「The Artists -バレエの輝き-」でNYCBのタイラー・ペックと共演するピアニスト滑川真希が語る、フィリップ・グラスの音楽

ワールドレポート/東京

インタビュー=香月 圭

8月に開催されるガラ公演「The Artists -バレエの輝き-」で、ニューヨーク・シティ・バレエのプリンシパル、タイラー・ペックの振付による世界初演作に、国際舞台で活躍するピアニストの滑川真希がフィリップ・グラスとチック・コリアの作品を生演奏する。今回の公演やグラスの音楽などについて彼女に話を聞いた。

―― 「The Artists -バレエの輝き-」ではニューヨーク・シティ・バレエ(NYCB)のタイラー・ペック振付による新作の舞台でピアノ生演奏を披露されますね。

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カーネギーホール前にて
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滑川:演奏旅行で普段は世界中を飛び回っておりますが、演奏会の翌日にフリータイムができると、その日に行われるバレエやダンス公演をチェックして見に行くことが多いです。今年の二月に仕事でアメリカのニューヨークを訪れた際には、NYCBの公演でタイラー・ペックさんのパフォーマンスを拝見することができました。彼女の踊りは本当に素晴らしいと思います。彼女が私と共演したいと言ってくださったときに、三つの曲が頭のなかにパッと浮かんだのです。

―― 具体的にはどんな曲なのでしょうか。

滑川:フィリップ・グラスの「エチュード No.3」で始めて、真ん中にチック・コリアの「チルドレンズ・ソングズ No.4」を挟み、一番最後にフィリップ・グラスの「エチュード No.11」を入れるという構成です。

―― これらを選曲された理由をお聞かせください。

滑川:今回のようにミニマルでシンプルな音楽は、タイラー・ペックさんの持つスピード感と生き生きとした感情表現の豊かさにとても合うのでは、と思いました。彼女が刻む一つ一つのステップのなかには様々な色合いが感じられ、しっとりした風合いも感じさせ、観客は彼女の踊りの虜になります。彼女に私が実際に弾いた音源を送ってみたら、「この音楽で創作したい」と言ってくださったので、彼女との共演が本当に楽しみです。

―― タイラー・ペックさんとはどのように知り合ったのですか。

滑川:二年ほど前、インスタグラムのDMで「タイラー・ペックです。何か機会があればご一緒したいです」と突然本人からメッセージをいただきましたが、最初のうちは「これは絶対本人じゃないのでは」と慎重になりました。スマートフォンの画面をよく見ると、タイラーさんのインスタグラム・アカウントには青のチェックマークがついていて、フォロワー数も実に多い! これは本当にご本人のオフィシャル・アカウントなのかもと思っていたら、彼女から私のマネージャーの方にも連絡をいただきました。マネージャーからは「君がタイラー本人だと言ってたのは本当みたいだよ」と言われました(笑)

―― 今回演奏されるフィリップ・グラスとチック・コリアの楽曲について教えてください。

滑川:私はオーストリアのリンツ在住ですが、ヨーロッパで新型コロナウィルスが蔓延しロックダウンに入ってからは、演奏旅行はおろか外出も満足にできなくなりました。それからは毎週金曜日、数カ月間に渡って世界に向けて一時間のプログラムをライブ配信していました。このようなお仕事をいただけてありがたいという思いはありましたが、この先どうなってしまうのだろうと考えながら過ごす時間が増えました。
そんなある日、フリードリヒ・グルダというオーストリア出身のピアニストのYouTubeを見つけました。彼は世界最高峰のピアニストであるマルタ・アルゲリッチの師でもあり、彼自身とても素晴らしい演奏家で、ベートーヴェンでも何でも弾かれる方です。彼はジャズも弾かれるのですが、チック・コリア作曲の「チルドレンズ・ソングズ」をマドリッドのライブで弾いている動画を拝見し、「何て素敵なんだろう!」と思いました。いろいろ調べていくうち、その曲はチック・コリアが「無垢な子供が無心に遊んでいる様子で弾いてほしい」と思って書いた作品だということを学びました。取り寄せた楽譜を見ると、とても単純なものでした。こういう作品はどのように料理していくものなのかなと逆に興味を掻き立てられ、単純明快に書かれたその楽譜からいろいろ想像し、自分なりのインプロヴィゼーション(即興)を加えながら演奏して、ついに録音まで到達したときには、ロックダウン中で先が見えなかった時期に、大きな心の支えになりました。
また、今回演奏させていただくフィリップ・グラスの「エチュード」の20曲は同じくロックダウン中に毎日ピアノの前に腰掛けて、その中から自分のために1曲あるいは2曲を弾いて過ごしていたものです。あの曲を弾いていると"I'm enough"「私は大丈夫」という気持ちになります。今回弾かせていただく三曲は、先が見えなくて不安に掻き立てられていたあの時期に、こうした曲があったから自分を見失わずに生きていけたと言ってもいいくらいです。ロックダウンが終わって演奏活動が再開したときに、以前弾いていた「エチュード」の感じとは全く違う感触が新たに生まれてきて、本当にありがたいなと思って弾いています。

