リンカーン・センター・フェスで上演された勅使川原の新作『Sleeping Wate』、A.デュポン、佐東ほかが踊った、深く重たい圧巻の舞台だった

Lincoln Center Festival, リンカーン・センター・フェスティバル

"Sleeping Water" by Saburo Teshigawara / KARAS
『スリーピング・ウオーター』 勅使川原三郎 / KARAS:製作

毎年夏にニューヨークのリンカーン・センターの主催で実施されるリンカーン・センター・フェスティバルには世界から優れた舞台製作が招待されるが、日本人の製作も毎年参加している。今年はヨーロッパでも活躍する日本人振付家、勅使川原三郎(Saburo Teshigawara)とそのカンパニー、KARASが招待され、新作『スリーピング・ウォーター(眠れる水/Sleeping Water)』を上演した。そして、現パリ・オペラ座芸術監督のオーレリー・デュポン(Aurelie Dupont)がゲスト出演した。
この作品を見るに先立って行ったインタビューで、勅使川原はこの作品に関して、「まるで湖の水面のような静かに漂う時間の質感には、言葉にできないが確かな実感の蓄積があります。(中略)巨大地震の現実とその後の話のみならず、われわれ人間は自然の力の前に謙虚である以外の生き方はないとも深く信じています。」と語った。

佐東利穂子 Photo : Stephanie Berger

佐東利穂子 Photo : Stephanie Berger

暗いステージに光が切れ切れに走る。流れる水の音。舞台前方に照明が入ると勅使川原が立って踊っている。身体の中心から四肢が滑らかに動く勅使川原の動きは、まるで宙に浮いている様に見える。突き刺すような鳥の声が流れ、光が消え、雷の様な音と共に勅使川原は消える。
そして舞台手前に横たわっている女性の姿が照明に浮かび上がる。オーレリー・デュポンだ。舞台に更に照明が入ると6人のダンサーが同様に床に横たわっているのが分かる。彼らは些細な音を気にするかのように、ふっと身体を起こしては横たわる動きを繰り返す。全くの無音で、遅れて入ってきた観客の足音が会場中に聞こえるほど。ダンサーたちの動きは、だんだん大きくなる。恐怖と戦うような、耳を澄ましている様な、眠れない夜を想像させ、観客にも緊張感が生まれる。わずかな水の音が入り、雷の様な音が何度かとどろくと、ダンサーたちが去って、デュポンのソロに佐東利穂子(Rihoko Sato)が加わる。ふたりの動きは似ているようだが、それぞれの個性は活かされている。さらにダンサーが加わって全員がユニゾンで踊るが、完全に揃っているわけではないものの、それぞれ動きを自分のものにしているのが分かる。

暗転して場面が変わり、呼吸の様な喘ぎの様な音がする。災害の犠牲者たちの魂の喘ぎの様にも聞こえる。勅使川原のソロに佐東が加わる。水が渦巻くような動きだ。デュポンと勅使川原の踊りになり、ダンサーたちが円を描くように走り回る。腕を振り回しながら走り回ったり、立っている姿勢から突然床に転がったりするが、とても静かだ。胸の奥に強い安定があり、絶対にぶれない。特に勅使川原の踊りには胸から天井に吊られている様な浮遊感が常にある。天井からワイヤーの椅子のセットが降りてくる。いったん床に降りた椅子は、またそのまま空中へ上がる。舞台の反対側にベッドの様な台ともう一つの椅子が天井から降りてくる。水の音が流れ、チェロ曲となる。勅使川原の身体は床の上だが、宙に浮いて自由に動いている様に見える。椅子やベッドは津波や鉄砲水が呑み込んだ家具だろうか? そして勅使川原自身は、一緒に呑み込まれた人の魂だろうか? 勅使川原は小さくなる照明の中に手を残し、そして消えた。

