近藤亜香がジゼルを踊って、深い表現力を見せた、メイナ・ギールグッド版『ジゼル』

ワールドレポート/オーストラリア

岸 夕夏 Text by Yuka Kishi

AUSTRALIAN BALLET オーストラリア・バレエ団

"GISELLE" Choreography Marius Petipa, Jean Coralli and Jules Perrot、Production Maina Gielgud
『ジゼル』マリウス・プティパ、ジャン・コラーリ、ジュール・ペロー:振付、メイナ・ギールグッド:演出

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TAB. "GISELLE" 2019 Ako Kondo & Chengwu Guo, Photo by Daniel Boud

昨年オーストラリア・バレエ団が発表した2019年上演演目の中には、新作の物語バレエが含まれていた。オスカー・ワイルドの短編小説『幸福な王子』を基にした、オーストラリアの著名な振付家グレアム・マーフィーによる全幕バレエが世界初演となる予定だったが、振付家の健康上の理由により延期となり、今年に入って『ジゼル』に変更された。
『ジゼル』はオーストラリア・バレエ団にとって特別な演目だ。バレエ団が設立された2年後の1964年に、当時のスーパースター、マーゴ・フォンテーンとルドルフ・ヌレエフがジゼル&アルブレヒト役で客演した。翌65年のオーストラリア・バレエ団初の海外ツアーの『ジゼル』公演では、パリでその年に上演された最も優れた演出として、グランプリをとった。この時に使っていた舞台装置が1985年に火災で全焼。残されたのは唯一、ジゼルの墓の大きな十字架だけという曰くあるエピソードが生まれた。(公演プログラムより)
今回の『ジゼル』は、火災の翌年1986年に当時の芸術監督メイナ・ギールグッドが新たに制作した演出である。ギールグッド版は初演から30年以上を経た現在でも人気があり、ウィリアム・エイカーズの美意識の高い照明デザインが、第2幕をとりわけ際立たせる。昨年のメルボルン公演ではアメリカン・バレエ・シアターのプリンシパルであり、オーストラリア・バレエ団のレジデント・ゲストアーティストである、ディヴィッド・ホールバーグがアルブレヒト役で出演(当初はナタリア・オシポワとホールバーグの共演が予定されていたがオシポワは来豪できなかった)。5月1日に幕開けしたおよそ3週間の『ジゼル』シドニー公演は、5組の配役が組まれて20回上演された。私が観たのは第1キャストで、ジゼル役はプリンシパルの近藤亜香(あこ)と、アルブレヒト役は近藤の実生活での夫君であるプリンシパルのチェンウ・グオのペアだった。

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TAB. "GISELLE" 2019 Ako Kondo with TAB Artists, © Daniel Boud

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TAB. "GISELLE" 2019 Marcus Morellii © Kate Longley

近藤のジゼルは清純で可憐、でも儚げで消え入りそうな死の予感を感じさせた。特に目を引いたのが、繊細で表情豊かな指使い。恋をした喜び、愛される幸せ、生きている証の踊り、豊かな情感が内なる声になって指先からこぼれ落ちてくる。ヴァリエーションでは片足だけの難しいポワントワークを軽々と精緻に刻みながら舞台を横切って(まるで小鳥が楽し気に散歩しているようだった)、大きな拍手が送られた。舞台を大きく旋回する回転からは、村娘の恥じらいと恋する晴れ晴れとした気持ちが生き生きと輝くばかりに表出された。グオのアルブレヒトは、貴族としての気品とともにユーモアが滲み出てくるような雰囲気で、身分を超えてジゼルに対し真摯で純粋な想いを表現した。

同夜の公演では、シニア・アーティスト(プリンシパルに次ぐランク)のマーカス・モレリとコリフェランクの山田悠未(ゆうみ)のペザント・パ・ド・ドゥも観客に強い印象を与えた。甲の柔らかなカーブで刻まれたパは表情豊かで美しく、空中をふわりと舞うような山田のダンスは瑞々しい。高揚感が劇場を包み、まだ二人が踊り終わる前に観客は待ちきれずに拍手を送ってしまった。
第1幕最後の狂乱の場面では、髪をおろした近藤の眼は宙をさまよい、精神が破綻していく様の演技は圧巻。ジゼルの壊れた姿を見守る、群舞のダンサーの一人の瞳には涙がたまっていた。

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TAB. "GISELLE" 2019 Photo by Daniel Boud

