プティのステップに命を灯して「ローラン・プティHOMAGE INFINITY PREMIUM BALLET GALA2023」リハーサルレポート
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坂口 香野 Text by Kaya Sakaguchi
2024年に生誕100周年となるローラン・プティにオマージュを捧げるガラ公演、「ローラン・プティHOMAGE INFINITY PREMIUM BALLET GALA2023」が、7月29日に富山オーバード・ホール、31日に新宿文化センターで開催される。5つのプティ作品とバレエの変遷を物語る様々な作品がプログラムされている。芸術監督は数多くのプティ作品を踊ってきた草刈民代。世界のバレエ団で活躍するトップダンサーたちが集結した。プティ作品については、草刈とプティ作品の指導者・ルイジ・ボニーノが時間をかけてコーチングを行うという。
7月12日、都内の新宿村スタジオで行われたリハーサルを取材した。
この日のメンバーは石原古都、佐々晴香、吉山シャール・ルイ、三森健太朗の4人と芸術監督の草刈。東京は35度を越える猛暑だったが、ダンサーたちの静かな集中力はそれを感じさせない。
まずは、ヌレエフ版『ドン・キホーテ』グラン・パ・ド・ドゥから。ヌレエフ版はテクニック的にも華やかなうえ、遊び心たっぷりで、バジルがキトリの首根っこにキスする振りがあったりする。キトリ役は、現在ノルウェー国立バレエ団プリンシパルの佐々晴香。バジル役の三森は、昨年12月にスウェーデン王立バレエのプリンシパルに昇進したばかりの長身のダンサーだ。身体の隅々まで神経が行き届いた二人の踊りは十分見応えがあるが、後輩に当たる三森は、佐々に対して少し遠慮がち。
「健太朗くん、晴香ちゃんから目を離さないで!」「もっと女の人を『踊らせる』意識で」と注意が飛ぶ。
佐々が「二人で駆け引きして、ゲームを楽しんでいる感覚のほうがいいですかね」と提案する。「そうね、そういうタイプの振付だと思う。どちらかというと健太朗くんがリードした方が、晴香ちゃんがよりチャーミングに見えるはず」と草刈。
後ろに倒れ込む佐々の背中を、三森が支える。肘の位置、ボディの立体的な使い方についても草刈の注意が飛ぶ。三森の目線が強くなり、佐々がサポートされながら微笑む。要所要所でビシッと見つめ合うと、ポーズまでさらにカッコよく決まるようだ。
佐々は意外にも、テクニックが重視される『ドン・キホーテ』があまり得意ではないという。でも、ヌレエフ版は別だと語ってくれた。
「私はテクニックを見せるより、スタイルやクオリティを極めるのが好きなんです。ヌレエフ版はメソッドが確立されているので、振付に沿って踊れば立体的なラインが出る。今回は生まれて初めて『ドン・キ』を楽しんでいます」。尚、佐々は昨年夏、草刈が芸術監督を務めた「キエフ・バレエ支援チャリティーBALLET GALA in TOKYO」にも参加している。
「ガラって、劇場のオフシーズンに皆で集まって踊る"お祭り"のイメージですけれど、民代さんのガラではシーズン中と同じくらい、ばっちりと濃いリハーサルをするんですよ。ふだんとは違う角度から見てもらえるし、他のダンサーさんのリハーサルを見ていても勉強になる。彼女は私たち以上にエネルギッシュですから、負けないように(笑)、みんなで頑張っています」
「男っぽいバジル」に苦戦していた三森は、プティのソロ作品『枯葉』も踊る。シャンソンの名曲『枯葉』はもともと、プティの『ランデヴー』のために作曲されたメロディが原型だという。弦楽器の切ない旋律に乗せて青年の苦しみが踊られ、これまでマッシモ・ムッルしか踊ったことがないという作品だ。
「動きを重く。足にウェイトをかけて」「何か思い詰めた感じがほしい。少し前傾してみて」「ここはもっとねじれるの。葉っぱが自分の中に入ってくるみたいに、苦しい形にして」「泥の中で踊っているように。疲れるけど、全部そのテンションでやってみて」
