタッフにより入念な準備の下に復活上演された。
今回のシネマシーズンで上映される『眠れる森の美女』は、2023年5月24日にロイヤル・オペラ・ハウスで上演された舞台のライヴ映像である。プティパの振付にフレデリック・アシュトン、アンソニー・ダウエル、クリストファー・ウィールドンが改訂を加え、ニネット・ド・ヴァロワ、ニコラス・セルゲイエフの演出に基づき、モニカ・メイスンとクリストファー・ニュートンがステージングした、隅から隅までロイヤル・バレエの伝統がぎっしりと詰め込まれた、高品質のグランド・バレエ『眠れる森の美女』である。
オリバー・メッセレルの素晴らしい美術は、戦争の暗い闇に閉じ込められていた人々に明るい希望を感じさせた、と言われた。宮殿などの情景もスケールが大きく壮麗だが、色彩の濃淡が幻想シーンや豪華な式典の表現にも見事な効果をあげている。リラの精のクラシック・チュチュは、ライラック・カラーの薄紫色の濃いところと淡いところを巧みにデザインしていて、善のイメージの温かみを自ずと感じさせる。
主役のオーロラ姫は、マーゴ・フォンテーンからダーシー・バッセル、ローレン・カスバートソンなど、英国出身のプリンシパルを中心として受け継がれてきたが、今回はヤスミン・ナグディにその大役のお鉢が回ってきた。

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ヤスミン・ナグディ、マシュー・ボール ©2017 ROH. Photograph by Bill Cooper

主役のオーロラ姫は、プロローグではまだ生まれたばかりで揺籃の中にいる。もう一人の主役、フロリモンド王子が登場するのには100年の時を待たなければならない。このバレエは、ルイ14世時代の宮廷人だったシャルル・ペローの童話の物語に振付られているのである。
冒頭のオーロラ姫の命名式では、リラの精(マヤラ・マグリ)を中心に、キャバリエを伴った、澄んだ泉の精(アネット・ブヴォリ)魔法の庭の精(イザベラ・ガスパリーニ)森の草地の精(前田紗江)歌鳥の精(ソフィー・オールナット)黄金のつる草の精(崔由姫)が、それぞれ特徴のあるヴァリエーションを生き生きと踊って祝福する。
王と王妃に仕え宮廷の儀式を取り仕切るカタラピュット(ベネット・ガートサイド)は、何回も念には念を入れて確認したにもかかわらず、妖精カラボス(クリステン・マクナリー)を招待していなかった! 手下の大ネズミたちを従え、憤怒の形相(凄いメイクだ)で登場したカラボスに、今、最も大切にしている頭髪をむしり取られて罵倒される。そしてカラボスは、今、この式典で名付けられた姫の運命を呪い死を告げる。しかし、善の妖精、リラの精のフォースにより、オーロラ姫は死ではなく、宮廷の人々ともに100年の眠りに就くことになった・・・。
ここでは6人の妖精とカバリエ、王と王妃、そして多くの宮廷の人々が登場して重奏的にダンスが構成される。そして悪の妖精と善の妖精の激しいやりとりがマイムで交わされ、なかなかインパクトのあるシーンとなっている。
カラボス役はプティパの初演でエンリコ・チェケッティ(青い鳥と2役)が演じて以来、多くの名演・怪演が伝えられてきたが、近年では、1994年アンソニー・ダウエルが自らのヴァージョンで踊り、来日公演も行われたので、記憶に残っている方もいらっしゃるのではないだろうか。クリスティン・マクナリーのカラボスもまた、彼女の当たり役となった。リラの精のマヤラ・マグリは5人の妖精たちにも気を配り、善の妖精としての表現が終始安定していたし、宮廷の人たちとのバランスも上手く保ち、巧みに全体を導いた。
そしてこの長いプロローグには、17世紀のフランス宮廷とともに宮廷舞踊へのオマージュも込められている。

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ヤスミン・ナグディ
©2017 ROH. Photograph by Bill Cooper

第1幕は花のワルツで幕が開き、16歳のオーロラ姫の誕生日のお祝い。溌剌とした若さとこぼれんばかりの美しさを輝かすヤスミン・ナグディが爽やかに登場。求婚者は、イギリス(ギャリー・エイヴィス)フランス(ニコル・エドモンズ)インド(デヴィッド・ドネリー)ロシア(トーマス・モック)の4人の王子。そして4人がオーロラ姫に一輪の薔薇を捧げるローズ・アダージオとなる。ヤスミン・ナグディは落ち着いて気品を漂わせ、ポワントのバランスも決まった。次に踊ったヴァリエーションもきめ細かく表現を作り美しいラインを描いて、大きな喝采に包まれた。ヤスミン・ナグディの踊りは魅力的で、ロイヤル・バレエの誇り高き「オーロラ姫」として、ひとつ上の気高い表現を作ろう、という意欲が明確に感じられた。
ところが、老婆に姿を変えたカラボスよって、若く美しく元気溢れるオーロラ姫は糸巻き針に刺され、100年の眠りに陥ちた。

