ウィールドンの『赤い薔薇ソースの伝説』を観た、英国ロイヤル・オペラのライブ・シネマで間も無く上映

ワールドレポート/その他

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

赤い薔薇ソースの伝説 Like-Water-for-Chocolate-©Camilla-Greenwell

フランチェスカ・ヘイワード、マルセリーノ・サンべ
© Camilla Greenwell

昨年6月、英国ロイヤル・オペラ・ハウスで上演されたクリストファー・ウィールドンの最新作『赤い薔薇ソースの伝説』の映像が、3月24日より1週間限定で公開される。英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2022/23として、TOHO シネマズ 日本橋ほか全国の映画館で上映されるライブ・シネマである。
クリストファー・ウィールドンは、シェイクスピアの『冬の物語』や『不思議の国のアリス』などの鮮烈なバレエ作品を次々と発表して、ホームグラウンドの英国ロイヤル・バレエのみならず、世界のバレエ界を牽引する振付家として注目を集めている。
『赤い薔薇ソースの伝説』は、べストセラーとなったラウラ・エスキヴェルのメキシコを舞台とした小説を原作としている。1992年には映画化されて日本でも公開された。

物語の舞台は1910年代のメキシコ。農場を経営している母 ママ・エレナの3人娘の末っ子ティタと恋人ペドロの愛をめぐるドラマを30年間に渡って描いている。「末娘は結婚してはならず、母親が死ぬまで面倒を見なければならない」という厳しい掟のため、ペドロはママ・エレナにより、愛し合っているティタとではなく姉のロザウラと結婚させられる。結婚式では、ティタの報われなかった熱い想いがこもった涙の雫が垂らされたウェディングケーキを食べると、みんなお腹を抑えて嘔吐する。ペドロは結婚しても本心はティタを愛していることの証左に、赤い薔薇をティタに密かに渡す。そしてこの赤い薔薇の花びらが入った料理も魔術的な異変を招く。ロザウラは赤ん坊を産んだがいつまでも泣き止まない。ところがティタが抱くとなぜか大人しくなる。やがて、想いが叶わぬ絶望からティタは体を悪くするが、ジョン医師の手厚い看病により回復し、彼と結ばれる。それでもティタとペドロの仲を疑うママ・エレナにより、ペドロとロザウラは別の土地で暮らすことになる。だが、母エレナの死によって再び、ティタとジョン医師、ペドロとロザウラは一緒に暮らすことになる。そこでティタは母親の生涯の秘密を知る。そして母親の亡霊に悩まされながら、ついにティタとペドロは結ばれ、次の世代への希望も灯された・・・。
ティタはフランチェスカ・ヘイワード、ペドロはマルセリーノ・サンべ、姉ロザウラはマヤラ・マグリ、母ママ・エレナはラウラ・モレーラ、ジョン・ブラウン医師はマシュー・ボール、ティタに料理を伝えるナチャはクリスティーナ・アレスティス、革命に参加するもう一人の姉ゲルトゥルーディスはミーガン・グレース・ヒンキス、革命の戦士のホアン・アレハンドレスはセザール・コラレスというキャスト。
音楽はジョビー・タルボットで台本にもウィールドンとともにクレジットされている。指揮と音楽コンサルタントにはメキシコ人音楽家、アロンドラ・デ・ラ・パラが参加して、メキシコのリズムやマヤやアステカの音楽的伝統を生かしている。ペドロにはギター、ティタにはオカリナ、ティタを育てた料理人ナチャにはメキシコの伝統音楽などで音楽表現を創っている。
舞台美術はボブ・クロウリーで、呪われた花嫁が背景に数人並んで黙々と編み物を続けていていたり、メキシコの伝統を表す抽象的な模様を背景幕に現わしたり、キッチンや結婚式やディナーの会場を、メキシコ的な色彩の中に象徴的に構成している。照明もまた、独特の色彩を映えさせる光と影により、スペインの占領により滅びた、メキシコの文明の栄華を偲ばせる陰影を作っていて印象深い。

赤い薔薇ソースの伝説 Francesca-Hayward-as-Tita-and-Marcelino-Sambé-as-Pedro-in-Like-Water-for-Chocolate,-The-Royal-Ballet-©2022-ROH.-Photograph-by-Tristram-Kenton

© 2022 ROH. Photograph by Tristram Kenton

赤い薔薇ソースの伝説 Francesca-Hayward-as-Tita-and-Marcelino-Sambé-as-Pedro-in-Like-Water-for-Chocolate,-The-Royal-Ballet-©2022-ROH.-Photograph-by-Tristram-Kenton