勅使川原三郎 Photo : Stephanie Berger

勅使川原三郎 Photo : Stephanie Berger

佐東の非常に激しいソロとなる。既成の概念から外れている、速い動きだが、とても安定している。照明の美しさが印象的だ。勅使川原が加わる。この二人の踊りは共通する独特のテクニックがある。形の美しさではなく、重力の存在を感じさせるものだ。音楽はチェンバロ曲となり、照明も変わる。デュポンがゆっくり歩み出てきて、勅使川原と佐東が走り回る。他のダンサーもゆっくりと歩く。やがて跪くデュポンを一人のダンサーが抱擁する。デュポンが去ると、そのまま跪いているダンサーを、別のダンサーが抱擁する。多くの命を吞み込んだ水の中で魂たちが慰めあっているかのように。

勅使川原三郎(中央)、オーレリー・デュポン(右) Photo : Stephanie Berger

勅使川原三郎(中央)、オーレリー・デュポン(右) Photo : Stephanie Berger

天井から所々が光る何本もの細いガラスの管の様なものが降りてくる。天井を見上げるダンサーたち。デュポンがその管をいつくしむように触れていく。その前で佐東が踊る。その向こう側で上から降りる椅子やベッドを見上げるダンサーたち。水に沈んだ家財道具の中で、魂はこうして舞ったのだろうか? 魂であり、水であるダンサーたち。勅使川原、佐東、デュポンの踊りには、それぞれのものが有り、それぞれが美しい。

突然、腹に響く突き刺さるような音がして場面転換。白いシャツを着たダンサーが速い曲で踊り始める。動きは激しくバレエでもモダンダンスでもないが、確かな技術を持っている人だと分かる。もう一人、白いシャツを羽織った女性が加わる。この作品は場面の繋ぎが非常に巧みだ。動きはダンサーたちの即興ではなく、ちゃんと振付けてある。突然佐東がサスの中に入る。破壊的な音がして、激しいビートの曲になる。勅使川原と佐東が踊る。勅使川原風ディスコと思わず私が頭の中で名付けたこの踊りは荒れ狂う水を表現しているのだろうか? ビートが効いた楽しい曲だが、勅使川原と佐東の顔は引きつり、苦悩を見せる。怒り、怒涛、制御できない激しさ、そして手に負えない破壊力。ダンサーたちが入り乱れて踊る。悲鳴のような声がして、物が割れるような音がする。ダンサーたちが飛びあがっては倒れ落ちる。粉々に壊れそうな激しさだ。ここで踊られた勅使川原のソロは、どうするすべもなく流されることを意味するのか、痙攣しもがきながら、しかも金縛りになって動く。突然、破壊音ですべてが止まる。勅使川原がゆっくりとした最初の動きになる。ダンサーたちが歩み出てきて倒れる。また立ち上がって歩いて、倒れる。この踊りには物語はないが、語り掛けがある。

勅使川原三郎、KARAS Photo : Stephanie Berger

勅使川原三郎、KARAS Photo : Stephanie Berger

白い上下の衣裳になった佐東が現れる。ゆっくり動く彼女の周りを歩いては倒れるダンサーたち。上から正方形のパネルが何枚も降りてくる。佐東も上から吊られている様な不思議な動きだ。静かで柔らかく、重力を感じさせない滑らかな動き。そして絶対的な安定。その動きはまるで鎮魂歌の様に感じられた。人々の無念さ、恐怖、混乱、困惑など、すべての想いを、ありきたりのお悔やみに留めるのではなく、自ら経験する語り掛けのようだ。最後にうずくまる佐東の姿は、諦めるようでもあり、悟るようでもあり、それはバレエの『瀕死の白鳥』の最後にも似たものに感じられた。

『眠れる水』。それは勅使川原の、何もかも自らの命すらも失った人々への、心からの鎮魂歌と言えるだろう。深く、重たい、圧巻の作品であった。勅使川原へのインタビューは下のリンクを参照。
http://www.chacott-jp.com/magazine/interview-report/interview/sleeping-water.html 
(2017年7月6日夜 Rose Theater)

佐東利穂子 Photo : Stephanie Berger

佐東利穂子 Photo : Stephanie Berger

ワールドレポート/ニューヨーク

[ライター]
三崎 恵里

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