ヤングケアラーのシンデレラを取り巻く狂気と錯乱、分断、そして崩壊する現実を鮮明に描いたK-BALLET Opto『シンデレラの家』

ワールドレポート/東京

香月 圭 text by Kei Kazuki

K-BALLET Opto『シンデレラの家』

ジュゼッペ・スポッタ:演出・振付・舞台美術、クリストフ・リットマン/和田 永(S・プロコフィエフ「シンデレラ」):音楽

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小林美奈、森優貴
©Hajime Watanabe

K-BALLET TOKYOが2022年に東急文化村と共同で立ち上げた新たなダンスプロジェクトK-BALLET Optoは、現代に潜む社会の諸問題に焦点を当てた作品を世に発信している。第3弾となる『シンデレラの家』では、近年、日本でも社会問題として顕在化してきたヤングケアラーを取り上げている。
『シンデレラの家』は最果タヒの詩「シンデレラにはなれない」を原案としている。この詩は、ヤングケアラーであるシンデレラの視点から心の内面を吐露した内容となっている。主人公のシンデレラ(小林美奈)には、認知症の父(森優貴)と精神を病んだ母(酒井はな)、そして母と新しい男性との間に生まれた義妹(岩井優花)がおり、彼女は三人の家族の世話に追われるヤングケアラーの一人だ。また、シンデレラの父方の伯母(白石あゆ美)も登場する。
本作の演出・振付・舞台美術を担当したジュゼッペ・スポッタは、イタリア北部レッジョ・エミリアのダンスカンパニー「アテルバレット」に参加し、当時芸術監督だったマウロ・ビゴンゼッティの元でイリ・キリアン、オハッド・ナハリンなどの作品を踊る。その後ドイツに渡り、ゴーティエ・ダンスを経て、2010年ヘッセン州立劇場バレエ団に入団し、芸術監督のシュテファン・トスに師事し、振付活動を始める。2019年より、MIRダンスカンパニー ゲルゼンギルヒェンの芸術監督を務める。シュテファン・トスはルドルフ・ラバンやピナ・バウシュの師クルト・ヨースといったドイツ表現主義ダンスの流れを汲む振付家で、昨年9月にK-BALLET Optoのアーティスティック・スーパーバイザー(芸術監修)に就任した森優貴も同じく、トスの薫陶を受けている。

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小林美奈、森優貴
©Hajime Watanabe

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森優貴、小林美奈(後ろ)
©Hajime Watanabe

舞台の奥には、金属パイプを組み立てた大きな木のオブジェがある。若くして家族の大黒柱となっているシンデレラの強靭な生命力を表しているのだろうか。また、天板が傾斜している机のようなコの字状の木製の構造物が舞台中央に2組あり、これが様々な形状に変化する。この装置がシンデレラの家を象徴しており、シンデレラとその家族がこの周辺で踊る。これらの舞台美術もスポッタのアイデアによるものだ。
昼夜問わず家事や家族の世話に追われるシンデレラは、白いブラウスに黒いビスチェというメイド風の衣装をまとって長靴を履いており、演じる小林美奈が醸し出す少女性が強調されてよく似合っていた。このヒロインが動きにくい長靴を履き、傾斜からすべり落ちても這い上がって懸命に踊る姿には、介護すべき家族によって彼女が束縛を受けている状況が浮かび上がる。仮に、シンデレラが倒れたら、この家族は崩壊してしまう。このような悲惨な状況から抜け出したくとも、彼女は簡単に逃げ出すことはできない。シンデレラの家族は傾斜をなでまわしたり、もたれかかったりと、健全な家庭からはほど遠い、システムが崩壊寸前の「家」でのた打ち回っている。酒井はな扮する母親の衣装は、黒っぽいブラウスとパンツで肩部分がパフスリーブになったデザイン。シンデレラに辛くあたる姿は、母親とは思えないエキセントリックな様子だった。彼女はシンデレラを助けようと訪れる優しい伯母を乱暴に拒絶する。また、森優貴扮する祖父は、認知症の人間にありがちな、ボタンを掛け違えたようなデザインの黒く長い上着を着ている。シンデレラをエスコートして踊る場面もあったが、目つきがどんよりしてシンデレラに支えられないと立っていられないときもある。普段から社会問題に目を向けジェンダーレスなコレクションを発表する進美影による衣装は、パフスリーブで隠されていたダンサーたちの肩やデコルテの部分の動きがどうなっているのか気になったものの、甘さと辛さのさじ加減が絶妙なデザインだった。
各々のダンサーが四角い木枠を手にした群舞のシーンは、本作の見どころのひとつだ。彼らはシンデレラの同級生という設定で、彼女と共に木枠をうまく扱いながら、その周りで体を様々に動かして踊る。上半身を木枠に乗せて、足を浮かせて教室の机に座っているように見せたり、木枠の中に座って核家族化した現代社会を象徴するかのような「分断」を現したり、木枠の上で倒立のポーズを決めたりするなど、様々な体位でのアクロバティックなダンスを披露。この木枠は、舞踏会のシーンではバロック時代の大きなスカートを象徴するものとなり、ダンサーたちは木枠の中に座り、上体を揺らして踊る。木枠の幾何学性が活かされたフォーメーションも規律的な美しさが際立つ。

