〈第17回世界バレエフェスティバル〉が全幕特別プロ『ラ・バヤデール』で開幕
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ワールドレポート/東京
佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki
東京バレエ団
『ラ・バヤデール』ナタリア・マカロワ:振付・演出(マリウス・プティパの原振付による)
世界のトップダンサーを招いて3年に一度開催される〈世界バレエフェスティバル〉が、順調に回を重ねて今年で第17回を迎えた。"順調"と書いたのは、2021年の前回はコロナ禍のあおりを受け、1年遅れで開催された東京五輪とパラリンピックの合い間に、海外から総勢23人の参加と規模を縮小し、様々な制約を受けながらも無事に開催にこぎつけたという経緯があるからだ。おりしもパリ五輪と開催時期が重なった今回は、総勢34人の精鋭たちが集結し、全幕特別プロ『ラ・バヤデール』に始まり、Aプロ、Bプロ、ガラ公演というスケジュールで、"バレエのオリンピック"さながら至芸の競演が繰り広げられた。参加したのは、アレッサンドラ・フェリやジル・ロマンら大ベテランから、初登場のウィリアム・ブレイスウェルや永久メイら多彩な顔触れ。ここでは、全幕特別プロとして、主役の舞姫ニキヤと戦士ソロルにゲストを招いて行われた東京バレエ団による『ラ・バヤデール』を取り上げる。Aプロ、ガラは別項で記したい。
古代インドを舞台にした『ラ・バヤデール』は、愛し合う神殿の舞姫(バヤデール)ニキヤと戦士ソロルが、ニキヤに求愛する大僧正ハイ・ブラーミンや、ソロルと娘ガムザッティとの結婚をもくろむ国王ラジャにより引き裂かれて悲劇を迎える物語を、ミンクスの音楽にのせて綴った異国情緒溢れるスペクタクルな作品である。
東京バレエ団は、2009年に『ラ・バヤデール』をナタリア・マカロワ版で初演して以来、再演を重ねて高い評価を得ている。マカロワ版の特色としては、ガムザッティとソロルの婚約披露の宴で披露される「太鼓の踊り」などの民族舞踊を省いてドラマの密度を高めたことや、最後の「神殿崩壊」の場面を復活し、ガムザッティとソロルの婚礼の模様を丁寧に描いていることなどが挙げられる。2回公演の主役はダブルキャストで、初日のニキヤとソロルは、格調高い演技で魅せるマリアネラ・ヌニェスと若手新鋭のリース・クラークという英国ロイヤル・バレエ団のカップル。2日目はオランダ国立バレエ団のペアで、ボリショイ・バレエを退団してオランダに移ったオリガ・スミルノワと、新進ヴィクター・カイシェタが務めた。ちなみに、ガムザッティは初日が上野水香、2日目が伝田陽美、ブロンズ像は初日が宮川新大、2日目が池本祥真というキャスティングだった。その初日を観た。
マリアネラ・ヌニェス、リース・クラーク
© Kiyonori Hasegawa
第1幕はトラ狩りから戻ったソロルら戦士の入場で始まった。颯爽と登場したソロルのクラークは、狩りの手柄をマイムで伝え、苦行僧の長マグダヴェーヤ(岡崎隼也)にニキヤとの逢引の伝言を託す。続いて大僧正ハイ・ブラーミン(安村圭太)が取り仕切る聖火の儀式が行われた。ハイ・ブラーミンは、ニキヤ(ヌニェス)の顔を覆うヴェールを外した途端、その美しさに魅了される。ヌニェスは立っているだけでオーラを放っていたが、仏像などに特有の腕や手のポーズを美しく見せながら踊る姿からは、さらに神々しい雰囲気が漂ってきた。ニキヤの被っていたヴェールの匂いを嗅ぎ、服のポケットに隠し、外聞もはばからずニキヤに愛を告白するハイ・ブラーミンを、安村は俗人っぽく演じて身近な存在に感じさせた。ニキヤのヌニェスは、ハイ・ブラーミンのしつこい求愛にあらがい、聖職をわきまえさせて拒否するが、そこに身分は低くても舞姫であるという誇りも感じられた。なお、裸に近い苦行僧たちが聖火を飛び込えて踊る荒々しい群舞と、バヤデールたちの楚々とした群舞の対比も鮮やかだった。
ソロルとニキヤの密会では二人の躍動感あふれる演技が続いた。たおやかに身体を操るヌニェスはリフトされるたびに喜びを溢れさせ、クラークも高まる心をしなやかな跳躍で伝え、聖火に愛を誓った。その様を盗み見ていたハイ・ブラーミンの嫉妬に燃える姿で第1場は終わった。
第2場は、国王ラジャ(中嶋智哉)がソロルに娘ガムザッティ(上野水香)との婚約を強引に求めるシーンで始まる。戸惑うソロルだが、ガムザッティの美しさに惹かれもして拒めずに受け入れてしまう。クラークは、権力には逆わずに流されてしまうようなソロルの弱さをのぞかせていた。そこに、ハイ・ブラーミンが訪ねて来て、ラジャにソロルとニキヤが恋仲だと告げ口するが、邪魔者はニキヤだとするラジャの判断に慌てる。ソロルを陥れようとした思惑が外れて動揺する様がストレートに伝わる安村の演技だった。