何となく踊っていては絶対に出てこない、プティ作品の男性キャラクターに特有の「艶」のようなものが、三森の身体から少しずつあふれ出してくる。
リハーサル後、三森は次のように語った。
「今までは王子のような役が多く、こういう男らしい役は新鮮です。マッシモ・ムッルさんは大スターで、僕のいるスウェーデン王立バレエでバレエマスターをしていた時期もありました。その彼しか踊ったことのない作品を僕がやるなんて不安で仕方なかったんですが、草刈さんはすごく情熱のある方で、一つひとつの動きをかみくだいて教えてくださる。毎日バーから始めて、3時間越えのリハーサルを6日間やって少し変わってきたかなと。本番までには何とか、マッシモみたいにカッコよく踊れるように仕上げたいと思います」
一方、佐々がソロで踊るのはセルジュ・リファールの『ミラージュ』より「影」。パリ・オペラ座とトゥールーズのキャピタル・バレエ以外ではほとんど上演されず、オペラ座の入団オーディションでよく課題になる作品だ。
「スウェーデン王立バレエ時代、芸術監督のニコラ・ル・リッシュに『このヴァリエーションを覚えといて』って言われたんです。『近々やる予定はないけど、晴香はたぶん好きだから』って。今回のガラで踊りたいとニコラに連絡したら問い合わせてくださり、上演権をもっているシャルル・ジュドから『モニク・ルディエールに教わるならいいよ』と直接お返事がありました」と佐々。佐々はルディエールの自宅のあるニースに赴き、3日間みっちりと指導を受けてきたそうだ。ル・リッシュ、ジュド、ルディエールは全員、元オペラ座のエトワールたちだ。
「素晴らしい経験でした。この役は迷い多き男性の中にいる『人格』という、難しい役柄なんです。だから人間味を感じさせないよう、『ジゼル』のミルタみたいに立ちなさいと。私は役柄を深くつきつめるのが好きなので、教えていただきながらすごくたくさん質問しました。ルディエールさんは『なぜニコラがあなたにこれを薦めたかがよくわかるわ。探究心の強い人に踊ってほしい作品だから』と言ってくださって、嬉しかったです。これまでに、ギエムやオーレリ・デュポンなど、素晴らしいダンサーが踊っているんですよ」
衣装はデュポンのものを借りてきた。オペラ座が衣装の貸し出しをOKしなかったら、今回の上演自体が実現しなかったという。
何かを指差す動き、遠い響きに耳を澄ます動き。神秘的で強い女性像には、『若者と死』など、プティ作品に登場するファム・ファタールとの共通点を感じる。
「パ・ド・ブーレの後、その余韻を引きずったまま『聞く』ポーズをしてみて」「そこはプリエを深くして、立つタイミングを遅らせたら? 回ろうとせずにバランスだけのつもりがいいと思う」
ルディエールの指導の意図を汲んだ上で、草刈がさらに微妙なニュアンスをアドバイス。動きの精度がさらに上がっていく。
ヒューストン・バレエでプリンシパルとして活躍していた吉山シャール・ルイは、チューリヒ・バレエにファースト・ソリストとして移籍したばかり。イングリッシュ・ナショナルバレエの大谷遥陽と共に、ジョゼ・マルティネスの『ドリーブ組曲』と、プティの『アルルの女』よりパ・ド・ドゥを踊る。体調不良で出演できなくなった太田倫功に代わり、急遽、出演が決まった。7月末のDance at the Gathering、8月上旬のバレエ・アステラスには石原古都と出演。短期間にこれらの難曲を仕上げることは大きなチャレンジでもある。
特に『アルルの女』の最後、あおり立てるような「ファランドール」のリズムと共に正気を失い、死に向かってゆくソロは、ダンサーの資質が試される難しい作品だ。休みなく足でステップを刻みながら、胸の開閉を繰り返す振りを何度も練習する。草刈は、三森へのアドバイスとは逆に「動きすぎない」ようにと伝えている。この作品で求められるのは「コンテンポラリーとは違う、バレエダンサーのボディの強さ」なのだ。
