秋山瑛のジゼルと秋元康臣のアルブレヒトの魂と魂が響き合うようなデュエット、東京バレエ団『ジゼル』

ワールドレポート/東京

佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki

東京バレエ団

『ジゼル』レオニード・ラヴロフスキー:振付(パ・ド・ユイットはウラジーミル・ワシーリエフによる改訂振付)

東京バレエ団がレオニード・ラヴロフスキー版『ジゼル』を2年ぶりに上演した。東京バレエ団は、この7月にオーストラリア・バレエ団の招きにより、メルボルンで『ジゼル』を上演することが決まっており、それに先駆けての公演だった。バレエ団にとっては初のオーストラリア公演であり、しかもオーストラリア・バレエ団の創立60周年記念シーズンの一環として、11回も『ジゼル』の公演を行うとあって、東京での上演も万全の体制で臨んだようだ。主役のジゼルとアルブレヒトはトリプルキャストで、初日は秋山瑛と秋元康臣、2日目は中島映理子と柄本弾、3日目は足立真里亜と宮川新大という組み合わせだった。その初日を観た。なお、東京バレエ団としては、コロナ禍で中止していた海外ツアーの4年ぶりの再開であり、7月のオーストラリア公演は第35次海外公演にあたるという。

『ジゼル』は純真な村娘ジゼルの物語。2幕構成で、第1幕では、ジゼルが貴族という身分を隠したアルブレヒトと恋に落ちるが、彼に婚約者がいると知って正気を失い息絶えてしまうまでが描かれる。第2幕で、ジゼルは、婚礼前に死んだ娘たちの霊で、通りかかった男たちを息絶えるまで踊らせるというウィリの仲間に迎えられるが、墓参りにきたアルブレヒトの真心に触れ、夜明けまで一緒に踊り続けて彼の命を救い、墓の中に消えていく。ロマンティック・バレエの精華とうたわれる『ジゼル』だが、東京バレエ団が1966年から上演しているラヴロフスキー版は、この幻想的な物語をオーソドックスな演出・構成で分かりやすく提示していると定評がある。今回の公演ではそれを再確認したし、また、2年前に取り組んだ時の成果が舞台全体に活きているように感じた。

23-0519_giselle_0033_photo_Koujiro-Yoshikawa.jpg

Photo:Koujiro Yoshikawa

第1幕は秋色に彩られた山間の村が舞台で、下手にジゼルの家、上手にアルブレヒトの小屋、正面遠方に中世風の城を望むというスタンダードな配置である。秋山瑛のジゼルも、秋元康臣のアルブレヒトも、観るのは初めてだった。最初にマントを翻して颯爽と登場したのは秋元で、早くジゼルに逢いたいという思いが溢れ出ていた。彼が小屋に入ると、入れ替わりに現れたのは森番のヒラリオン(岡崎隼也)で、アルブレヒトの小屋を不審気に見た。彼もジゼルを愛しているが、ジゼルの家の扉を叩こうとして思いとどまり、射止めた鳥と一輪の花を置いて去った。一連の動作に、不器用だが実直なヒラリオンの性格を岡崎は上手く体現していた。
質素な服に着替えたアルブレヒトは、従者ウィルフリード(大塚卓)が狩りを抜け出してのジゼルとの逢瀬をたしなめるのに耳を貸さず、彼に帰れと命じた。アルブレヒトがジゼルの家の扉を叩くと、ジゼルは輝くばかりの笑顔で現れ、アルブレヒトの小屋に恭しくお辞儀し、彼を探して走り回るが、いざ面と向き合うと恥じらってしまい、花占いでもいじらしさをのぞかせる。秋山は素直で純真なジゼルの性格をストレートに表していた。そんなジゼルをアルブレヒトはますます愛おしく感じ、互いの想いを高揚させるように仲良くステップを踏んだ。秋山の踊りは元気が良すぎるようにもみえたが、これは嬉しさの表れなのだろう。その様子を見て驚いたヒラリオンは二人の間に割って入り、ジゼルへの愛を告げた。断られても強引に迫るヒラリオンに、アルブレヒトは厳しく立ち去るよう命じた。このやりとりからは、ヒラリオンのジゼルに対する武骨な一途さとアルブレヒトに対する敵がい心がうかがえ、さらに、伯爵という身分につきまとうアルブレヒトのある種の尊大さも垣間見えた。