ハイ・ブラーミンの話を盗み聞きしたガムザッティは、ニキヤに宝石を押し付けてソロルとの別れを強いるが激しく抵抗され、ニキヤに刃物で襲いかかられたため、彼女を亡き者にしようと心に決めるのだ。上野のガムザッティは初めて観たが、ソロルには恥じらいや憧れをのぞかせて初々しく振る舞っていた。対照的に、ニキヤに対しては傲慢な態度で臨んでいたが、今一つ、凄みが欲しい気もした。一方、ニキヤのヌニェスは、身分をわきまえて仕えるように接していたものの、耐えきれずに思わず刃物をふりかざしてしまい、いたたまれなくなって走り去るが、その姿は痛ましく映った。
リース・クラーク、上野水香 © Kiyonori Hasegawa
マリアネラ・ヌニェス、リース・クラーク © Kiyonori Hasegawa
第3場はガムザッティとソロルの婚約披露の宴で、ニキヤとソロルの華麗なパ・ド・ドゥが展開された。ガムザッティの上野は誇らしげにイタリアン・フェッテやグラン・フェッテを披露し、ソロルのクラークも力強いジャンプや回転技で応じた。ただ、クラークの表情には上野ほどの晴れやかさが感じられず、陰があるようにみえた。ハイ・ブラーミンに連れられてニキヤが登場し、祝いの舞を披露する。ニキヤのヌニェスは、哀しみを滲ませて高く脚を振り上げ、片足でバランスを保ち、上体をしなわせて端正に舞った。その間、ガムザッティはソロルにニキヤのほうを向かせまいとし、ソロルもガムザッティの手前、ニキヤを正面から見られない。ニキヤはガムザッティと向かい合うソロルを盗み見て、さらなる哀しみに襲われるが踊り続けるしかない。三人それぞれの葛藤が錯綜するようで、緊迫感をはらんだシーンだった。
ニキヤはソロルからの贈り物と言われて花籠を受け取ると、満面に笑みを浮かべ軽快にステップを踏み始めたが、花籠に隠された毒蛇に噛まれてガムザッティの企みに気付く。ハイ・ブラーミンは解毒剤を渡すが、ニキヤはソロルがガムザッティに連れられて去るのを見て絶望し、解毒剤を拒んで息絶えた。思わずニキヤの元に駆け寄って抱きしめるソロルに救いを見出すこともできるだろうが、自身の優柔不断が招いた悲劇である。そんな不甲斐ないソロルをクラークは好演していた。
第2幕では、ニキヤの死で悲しみに沈むソロルがアヘンを吸って迷い込んだ幻覚の世界が描かれる。ソロルはニキヤの幻影に誘われるように「影の王国」に入り、ニキヤと踊るうちに彼女への愛を改めて確認する。ニキヤのヌニェスの清楚で流れるように美しい踊りは崇高さを感じさせ、無垢な心を取り戻したようなソロルのクラークも、透明感のある踊りで応じていた。ここには"白いバレエ"として有名な群舞の見せ場もある。白いチュチュのバヤデールの精霊たちは、一人ずつ斜面を下りてきて床に並び、整然とフォメーションを変えながら、精緻にステップをこなし、神秘的な静謐さで舞台を包み込んだ。東京バレエ団の群舞には定評があるが、今回も完璧な仕上りだった。ヴァリエーションを踊った中沢恵理子、三雲友里加、長谷川琴音もそれぞれ端正な踊りで印象づけた。戦士たちに起こされたソロルが、ガムザッティとの結婚式に連れ出されるところで幕になる。
© Shoko Matsuhashi
7月28日公演より © Shoko Matsuhashi
第3幕では神殿での婚礼の儀式から神殿崩壊に至るまでが描かれる。
冒頭、ブロンズ像の宮川新大が、独特の手のポーズを取りながら、機敏に左右に動き、強靭なジャンプを繰り返すなど、神々に捧げるように力強く踊った。ハイ・ブラーミンの下で婚礼の儀式が始まった。バヤデールたちがキャンドルを床に並べ、二人の周りで厳かに踊る様は清らかさに満ちていた。ガムザッティたちも踊るが、ニキヤの幻に取り憑かれたままの虚ろな状態のソロル、彼の心をつかもうと懸命なガムザッティ、滞りなく式が進行するよう案じるラジャと、それぞれの心のあり様が踊りに映し出されていた。突然、ニキヤの幻影が現れ、風が吹き抜けるように人々の間を走り抜けた。ニキヤはソロルとガムザッティの踊りに割り込み、ラジャも交えてパ・ド・カトルを織りなすなど、息詰まる展開になった。ニキヤに渡されたのと同じ花籠が持ち込まれると、ガムザッティは恐怖に襲われ、罪悪感に苛まれた。ガムザッティの激しい心の揺れを、上野はリアルに表現していた。
7月28日公演より © Shoko Matsuhashi
ラジャやハイ・ブラーミンは式を強行するが、ニキヤへの愛を裏切ったソロルが誓いの言葉を口にできないでいると、このような事態を招いた身勝手な欲望やよこしまな策略のすべてに対して神々の怒りが爆発し、神殿を破壊して人々を埋め尽くした。その崩壊の様子はCGを活用して上手く提示された。静寂が戻った後、ニキヤがソロルを天上へと導いていくラストには魂の救済が象徴されており、二人をつなぐ白いスカーフが輝いて見えた。
この公演で最も印象に残ったのは、ニキヤ役を務めたヌニェスの円熟味を増した演技だった。なによりも格調の高さが際立ち、卓越したテクニックはいうまでもなく、ちょっとした仕草で繊細に感情を表現して圧倒的な存在感を示した。これまでも素晴らしい『ラ・バヤデール』を上演してきた東京バレエ団だが、ヌニェスとクラークとの共演を通じて、細部にさらに磨きがかかったようで、充実した舞台が楽しめた。
(2024年7月27日 東京文化会館)
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