シェクスピアの悲劇と喜劇を繊細で濃密なバレエ表現によって表した、新国立劇場バレエ団

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

新国立劇場バレエ団「シェイクスピア・ダブルビル」

『マクベス』ウィル・タケット:振付、『夏の夜の夢』フレデリック・アシュトン:振付

新国立劇場バレエ団が「シェイクスピア・ダブルビル」として、ウィル・タケット振付の新作『マクベス』とフレデリック・アシュトン振付『夏の夜の夢』を全7公演開催した。
『マクベス』は新国立劇場バレエ団が、英国ロイヤル・バレエ団で踊り、振付家としてのみならず演出などでも活躍しているウィル・タケットに委嘱したもので世界初演。タケットの作品は日本でも度々上演されているが、2012年にKAATのオープン1周年記念公演として首藤康之が主演した『鶴』、2009年と2015年に日本公演を行った、アダム・クーパー主演のストラヴィンスキー『兵士の物語』などが知られる。

『マクベス』

No_1224.jpg

「マクベス」奥村康祐 撮影/鹿摩隆司

私は、4月29日の初日と5月3日の2公演を観た。まず、世界初演の『マクベス』が上演された。音楽はスコットランド出身のジュラルディン・ミュシャ。ケルト・ロマン派のアーノルド・バックス他に師事し、サドラーズ・ウエルズ・バレエ団にバレエ曲を提供していた。世界的に著名な画家ミュシャの子息と結婚しプラハに移住し音楽活動を続けたが2012年に亡くなったそうだ。ミュシャは『マクベス』をシナリオにしてバレエ音楽を作曲していたが上演されることはなかった。その後、ミュシャはこのバレエ音楽を元にオーケストレーションした組曲を作曲していた。今回、指揮をしたマーティン・イエーツが、それらの曲に基づきタケットのシナリオに合わせて編曲している。ストラヴィンスキーやバルトーク、ヤナーチェクなどの影響を受けているというミュシャの音楽は、独特の細やかな音を感じさせたが、劇中では打楽器を響かせる劇伴的なところも感じられた。

タケットのシナリオは、概ね原作の戯曲に沿っているがやや簡略化して、ラストシーンを際立たせているかのように思えた。
ダンカン王(趙載範)の武将として大きな手柄を立てたマクベス(福岡雄大・奥村康祐)と友人の武将バンクォー(井澤駿)が帰還する途中、3人の魔女の予言を聞く。魔女たちは、マクベスが王位に就くがやがてバンクォーの息子のフリーアンス(小野寺雄)が王となる、という幻影を見せた。ダンカン王はマクベスたちの手柄を大いに讃えたが、息子のマルカム(原健太・上中佑樹)を跡継ぎとしたことを伝え、やがて王の一家がマクベスの城を訪れることを告げる。
マクベスの居城を舞台としてこの悲劇は始まった。
舞台では、王が殺害されるベッドや王権を現す梯子の足場を外したような背もたれの高い椅子、いくつかの長テーブルなどを動かし組み合わせを変えてシーンを作っていた。背景の幕は左右に開く幕と上に上がる幕を組み合わせ、自在に伸縮する明るい光の四角のスペースを作って外界への通路とした。そこから人物が登場・退場して、シーンを転換していくのだが、その明るい光のスペースが小さくなると映画のロングショットのようになり、大きくなるとクローズアップしたかのような感覚も生まれる、という実に巧妙なもの。外界の明るい光を時折のぞかせ、城内の空間の暗鬱な感じを強く印象付けている。また、ダンカン王殺害のシーンでは舞台全体を赤い照明で包んだ。王冠やおもちゃなども象徴的に使われていたし、衣裳は、こうした装置の抽象性に見合うように、中世の衣裳をデフォルメしていた。主役のマクベスとマクベス夫人(米沢唯・小野絢子)には赤を際立たせ、スモークの中で予言する魔女たちは純白のチュチュを着け、その他の人物は黒っぽい地味でリアルな衣裳だった。美術・衣裳は、ウエストエンドやオペラなどの美術でも活躍しているコリン・リッチモンド。