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©Hajime Watanabe

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小林美奈
©Hajime Watanabe

この作品の音楽は、プロコフィエフの『シンデレラ』から「序曲」「ワルツ」「真夜中」(0時の鐘が鳴る曲)が採用されているが、その他にクリストフ・リットマンのテクノ・ミュージック、そしてテレビのブラウン管や扇風機など家電の電磁波を利用した音楽を手掛ける和田永の音楽が使われている。和田が主宰する電磁楽器オーケストラ「エレクトロニコス・ファンタスティコス! 」は、舞台で演奏を行った。シンデレラの家にも置かれているであろう、テレビのブラウン管や扇風機は、彼らの手にかかると、まるで魔法にかかったかのように暗闇で光りながら「ウィーン」という奇妙な音を出すのが何とも不思議で、舞台でも存在感を放っていた。電磁楽器の軋むような鈍い音が響くと、それに浮かされるかのようにシンデレラの母が頭を抱え、苦痛で顔をゆがませた。電磁波の魔力によって彼女の神経が侵されたかのように見えた。
舞踏会のシーンでは、シンデレラのクラスメイトたちはカラフルな緑や青のレオタードを身につけ、強いビートに乗って激しく体を揺らし、トランス状態に突入した。祖父に送り出され、舞踏会に参加したシンデレラも彼らと共に忘我の面持ちで踊るが、0時の鐘が鳴ると、彼女の前に弱った祖父が現れ、シンデレラは彼と踊り始める。たまには自分だけの時間を持ちたいと望んでも、つねにケアすべき家族のことが片時も頭を離れないヒロインの辛い心情が滲み出ているようだった。肉親と寄り添う安心感のほかに、苦悶に満ちた表情も時折見せながら祖父と踊っているシンデレラの姿には、ささやかな自分の幸せを願うことにすら、罪悪感を覚えているように見える。周りに悩みを打ち明けられる対象となるはずだった伯母も遠ざけられ、彼女が背負わされた過酷な運命に、観客は身をつまされた。

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舞台中央奥にエレクトロニコ・ファンタスティコ!の電磁楽器がみえる
©Hajime Watanabe

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後列左より、岩井優花、杉野慧、小林美奈、白石あゆ美。前列、森優貴
©Hajime Watanabe

祖父は危篤だった。彼が永遠の眠りにつくと、物語は一気にクライマックスへと上り詰める。祖父の臨終を確認した青年医師(杉野慧)に、シンデレラは母の様子も見てほしいと懇願する。母がシンデレラを虐待する様子を目の当たりにした医師は、母を落ち着かせようと試みる。お下げ髪を振りほどき、ジゼルのように錯乱状態に陥った母の狂気を全身で表現した酒井はなの怪演には圧倒された。自身の感情を抑制できない、興奮したシンデレラの母と、彼女と格闘しながらも冷静に対処する医師によるデュエットは、サーカスの猛獣とその調教師の関係に似ているようでもあり、迫力があった。最終的に医師は母を鎮めることに成功し、彼女は精神病院へ収容される。こうして、シンデレラを束縛していた祖父と母は消え去り、彼女は一人残され、自由の身となる。心から願っていた「自由」を手に、彼女はこれからどのように生きていくのだろうか。家族が急にいなくなった寂寥感を滲ませながらも、安堵感と未来への不安が入り混じったような複雑な表情を浮かべたシンデレラの表情が忘れられない。幕開けから閉幕まで、過酷な運命のヒロインを全身全霊で演じ切った小林美奈に心からの拍手を贈りたい。また、酒井はな演じる母の狂気の表現に驚嘆したことは前述したとおりだが、舞台で認知症の祖父としてこの舞台を生き抜いた森優貴の、一際大きく体を広げて踊る姿も印象的だった。K-BALLET TOKYOの若いダンサーたちは「今」という瞬間を切り取る、型にはまらないコンテンポラリーの身体表現を体験して、今後の古典作品の舞台にも活かしていくのだろう、という期待感を見る者に抱かせた。
(2004年4月28日 東京芸術劇場 プレイハウス)

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酒井はな、小林美奈
©Hajime Watanabe

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酒井はな、杉野慧
©Hajime Watanabe

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