チャコット公式Webサイトの表示不具合に関して<9/21現在>

「輝く英国ロイヤルバレエのスター達」は豊かでヴァラエティに富んだ作品が構成された魅力的なプログラムだった

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

小林ひかる プロデュース「輝く英国ロイヤルバレエのスター達」

Part 1 ダイナミズム Part 2 パーソナル・エモーション Part 3 神秘的な存在

「輝く英国ロイヤルバレエのスター達」公演はガラ公演ではあるが、バレエのエンターテインメント的側面よりも、バレエでしか味わうことのできない特別の感動やおもしろさに重点を置いた公演だったと思う。
まず、プログラムをPart1、2、3に分けてそれぞれにテーマを掲げている。「ダイナミズム」「パーソナル・エモーション」「神秘的存在」というテーマは、バレエが表す基本的なものであると同時にバレエという芸術の深奥を貫くものでもある。「輝く英国ロイヤルバレエのスター達」公演では、初めてバレエに接する人たちはその基本的な姿を知って楽しみ、慣れ親しんでいる人たちはその深さや濃密さを味わうことができる、そういう試みであろうと私は解釈した。
また、今日の英国ロイヤル・バレエの充実ぶりも目を惹く。芸術監督のケビン・オヘアが言っている様に「古典と現代のマリアージュ」(これは今日の世界中のバレエ団の重要な課題である)が、クリストファー・ウィールドン、リアム・スカーレット、ウェイン・マクレガーなどの気鋭の振付家たちによって、着々と実現しつつある。もちろんそれは、フレデリック・アシュトン、ケネス・マクミラン、デヴィッド・ビントレー、ピーター・ライトなどが打ち立てた伝統という土壌の上に花開きつつあるのだが。
そうした観点から、この「輝く英国ロイヤルバレエのスター達」公演は、レパートリーとその周縁の重要な作品で構成された、実に豊かでヴァラエティに富んだ舞台だったことが改めて理解される。まさに英国ロイヤル・バレエを知悉している小林ひかるの努力によって実現できた、素晴らしいプログラムだった。

1_blackswan_1084_Hidemi Seto.jpeg

ヤスミン・ナグディ、ワディム・ムンタギロフ 黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥ  撮影/瀬戸秀美 (全て)

Part 1 ダイナミズム "Dynamism"
まずPart 1の開幕は、ヤスミン・ナグディ(プリンシパル)とワディム・ムンタギロフ(プリンシパル)の『白鳥の湖』より黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥ(プティパ/チャイコフスキー)。テクニックに定評のあるナグディらしく、余裕のある踊りを見せた。ムンタギロフは身体に少年っぽさを残しているのが現れ、それが欺かれる役柄に相応しく見えてくる。年上のお姉さんに翻弄されている感じがしないでもなかった。ナグディは表情も豊かで、美しいメロディにのせて妖しい魅力を見せ、王子を思うがままに動かしているかのよう。
『コリュバンテスの遊戯』(ウィールドン/バーンスタイン)は、2018年バーンスタインの生誕100年を記念して上演されたトリプルビルのために、クリストファー・ウィールドンが振付けた。(https://www.chacott-jp.com/news/stage/cinema/detail004141.html
コリュバンテスとはギリシャ神話の女神の信奉者たちのことで、楽器を打ち鳴らして踊り狂う儀式を行う。全体は5楽章で構成されているが、ここでは第3楽章のパ・ド・ドゥ部分を、マヤラ・マグリ(ファースト・ソリスト)とアクリ瑠嘉(ファースト・ソリスト)が踊った。超スピードのコンパクトな動きだが、クラシック・バレエとは異なり動きの軌跡を見せるというよりも、動きの塊がやりとりを交わしながら移動して、独特のラインを描いている、という感じだった。
『コッペリア』第3幕よりグラン・パ・ド・ドウ(ド・ヴァロワ、イワノフ、チェケッティ/ドリーブ)。この曲は高田茜(プリンシパル)とウィリアム・ブレイスウェル(ファースト・ソリスト)がじっくりと踊った。ブレイスウェルの溌剌とした若々しい雰囲気がフランツそのものの存在感をいきいきと表している。袖口が広がったシャツと金をあしらったベスト、ブーツの口にも飾りがある衣装が良く似合っていた。高田は難しいテクニックを苦もなく踊って見せ喝采を浴びた。ドリーブの音楽の美しいメロディが流れ、その音楽性も良く捉えられたパ・ド・ドゥだった。古き良き時代の香りが微かに漂い、ド・ヴァロワのモラルのしっかりとした振付が印象に残った。

