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デヴィッド・ビントリーが振付けた愛と魔法の『シンデレラ』、英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団

『シンデレラ』デヴィッド・ビントリー:振付

英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団が来日公演を行い、ピーター・ライト版『眠れる森の美女』とデヴィッド・ビントリー版『シンデレラ』(初演2010年ヒポロドーム劇場)を上演した。私は6月27日に『シンデレラ』を、シンデレラ/平田桃子、王子/マチアス・ディングマンというキャストで観ることができた。
『シンデレラ』は、1948年にサドラーズウェルズ・バレエにフレデリック・アシュトンが振付けた"歴史的" バレエが、今日でも英国ロイヤル・バレエ団のレパートリーとして上演されており、イギリスのみならず世界中で踊られている。今回の公演パンフレットに「(『シンデレラ』の新版を作らないか、と持ちかけられた時)ビントリー自身、アシュトン版とともに成長し、義姉のひとりを演じたものだ。新風を吹き込む余地などあるだろうか」と訝った(デヴィッド・ミード)、と記されている。アシュトン版『シンデレラ』全3幕は、イギリス人が初めて創作した全幕バレエであり、ビントリーは義姉の一人を踊ってダンサーとして高い評価を得ていたからである。
ビントリー版『シンデレラ』は、アシュトン版とシンデレラの家族構成が異なっている。アシュトン版のシンデレラは実母は亡くなり、優しい父は登場するが、家庭内の立場は弱く、二人の義姉が思うままに振る舞っている。継母は舞台には登場しない。ビントリー版のシンデレラは父も母も亡くなっている孤児であり、継母(ダリア・スタンチュレスク)と二人の義姉(渕上礼奈、アイリッシュ・スモール)にいいように使われ、虐げられている。アシュトンが、欲望のままに振る舞う二人の義姉たちを男性ダンサーに踊らせ、英国流のアイロニーを効かせたユーモアにより観客席を大いに沸かせたことはよく知られているところだ。

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平田桃子、イザベラ・ハワード
photo/Kiyonori Hasegawa

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アイリッシュ・スモール、渕上礼奈、ローリー・マッカイほか(左から)
photo/Kiyonori Hasegawa

ビントレーのヴァージョンでは、振付家の関心は天涯孤独の少女シンデレラにある。彼女は地下の台所で毎日毎日働き尽くめ。グリム童話で描かれた、ベッドもなく日々、暖炉の温もりを頼りに暮らす<灰かぶり>のよう。彼女の唯一の宝物は、亡き母から贈られた舞踏会用のひと揃いの美しい靴。大切に赤い小箱にしまっている。過酷な仕事を一生懸命努める中、時折、この美しい靴を取り出して亡き母を想い、舞踏会で軽やかに踊る自分の姿を夢見ている。舞踏会に行く義姉たちのためにやって来たダンス教師(伊藤陸久)に、思わず、「私のダンスを見て」と言ってみたが、相手にされなかった。しかし、継母と義姉たちが着飾って、王子の花嫁を選ぶ宮廷舞踏会に出かけた後、シンデレラは空想の舞踏会で実に生き生きと踊り始める。あいにく、王子はいつもの箒だったが、思うままに空想を巡らせて溌剌と踊った。この<灰かぶり>のシンデレラから、ダンスによって生きる喜びを感じるシンデレラへの鮮やかな変貌を、平田桃子は裸足で踊り、目を見張るばかりに見事に表現した。
ある時、みすぼらしい老婆(イザベラ・ハワード)が台所に現れた。寒さに震えている裸足の足に気づいたシンデレラは、あの舞踏会ための靴を履かせて、見ず知らずの老婆の凍えた足を温めた。たった一つの母への深い想いがこもる美しい靴を、困難に陥っている人に差し出す。この美しく尊い心が、シンデレラに奇跡をもたらすことになる。母の面影を微かに感じさせた老婆は、亡き母の慈愛の心が仙女となって現れていたのだった。
するとにわかに、シンデレラの居場所だった古びたキッチンの空間が大きく開かれて、満天の星空が現れ、春(水谷実喜)・夏(セリーヌ・ギッテンズ)・秋(ロザーナ・イリー)・冬(ラケレ・ピッツィロ)の四季の精たちが闊達にヴァリエーションを踊る。煌めく星の精たちも華やかに群舞を展開し、カエルの御者、トカゲの従僕、ネズミのお小姓たちが次々と現れて、シンデレラに美しいドレスを纏わせ、カボチャの馬車を仕立てて、宮廷の舞踏会へと向かった。大時計が深夜の12時を打つまで、現実は消え、魔法の時間が始まったのである。

『シンデレラ』の物語には、「自然」という理念が織り込まれている。欲望のままに振る舞う姿は滑稽に見え「不自然」、困難に陥っている人を助ける無私の行為は、心の「自然」の現れである。心が「自然」のシンデレラは、小動物たちとも親しくしており、自然の精霊である四季の精たちは魔法の時間を作り出す。
シンデレラの魔法の時間を舞台に創造したのはジョン・マクファーレンだ。彼は多くのオペラやバレエの美術を手掛け、ブノワ賞やナショナル・ダンス・アワードなどを受賞している。2018年には英国ロイヤル・バレエ団の『白鳥の湖』の美術も担当した。マクファーレンの美術は、1幕の地下のキッチンは、どこの家にもあるようなリアルなセットで、階段の昇り口から奥の暖炉まで、長年の生活の匂いが染み込んでいるよう。2幕になると一転して、黒々とした巨大で豪勢な宮殿が、星空のドームの下に聳えたち、幻想空間に浮かんだ。1幕のリアルなキッチンとの対比が鮮やか。

