神戸ファッション美術館で上演する「Contemporary Dance Pieces II」をプロデュースする苫野美亜にインタビュー
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ワールドレポート/大阪・名古屋
インタビュー=すずなあつこ
──積極的に振付作品を発表するとともに、公演プロデュースや中村恩恵振付作品のバレエミストレス、K バレエスクールなどでコンテンポラリーの指導者としても活躍する苫野美亜さん、今回の神戸美術館の公演は、Dance Performance LIVE ♯9「Contemporary Dance Pieces II」ですが、スタートはクラシック・バレエなのですよね。
苫野:4歳から、神戸市の山口けい子先生のもとで学び、 その後山本禮子バレエ団の関田和代先生のもとでより深くバレエの基礎や技術を学びました。
子供の頃から、毎年放送されるローザンヌ国際コンクールの映像を観ていたのですが、小学生の私が特に心を掴まれたのが、山本禮子バレエ団から出場されていた渡部美咲さんでした。美咲さんをきかっけに山本禮子バレエ団に興味を持ち、全国からバレリーナを目指す若者が集まり、寮生活をしながら24時間バレエに打ち込める環境がある! ということを知りました。12歳になった私は、自分で山本禮子バレエに団に電話をして、自宅のある兵庫県から群馬県まで1人で試験を受けに行き、翌年から入学して良いとの許可をいただきました。両親には反対されると思いましたので、全て事後報告でした。
性格は割と内向的な方なのですが、一度これと決めたことには周囲も驚くほどの行動力を示すようで、それはこの頃から今も変わっていないとよく言われます。
──山本禮子バレエ団での生活はどんなものだったのでしょうか。
苫野:念願だった通りバレエに集中できる環境での生活でしたが、最初はずっとホームシックでした。当時、すでに同世代の活躍が目覚ましく、飯野有夏さん(元オレゴンバレエシアタープリンシパル、ヴァルナ国際コンクール金賞)、横関雄一郎さん(元ライプツィヒバレエ団、ローザンヌ国際バレエコンクールスカラシップ賞)、菅野英男さん(元新国立劇場バレエ団プリンシパル)、佐藤圭さん(元NBAバレエ団プリンシパル)、平田桃子さん(バーミンガムロイヤルバレエ団プリンシパル・ローザンヌ国際バレエコンクールエスポワール賞)ら才能溢れるダンサーがひしめき合っていて、そのレベルの高さに圧倒されました。
寮生活では、毎朝掃除から1日が始まります。そして、レッスンの前後も掃除をします。身の回りを綺麗に整頓しなければ美しい踊りは踊れないという考え方です。それが身についているので、実は今でも毎朝一日の始まりは掃除から始めています。そして、いつも使用するスタジオも必ず掃除をしてから稽古を始めます。12歳の頃からずっと身についている習慣です。
精神面においては謙虚であること、「自分自身と向き合いなさい」という指導を受けました。夢を持つ者が集まると、妬みや足の引っ張り合いが起きそうと思われる方も多いようですが、他者との比較ではなく、みんな、自分自身といつも戦っているので、個人個人の意識がとても高く、周囲と尊敬しあった上で切磋琢磨できる関係でした。
バレエの具体的なレッスンについて言うと、山本禮子バレエ団の指導は、先ずは徹底的に基礎を身につけることでした。地道な日々でしたが、1から基礎を見直すことにより着実に踊りが変わっていくことを実感できました。そんななかで、10代の頃はコンクールに出場したり、山本禮子バレエ団の公演に出演していました。
山本バレエの先生方は、一人一人の性格や適性をみて指導されます。私は不器用で出来る様になるまで人一倍時間が掛かる生徒でしたが、根気よく指導してくださいました。私は頑張ることしか取り柄がなかったのですが、その良い面を評価して伸ばしてくださいました。今も、「美亜ちゃんは最後まで頑張り抜く人」と言ってくださり、私の活動をずっと応援してくださっていることに感謝の思いでいっぱいです。
また、寮生活をしながら一緒に高めあってきた同世代は、今も多方面で活躍していて、会えば当時のように話が弾み理解しあえる、そんな同志に出会えたことを誇りに思っています。
──素晴らしいですね! 頑張り抜くということは簡単なことではないと思います。それは一つの才能ですね。ところで、コンテンポラリー・ダンスに興味を持たれたのは、どんなきっかけだったのでしょうか。