コッペリア_茜、ウィリアム_Hidemi Seto_1104.jpeg

『コッペリア』第3幕よりグラン・パ・ド・ドウ 高田茜、ウィリアム・ブレイスウェル

『ライモンダ』第3幕グラン・パより(プティパ/グラズノフ)はメリッサ・ハミルトン(ファースト・ソリスト)と平野亮一(プリンシパル)。ハミルトンは、サラセンの騎士アブデラフマンの強引な求愛を退けたライモンダの女性としての誇りを表す踊りを、毛細血管の先まで、彼女の意思が行き届いているかのように踊った。終始、身体全体のバランスが安定していた。ただ気位の高さの奥にある、やはり女性としての感情はもう一つ現れていなかった様に感じられた。表現媒体である身体のバランスを優先して、感情を表情はあまり表さないのかもしれない。平野は安定感十分でハミルトンを楽々とサポートしつつ、ジャン・ド・ブリエンヌを表現していた。
『クローマ』よりパ・ド・ドゥ(マクレガー/タルボット、ホワイトIII)は、2006年に初演されオリヴィエ賞、英国批評家協会賞などを受賞した。マヤラ・マグリとアクリ瑠嘉が踊った。これも高速の動きで振付けられているのだが、ジョビー・タルボットの音楽が表す独特の「間」に共振する特徴のある動きによって組み立てられていた。動きそのものもユニークで見応えがあった。
『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』(バランシン/チャイコフスキー)は、ローレン・カスバートソン(プリンシパル)とフェデリコ・ボネッリ(プリンシパル)が踊った。カスバートソンの動きは、まるで自分が作曲した曲でもあるかの様に音楽を完璧に捉え、ポジションも精確そのものでかつ愛らしさが一際、輝く。ボネッリがしっかりと受け、逞しく跳び、踊ることの素晴らしさを表した。まさに「輝くスター」のパ・ド・ドゥだった。
Part 1 では、プティパからバランシン、ウィールドン、マクレガーとダイナミックな動きの歴史を辿るかのような演目が並んでいて、興味深かった。

チャイパ_ローレン、フェデリコ_Hidemi Seto_0570.jpeg

『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』ローレン・カスバートソンとフェデリコ・ボネッリ

Part 2 パーソナル・エモーション "Personal Emotion"
『ロミオとジュリエット』よりバルコニーのパ・ド・ドゥ(マクミラン/プロコフィエフ)は、やはりパーソナル・エモーションの極め付けだろう。ヤスミン・ナグディのジュリエットとウィリアム・ブレイスウェルのロミオが踊った。ナグディのつぶらな瞳がいきいきと動いて、恋する少女の表情豊かな表現が印象深い。そしてブレイスウェルの大地を舞い上がってバルコニーに飛び降りるような若々しい動きが、光り輝く。それはナグデイの存在と巧まずしてブレンドされ、月明かりの下の、観客も思わず羨む、初々しい恋のひとときが鮮やかに浮かび上がった。