© 2022 ROH. Photograph by Tristram Kenton

開幕はママ・エレナがティタを出産するシーンだが、その産衣を一閃すると成長したティタが現れる、という手品のような、ウィールドン得意のストーリー・テリングによって、物語は時空を走ってスピーディに進行する。同時にさまざまな魔術的な出来事が起こり、ティタとペドロの愛の試練がエネルギッシュで闊達なダンス・シーンによって、息つく間もなく踊られていく。
圧巻のダンスシーはやはり、愛の証としてペドロから贈られた赤い薔薇の花びらが入ったティタの料理を家族が食べると、たちまちテーブルの下から薔薇の精たちが姿を現して狂宴を繰り広げるシーンが極めつきだ。そこに革命の戦士たちも参加して、厳しい掟に抑えられている心の解放を求めて、激しくパワフルなダンスがラテンのリズムに乗って繰り広げられる。実際、1910年代にはメキシコ革命が勃発した。
また、2幕冒頭のティタと暮らしているが、ペドロをどうしても忘ることの出来ない彼女の心を知っているジョン医師の寂しさを秘めた涼しいヴァリエーションも良かった。エレナ家のジョン医師は、ティタやペドロ、ロザウラを献身的に支え、同時に彼らとは対照的な愛の姿を表す重要な役。マシュー・ボールは役どころをしっかりと理解した好演で、舞台全体に良い効果を現していた。そしてママ・エレナの死ののち、ティタとジョン医師、ロザウラとペドロの4人がいわく言い難い想いを抱えつつ踊るシーンは、舞台に感情の縞模様が浮かび上がるかのようにも感じられて忘れ難い。また、ジョン医師と結婚したティタと、彼女に猛烈に迫るペドロのパ・ド・ドゥは強いインパクトがあった。ティタをテーブルに追い詰めるようにして、脚を抱えてリフトし上衣を脱ぐペドロの迫真のダンスが熱烈な、唯一無二の愛の心を強く訴えてくる。そしてそこに、旅立っていた姉ゲルトルーディスが革命戦士たちと戻り、ペドロとティタの歓喜のパ・ド・ドゥを巻き込み、背後には母エレナの亡霊も姿を現すなかで全員が踊るシーンは、いつ終わるとも知れない革命の最中にあったメキシコという国のカオスを顕現させて、まさに強烈な印象を残した。音楽と動きとヴィジュアルにより、メキシコ文化の伝統のメタフィジックに迫っている、と言えるだろう。そして、生涯に渡った愛の成就を謳いながら死の国へと昇天していくティタとペドロのパ・ド・ドゥは、そのテーマに相応しい厳粛かつ美しいエンディングだった。

赤い薔薇ソースの伝説 Anna-Rose-O'Sullivan-as-Gertrudis-and-artists-of-The-Royal-Ballet-in-Like-Water-for-Chocolate,-The-Royal-Ballet-©2022-ROH.-Photograph-by-Tristram-Kenton

アナ・ローズ・オサリバン
© 2022 ROH. Photograph by Tristram Kenton

赤い薔薇ソースの伝説 Anna-Rose-O'Sullivan-as-Gertrudis-and-Cesar-Corrales-as-Juan-Alejandrez-in-Like-Water-for-Chocolate,-The-Royal-Ballet-©2022-ROH.-Photograph-by-Tristram-Kenton

アナ・ローズ・オサリバン、セザール・コラレス
© 2022 ROH. Photograph by Tristram Kenton

まるでオリンピックの体操選手のように俊敏闊達な動きの中に、細やかな愛情を滲ませたマルセリーノ・サンべの至上のダンスには感嘆する他ない。そして素晴らしいバランス感覚で身体の密着度が高い緻密な振付を踊り抜き、厳しく抑圧されながらも深く強い愛の力を表現したフランチェスカ・ヘイワードの表現力も賞賛したい。二人は本当に素晴らしいパートナーシップを構築したと思う。ママ・エレナを演じたラウラ・モレーラ、不幸な姉を演じたマヤラ・マグリの演技力も光った。さすが英国ロイヤル・バレエのダンサーである、と唸らせられた。
ウィールドンの振付は、腹から胸にかけて切り裂くような呪術的な動き、顔と頭を横に重ねて信頼と優しい思いやりを表す表現、リボンを使った結婚の組み合わせを強制する表現、胸に手を合わせてお互いの動悸を感受する動き、などのこの作品独特の動きを要所要所で使い、振付の「マジック・リアリズム」を試み、成功を収めていると思われる。言葉を変えれると、ミュージカルの手法とクラシック・バレエのマリアージュの試み、と言えるのかも知れない。
ただ、やはり物語の成り行きが複雑で錯綜しているので、時間的経過は字幕で表示されるのだが、情感の方がなかなか追いついていけないのが正直なところ。ウィールドンのストーリーテリングの文体に慣れた頃にはエンディングだったために、生のバレエの舞台がみたい、という思いがいっそう募ったのであった。

 赤い薔薇ソースの伝説 Francesca-Hayward-as-Tita-and-Marcelino-Sambé-as-Pedro-in-Like-Water-for-Chocolate,-The-Royal-Ballet-©2022-ROH.-Photograph-by-Tristram-Kento

© 2022 ROH. Photograph by Tristram Kenton

 赤い薔薇ソースの伝説 Marcelino-Sambé-as-Pedro-and-artists-of-The-Royal-Ballet-in-Like-Water-for-Chocolate,-The-Royal-Ballet-©2022-ROH.-Photograph-by-Tristram-Kento

マルセリーノ・サンべ © 2022 ROH. Photograph by Tristram Kenton

3月24日(金)よりTOHOシネマズ 日本橋 ほか全国公開
公式サイト:http://tohotowa.co.jp/roh/ ■配給:東宝東和

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