No_1333.jpg

「マクベス」奥村康祐、小野絢子 撮影/鹿摩隆司

Z9B_4054.jpg

「マクベス」福岡雄大、米沢唯 撮影/鹿摩隆司

舞踊シーンではコール・ドは使われず、主役とソリストたちのマイムとヴァリエーション、パ・ド・ドゥがドラマを表した。その意味では、演劇的な展開と言えるのかもしれない。
魔女の予言に心を動かされて、マクベスとマクベス夫人は共謀して王権の簒奪を狙い、ベッドで寝ているダンカン王を殺害する。マクベスが王の胸に剣を突き立てるが、ベッドに剣を置き忘れる。その剣をマクベス夫人が取り戻し、酔い痴れた二人の護衛の罪にするため手に持たせる。ここで二人とも血まみれになり、その血は拭っても拭ってもなかなか消えない。ダンカン王の後継のマルカムの危険を察知したマクダフ(中家正博・中島駿野)は、素早く彼を逃す。マクベスは王殺しの発覚を恐れ、バンクォーと息子のフリーアンスに刺客を放つ。バンクォーを殺したが、フリーアンスは逃げた。やがてマクベスはバンクォーの亡霊に付き纏われる。また、マクベスは、魔女たち、マクダフとマルカムの夢を見て逆襲を恐れ、彼らにも刺客を送る。そして刺客はマクダフ夫人(飯野萌子・渡辺与布)と子どもたちを殺害する。
罪を犯して憑いた血を拭うことのできないマクベス夫人は夢遊病となり、マクベスの手を尽くした慰めにもかかわらず、ついに自死してしまう。ただ一人の支えだった夫人の死を知ったマクベスの絶望のヴァリエーションには、凄みがあり、それに続く夫人の死体とのパ・ド・ドゥがこの悲劇バレエのハイライト。
福岡雄大のマクベスは、世界が終わりを表すかのように身体を大きく嘆かせて、正気の失せた夫人の米沢唯を抱いて踊った。奥村康祐のマクベスは、ただ一人の頼れる共犯者を失った絶望に慟哭する内面を表して、動こうとしない小野絢子の夫人を抱いて踊った。今回公演では、特に、マクベス夫人を演じた小野絢子の演技と踊りには感心させられた。小野はマクベス夫人の全体の変容する姿と内面をしっかりと把握して、迷いのない細かい表現を作り説得力のある存在感を見せた。緊張の糸が切れたかのような夢遊病のシーンもリアルだった。たおやかな印象を持つ小野絢子の演技が、かえって血を拭えない恐ろしさを鮮やかに感じさせ、『マクベス』を戦国時代に移し変えた黒澤明の映画『蜘蛛の巣城』で、当時、評判となった山田五十鈴の演技を思い出した。
マクベスと夫人の間には子どもがなく、息子マルカムを後継者とするダンカン王や王位に就くと魔女が予言した息子フリーアンスの父、バンクォー。愛らしい二人の子と夫人を家族とするマクダフたちのように、一族の繁栄を夢見ることはできない。そうした未来への朧げな不安からマクベス夫妻は王位の簒奪に走ったのかもしれない。

ラストシーンでは、マクダフとマルカムの逆襲によって、マクベスの生首が吊るされ、マルカムが正統な王位に就くことになる。しかしそこに、誇らし気に王と王妃の正装をしたマクベスとマクベス夫人の喜びに溢れた幻影が浮かび上がった。
タケットのシナリオには時間の制約があったためか、フリーアンスが王になる、という魔女の予言が先送りにされるなど、少し不明なことがあった。また、マクダフ夫人と2人の子どもの殺害や、生首を吊るすなどちょっとあざとく感じられるシーンもあったが、ラストシーンは、見事にこの悲劇バレエをまとめたエンディングであった。