公爵の一行が到着してからの展開もテンポよく運ばれた。別世界にいる貴族を目の当たりにして、ジゼルはバチルド姫(榊優美枝)の豪華なドレスの裾に思わず触ってしまう。バチルドがジゼルを咎めもせずに気さくに話しかけ、自分の首飾りをジゼルに与えると、ジゼルは嬉しさで一杯になり、踊りでお礼の気持ちを伝えた。秋山の可愛らしいホッピングや鮮やかなターンが際立った。
バチルドたちがジゼルの家に入ると、村の若者たちの踊りが始まり、ジゼルも戻ってきたアルブレヒトと楽しく踊る。だがヒラリオンによりアルブレヒトの正体が暴かれ、バチルドの婚約者だと分かると、ジゼルは驚愕のあまり気を失ってしまう。意識を取り戻したジゼルを秋山は放心したように演じ、うつろな眼差しで花占いやアルブレヒトと楽しんだステップを繰り返し、何かに憑かれたように人々の間を駆け巡った。ジゼルはヒラリオンに身体を揺すられて正気を取り戻して母の胸に抱きつき、次にアルブレヒトに駆け寄って抱き留められた瞬間に絶命する。
秋山は狂気に裏打ちされたジゼルの哀しみを、感情の起伏や緩急の使い分けも巧みに浮き掘りにしてみせた。アルブレヒトの秋元は、公爵やバチルドの前では体裁を取り繕わざるをえず、心ならずもジゼルを無視してしまい、狂気にとらわれたジゼルを正視できずに顔をそむけた。ジゼルの死に狼狽したアルブレヒトはヒラリオンに剣を向けるが、逆にアルブレヒトにこそ非があるとなじられ、村人たちからも顔をそむけられる。秋元は、救いようのない思いと湧き上がってくる後悔の念に駆られるようにジゼルを抱きしめた。
第1幕には村人たちの踊りも入っているが、特にウラジーミル・ワシ―リエフの振付けによる4組の男女のための "パ・ド・ユイット" が見応えがあった。これは従来の "ペザント・パ・ド・ドゥ" に代わって2003年から導入されたもの。ダンサーたちは皆、粒ぞろいで、織り込まれた様々なテクニックを柔軟にこなしていた。

23-0519_giselle_0320_photo_Koujiro-Yoshikawa.jpg

Photo:Koujiro Yoshikawa

第2幕の舞台はジゼルの墓がある森の中の沼のほとり。ウィリたちが支配する夜の森である。
ジゼルの墓参りにきたヒラリオンが無気味な鬼火に怯えて立ち去ると、ウィリの女王ミルタ(伝田陽美)が登場し、小刻みなパ・ド・ブーレで威厳を保って森を行き来した。ミルタに呼び寄せられたウィリたちは、整然と列をなして軽やかに舞い、次々にフォメーションを変えながら調和のとれた群舞を繰り広げた。とりわけ左右からアラベスクで乱れることなく交差する様は幻想的で美しく、"バレエ・ブラン"の魅力を伝えていた。もちろん、バレエ団の実力もみてとれた。
ウィリの仲間入りをしたジゼルの秋山は、ゆるやかに高く脚を上げ、素早いターンを繰り返すなど、無心の境地に達したように思わせた。ジゼルは墓にやってきたアルブレヒトが心の底から悔恨の念にかられているのを見てとり、寄り添うように彼の脇を通り抜け、霊となった自分の存在に気付かせた。アルブレヒトとジゼルによる魂と魂が響き合うようなデュエットは、浄化された美しさを漂わせていた。
ウィリたちに見つかったヒラリオンは、命じられるまま息絶え絶えになっても踊り続けたあげく沼に突き落とされた。続いてアルブレヒトが捕らえられると、ジゼルはミルタに逆らって彼をかばい、彼を助け励ますように一緒に踊り続けた。秋山はウィリとしての無表情な演技の内にアルブレヒトへの想いをしのばせて踊り続け、それに応えるように、秋元は苦しさに耐えながら高速の回転や鮮やかなアントルシャを繰り返した。
夜明けの鐘とともにウィリたちは消え、ジゼルも一輪の花をアルブレヒトに渡して墓の中に消えた。後には悲嘆にくれるアルブレヒトだけが残された。今回の公演だが、ジゼルとアルブレヒトの多彩な踊りをはじめ、村人たちやウィリによる群舞も含めて、総じて全体に完成度は高かった。それだけに、オーストラリアでの評価が期待される。
(2023年5月19日 東京文化会館)

23-0519_giselle_0309_photo_Koujiro-Yoshikawa.jpg

Photo:Koujiro Yoshikawa

23-0519_giselle_0323_photo_Koujiro-Yoshikawa.jpg

Photo:Koujiro Yoshikawa

記事の文章および具体的内容を無断で使用することを禁じます。

ページの先頭へ戻る