―― フィリップ・グラスさんの作品を演奏するようになった経緯を教えてください。

滑川:私の主人(デニス・ラッセル・デイヴィス)はアメリカの指揮者・ピアニストで、フィリップ(・グラス)のオペラやシンフォニーの指揮や、初演も手掛けていました。彼とはピザ作りなどキッチンでご一緒した時間が長かった気がします。あるコンサートで、私が彼の曲を弾いているのをご本人が聴いてくださったとき、彼は「君、ピアノも弾けるんだね!」とおっしゃいました(笑)。それ以後は「こんな曲もあるから」と、いろいろな楽曲のご紹介を受けていました。
その後、「2台ピアノのための4つの楽章」を私の主人と私のためにフィリップが書いてくださって、2008年のドイツのルール・ピアノフェスティバルで初演という形でのコラボレーションを初めてさせていただきました。20年間かけて完成させた20曲のエチュード集が完成したときにはご本人からお電話をいただいて、「この作品は初演を控えているが、ぜひ弾いてくれないか」と言ってくださいました。それ以来、ご一緒させていただく機会が多いです。「エチュード」のツアーではヨーロッパを回り、日本ではフィリップ・グラスさんの大ファンである久石譲さんも参加されて、フィリップご本人と3人で20曲のエチュードを演奏しました。彼は私のために初めての「ピアノ・ソナタ」も書いてくださったり、初演もいろいろさせていただきました。

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フィリップ・グラスと
© Klavier-Festival Ruhr

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フィリップ・グラスが滑川真希のために作曲した「ピアノ・ソナタ」をドイツのピアノフェスティバルで世界初演した際のオフショット
© Publishing LAFFERENTZ

―― フィリップ・グラスさんはどんな方ですか。

滑川:彼と一緒のツアーのときは、朝食や移動中の機内でニュースの話題や政治の話、そしてどこかで戦争が始まったらその話をすることがあります。そういった他愛のない話のなかから、彼の人間性というものを垣間見ることがあります。彼は全てのものを受け入れる人で、彼の口から人々を否定する言葉を私は聞いたことがありません。精神的に自己がかなりしっかりしている人で、人間として強い人だと思います。だから彼のミニマルな音楽の中にも、ものすごく強い構成があり、自分の主張がストレートに表現されていると感じます。ロックダウンのときに彼の音楽を弾いて大丈夫だと思ったあの感触は、彼がぶれない人間だからということと、おそらく関係していると思います。

―― 滑川さんご自身が感じるバレエの魅力とはどのようなものですか。

滑川:バレエ公演では、一回限りのパフォーマンスとその集中力とその緊迫感、ミスが起きないような完全なテクニックの上にある表現の幅の広さを感じます。国によってスタイルが何となく異なっているのも興味深いです。同じダンサーの方のクラシックとモダンな演目とを両方拝見したり、有名な振付家の新しい作品が上演されると、結構チェックしたりしてバレエ鑑賞を楽しんでいます。

―― バレエやダンスを多角的に観ていらっしゃいますね。

滑川:私たち演奏家はピアノに向かってただ座ってるように見えますが、結構深いところで呼吸しています。下半身をベースにして上半身を楽にするという、マリオネットみたいな感じです。ダンサーの方々が体のバランスの取り方や表現の自由さ、テクニックをどのように使って体をどのように開いているのか、というようなお話を拝聴するのも好きです。
ダンサーの方々は音楽をベースに踊られるので、その音楽を振付家がどのように理解されているのか、その振付家の音楽の解釈をダンサーの方がどのように理解してそれを自分のものにして表現していくのか、という点は興味深いです。同じ振付でもダンサーが変わると音楽的な解釈もまた変わっていきますが、そういった面も面白いと感じます。