「クラシックの形からあまり崩さないほうがいい。気持ちに任せて動くんじゃなくて、形の中に気持ちが宿る感じ。シャール君はいくらでも動けちゃうけど、まずはどこまで動かすか基準値を決めておいて、まとまったら自由に踊るようにしたほうが、ローラン・プティのスタイルに近づけると思うの」と草刈。
吉山は荒い息を整えながら、動きの感触を確かめている。「難しいです。曲を生かそうすると動きが大きくなりすぎて、つい自分の気持ちいい形で踊ってしまう」と吉山。草刈は「でも、かなりコツがつかめてきたと思う」と激励した。
吉山はリハーサル後、次のように語った。
「僕がヒューストン・バレエに入った2008年に、同じ『アルル』の音楽を使った『Divergence』というパワフルな作品を踊ったんです。僕がチューリヒという新天地に行くタイミングで、この曲とまた出会えました。限られた時間の中でプティのスタイルをどこまで吸収できるかはチャレンジですけれど、頑張りたい。民代さんは、作品の完成度を上げるためなら一切の忖度なしで、素直に惜しみなく教えてくれます。そういう人は、日本のバレエ界にはなかなかいない気がする。彼女がリーダーとして引っ張ってくれるからこそ、お客様に期待以上のものをお見せできると思います」
カナダナショナルバレエのプリンシパル、石原古都は、同バレエ団のハリソン・ジェイムスと『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』、プティの『レダと白鳥』を踊る。
『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』の女性ヴァリエーションには、つい息をつめて見入ってしまう。息もつかせぬアップテンポの音楽に乗ってトウシューズが軽やかに弾み、ピタッ、ピタッと揃えられたつま先の上で、ボディが空気を泳ぐようになめらかに動く。
「私は2019年まではサンフランシスコ・バレエに所属していて、バランシンからじかに学んだディレクターのヘルギ・トマソンからコーチングを受けました。バランシン作品は、アメリカで踊ってきた私の強みだと思います。バランシンならではの、空間を満たすダイナミックなエネルギーを見せたい」と石原。
『レダと白鳥』では、最初の登場シーンを繰り返し練習した。スパルタの王妃レダが、白鳥に姿を変えた主神ゼウスに愛され、卵を生んだというギリシャ神話をもとにした作品だ。音楽はバッハで、聖なるものの憧れを感じさせるような美しい旋律が流れる。レダが腕でつくった輪の中に白鳥がダイブするなど、かなりセクシュアルな表現もありつつ、動きはあくまでもシンプルで優雅だ。
吉山が白鳥の代役として立ち、草刈が動いてみせながら指導する。歩くだけなのに、草刈の全身から、白鳥に吸い寄せられていくエネルギーがはっきりと伝わってくる。
リハーサル後、石原は次のように語った。
「今回は草刈さんに直接教えてもらうのを楽しみに、日本に帰ってきました。この作品、映像を見た瞬間に『この踊りすごく好き!』と思って。セクシャルな内容のパ・ド・ドゥはたくさんあるけれど、こんなに上品で純粋さが感じられる作品ってほかにない。音楽も素敵で、聴くだけで『わぁ!』と気持ちが高揚します。舞台という特別な場所で、この作品を踊れるのがすごく楽しみです。きっと忘れられない経験になると思います」
すべてのリハーサルが終了した後、草刈にガラ全体について話を聞いた。
――お疲れ様です。今回の出演者やプログラムは、どのように決めたのでしょうか。
草刈 昨年の「キエフ・バレエ支援チャリティーBALLET GALA in TOKYO」を通じて知り合ったダンサー、スケジュールが合わず出演できなかったダンサーなど、SNSを通じて私が直接声をかけました。日本ではよく知られていないけれど、海外で活躍している素晴らしいダンサーはたくさんいます。特に今回は「ローラン・プティ作品に合いそうな人」を重視して選びました。
たとえば、石原古都ちゃんにはレダが似合いそうだと思いました。パートナーのハリソンさんは背が高くて、白鳥にぴったりだなと。演目と配役のアイデアは、ルイジ(・ボニーノ)さんに相談して、すぐ決定しました。彼と私はほぼ意見が一致しているんです。