青白い月の光が鬱蒼とした森を照らす第2幕では、ベールを被り、霧がかかった中で踊られる一糸の乱れないウィリの群舞は、観客を幽玄の世界に導くようだ。同夜のウィリの女王ミルタ役はシニア・アーティストのヴァレリー・テレスチェンコだった。強い瞳の光が印象的なテレスチェンコは威厳のあるミルタを好演。真っすぐで柔らかさを消したアラベスクからは指先にまで怨念を感じさせ、鋭い視線とステップで裏切った男たちへの憎しみと復讐を体現した。
同夜のヒラリオン役はプリンシパルのアンドリュー・キリアン。3年前にオーストラリア・バレエ団の地方公演でキリアンがアルブレヒトを踊った時も感じたが、ヒロインへの恋情があまり感じられない。恋心の表現が不器用な人柄なのかもしれないが、今回もジゼルへの思慕が伝わってこないばかりか、ジゼルとジゼルの母ベルトもアルブレヒトをどこか疎んじているように見えたのは残念だった。
昨年近藤がブノワ賞にノミネートされた時に行ったインタビューの中で、(https://www.chacott-jp.com/news/worldreport/australia/detail005327.html)近藤は自身の表現力を磨きたいと語っていた。私が最後に観た近藤の全幕バレエの主役は、2017年の『不思議の国のアリス』で、それ以来およそ1年半ぶりとなる。近藤のジゼル、特に第2幕のダンスは死者そのものでありながら、愛する人への祈りの想いが込められた深い演技力をみせた。難技巧も息を荒ぐことなく、肉体の在りかを感じさせず、空中を漂うように(高速の回転では風のように)無音で舞う。アルブレヒトとのパ・ド・ドゥでは、共に愛し合いながらも、2人の間に横たわる、交感できない生者と死者の大きな隔たりが可視化された。確かな技術にさらに豊かになった表現力も加わって、近藤はアーティストとしての深みを増した。

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TAB. "GISELLE" Act 2 Chengwu Guo & Ako Kondo. Photo by Daniel Boud

グオの空中で静止したかのような高い跳躍へも、客席から大きな拍手が沸いた。長いアントルシャ・シスの後のミルタへの懇願はどこか東洋的で、クスリと微笑んだ観客も少なからずいただろう。最後に独りになったアルブレヒトは、心からジゼルを愛した男の姿だった。
現在オーストラリア・バレエ団には、男女合わせて10人の個性豊かなプリンシパルがいる。ダンサーが造型する役柄と解釈によっては、物語の人間模様まで変化が生じ、見慣れた作品も新鮮かつ異なって見えることさえもあることを、今回の『ジゼル』公演で強く感じた。
(2019年5月7日 シドニーオペラハウス)

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TAB. "GISELLE" Nicola Curry with TAB Artists, © Daniel Boud (注;ミルタの写真は文中のキャストとは異なります)

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TAB. "GISELLE" Ako Kondo & Chengwu Guo, © Daniel Boud

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TAB. "GISELLE" 2019 Ako Kondo & Chengwu Guo with artists from TAB Photo by Daniel Boud

『ジゼル』 全2幕バレエ
振付:マリウス・プティパ、ジャン・コラリ、ジュール・ペロー Marius Petipa, Jean Coralli and Jules Perrot
演出 :メイナ・ギールグッド(Maina Gielgud)
音楽:アドルフ・アダン(Adolphe Adam)
装置・衣装:ピーター・ファーマー(Peter Farmer)
照明元デザイン:ウィリアム・エイカーズ(William Akers)
照明再制作:グラハム・シルバー(Graham Silver)
ニコレット・フレリオン指揮 オペラ・オーストラリア交響楽団(Nicolette Fraillon conducting Opera Australia Orchestra)

配役(2019年5月7日)
ジゼル:近藤亜香(Ako Kondo)
アルブレヒト:チェンウ・グオ(Chengwu Guo)
ベルト(ジゼルの母):オルガ・タマラ(Olga Tamara)
ヒラリオン :アンドリュー・キリアン(Andrew Killian )
クーランド侯爵:スティーブン・ヒースコート(Steven Heathcote)
バチルド姫:イサベル・ダッシュウッド(Isobelle Dashwood)
アルブレヒトの従者:ティモシー・コールマン(Timothy Coleman)
ペザント・パ・ド・ドゥ:山田悠未(Yuumi Yamada)/ マーカス・モレリ( Marcus Morelli)
ミルタ:ヴァレリー・テレスチェンコ(Valerie Tereschchenko)
ジゼルの友人:ジェシカ・ウッド (Jessica Wood)/ リサ・クレイグ(Lisa Craig)
 イングリット・ガウ(Ingrid Gow)/ 根本里奈(Rina Nemoto)
コーリー・ハーバート(Corey Herbert)/ シャーニ・スペンサー(Sharni Spencer)
ウィリのリーダー:シャーニ・スペンサー(Sharni Spencer)/ イモーガン・チャップマン(Imogen chapman)

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