光あふれる美しいインドを背景に小野絢子、福岡雄大、直塚美穂が踊った壮大な愛の悲劇『ラ・バヤデール』、新国立劇場バレエ団

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

新国立劇場バレエ団

『ラ・バヤデール』マリウス・プティパ:振付、牧阿佐美:演出・改訂振付

小野絢子、福岡雄大(3幕)-(2).jpg

小野絢子、福岡雄大(3幕)撮影/瀬戸秀美

新国立劇場バレエ団の牧阿佐美版『ラ・バヤデール』は、2000年11月に初演されて以来、度々、再演されてきた。私は初演(ニキヤ/アンナ・アントーニチェワ、ソロル/カルロス・アコスタ、ガムザッティ/田中祐子)以来、ほとんどの再演を観ているが、2008年(スヴェトラーナ・ザハロワ、デニス・マトヴィエンコ、西川貴子)2015年(小野絢子、ワディム・ムンタギロフ、米沢唯)2019年(小野絢子、福岡雄大、米沢唯)などのキャストによる舞台が印象に残っている。
今回公演では、ニキヤ(小野絢子、廣川みくり、米沢唯、柴山紗帆)ソロル(福岡雄大、井澤駿、渡邊峻郁、速水渉悟)ガムザッティ(直塚美穂、木村優里)という四組のキャストが組まれ、8公演が開催された。私は初日の小野・福岡・直塚というキャストで観ることができた。
印象に残ったのは、繊細な表現が際立つ小野絢子のニキヤだった。花の蜜を啄む小鳥のような手の活き活きとした動き、観客の心に優しく触れるようなしなやかなアームス、仔犬が戯れて走り回っているかのように愛らしいパ・ド・ブーレ、、、。小野絢子の身体が嫋やかな雰囲気を醸しながら、古代インドの寺院の舞姫ニキヤ、という愛の悲劇に陥った悲しい女性の存在感を観客の胸に鮮やかに映した。
戦士ソロルは福岡雄大が踊った。福岡は新国立劇場バレエ団の全幕物の主役はほとんどを踊っているが、いつも感心させられる。福岡はどの登場人物に扮しても終始一貫して踊り、常に揺るぎない安定感が感じられる。ソロルは、愛を誓ったニキヤを裏切って、王侯ラジャー(趙載範)の美貌の娘、ガムザッティと婚約させられる。その婚約披露宴で舞姫として踊ったニキヤは、ソロルからと渡された花籠の中に潜ませてあった毒蛇に噛まれる。ニキヤは愛を語り合ったソロルが王侯の娘と結婚するために私を殺そうとした、と思い込んで死んでいく。福岡雄大はこのいくつもの思惑が重なり合う難しい立場にあるソロルを、王侯ラジャーに対して、麗しいガムザッティに対して、死に瀕した愛するニキヤに対して、それぞれへの感情を自然に表し、かつ戦士としての矜持も見せて演じ、見事だった。
ガムザッティを踊ったのは、ワガノワ・バレエ・アカデミーに留学経験をもつ直塚美穂。身体を伸びやかに躍動的に使って大きな表現を作り、ソロルとのパ・ド・ドゥでは堂々と踊って、王侯の美貌の娘らしい自信を描いた。ちょっと過剰かな、と感じさせるくらいに感情をくっきりと表す明快な演舞だった。

小野絢子(1幕).jpg

小野絢子(1幕)撮影/瀬戸秀美

小野絢子、福岡雄大(3幕).jpg

小野絢子、福岡雄大(3幕)小野絢子、福岡雄大(3幕)撮影/瀬戸秀美

『ラ・バヤデール』は4幕7場アポテオーズ付の大作バレエとして1877年、マリウス・プティパの振付により、サンクトペテルブルクで初演された。当時、プティパは50代後半で、サンクトペテルブルクとモスクワに次々とバレエ作品を振付けている。1869年にはレオン・ミンクスの音楽により、セルバンテスの傑作長編小説を原作として4幕8場の『ドン・キホーテ』を振付け、モスクワのボリショイ劇場で上演するなど活発に創作活動を行なっていた。『ラ・バヤデール』もまたミンクスの音楽により、サンスクリット文学の傑作、カーリダーサの『シャクンターラ』を原作として、インドをバレエの舞台に描く、芸術的にも興行的にも野心的な試みだったと思われる。
プティパの『ラ・バヤデール』は、19世紀に一世を風靡した『ジゼル』(1841)や『ラ・シルフィード』(1832)などの多くのロマンティック・バレエと同様に、前半の第1幕、第2幕は世俗的な現実に起こるドラマであり、後半の第3幕以後は幻想と現実が交錯する霊的なドラマである。
そして、第1幕のニキヤとソロルの愛の喜びのパ・ド・ドゥ、第2幕のガムザッテイとソロルの婚約を祝うパ・ド・ドゥ、ニキヤが毒蛇に噛まれる花籠の踊り、第3幕の苦悩するソロルとニキヤの魂の踊り、などの舞踊シーンがドラマと見事に組み合わされて全体の骨格をなす、優れた構成のバレエである。また、第2幕の婚約披露宴で踊られる数々のディヴェルティスマンはヴァラエティに富み、習俗的にはやや荒唐無稽の感もあるが、エンタテインメントとして優れている。ただしかし、ウィーン出身のバレエ作曲家ミンクスの音楽は、舞踊を盛り立てる良さがあるものの、情景のスケッチ風であり、アダンの『ジゼル』やドリーブの『シルヴィア』のように、登場人物の心の深部に響く、と言う意味では少し遅れをとっているように思われる。まして後世の我々は、チャイコフスキーのバレエ音楽に親しんでいるだけにそう感じてしまうのかもしれない。