Z9B_4759.jpg

「マクベス」 撮影/鹿摩隆司

Z9B_6048.jpg

「マクベス」福岡雄大 撮影/鹿摩隆司

『夏の夜の夢』

Z9B_8619.jpg

「夏の夜の夢」柴山紗帆、渡邊峻郁 撮影/鹿摩隆司

新国立劇場バレエ団はフレデリック・アシュトン振付『夏の夜の夢』を上演するにあたり、英国ロイヤル・バレエのゲスト・プリンシパル・バレエマスターのクリストフファー・カーとコレオロジストのグランド・コイルを招き、アシュトンの原典にできるだけ立ち返って上演することに努めた、という。アシュトンの振付は難しいところがあり、ダンサーが上演する際に変えてしまったところなどもあるそうだ。それだけ微妙で難しい繊細な振付だからこそ、音楽が身体によって奏でられるかのような素晴らしい舞台が創り出せるのだろう。
アシュトンはシェイクスピアの『真夏の夜の夢』に基づいたバレエを振付けるために台本も手がけ、アテネの大公の部分をカットして、オーベロンとティターニアが支配する森のシーンによる1幕物『The Dream』とした。
そして妖精の王と王妃、妖精たち、森にやってきた人間たちによる、一場を描いたコメディ・バレエが、フェリックス・メンデルスゾーンの美しい旋律と一体となった舞台として創られた。それは妖精には人間たちの姿が見えるが、人間には妖精の姿が見えない、というまるで<夢のような>バレエである。
この森では、オーベロン(渡邊峻郁・速水涉悟)とティターニア(柴山紗帆・池田理沙子)が取り替え子(雪吉晴敬・新田琥大)をめぐって諍いを起こしたり、妖精パック(山田悠貴・石山蓮)が媚薬を間違えて垂らしたり、ヘレナ(寺田亜沙子・益田裕子)とデミトーリアス(渡邊拓朗・小柴富久修)、ハーミア(渡辺与布・中島春菜)とライサンダー(中島駿野・小川尚宏)という恋する人たちがこんがらがって追いかけっこを繰り広げたり、美しいティターニアがあろうことかロバ頭に変えられたボトム(木下嘉人・福田圭吾)に思いを寄せる、といった思いがけない出来事が次々と展開する。これは一体どうなることか?と思わせるのだが、妖精の王らしいオーベロンの差配によって、めでたしめでたしとなる。

No_1687.jpg

「夏の夜の夢」池田理沙子、速水涉悟 撮影/鹿摩隆司

Z9B_8227.jpg

「夏の夜の夢」山田悠貴 撮影/鹿摩隆司

No_1617.jpg

「夏の夜の夢」石山蓮  撮影/鹿摩隆司

後半のスケルツオでは、オーベロンと妖精パックのジャンプとステップによる野生を感じさせる活気あるシーンとなり、妖精たちの存在とはこうなのか、と思わず納得させられてしまう。そしてオーベロンとティターニアが仲直りすると、「結婚行進曲」のメロディが流れる。続いて踊られる極め付けのパ・ド・ドゥは、アシュトン風のアクセントが付けられて、ため息が出るほど瀟酒で美しい。
柴山紗帆のティターニアはメイクも上手くなかなかチャーミングだったし、渡邊峻郁のオーベロンとも息が合っていた。細やかな動きを音楽とともに表して繊細な雰囲気を醸した。池田理沙子と速水涉悟も豊かな楽しさを表していて良かった。また、アシュトンが創った傑作コメディ・キャラクターと言われるボトム役は、木下嘉人と福田圭吾が踊ったが、甲乙つけ難く、しっかりと楽しく魅せていただいた。
結局このコメディ・バレエは、「恋とはまさに魔法であっていつかは醒めるが愛は永遠である」という粋な教訓を、洒脱なエピソードと美しく明朗な音楽とユーモラスで爽やかなダンスによって教えてくれた。
そして品の良い幻想と洗練されたキャラクターが織りなす、繊細だがしなやかで野生的な力強さを感じさせる動き、劇中歌も歌われた音楽とヴィジュアル表現の一体感、そうした豊穣なバレエ表現を心ゆくまで堪能させてくれた公演だった。
(2023年4月29日、5月3日 新国立劇場 オペラパレス)

No_0324.jpg

「夏の夜の夢」撮影/鹿摩隆司

Z9B_7215.jpg

「夏の夜の夢」木下嘉人 撮影/鹿摩隆司

記事の文章および具体的内容を無断で使用することを禁じます。

ページの先頭へ戻る