救いようのない悲劇の中の一瞬の救い、牧阿佐美バレヱ団『ロミオとジュリエット』
- ワールドレポート
- 東京
掲載
ワールドレポート/東京
関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi
牧阿佐美バレヱ団
『ロメオとジュリエット』アザーリ・M・プリセツキー、牧阿佐美:演出振付
牧阿佐美バレヱ団が『ロメオとジュリエット』を再演した。音楽はセルゲイ・プロコフィエフ、演出振付はアザーリ・M・プリセツキーと牧阿佐美である。
公演パンフレットの故薄井憲二氏の文章にもあるように、シェイクスピアの『ロメオとジュリエット』には多くの作曲家が作曲し、多くの振付家が振付作品を創っている。しかしセルゲイ・プロコフィエフが1936年に作曲した曲に、レオニード・ラヴロフスキーが振付け、1958年にはジョン・クランコが振付けて、この舞台がよく知られるようになった。その後もプロコフィエフの音楽にケネス・マクミランも振付けて世界的に大ヒットし、近年では『ロミオとジュリエット』といえばプロコフィエフと誰しもが思うようになっている。プロコフィエフの音楽は、格式と伝統にとらわれて敵愾心を持って対立する名門貴族たちと、溌剌とした清純な愛に生きようとする若者たちを、荘重な曲調と抒情的な高まりを感じさせるメロディによってコントラストを描いて作曲された名曲である。
光永百花、近藤悠歩 撮影/山廣康夫
今回の牧阿佐美バレヱ団の『ロメオとジュリエット』には、清瀧千晴と米澤真弓、近藤悠歩と光永百花というWキャストが組まれ、3人が初役だった。私は、初役のジュリエットに挑んだ光永百花とやはり初めてロミオに扮した近藤悠歩のキャストで観ることができた。
第1幕では、ヴェローナの広場でキャピュレット家とモンタギュー家の激しい対立が描かれた後、一転して、乳母(田切眞純美)と幼児のように戯れているジュリエットの部屋へとシーンが変わる。キャピュレット夫人(三宅里奈)が現れ、ジュリエットに今夜の舞踏会のドレスを渡す。そして舞踏会では婚約者のパリス(石田亮一)を引き合わせ、キャピュレット家の大切なお客様たちに二人をお披露目することになる、と伝えた。ここでは、戯れていてスカートの裾の乱れを気にするような素振りもあったが、キャピュレット夫妻の一粒種であり相続人であるジュリエットが、初めて一人の女性として、社会的存在である自分を意識する様子が描かれる。ジュリエットの女性としての存在感、些細な仕草や強い気持ちの表れなどは牧阿佐美の演出だろうか、女性らしい細やかな表現が随所に感じられた。
そして物語は、ジュリエットに降り掛かる過酷な運命と共に進行していく。
華やかなドレスを纏った芳しいばかりに美しいジュリエットは賓客たちの前でパリスと踊り、美男美女のカップルとして称賛された。しかしジュリエットは、マーキュシオ(大川航矢)ベンヴォーリオ(濱田雄冴)とともに青春の戯れから、対立する貴族の舞踏会に仮面をつけて潜入してきたロメオと出会い、たちまち鮮烈な恋に陥る。
仇敵一族の男たちの大胆な舞踏会への潜入を知ったティボルト(米倉大陽)は激怒し、ジュリエットと気持ちを接していたロメオを厳しく追い立てる。そのわずかな合間に、ジュリエットはロメオの仮面を取りロメオであることを知った。ティボルトの追求を逃れたロメオは、美しいジュリエットを面影が忘れられず、キャピュレット邸の庭へ。そして、舞踏会のときめきを2階のバルコニーで静めていたジュリエットと再び出会う、二人きりで。
ここで、よく知られている『ロメオとジュリエット』の最もバレエ的に際立つ、清洌な愛のパ・ド・ドゥが踊られる。
このバルコニーのパ・ド・ドゥの演出は、私の知る範囲で言うと、1940年に初演されたプロコフィエフの曲によるレオニード・ラヴロフスキー版(美術/ピョトール・ヴィリアムス)は、舞踊シーンはキャピュレット家の庭に設定されていて、舞台いっぱいに伸びやかなパ・ド・ドゥが展開する。闊達なロシア・バレエらしい情景である。一方、やはりプロコフィエフ曲に振付けたシュツットガルト・バレエ団のジョン・クランコ版(1958年ミラノ・スカラ座バレエ・美術/アレキサンドル・ブノワ、1962年シュツットガルト・バレエ・美術/ユルゲン・ローズ)では、キャピュレット家の2階のバルコニーで舞踏会の余韻に身を任せているジュリエットの視界の隅に、マントを翻してロメオが姿を現す。クランコ版では、下手に2階にバルコニーある邸宅をセットし、庭との高低差を使って、二人の心情を踊りの中にくっきりと視覚化している。その立体感のある振付により、目には見ないが "恋の空間" が舞台に現れて、恋人たちは至福の時を踊り、2元的曲調のプロコフィエフの音楽は美しく響き合い、一段と魅力を輝かせて観客の心を虜にしてしまう。このクランコの名演出は、ラブロフスキー版を一段と発展させたものとして、以後の『ロメオとジュリエット』演出の定番となっている。