――皆、プティの作品は初めてとのことですが、リハーサルを通じてダンサーの動きがみるみる変わっていくのがわかりました。
草刈 若いダンサーにとって、プティ先生の作品を経験することはすごく意味のあることだと思います。ステップに込められた思いがくみ取れないと作品にならない。表現の根幹がわからないと踊れない作品なんだと思います。
たとえばまだ二十代の三森君にとって、『枯葉』は大変なチャレンジです。でも、彼はラインがきれいで、マッシモ・ムッルと系統が似ているので、やればできるだろうと思いました。今は少し遠慮がちなところがあるけれど、これを踊れたらきっと何かが変わる。シャール君は経験を積んでいるダンサーだけれど、「アルル」を踊ることで得るものは大きいと感じます。この経験を、来シーズンからのヨーロッパでのキャリアに役立ててほしいと考えています。
――リファールの『ミラージュ』も、非常に見応えのある作品でした。
草刈 あの作品、晴香ちゃんによく合っていますよね。今回晴香ちゃんはプティ作品を一緒に踊るパートナーが見つからなかったので、彼女自身が提案してくれたヴァリエーションを踊ることになりました。リファールはプティにも、イリ・キリアンにも影響を与えているそうで、結果的に、プログラム全体につながりができました。稽古を重ねると、さらに雰囲気が出てくると思います。
――本当に緻密なリハーサルをされていますね。
草刈 まあ、うるさいおばさんがいますから(笑)。ここまでやってこそ、ダンサーたちも本領発揮できるのではないかと。みんなの意欲も熱意もすごいですよね。
――昨年のキエフ・バレエ支援のチャリティー・ガラもそうですが、草刈さんはつねにダンスを通して、社会に発信していらっしゃると感じます。
草刈 本当は、社会とつながらなければダンサーの成長もない気がするんです。バレエが生まれたヨーロッパの文化の中には「劇場」が存在する理由が何なのか、きちんとした理念があります。ダンサーは劇場で働き、劇場を通じて社会に発信しているわけです。
キエフ・バレエへの支援ガラを思い立ったのは、ロシアともウクライナとも関係の深いバレエ界の私たちが、この問題を見て見ぬ振りをしてはいけないと感じたからです。バレエのアーティストだからこそ、ウクライナのバレエを支援できる。芸術だからこそできることがある。ヨーロッパのような劇場文化が存在しない日本で、多くの方に芸術の存在意義を理解していただくためには、アーティストの社会性を訴えていくことも大事なのではないかと思うのです。
――今回、丸山敬太さんが衣裳を手がけられるとか。
草刈 はい。『ゼンツァーノの花祭り』、中村恩恵さんの『エチュード』、プティの『枯葉』、『春』の4演目について、丸山さんに新しくデザインしていただいています。
――贅沢ですね!
草刈 私がプロデュースするんですから、そのくらいの贅沢はしないと(笑)。
――今回のガラに寄せた草刈さんのメッセージの中で「ダンサーの夢とは、踊ることで何かに出会い、何かを見出すこと、ただそれだけだ。現役のダンサーはそのことだけに人生をかけ、生きている」という言葉が印象的でした。
草刈 少しでも、命をかけているダンサーたちの身になることを考えたい。プティ先生に教わったバレエの根幹に関わる財産を、ダンサーたちに惜しみなくシェアしたいと考えています。そうすることで、みんなのモチベーションをさらに引き上げたい。今回はただの「お祭り」ではない、非常に見応えのあるガラをお見せできると思いますよ。
――本番を楽しみにしています。今日はありがとうございました。
「ローラン・プティHOMAGE INFINITY PREMIUM BALLET GALA2023」
https://classics-festival.com/rc/performance/infinity-premium-ballet-gala-2023/
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