苫野:山本禮子バレエ団にいた頃、NHKテレビでイリ・キリアンさんの特集を目にする機会があり、これもバレエなんだと衝撃を受けました。まだ、コンテンポラリーという概念もありませんでした(その時の映像の一部で中村恩恵さんが踊られたBlack Birdが映っていて、強く引き込まれました。今でもその映像は記憶に残っています)。
その放送を観て、私が知っているクラシック・バレエとは違う世界があるらしいということを知り、様々な舞台の情報を調べてたくさんの舞台を観に行きました。
ちょうどその頃、コンテンポラリー・ダンス・カンパニーの来日公演が多くあり、NDT III、ラララ・ヒューマンステップス、ナチョ・デュアト、ローザス、ピナ・バウシュなど質の高い公演を観ることができ、一気にコンテンポラリー・ダンスに魅了されていきました。
山本禮子バレエ団の先輩でヨーロッパのコンテンポラリー・ダンス・カンパニーの最先端で踊っていらした渡辺レイさん(現K-BALLET COMPANY Ballet Director)が帰国時にコンテンポラリー・ワークショップをしてくださって、その際に体験したことも大きな衝撃です。
コンテンポラリーに興味を持つようになってまもなくの頃、ネザーランド・ダンス・シアターⅠ、II 、IIIが合同で来日公演をするので日本人ダンサーを募集するオーディションがあり、山本禮子バレエ団の先生に薦めていただいて受けました。
そのオーディションの審査員をされていたのが中村恩恵さんで、無事出演することが叶いました。
恩恵さんからコーチングを受け、ネザーランド・ダンス・シアターのダンサーたちとリハーサルを重ねる日々は宝物のような経験です。1人1人の個性が際立つダンサーや作品を目の当たりにした私は、目指したい方向はこれだと確信しました。ちょうど20歳でした。
もっとコンテンポラリー作品に触れたいと思い、バレエ団を退団しフリーになりました。今のようにコンテンポラリー・クラス自体があまりなかったので、コンテンポラリーと名のつくワークショップが開催される時にはどこにでも貪欲に受けに行き、幅広いジャンルに触れるようになりました。大野慶人さんの舞踏に触れられたのも、とても心に残る経験です。
──コンテンポラリー・ダンスの世界に入り込んで行かれた様子が目の前に見えるようです。そのネザーランド・ダンス・シアター I、II、IIIの合同来日公演のオーディションで出会われた中村恩恵さんの「Dance Sanga」に後に参加されることになるのですね。
苫野:オーディションで出会う前に、NHKのイリ・キリアンさんの特集で恩恵さんの踊りを観ていたわけですが、実は、もっと遡れば、私が擦り切れるほど観ていたローザンヌ国際バレエコンクールの渡部美咲さんが出場されていた回は、中村恩恵さんがプロフェッショナル賞を受賞されていて、美咲さんに導かれ山本禮子バレエ団に行き、恩恵さんに導かれコンテンポラリーの道に進んだと勝手ながら思っています。
恩恵さんはオランダで活動されていた時から、日本でもワークショップや公演活動を精力的にされていて、私はその全てに参加していたと言っても過言ではないくらい積極的に参加させていただいていました。
ただその頃の私は、恩恵さんからの「今のはどう思いますか?」「なぜ踊っているのですか?」などという問いかけに全く答えられず、自分の引き出しの少なさに愕然としながら模索する日々でした。
その後、恩恵さんが日本に拠点を移され「Dance Sanga」を設立された時にお声かけいただき、当時は故郷の関西を中心に活動していたのですが、それを機に横浜に活動拠点を移しました。
恩恵さんの作品をきちんと踊らせていただくようになったのはその頃からで、振付アシスタントやコーチングもさせていただくようになって、自分の中でようやく恩恵さんの振付作品を理解できるようになっていったように思います。
恩恵さんの作品は、詩的であり、どの瞬間もイマジネーションに溢れていて、作品や振付を踊ることで豊かな経験を得ることができます。ダンサーが積む経験というだけでなく、人生において大切だと感じる琴線に触れられること、作品の持つ強さや奥深さにいつも感銘を受けます。
──お兄さん、苫野一徳さんは哲学者でいらっしゃるのですね。哲学的なこと(といっても広いですが......)などお二人で話されることは多いのでしょうか。また、お兄さんとのお話がダンスの振付に影響する、助けになるといったことはありますか。