直塚美穂、福岡雄大(2幕).jpg

直塚美穂、福岡雄大(2幕)撮影/瀬戸秀美

直塚美穂(2幕).jpg

直塚美穂(2幕)撮影/瀬戸秀美

新国立劇場バレエ団の重要なレパートリーとなっている牧阿佐美版『ラ・バヤデール』は、もちろんそうしたプティパの創造した優れた骨格を継承して改訂している。このヴァージョンの特色は、牧阿佐美と綿密な協議を重ねてアリステア・リヴィングストン(美術・衣裳・照明)がインドの自然や建築様式の美を映す素晴らしいヴィジュアルを作ったことだろう。リヴィングストンの美術には、インドの古代建築や細密画を思い起こさせるような光りが溢れて明るくきめ細やかな美しさが際立っている。また、第2幕の多くのディヴェルテスマンを縮小してシンフォニックなパ・ダクションにして、瀟洒な印象を残している。そして、第3幕では「影の王国」のシーンに続いて、死して愛の魂となったニキヤと悔恨と幻影に翻弄されるたソロルが純白のヴェールに繋がって踊り、ラジャーとガムザッティによる花籠の企みも明かされる。だが、ハイ・ブラーミン(中家正博)によりガムザッティとの結婚式は進められていく・・・。やがて、神罰が下り、寺院大崩壊起こり、深傷を負ったソロルはニキヤの魂に導かれて昇天していく途次、息絶える。牧阿佐美版『ラ・バヤデール』は、インドの文明の背後に聳えるヒマラヤの巨大な山塊を背景として、愛は<聖なる一回性>でしかあり得ない、とでも言うように詩情を湛えたケレンのない悲劇として描かれている。

奥村康祐(2幕).jpg

奥村康祐(2幕)撮影/瀬戸秀美

第3幕.jpg

第3幕 撮影/瀬戸秀美

『ラ・バヤデール』は初演以来、プティパ自身を含めロプホフ、チャブキアーニほかによる多くの改訂版が上演されてきた。しかし今日では、パリ・オペラ座バレエで上演されている第3幕の「影の王国」で完結するヌレエフ版。ABTで初演され英国ロイヤル・バレエでも上演され、東京バレエ団がレパートリーとしている寺院大崩壊までが描かれるナタリア・マカロワ版が、主なヴァージョンとして繰り返し上演されている。
2002年には、セルゲイ・ヴィハレフがプティパ自身による1900年の改訂版を、舞踊譜に基づいて復元している。復元されたプティパのヴァージョンでは、第4幕で寺院大崩壊が起こり、現世の終末となる。そして最後には「神の顕現」が描かれる。人間たちの愛と権力と欲望の物語は第3幕で完結する。しかし、人間を超越した存在を表すためには、第4幕の寺院大崩壊という終末を表す巨大な仕掛けが必要だった。
牧阿佐美は、ニキヤの魂が天上へと昇って行く時、寺院大崩壊で傷ついたソロルが息絶えると言う愛の悲劇によって幕を降ろした。今回もスタンディングオベーションに迎えられた牧阿佐美版『ラ・バヤデール』のこのエンディングは、プティパ版の終幕と通底するところがあるのではないか、私にはそんな気がしている。
(2024年4月27日 新国立劇場 オペラパレス)

渡辺与布(2幕).jpg

渡辺与布(2幕)撮影/瀬戸秀美

五月女遥(3幕).jpg

五月女遥(3幕)撮影/瀬戸秀美

池田理沙子(3幕).jpg

池田理沙子(3幕)撮影/瀬戸秀美

飯野萌子(3幕).jpg

飯野萌子(3幕)撮影/瀬戸秀美

記事の文章および具体的内容を無断で使用することを禁じます。

ページの先頭へ戻る