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モーリス・ベジャールが『ザ・カブキ』に込めた想いが結実した見事な舞台、東京バレエ団

ワールドレポート/東京

佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki

東京バレエ団

『ザ・カブキ』モーリス・ベジャール:演出・振付

東京バレエ団が、創立60周年記念シリーズの一環として、昨年10月に上演したばかりのモーリス・ベジャールの傑作『ザ・カブキ』を、早くもこの6月に再演した。公演会場が、これまで上演してきた東京文化会館や新国立劇場の中劇場ではなく、初めて新国立劇場のオペラパレスで行うというのも話題だった。
『ザ・カブキ』は、日本の伝統文化に造詣の深いベジャールが東京バレエ団の委嘱を受け、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』をベースに、黛敏郎の音楽を用い、現代の青年がタイムスリップして「忠臣蔵」の由良之助になり、主君の仇を討つという物語を、「忠誠心」をテーマに、歌舞伎や文楽とバレエの手法を巧みに掛け合わせて舞踊化したスペクタクルな作品である。『ザ・カブキ』は1986年の初演以来、国内だけでなく世界15カ国28都市で上演を重ねている。公演回数は今回を含めて213回になるそうで、うち国内は81回で、国外が132回を数えるという。このことからも、世界的に揺るぎない評価を得ている人気の作品であることがうかがえる。

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© Shoko Matsuhashi

今回の3公演で、主役の由良之助は、これを当たり役とする柄本弾が初日と3日目に踊り、2日目は昨年この大役に初挑戦した宮川新大が務めた。塩冶判官の妻・顔世御前は初日がゲスト・プリンシパルの上野水香で、2日目と3日目は、昨年初めてこの役を演じた金子仁美と榊優美枝がそれぞれ務めた。前回は宮川の主演で観たので、今回は柄本が踊る3日目を選んだ。なお、柄本は、昨年の『ザ・カブキ』の由良之助役や『ロミオとジュリエット』のロミオ役での優れた演技が評価されて、令和6年度の芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。今回は、彼にとって受賞記念の公演でもあった。柄本は、2010年に20歳で第5代由良之助に抜擢されて以来、この役を繰り返し踊ってきたベテランである。

『ザ・カブキ』は、プロローグで始まり、『仮名手本忠臣蔵』から主要な場面を抜き出した全9場で構成されている。幕開きのプロローグは〈現代の東京〉。あちこちに吊るされたモニターには、東京の街並みや観光名所などがせわしなく映し出され、街ではたむろする若者たちがロックにのせてストリートダンスに酔いしれている。都会の喧騒がオペラパレスの舞台一杯に広がっていた。若者たちの踊りはアップデートされており、今回も電動キックボードのLUUPで走り抜ける若者が登場した。そんな中、ワイシャツにネクタイを締めたリーダーの青年(柄本弾)は、何かを見据えるように凛として椅子に座り続け、存在感を示していたが、柄本の表情は以前より険しさが和らいだようにみえた。やがて静かに踊り始めるが、その踊りもしなやかさを増したように思えた。リーダーの青年が黒衣の差し出すひと振りの刀を手にした途端、モニターの画面は一斉に日の丸に切り替わり、若者たちの姿は消え、青年は忠臣蔵の世界へとタイムスリップした。

第一場は〈兜改め〉。義貞の兜改めのために召し出された塩冶判官の妻・顔世御前(榊優美枝)は、儀式の後で好色な高師直(鳥海創)に言い寄られるが、巧みに身をかわして逃れた。着物の裾を引きずりながら楚々として動き回る榊と、大仰な身振りで迫る鳥海のやりとりは、その後の更なるドラマの展開を匂わせた。リーダーの青年は離れた場所で、その一部始終を不思議そうに眺めていた。第二場〈おかる、勘平〉では、現代のおかると勘平が、顔世の腰元・おかると判官の家来・勘平の束の間の逢引の場に遭遇する。おかるに惹かれている師直の家来・伴内は二人の逢瀬の邪魔しようと割り込むが、青年はそうした展開も傍観者として眺めていた。ここではおかるの足立真里亜のなまめかしさが際立ったが、勘平の樋口祐輝との初々しさを残しながら熱していく逢引や、伴内の池本祥真のずる賢こそうな、はしこい動きも印象に残った。

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© Shoko Matsuhashi

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© Shoko Matsuhashi

第三場の〈殿中松の間〉では、顔世に逃げられた師直が、腹いせに顔世の夫の判官に執拗に嫌がらせを続け、我慢できなくなった判官が殿中では御法度の刀を抜いて師直に切りつけるまでが描かれる。師直の鳥海創の毒々しい演技と、判官の大塚卓の必死にこらえる様が好対照を成し、独特の手の動きや、肩をいからせる様など日舞の所作を採り入れた振りを上手くこなしていた。続く第四場は〈判官切腹〉。遺言を託そうと家老・由良之助の到着を待ちわびる判官と、どこに向かってか、ひたすら走り続ける青年が並行して描かれる。白装束の判官の大塚は、無念を滲ませながら、厳粛な作法に則って切腹に臨み、息絶える間際に駆けつけた青年に遺言を託して絶命した。判官の血の付いた短刀を手にした瞬間、青年は由良之助になり、若者のリーダーから四十七士のリーダーになり、主君の仇討ちを決行することになる。