牧阿佐美バレヱ団のヴァージョン(アレクサンドル・ワシリエフ/美術)は、2階のバルコニーが下手から上手まで舞台の左右いっぱいにあり、ジュリエットの動くスペースが大きく取られているので、高低差と共に2階のジュリエットは大きく動くことができ、感情の振幅がより変化に富んで伝えられる。その点では、ラヴロフスキー版の良いところも残そうとしている、と言えるのかも知れない。
光永・ジュリエットは、2階バルコニーから真紅のマントを纏って姿を現した近藤・ロメオを見つめ、やがて階段を駆け降りて抱き合う、そして躍動するパ・ド・ドゥ。初めての口づけを交わしたジュリエットは恥じらいと歓喜の中を階段を寝室に戻るために一気に駆け登る。まさに天にも昇る気持ちがこの上もなく鮮やかに表現されており、観客を魅了していた。
近藤悠歩、大川航矢、濱田雄冴 撮影/山廣康夫
2幕では、ジュリエットとロメオは、ロレンツォ神父(保坂アントン慶)により二人だけの結婚式を挙げ、愛を誓う。しかし、両家の対立の中、怒るティボルトと争ったマーキュシオが殺されて、我を忘れたロミオは親友の仇にティボルトを殺す、という取り返しのつかない悲劇が起きる。そしてジュリエットは、ヴェローナ追放となった最愛の夫、ロメオと別れなければならない。さらにロメオとロレンツォ神父のもとで結婚式を挙げたことを知らない父・キャピュレット公(京當侑一籠)は、一門の中心であったティボルトを失った想いもあって、パリスとの結婚を強硬に迫る。窮地の陥ったジュリエットはロレンツォ神父に助けを求める。するとロレンツォ神父は熟考の末、一時的に仮死状態になる薬を与え、パリスとの結婚を逃れる道を示す。ジュリエットは、あらん限りの勇気を振り絞って、仮死する薬を飲み干す・・・・。
そして3幕。悲劇の最終局面となる墓場のシーンとなる。
運命の戯れから、「ジュリエットは蘇る」というロレンツォ神父の秘密の知らせは届かず、返って、ジュリエットが自ら命を絶ったという情報が追放先のロメオに届いた。追放中でありながらロメオは、決死の覚悟でヴェローナへ駆け戻る、ひと瓶の毒薬を握りしめて。
墓場に着くと、仮死状態で眠るジュリエットを死の床についているものと信じたロメオは、その場で毒を煽って倒れる。すると俄にジュリエットが蘇る。傍にロメオは見つけて喜び抱きしめる。しかし、朦朧としたロメオは最後の力を振り絞って、二人で結婚を誓い合ったポーズをとり、ジュリエットに永遠の愛を誓ってくず折れる・・・。
多くのヴァージョンが、ロメオとジュリエットは死者と生者として物語を完結するのだが、牧阿佐美バレヱ団では、一瞬ではあるが二人は生者として抱き合う。救いようのない悲劇の中に、ほんの一瞬だけだが歓喜を観客の心に刻印するのである。
大川航矢 撮影/山廣康夫
周知のようにアザーリ・プリセツキーは、20世紀を代表するプリマ・バレリーナ、マイヤ・プリセツカヤの弟。プリセツカヤの父は旧ソ連の官僚だったが、ある夜、突然、侵入してきた係官にスパイ容疑で逮捕・拉致される。それは幼いプリセツカヤの目の前で起こった惨劇の始まりだった。父はスターリン時代の強制収容所に囚われる。彼の弟がアメリカで事業に成功していたことから疑われたのだ。女優として映画に主演したこともあった母は、あらゆる方面に働きかけ、全知を振り絞って懸命に助命活動をしたが、理不尽なことに逆に当局に逮捕されてしまう。その時、既に妊娠していたらしい。そして、その強制収容所で生まれたのが、アザーリ・プリセツキーだった、と伝えられている。当時はスターリンの大粛清時代であり、正確な情報が伝えられていたわけではない。プリセツキーは旧ソ連の暗黒時代の真っ只中で生まれた。のちにバレエ・ダンサーとしての道を歩み、キューバ国立バレエ団で踊り、アリシア・アロンソのパートナーを務める。その後、ボリショイ劇場の戻り、モーリス・ベジャールやローラン・プティのカンパニーにも在籍していたこともある。近年、「私のバレエ人生、メッセレル家の物語」という自伝を出版したと聞く。
ここで、敢えて蛇足を加えるならば、上記のようなプリセツキーの存在を襲った想像を超えるような悲劇が、牧阿佐美バレヱ団の『ロミオとジュリエット』のラストシーンの<一瞬の救い>を演出させたのではないか、この舞台を観るたび、私はそんなことを想うのである。
(2024年6月30日 文京シビックホール)
記事の文章および具体的内容を無断で使用することを禁じます。