苫野: 私が作品のテーマやコンセプトを決めた時、必ず兄に相談をして哲学的観点からアドバイスをもらっています。職業柄、兄は言葉を豊富に持っているので、私の漠然とした考えやイメージを具現化する作業を一緒にしてもらったりします。私があまりにもしつこく聞く時は、軽くあしらわれたりもしますが(苦笑)。
前回の「相反するものの中心点」というテーマを打ち出した際は、3時間くらいずっとそのテーマについて話し合い、最終的にmid/pointというワードに辿り着きました。
「誰もが納得できる、物事の本質を洞察すること」が哲学なので、例え抽象的なイメージの作品だとしても、自分が考え抜いた本質を土台にしっかり持つことを心掛けています。
兄は教育哲学が専門なので、学びの個別化・協同化というテーマについて話をすることが多いです。私もダンサーを育成する舞踊教育に関わっているので、そういったエッセンスを取り入れ、ダンサーが物事を探究し個々の能力が発揮できる環境作りがもっとできれば良いなと思っています。
──作品創り、ダンサーを育成する教育など、今、さまざまな活動をされているかと思いますが、現在の活動の概要を教えてください。
苫野:現在は、K バレエスクールなど全国のバレエスタジオでコンテンポラリーの指導、振付作品の上演、ワークショップを開催しています。小学生からプロを目指す若手ダンサーまで幅広く指導しています。
若手を育成する活動、コンテンポラリー・ダンスの普及を目指した公演事業の実施、この2つを活動の主軸にしています。
育成した若手ダンサーを公演事業に起用することが少しずつ出来ていますが、この2つをもっと結びつけられるようにしていければと考えています。
──今回の演目、それぞれの企画意図を教えていただけましたら嬉しいです。『十四夜月』を創られた折の龍安寺の石庭から感じられたもの、また、『mid/point』でそれぞれの世代というもに向き合おうと思われたきっかけ、尾本安代先生や、今回、ゲストの木本全優さん、橋下清香さんとのご縁などもお聞きできましたら。
苫野:『十四夜月』の構想を立てていた時は、ちょうどコロナ禍のホームステイ期間中で、街から賑わいや人の気配が消え、今まで経験したことがない静けさに包まれていました。
予定していた舞台も次々に中止や延期になって、誰もがこれからの未来が見えなかったと思います。
私自身も自宅で多くの時間を過ごす中、この静寂に心の声を向けることによって次の一歩が見えるように思い、興味のある文献を読みヒントを探していました。
龍安寺は、街の喧騒から離れた場所にあり、一歩足を踏み入れると姿勢がシャンと正され静かで神妙な空気が漂っているように感じます。
今から500年以上も前に建立された龍安寺の石庭にはたくさんの謎があり、現代でも様々な説が唱えられていて人々の興味を掻き立てていることに面白さを感じます。
東洋では十五夜(満月)の15という数字は「完全」を表すものとしてとらえる思想があり、 どの角度から眺めても必ず1個の石は隠れて見えないように作られている龍安寺の石庭は「不完全」な庭ということになります。
日本には「物事は完成した時点から崩壊が始まる」との思想があり建造物をわざと不完全なままにしておくそうです。そのような日本人的感性や感覚を舞踊表現に落とし込みたいと思ったのが作品制作を始めたキッカケです。
タイトルに付けた十四夜月は「小望月、待宵の月、幾望」とも言われています。
満月の1夜前。静寂に心の声を傾け次の一歩を、幾望を一緒に感じて欲しいという願いを込めています。
上演前にはステージツアーも行います。舞台上に配置されたダンサーや演奏家、美術オブジェの間を通り客席にご案内いたします。是非お時間に余裕を持ってご来場いただけましたら幸いです。
『mid/point』の構想を立てていた時、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発しました。これは私にとって非常に衝撃的な出来事でした。そこには対立構造と二極化が見え隠れしていると感じました。
この世に存在する相反するものの中心点を感知することにより、対立や相違の解決策を見出せるのではないかという思いを以前より持っていて、今こそそのテーマを探りたいと思ったのがキッカケです。