―― バレエとのコラボレーションは今回が初めてでしょうか。

滑川:バレエとのコラボレーションは、これまで数々の機会をいただいております。ドイツのコンテンポラリー・ダンスの歴史を飾るケルン・ダンス・フォーラムを設立した振付家のリチャード・ウェアロック氏など数々の優秀なダンサーや振付家を育てた振付家のヨヘン・ウルリヒ氏がオーストリアのリンツ州立劇場の芸術監督だったのですが、彼に生演奏の依頼をいただき、エストニア出身の作曲家アルヴォ・ペルトやフィリップ・グラスの楽曲、ピアノソロ曲やピノ協奏曲をライブパフォーマンスで連続公演させていただきました。そこからバレエとのコラボレーションがいろいろ始まりました。フィリップ・グラスをはじめ数々の現代作曲家達の信用を集めるアメリカの振付家、ルシンダ・チャイルズ女史やニューヨーク・シティ・バレエ団の元ソリストで、2022年にはスピルバーグ監督の映画リメイク版「ウエスト・サイド・ストーリー」に振付家として選ばれた若手の振付家ジャスティン・ペック氏、アメリカのブルックリンを拠点に活躍する黒人女性ダンサーのダンスカンパニー、アーバン・ブッシュ・ウーマンの芸術監督を務める、若手女性振付家シャノン・ジャドソン女史、アメリカ出身で昨今はパリ・オペラ座での振付家デビューを果たし大好評を博した若手女性振付家・ダンサーのボビー・ジーン・スミス女史とプライベートでもパートナーである彼女とコンビを組む男性ダンサー・振付家のオル・シュライバー氏などです。

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© Benny Maffei

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左より山田ことみ、滑川真希、タイラー・ペック、五十嵐大地、ニューヨークでのリハーサルにて

―― 舞踊作品に関わったときのエピソードを教えてください。

滑川:バレエのプロジェクトで一番最初に教わったことが、テンポ感の付け方です。ダンスとのコラボレーションでは、自分のソロ・リサイタルのときのように「このホールの響きに合わせて今日はちょっとゆったり弾こう」とか「今日はちょっと早く弾いてみよう」というわけにはいきません。過去に一度だけメトロノームを音源と同じ速度にしてかけて演奏してみたら、ある男性ダンサーの方から「今日は遅すぎた」という感想をいただき、「全く同じテンポで弾いているのにどうしてだろう?」と感じることがありました。メトロノームの速度は一定なはずですが、きっとダンサーの方たちも日々感覚の違いを感じることがあるでしょうし、自分の体の中で気持ちよく聴きながら弾いているテンポというのをダンサーの方々も吸収して結果的に心地よく踊れるということかもしれないですね。ダンサーの方々と共演させていただくときには、自分の弾き込んでいる曲の中でも、特に自分の中でしっくりくるものを選んでいます。
「エチュード」は2014年に録音しましたが、それからもう8年経っているので、自分の中でもテンポ感や表現が変わったと感じます。そこで新しく録音し直した音源をタイラーにお渡ししました。(インタビュー当日は)ニューヨークとデトロイトでのコンサートを終えてニューヨークに滞在中なのですが、週末にダンサーの方たちとチック・コリアの音楽のパートのリハーサルに参加させていただく予定です。それで創作の様子を拝見することができるので、すごく楽しみです。

―― 「The Artists -バレエの輝き-」の公演をご覧になるお客様へメッセージをお願い致します。

滑川:世界中の第一線で活躍されているダンサーの方々と演奏家の方たちが素晴らしい形で共演するのを楽しみにしております。お客様がご覧になるステージは彼らの生活の中のごく一部であり、舞台の準備を含めて残りの部分は見えないわけですが、アーティストの皆さんは「何を考えて生きているのか」というところまで匂わせてくれるようなパフォーマンスを見せてくださると思います。テクニックの素晴らしさに目を見張るとともに、彼らの表現力がパレットの色のようにそれぞれカラフルなところもじっくりご覧ください。
私達の演奏を聞いていただくことで自分の人生を振り返るような時間が生まれたり、普段の日常生活では与えられないような瞬間がふっと浮かぶようなことがあれば嬉しいです。そのために芸術はあるのだと思います。お客様がこの公演からお帰りになるときに、明日も頑張ろうとポジティブな気持ちになっていただけたら幸いです。

―― 公演を楽しみにしております。本日はありがとうございました。

The Artists -バレエの輝き-

会期:2023年8月11〜13日
会場:文京シビックホール 大ホール
公式サイト:https://www.theartists.jp/
出演:マリアネラ・ヌニェス、ワディム・ムンタギロフ、マヤラ・マグリ、マシュー・ボール、金子扶生、ウィリアム・ブレイスウェル、五十嵐大地(英国ロイヤルバレエ)/タイラー・ペック、ローマン・メヒア(ニューヨーク・シティ・バレエ)
/キャサリン・ハーリン、アラン・ベル、山田ことみ(アメリカン・バレエ・シアター)
演奏:蛭崎あゆみ、滑川真希、松尾久美(ピアノ)/山田薫(ヴァイオリン)

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