第五場は〈城明け渡し〉。お家断絶を知らずに踊りに興じる腰元たちの群舞はユニークだった。二人一組になり、打掛を優雅に操って踊るシーンに、着物ならではの振付の妙がうかがえた。憔悴した顔世が現れると、事態を悟った腰元たちは顔世と共に城を去った。柄本はすっかり由良之助になりきっており、残った家臣たちに仇討ちの意志を問い、志を同じくする者で仇討ちの連判状に血判を押した。舞台を横切るように転がされた細い巻紙に、義士たちが揃って血判を押すシーンは迫力十分。彼らの前で、由良之助の柄本は勇壮でパワフルなソロを披露し、決意を踊りで表明した。この場では背後に「いろは」の四十七文字を記した幕が吊るされているが、これは四十七士を象徴して用いたそうだ。

第六場の〈山崎街道〉は登場人物も多く、『仮名手本忠臣蔵』を知らないと分かりづらいかも知れない。勘平は、主君の大事に居合わせなかったことを悔やんでおかるの故郷に落ちる。勘平は仇討ちに加わるため猟師として働き、妻・おかるは夫のために金を工面しようと祇園に身売りする。おかるの父・与市兵衛が身売りの半金を受け取って帰る途中の山崎街道で、盗賊に身を落とした定九郎に殺され、金を奪われる。勘平はその定九郎を猪と間違えて撃って愕然とするが、死んだのが誰かも確かめずに懐の金を仇討ちのために盗んでしまう。籠に乗せられて祇園へ向かうおかるに別れを告げた勘平だが、与市兵衛の遺体が運ばれてきて、盗んだ金は与市兵衛が持っていたものと知らされ、実際は義父の仇を討ったにもかかわらず、自分が殺めたと思い込み、自刃して果てた。由良之助は、勘平の心を汲んで仇討ちの連判状に加えてやり、己の決意を奮い立たせるように長大なソロを踊った。由良之助の柄本は、誰もいない空間に鋭い眼差しを投げ掛け、足先まで力を漲らせ、強靭なジャンプで舞台を駆け巡り、エネルギーをほとばしらせて燃え上がる心を表現し、少しも弛緩することなく、7分半を踊り切った。前半のクライマックスだった。

後半は第七場〈一力茶屋〉で始まる。仇討ちの本心を悟られぬよう、祇園で酒色にふけってみせる由良之助だが、敵に対して鋭いアンテナを張っていることが見て取れた。由良之助が届いた密書を読んでいると、縁の下でそれを盗み見る伴内に気付き、相手を引き寄せるようにしておいて始末した。泰然と構える由良之助の柄本と、ずる賢く立ち回る伴内の池本の対比が効いていた。由良之助は、遊女となったおかるが鏡に映して密書を読んだのに気付くと、哀れな彼女の身の上を思い遣った。ここでは、祇園の女たちが扇子や着物を雅に操って踊るシーンが彩りを添えていたが、一方で遊女の加藤くるみが全身タイツで高くリフトされる姿は、もてあそばれるようで痛ましくも映った。由良之助とおかるが、それぞれ黒衣に掲げられて人形のように操られる場面は、運命に翻弄される人間の姿を象徴しているようにも思えた。第八場の〈雪の別れ〉で場面は一転。死者たちの霊が赤褌の男たちになって現れ、魂の叫び声をあげるという異様な光景が繰り広げられた。そして、由良之助に仇討ちを迫る顔世と、警戒して本心を明かさない由良之助と、無念の思いを由良之助に訴える判官の亡霊とが入り混じり、それぞれの葛藤が交錯する緊迫した状況を生み出していた。特に、顔世の榊が、白いタイツの脚を高く振り上げ、全身で由良之助に訴える姿には悲愴感が滲み出ていたが、由良之助の本意がつかめず絶望に打ちひしがれていく様は悲しみを誘った。

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©Shoko Matsuhashi

最終の第九場は〈討ち入り〉。雪が降りしきる中、由良之助の打ち鳴らす陣太鼓を合図に、判官の四十七の浪人たちが一丸となって仇の師直を討ち果たすまでがダイナミックに描写された。陣太鼓に導かれるように、左右両サイドから数人ずつ義士たちが走り込み、見事に逆三角形を成していく様は称賛に値する。戦いを前に加古貴也と井福俊太郎が力を漲らせて踊ったヴァリエーションは闘志を盛り上げていた。由良之助の柄本は、陣太鼓の叩き方も、義士たちの鼓舞の仕方も、全体を見据えた堂に入った演技でさすがと思わせた。由良之助が討ち取った師直の首級を掲げて入ると、判官の亡霊がそれを受け取って去っていった。立派に本懐を遂げた四十七士は、朝日を浴びて、晴れやかに切腹して果てた。ここでは黛敏郎の『涅槃交響曲』の終楽章が効果的に響き、浄化されたような清々しさを刻印する幕切れとなった。ベジャールが意図した「忠誠心」を、改めて思い起こさせるエンディングである。

『ザ・カブキ』の舞台をざっくりと紹介したが、細かいところまでとても書ききれない。例えば歌舞伎等の手法では、摺り足やフレックスの多用、見得を切る仕草や角張った身のこなし、隈取りなどの化粧、要所での黒衣の起用、効果を高める柝(き)の合図、一瞬で場面を転換するふり落しなど、様々なものが違和感なく採り入れられていたのにも感心した。日本の伝統文化に対するベジャールの造詣の深さに改めて敬意を表したい。そして、前回の公演の成果がまだ残っているとはいえ、短期間の指導でここまで見事に歌舞伎などの所作をこなしたバレエ団のダンサーたちも称えたい。ダンサーにとっては難しい作品かもしれないが、『ザ・カブキ』は奥が深く、観るたび感動を呼ぶ作品でもある。東京バレエ団にとって掛け替えのない財産であり、海外に誇れる作品であることは言うまでもない。ベジャールが『ザ・カブキ』にこめた思いを確かめながら、これからも踊り継いでいって欲しいと思う。
(2025年6月29日 新国立劇場 オペラパレス)

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© Shoko Matsuhashi

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