ちょうどその頃、尾本安代先生から作品制作のご依頼をいただいていて、セッションハウスの企画で新作を上演することが決まっていました。その企画はテーマが「白鳥」で、私の中で安代先生の白鳥は「白と黒、生と死、肉体と精神、未来と永劫」という二極のイメージが強くありました。
70歳になられた安代先生の精神性が際立つ作品を創りたいと思い、そこを出発点にmid/pointの構成を立てました。
20-30代の心理的、30-40代の物理的、70代の生命的な中心点、その中間にあるものは何かを知り、意味を見出す。
とてもチャレンジなテーマになりましたが、バレエ・コンテンポラリー・舞踏という多様なバックグラウンドを持つ20-70代の多世代のダンサー・音楽家の方々から生まれ出る表現は唯一無二。神戸ファッション美術館オルビスホールという場所で、またどのような化学反応が起こるか楽しみであります。
そして、この度大変光栄なことに、ウイーン国立バレエ団プリンシパルの木本全優さん、橋本清香さんにもご出演いただきます。
橋本清香さんは同じ山口けい子先生の教室の出身で、夏の帰国時に山口バレエスクールの発表会にゲスト出演されていました。その際にご一緒させていただき、お二人の踊りはもちろんお人柄の素晴らしさに触れ、機会があれば私の公演にご出演いただきたいと思っていました。
今回Thierry Malandain振付の 『Mozart à deux』を踊っていただきます。
客席との距離が近いので細やかな表現までご堪能いただけると思います。
木本全優、橋本清香 © 瀬戸秀美
木本全優、橋本清香 © 瀬戸秀美
──最後に、これから、やっていきたいこと、目指す方向など話して頂けると嬉しいです。
苫野:私が主催するDance Performance LIVE企画は、「今」を共有するアーティストたちが集い、互いの価値観を尊重し触発しあいながら研ぎ澄まされたパフォーマンスを上演する、というコンセプトを掲げ2014年から活動しています。 初めは、「ダンスと◯◯を掛け合わせたら面白そう!」という自分の興味や好奇心の元、「着物×ダンス」「哲学×ダンス」、音楽や映像、美術や料理!など、多様なジャンルのアーティストと協働する所から始めました。ダンスは身体が素材なので、あらゆるジャンルとの掛け合わせに可能性があり、新たな表現の追求は今後も継続したいと思っています。
第6回目の主催公演では、芦屋市の主催事業に採択頂き、念願であった地元での公演が実現しました。 それまでは、自分自身もダンサーとして出演していましたが、それを機に主催・企画・制作・プロデュースに専念することにし、誰が主催する公演か分かった方が良いというアドバイスのもと、「苫野美亜プロデュース」という冠を付けることになりました。
最初は小さな範囲で継続していた主催公演でしたが、国からの補助金をいただいたり、多くの方々に関わって頂けるようになり、今では毎回大きな挑戦をさせていただいています。
企画の立ち上げ、資金調達から宣伝広報、振付・指導、制作業務、、、公演を開催するにはかなりの精神力と労力が必要とされますが、継続的に主催公演を続けて来られているのは、本当に多くの方々のお力があってこそで、私の企画に参加したいと思って下さる出演者やスタッフの皆様には感謝の思いでいっぱいです。
今の時代、素晴らしいダンサー、素晴らしい作品を創る振付家は世界にも日本にもたくさんいます。
ただ、作品を上演する場、作品を踊る場を創るというのはもう一段ノウハウが必要となります。
次世代のダンサーや振付家に、「公演を創る」プロセスを自分の経験値を通してお伝えしていけたら良いなというのが次の目標です。
教えるという選択肢以外にも活躍できる場を作り、次世代の活動環境が少しでも良くなるよう先代からのバトンを繋いでいきたいです。
鮮度の高いアイディアやこだわりが詰まった舞台というのは、人の人生を変えるほどのエネルギーがあり、活力や指針になると信じています。
創造的であることは社会を豊かにするという信条をもって、小さいながらも社会に貢献できる活動を続けていければ良いなと思っています。
*公演情報は、下記参照
https://www.chacott-jp.com/news/stage/information/detail031600.html
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