物語の気配に満ちた「リビングルーム」で出会う「新しい現実」とは?

ワールドレポート/東京

坂口 香野 Text by Kaya Sakaguchi

『リビングルーム』インバル・ピント 振付・衣裳・舞台美術

イスラエルを拠点に1990年代から活動を始め、その不可思議でチャーミングな作品の数々で、世界を魅了し続けている振付家・演出家のインバル・ピント。『ねじまき鳥クロニクル』など日本人アーティストとのコラボレーションも多い彼女の、初めてのデュオ作品『リビングルーム』が、5月19日〜21日、世田谷パブリックシアターで上演された。

場面はタイトルのとおり、リビングルーム。ピント自身がデザインした壁紙がおしゃれな、居心地の良さそうな部屋だ。部屋の主は、長年ピントと創作を共にしているダンサーのモラン・ミュラン。お気に入りらしいワンピース(壁紙と同じ、18世紀風景画風のプリント生地)をぬいでハンガーにかけたりする動作は、いかにも自宅でくつろぐ人のそれなのだけれど、彼女の動きにはどこか未知の場所を探検するような緊張感がある。ミュランは背中をぴったりと壁につけ、内股、外股を繰り返しながら、身体で部屋を確かめるようにするすると移動してゆく。見ているうちに、このリビングルーム自体が、何か不思議な気配に満ちた空間であることがわかってくる。椅子がひとりでに動き出し、床に円を描く。壁に取り付けられたノスタルジックなデザインの照明が、ぐねぐねと踊り出す。ミュランの身体も、自分でコントロールがきかないかのように踊り始める。指先が勝手に遠くまで出かけていって、腕から背中まで持って行かれそうになる。足のゆびがばらばらに動いて、ねじれたり床を叩いたり。まるで身体が、異なる生き物の集合体になってしまったかのようだ。考えようによっては少し怖い。しかし、彼女の動きは風通しがよく、制御不能であることを楽しんでいるかのようなユーモアが感じられた。身体は頭の奴隷ではなくて、もっと自由気ままなものなのだ。

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撮影:片岡陽太

やがて、戸棚が勝手に開いて、ときどき肉厚な男性の手が、そして全身が現れる。この作品のもう一人の主人公、イタマール・セルッシだ。偶然、ミュランの部屋とセルッシの部屋の空間がつながってしまったらしい。当初は互いに関わりのない、異世界の人間同士という感じで、何だかすっとぼけた関係性にみえる。しかし、お互いの身体は互いに影響しあい、触れあい、ついにはしっかりと抱き合う。ミュランの身体には、隅々まで強靱かつ繊細な神経がはりめぐらされ、ビリビリと電気が通っているよう。一方、セルッシの身体は弾むような生命力に満ちていて、何が来ても受け止めてくれそうな存在感がある。

やがて、セルッシはリビングルームからいなくなる。ひとりぼっちになったミュランはふいっと小さくなって、壁紙の中の世界に入ってしまう。描かれた木の枝がそよぎ、小さなミュランはほたるが息づくように淡い光を放ちながら、木のそばに立ち、歩き、静かに踊る。リビングルームの中にあったはずの動く椅子も小さくなって壁紙の中に入っており、やはりくるくると回っている。映像と照明をたくみに使った表現だけれど、ハイテクというより懐かしさを感じる。私たちが現実と信じているこの世界とは何だろう? と考えたら、少し切ない気持ちになった。壁紙は、身体の内側と外側を隔てる皮膚のようなものかもしれない。

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撮影:片岡陽太

この作品は、コロナ禍の中で構想された。ピントは、お子さんと一緒にこの壁紙をデザインしつつ、「ダンスをFAXで送れたら」「壁紙が生き物になったとしたら」「人間とものの役割を交換してみたらどうなるか」など、様々なアイデアを練ったという。
また、プログラムには彼女の次のようなメッセージが記されている。
「様々な状況や人々のアイデンティティが流動的な今、どんなに思い描こうとしても現実は予測不可能で、未来はいつでも勝手に書き換わっていきます。『リビングルーム』は、2人の驚異的なダンサー、モラン・ミュランとイタマール・セルッシが、新しい現実を探し出していく物語です。」

予測不可能な現実への不安や恐れは、作品のトーンに少なからず影響しているような気がした。慣れ親しんだ自分の部屋にいてさえ、何が起こるか予測不可能だし、自分の身体だっていつどうなるかわからない。ロックダウンの時期に感じた、人と会いたい、触れ合いたいという激しい欲求も思い出された。

でも、終演後に感じたのは、静かな声で「大丈夫」とささやかれたような安心感だった。ミュランやセルッシの身体のように、想像力を自由に遊ばせることができれば、予測不可能な現実ともうまく関わっていけるかもしれない。

「リビングルーム」とは、私たちが生きている「今、ここ」であり、私たち自身の身体や心の空間ともとれる。ピントの「リビングルーム」は、目の前の現実とは異なる世界や他者のイマジネーションとするりとつながれる、とても居心地の良い場所だと感じた。
(2023年5月21日 世田谷パブリックシアター)

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