RJ_0697_Hidemi Seto.jpeg

『ロミオとジュリエット』よりバルコニーのパ・ド・ドゥ ヤスミン・ナグディ、ウィリアム・ブレイスウェル

requiem_0735_Hidemi Seto.jpeg

『レクイエム』より「オッフェルトリウム」フェデリコ・ボネッリ

『レクイエム』より2つのソロ(マクミラン/フォーレ)。第2曲「オッフェルトリウム」はフェデリコ・ボネッリ。腰に肌色の布を巻いただけの姿で地を這うように親しき兄、憧れの友あるいはバレエ改革を熱望する同志を失った底知れぬ喪失感を「天地が逆転する」ような動きにより表明した。
第4曲「ピエ・イェズ」はローレン・カスバートソン。こちらは白いフェミニンな衣装で、静かに安らかに天空にさ迷う魂を優しく包みこむかのような、慈愛に満ちた踊りだった。男性のソロと女性のソロをセットの様に続けて観ることにより、マクミランは、天と大地から盟友クランコの魂に自らの心を寄り添わそうと試みたのではないか、と感じられた。
"Two Piece for HET"(ファン・マーネン/スヴェントール、ペルト)はオランダ国立バレエ(HET)のレジデント・コレオグラファーだったハンス・ファン・マーネンがエリッキ=スヴェン・トゥールとアルヴォ・ペルトの曲に振付けた。冒頭から自己を顕示しあった男女の動きが表され、様々に局面が変化する関係をモティーフにしたダンス。マヤラ・マグリとアクリ瑠嘉が踊った。かつてオランダ国立バレエで踊った小林ひかるの想いのこもった演目だろう。
"Dance of the Blessed Spirits"(「精霊の踊り」アシュトン/グルック)は、クリストフ・ヴィリバルト・グルックのオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』の「精霊の踊り」。月明かりの中でフルートにのせて踊られる、まさに「精霊の踊り」にふさわしい静謐さを湛えた振付。アンソニー・ダウエルのために振りつけられた曲。ムンタギロフの踊りは、どちらかというとソロのヴァリエーションの方が映える。

Luna_0932_Hidemi Seto.jpeg

『ルナ』メリッサ・ハミルトン

『ルナ』(ベジャール/バッハ)は、モーリス・ベジャールが振付けた『ヘリオガバルス』の中の1曲。多彩で豊富なヴォキャブラリーを駆使し、様々な対比的表現を用いて、月という存在のすべてをその動きの中で雄弁に語っている。ベジャールの華麗な表現力は圧巻だ。シルヴィ・ギエムが踊って有名になったこの曲を、白い総タイツに身体を包んだハミルトンが踊った。安定感のあるスムーズな動きが振付の構成の鮮やかさをいっそう引き立てた。
『春の水』(メッセレル/ラフマニノフ)は、旧ソ連時代にボリショイ・バレエで活躍したアサフ・メッセレルが、ラフマニノフの歌曲集に振付けたものの一曲。日本に紹介された当初は、「春の洪水」と訳されたほど、圧倒的な運動量によって踊られる。舞台を縦横無尽に踊る中に、長く暗い冬が終わり春が到来した無上の喜びを歌い上げるダンスである。高田茜と平野亮一のプリンシパル・ペアが踊り、爽やかな一陣の旋風が舞台を横切った。
Part 2 では、初めて湧き上がった恋する感情、行き場のない喪失感、日常的に変化する関係、想像力の中に生まれた感情、自然と対応して生まれる生命感などが、バレエによって踊られた。

春の水_茜、亮一_Hidemi Seto_0979.jpeg

『春の水』高田茜、平野亮一

Part 3 神秘的な存在 "Mystical Being"
『火の鳥』よりパ・ド・ドゥ(フォーキン/ストラヴィンスキー)。『火の鳥』は、ロシア固有の文化に題材をとったバレエ・リュスの代表作のひとつで、フォーキンの振付、ストラヴィンスキーの音楽ともども良く知られている。ベジャールがこの音楽を使い、パルチザンの一団に設定して振付けたこともまた有名。近年では中村恩恵が抽象化したドラマとして、新国立劇場バレエ団に振付けている。
今回は、英国ロイヤル・バレエに伝えられたミハイル・フォーキンの振付から、火の鳥と王子のパ・ド・ドゥ部分が踊られた。マヤラ・マグリの赤いチュチュを纏った火の鳥と平野亮一の全身赤い衣装の王子は、ロシアの神秘の森の出会いを人間の感情の根源の不可思議に迫るかのように表した。マヤラの鳥を表す動きは、地の上にあってもまるで金のリンゴを求めて空中を飛び回るようで、王子に見つかり捕らえられた時の表情も生き生きとしていて命の存在が鮮やかだった。

