ニューヨークのリンカーンセンター・フェスティバルで『Sleeping Water』を上演する:勅使川原三郎=インタビュー

毎年夏に行われるニューヨークのリンカーンセンター・フェスティバルには、世界各国から完成度の高い、実績の定着したカンパニーが招聘されて公演する。今年は日本人振付家、勅使川原三郎が自らのカンパニー、KARASに現パリ・オペラ座バレエの芸術監督、オーレリー・デュポンをゲストに招いて、新作『スリーピング・ウォーター(Sleeping Water)』を上演する。この機会にお話を伺った。

『Sleeping Water』© Jean Michel Blasco

『Sleeping Water』© Jean Michel Blasco

三崎:勅使川原さんは、最初にクラシック・バレエのトレーニングを受けられたということですが、それはどういうきっかけからでしたか。

勅使川原:私は画家や彫刻家などの美術家になることが子供の頃の夢でした。しかし、ある時から自分自身が色彩や造形になることを発見しました。それがダンスだったのです。その後、私が創作をする時には、舞台装置や照明のデザインをするのですが、結局私は美術の仕事をしていたのです。そして私の前に可能性の大きな口が開いています。

三崎:その後、独自の創作活動を始められましたが、どのような動機、思いがありましたか。

勅使川原:クラシック・バレエの稽古からは、尊敬すべき身体制御のある重要な基礎を学びましたが、私が作りたい世界は、曲線や曲面がより複雑に入り組んだ空気の流れのような身体の動きが生み出す空間性で、それを追求しつづけてきました。要するにスクエアな思想から解放した多次元的な質的ムーブメントがダンスになる世界観です。

三崎:実は、私の中では勅使川原さんは舞踏作家というイメージがありましたし、メディアでもそのように紹介されていたような気がします。踊りをジャンル分けする必要はありませんが、敢えてご自身のスタイルを言葉で表現するなら何と言いますか。

勅使川原:私のダンススタイルは舞踏とは全く異なります。
「空気のダンス」と私のスタイルを呼ぶことができます。生命の基礎である呼吸と空気の関わり抜きにダンスは存在しえません。画一的な呼吸法を基にするのでもない。音そのものが音楽の、身体の重さが存在の基礎であるように、見えないが生命の絶対的なエレメントが身体に与える力を最大限活かすのが、私の「空気のダンス」のメソッドです。
われわれを囲むあらゆる環境条件は常に変容しつづけています。音楽の自由、空気の移動の自由、雲の出現や消失のように画一的ではない次元にこそ生命が息づく。私の考えではダンスは生命の成り立ちと常に密接です。

『Sleeping Water』© Jean Michel Blasco

『Sleeping Water』© Jean Michel Blasco

三崎:何故、フランスに活動を移されたのですか?日本とフランスの違いは何だと思いますか。

勅使川原:私がダンスを始めた当時、日本にあったのはアメリカンモダンダンスの真似か舞踏という大げさな振る舞いで、両方に違和感を感じていました。私は元々ロックやアバンギャルドなフィルムの方に興味があり、いわゆるダンスフィールドには興味が無く、むしろ嫌いでした。そういう人々は自分たちの集まりの狭いテリトリー内で満足していました。
私は始め、フランスで公演し認められ、その後、季節ごとに創作の依頼を受け仕事を続けました。そして帰国して公演をすると普段はダンスを見ない音楽、美術、映画好きの若者が大勢来ました。それまでのダンスとは、内容も劇場の雰囲気も全く異質で。私たちは新たなムーブメントを作りました。表現の自由とは、政治や権力から自由であるべきなのは当然ですが、最も気をつけるべきは狭い視界や観念の価値観内で自分を規制することです。自由とは自分に自由であること、自由意思であると私は考えます。自分との闘いでもあります。

三崎:今度のリンカーン・センター・フェスティバルで発表される作品の『Sleeping Water』では、オーレリー・デュポンが出演しますが、勅使川原さんにイメージやインスピレーションを与えるダンサーとはどんなダンサーですか。例えばご自身の作品のためのダンサーを捜す時は、どのようなダンサーを選びますか。

勅使川原:そのダンサーの精神と身体が有する技術とが調和を持っていることが先ず条件ですが、作品が要求する基準をくつがえすような個性にも興味があります。

『Sleeping Water』© Jean Michel Blasco

『Sleeping Water』© Jean Michel Blasco

三崎:踊り、あるいはその他の芸術表現を通じて勅使川原さんが訴えたいもの、伝えたいものの真髄は何ですか。

勅使川原:今までに感じなかったことやすでに感じていたことに対して、活き活きした共感や疑問を感じられる喜びです。

三崎:今回の新作『Sleeping Water』についてお話しください。例えば作品の発想になった事柄、どのようなきっかけで発想に至ったのでしょうか。

勅使川原:人間の人生の3分の1は睡眠に費やします。私はこの巨大な時間がわれわれにとってどんなことなのだろうという疑問を持ちました。身体の動きは少ないはずですが、内的世界には巨大な空間があって、とんでもない動きが起こっているのではないかと、私は考えました。そして反対に、まるで湖の水面のような静かに漂う時間の質感には、言葉にできないが確かな実感の蓄積があります。引き延ばされた時間や日々。異次元のスケール。しかし人間の睡眠と水が持つ静かな力が、はたして均衡を保った平穏だけが居座っているのではなく、人間の力を超えたとてつもない抵抗できない力に、圧倒されながら生きていると私は考えました。巨大地震の現実とその後の話のみならず、われわれ人間は自然の力の前に謙虚である以外の生き方はないとも深く信じています。

ニューヨークのリンカーンセンター・フェスティバルで『Sleeping Water』を上演する 勅使川原三郎=インタビュー

『Sleeping Water』© Jean Michel Blasco

『Sleeping Water』© Jean Michel Blasco

インタビュー&コラム/インタビュー

[インタビュー]
三崎 恵理

ページの先頭へ戻る