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©2017 ROH. Photograph by Bill Cooper

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クリスティン・マクナリー ©2017 ROH. Photograph by Bill Cooper

第2幕では、マシュー・ボール扮するフロリモンド王子の登場となる。マシュー・ボールは、昨年の英国ロイヤル・バレエが初演したクリストファー・ウィールドン振付『赤い薔薇ソースの伝説』で、愛する人の胸の中に別の男性が棲んでいることを知って、二人が結ばれることを願う医師、という難しい役柄を好演。そしてそこに医師としてのヒューマニズムも滲ませる高度な演技力を発揮した。マシュー・ボールは、長身を生かしたダイナミックな踊りが特徴的なダンサーだが、言うに言われぬ複雑な胸中を踊りによって表現する能力にも長けている。
https://www.chacott-jp.com/news/worldreport/others/detail030626.html
たわいない野外遊戯に明け暮れる宮廷の人々に中にいながら、フロリモンド王子は生きることの真実を希求しており、彼方を見つめるなどその一挙手一投足の中にもどかしい胸中の憂いを巧みに表す。そしてここでマシュー・ボールは、長い手足を力強く操って、印象的なヴァリエーションを踊った。

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ヤスミン・ナグディ、マシュー・ボール ©2017 ROH. Photograph by Bill Cooper

やがてリラの精が現れて、100年の眠りについているオーロラ姫の姿を王子の心に映し出させる。ここでは、マヤラ・マグリが普段は秘めているラテン的な母性を表し、優しさを光らせた。そして淡いグリーンのロマティック・チュチュを着けたコール・ド・バレエが醸す幻影の中にオーロラ姫が現れ、ヤスミン、マラヤ、マシューの短いパ・ド・ドロワが踊られる。さらにヤスミン・ナグディのヴァリエーションが踊られるが、これはあたかも夢の中でその魂が踊っているかのような儚い美しさが表れていて、フロリモンド王子はたちまち魅了されてしまう。そしてリラの精とともに、荊に閉じ込められたフロレスタン24世の宮殿へと向かう。
この2幕の一連の流れるような幻想シーンは、次々と尽きることなく聴こえてくるチャイコフスキーの美しいメロディと、3人の純粋な関係が溶解して優れた幻想空間を創り、感動的だった。

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ヤスミン・ナグディ、マシュー・ボール
©2017 ROH. Photograph by Bill Cooper

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ヤスミン・ナグディ©2017 ROH. Photograph by Bill Cooper

第3幕では、王と王妃に続いて宮廷人たちが次々と華やかな行進曲とともに登場。フロレスタン(カルヴィン・リチャードソン)フロレスタンの姉妹(前田紗江、アネット・ブヴォリ)が、宝石の踊りとして親しまれている曲によりパ・ド・トロワを踊る。そしてこのバレエにふさわしい往時を彷彿させるフランス宮廷の品の良い余興を表す、ディヴェルティスマンが次々と繰り広げられる。長靴を履いた猫(デヴィッド・ジュデス)白猫(ソフィー・オールナット)フロリナ姫(イザベラ・ガスパリーニ)青い鳥(ジョセフ・シセンズ)赤ずきん(キム・ボミン)狼(デヴィッド・ドネリー)といった童話のキャラクターたちのユーモラスな踊りが高貴な式典を和ませ、華やかな雰囲気と満ち足りた幸福感に包まれる。そしてオーロラ姫とフロリモンド王子の結婚を表すグラン・パ・ド・ドゥが、善の勝利を讃え、愛の開花を祝うチャイコフスキーの名曲によって華々しく踊られる。ヤスミン・ナグディとマシュー・ボールは、ともにオーロラ姫とフロリモンド王子のデビューを果たした、というだけあって息がぴったりとあって、揺るぎないパートナーシップを見せた。そしてこの古典バレエの唯一無二の傑作は、アポテオーズを迎えるのである。
『眠れる森の美女』は、17世紀、バレエの誕生となった太陽王の宮廷文化へのオマージュから、18世紀のロココ調の宮廷文化に至る壮大な時空を駆ける物語とともに、その習俗・文化のヴィジュアルの移り変わり、そしてバレエ芸術の流行と洗練をも包摂している舞台なのである。

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ヤスミン・ナグディ
©2017 ROH. Photograph by Bill Cooper

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ヤスミン・ナグディ、マシュー・ボール
©2017 ROH. Photograph by Bill Cooper

★【ROH(12)】:眠れる森の美女<サブ4>Matthew-Ball-as-Prince-Florimund-and-Yasmine-Naghdi-as-Princess-Aurora-in-The-Sleeping-Beauty-©2017-ROH.-Photograph-by-Bill-Cooper-(5).jpg

ヤスミン・ナグディ、マシュー・ボール ©2017 ROH. Photograph by Bill Cooper

©2017 ROH. Photograph by Bill Cooper

8月25日(金)〜8月31日(木)TOHO シネマズ 日本橋 ほか1週間限定
英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2022/23
http://tohotowa.co.jp/roh/

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