Firebird_2166_Hidemi Seto.jpeg

『火の鳥』マヤラ・マグリ、平野亮一

"Homage to the Queen"よりEarth(『女王陛下に捧ぐ』より大地のパ・ド・ドゥ、ビントレー/アーノルド)はエリザベス女王の戴冠式にアシュトンが振付けたものを、2006年に改訂振付けしたもの。大地のパ・ド・ドゥはデヴィッド・ビントレーが振付けている。大地の女王の高田茜とアクリ瑠嘉が踊った。高田のおおような雰囲気が舞台を華やかに包んだ。
『アポロ』より(バランシン/ストラヴィンスキー)は、メリッサ・ハミルトンとフェデリコ・ボネッリ。ボネッリのアポロン的な身体と、舞踊の女神テレプシコーラに扮したハミルトンの細部までよくコントロールされた身体が、ギリシャの神々の場面を組み立てた。そしてアポロはパルナッソスの山へと登っていくことになる。20世紀バレエの一つのエポックをなす作品と言えるだろう。

Homage_2252_Hidemi Seto.jpeg

"Homage to the Queen"よりEarth 高田茜、アクリ瑠嘉

Apollo_1604_Hidemi Seto.jpeg

『アポロ』より メリッサ・ハミルトン、フェデリコ・ボネッリ

Sylph_2443_Hidemi Seto.jpeg

『ラ・シルフィード』第2幕よりパ・ド・ドゥ ヤスミン・ナグディ、ウィリアム・ブレイスウェル

Sylvia_2480_Hidemi Seto.jpeg

『シルヴィア』よりグラン・パ・ド・ドゥ ローレン・カスバートソン、ワディム・ムンタギロフ

『ラ・シルフィード』第2幕よりパ・ド・ドゥ(ブルノンヴィル/レーヴェンスキョル)はヤスミン・ナグディとウィリアム・ブレイスウェル。ブルノンヴィルの軽やかなステップで踊られる妖精と人間の追いかけっこ。ナグディの軽みとブレイスウェルの夢の中で遊びまわっている様な現実味の無さが、なんとも言えないおもしろさを醸し出していた。この雰囲気がこの後の悲劇を、いっそう際立たせることになる。
『シルヴィア』よりグラン・パ・ド・ドゥ(アシュトン/ドリーブ)はローレン・カスバートソンとワディム・ムンタギロフが踊った。女神ディアナに許されたシルヴィアとアミンタが喜びにあふれて踊るパ・ド・ドゥで、アシュトンらしいステップと既成の形式にこだわらない構成が魅力的。カスバートソンの優れた音楽感覚が見事だった。
Part 3 では感情の根源の神秘や神々のドラマ、妖精と人間の関わりなど不可思議な世界の魅力がパ・ド・ドゥによって踊られた。

そしてカーテンコールは喝采に包まれ、観客席全体がスタンディング・オベーションとなった。よく考えられた構成と、なかなか観ることのできない演目、さらに映像によってダンサー自身の声で作品に対する解釈や心得などを語りかけたこと、そうした観客に対する積極的な働きかけが会場に足を運んだ観客の心に届いたのだろう。素敵な公演だった。
(2020年1月31日夜、2月1日昼・夜 昭和女子大学 人見記念講堂)

記事の文章および具体的内容を無断で使用することを禁じます。

ページの先頭へ戻る