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水谷実喜 photo/Kiyonori Hasegawa

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平田桃子、マチアス・ディングマン photo/Kiyonori Hasegawa

そしてシンデレラは王子が主催する宮廷舞踏会へ。ビントリー版の素晴らしいところは、ほとんどマイムを使わずに、ダンスと音楽を一体化して観客を「魔法の時間」へと連れ去ってしまうところ。プロコフィエフの音楽の1音も揺るがせにせず、しっかりとダンサーたちの踊りと演技を一体化させ、素敵なパスピエやワルツ、マズルカに乗せて流れるようにシーンを展開。4人の王子の友人たち(ガブリエル・アンダーソン、エンリケ・ベヘラノ・ヴィダル、マイルズ・ギリヴァー、ウー・シュアイルン)と四季の精を巧みに配置してストーリーを進行している。
王子の登場シーンも期待の盛り上がりをうまく観せていた。王子を踊ったマチアス・ディングマンは、高貴で優しい人柄を感じさせる表現を上手く作っていた。平田桃子によるシンデレラの登場シーンも見事。荘厳な雰囲気の中、観客に次第にその美しさが感じられように登場する。会場全体が固唾を飲んで見守った。それぞれの登場シーンの細やかな演出が、続いて踊られるシンデレラのヴァリエーションと王子のヴァリエーションをいっそう際出せた。そして、まるで「天上の踊り」のようなデュエットは、リフトや難しい技を巧みに織り込み、出会いから、二人に愛が生まれ、二つの心が溶け合っていく様が生き生きと表現されていて素晴らしかった。
義姉たちの掛け合いも他のヴァージョンにみられる道化や特徴的な貴族たちは登場せず、しばしば執事や給仕と絡みポールダンスも見せたりもするが、曲に乗せた大仰な芝居はない。「3つのオレンジの恋」のシーンはあったが、義姉たちの戯画的表現は、舞踏会のアクセントのようであり抑制的にだった。

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平田桃子 photo/Kiyonori Hasegawa

現実の時間の中ではシンデレラは裸足で踊ったが、魔法の時間になると母の形見の美しい靴(ポワント)で踊る。多くの指摘があるように、ビントリー版『シンデレラ』では「靴」が物語のキーとなっている。周知のように「シンデレラ」の物語は、世界中に伝えられていて、古いものは紀元前にまで遡る。そうした歴史の中でシンデレラの<靴>が「ガラスの靴」として登場したのは17世紀のシャルル・ペローの童話だった。この童話では、「ガラスの靴」は透明で唯一のものとしてシンデレラの運命を象徴しているが、ビントリーによるバレエ『シンデレラ』では、「靴」は象徴的であると同時に、生きる喜びを与えるダンスの必須アイテムとしても機能している。ここで思い出したのだが、ビントリーの初期の傑作『ホブソンの選択』(音楽ポール・リード)。靴屋のホブソンが貧しい靴職人を娘の婿に選ぶまでを細やかに描いたバレエだった。地下の作業場で、日々、黙々と靴を作る職人の姿が深く印象に残っている。舞踊家ビントリーの「靴」についての想いが、ペローの『シンデレラ』に登場する<ガラスの靴>と化学反応を起こして、このバレエは創作されたのかもしれない、などと想った。閑話休題。

巨大な歯車が揺るぎない刻を刻み、深夜12時の時が打たれると、魔法の時間は消えた。シンデレラは片方の靴を残して行方知れずとなった。王子は残された片方の靴を頼りに懸命の捜索を続ける。やがて、いつものキッチンにみすぼらしい姿に戻って暮らすシンデレラのもとへも、王子の一行がやって来る。色めきたつ義姉たち、更には継母までが、強引に無理やり靴を履こうとする。その喧騒の背後に、赤い小箱を抱えて影のように佇むシンデレラ。諦めて帰りかけていた王子は、思わず知らずそのみすぼらしい服の少女の存在に、しっかりと気がついた。すると、佇んでいたシンデレラは恐る恐るではあるが、自ら進み出てその靴を履く。ピタリと合った。そして残りの一方の靴を大切に保持していた赤い小箱から取りだして履いた! 
再び、狭いキッチンの背景が広々と開かれる。シンデレラは運命を切り開いてくれた大切な「靴」を仙女のもとに返す。
再会を喜ぶ王子とシンデレラ。服はみすぼらしいが、王子はその美しい心を抱いて裸足のシンデレラとデュエットを踊る。天空に瞬いていた星たちは消え、次第に光が満ち溢れて、太陽が現れ素晴らしい朝が訪れた。現実の時間と魔法の時間は重なったのである。
そして仙女の計らいによって、美しいロマンティック・チュチュを着け、ポワントを履いたシンデレラは、王子と喜びのパ・ド・ドゥを踊る。舞踏会ので纏った華やかなクラシック・チュチュとは異なり、純白の衣裳を身に着け、心からの生きる喜びを踊り、至福の時を生きたのである。

シンデレラは魔法の時間を経験して、愛するということを知り、夢見る少女を卒業し王子と結婚。そして新しい人生を歩み始める。デヴィッド・ビントリーは、まるで愛娘であるかのように慈しみ、深い愛情を注ぎ込んで、シンデレラの幸福を優しく丁寧に振付・演出している。
(2025年6月27日 東京文化会館)

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photo/Kiyonori Hasegawa

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