ノイマイヤーのハンブルク・バレエ団芸術監督として最後の日本公演『シルヴィア』〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉

ワールドレポート/東京

佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki

ハンブルク・バレエ団

〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉Edition 2023
『シルヴィア』ジョン・ノイマイヤー:振付・ステージング

バレエ界の巨匠、ジョン・ノイマイヤーの率いるハンブルク・バレエ団が5年振り9度目の来日公演を行った。ノイマイヤーにとって2022/23のシーズンはバレエ団の芸術監督在任50周年という記念すべき年に当たるが、2024年にはこのポストを退くことが決まっているため、芸術監督としての来演は今回が最後になる。半世紀にもわたってバレエ団の芸術監督を務めてきたノイマイヤーだが、その間に卓越した数々の名作を世に送り出し、ハンブルク・バレエ団をドイツの名門にとどまらず、世界の名門に育て上げた功績は大きい。まさに比類ない芸術家である。
今回は二種のプログラムで公演に臨んだ。多彩な代表作を抜粋して構成したガラ公演〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉と、日本では初めてとなるギリシャ神話に創意を得た『シルヴィア』の全幕上演だった。

〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉Edition 2023/ジョン・ノイマイヤー:振付・演出・語り

〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉と題した公演は日本では3回目になるが、2018年の前回とは少し演目を入れ替え、「Edition 2023」として上演した。新たに加えられたのは、全幕上演を控えた『シルヴィア』や、2017年に初演された『アンナ・カレーニナ』、そしてコロナ禍の2020年に創られた『ゴースト・ライト』だった。また、前回と同じ演目でも、キャストを変えるなどの工夫をしていた。〈ノイマイヤーの世界〉と銘打っているだけに、イマイヤーの豊穣な創作の世界が俯瞰できるようになっていたが、バレエ団の主要なダンサーが顔見世のように登場することもあり、見逃せない公演だった。

全体は2部構成。ノイマイヤーが自らマイクを手に登場し、「私の世界はダンス」と語り始め、自身のダンスとの出会いや創造性について、作品に込めた思いなどを回想の形で語りかけた。舞台では、その語りに即したダンスが繰り広げられていった。おかげでノイマイヤーの意外な一面を知ることもできたし、創作の意図に触れたことで、作品に対する理解を深め、より親しみを感じることもできた。彼の分身として起用されたクリストファー・エヴァンスは随所に現れ、見事なステップを披露したり、作品の中の役を演じたり、また場面の転換を繋ぐ役割も担っていた。
幕開けはバーンスタインの『キャンディード序曲』で、子供のころにこの曲を聴くと、ひたすら踊ったという語りに導かれて、3組の男女による生気あふれるダンスが舞台一杯に展開された。続く『アイ・ガット・リズム』では、シルクハットに燕尾服のイダ・プレトリウスとアレッサンドロ・フローラのペアをメインに、男女がリズミカルに小気味よいステップをこなした。ミルウォーキー生まれのノイマイヤーは、子どもの頃からバーンスタインやミュージカルに親しんでいたのだ。

『くるみ割り人形』では、初めてバレエのステップを踏んだ時の興奮がこめられているようだ。マリー役のアリーナ・コジョカルがみせた少女のような初々しさは驚くべきもので、マティアス・オベルリンと端正なパ・ド・ドゥ(PDD)を踊った。後方では、ノイマイヤーが敬うアンナ・パヴロワと師のエンリコ・チェケッティを模したレッスン風景が挿入された。『くるみ割り人形』はノイマイヤーにとってクラシック・バレエの原点なのだろう。『ヴェニスに死す』では、シルヴィア・アッツォーニとカレン・アザチャン、エヴァンスが緊迫感をはらむシーンを展開した。

ギリシャ神話に着想した『シルヴィア』からは、羊飼いのアミンタが森に現れるシーンで始まり、ニンフの女狩人たちの勇ましい群舞やシルヴィアのソロが続き、アミンタとシルヴィアの出会いが紹介された。アミンタ役のアレクサンドル・トルーシュのおずおずとした表現や、シルヴィア役の菅井円加の逞しい脚さばきなど、異性に対して不器用な二人のコミカルなPDDは、全幕上演を期待させる見応えあるパフォーマンスだった。
次はロシア文学からトルストイの『アンナ・カレーニナ』。夫と息子のいるヒロイン役のアンナ・ラウデールと、婚約者のいるヴロンスキー役のエドウィン・レヴァツォフは交わす目線に火花を散らせ、反発し引き合いもする磁石のように踊りながら燃焼度を高めていった。ラウデールのしなやかな身体、美しい脚が表情豊かだった。緊張感をはらんだPDDだが、途中でヴロンスキーの婚約者キティを登場させ、彼女を救うことになる農場主リョーヴィンの姿を見せもしたことで、波乱の展開を予感させた。フランスの作家、アレクサンドル・デュマ・フィスによる『椿姫』からは、マルグリットとアルマンが互いの愛を確かめ、燃え上がらせるPDDが踊られた。コジョカルのたおやかな身のこなしは美しく切なく映ったが、トルーシェの甘えるような無邪気な仕草は青年の一途さを感じさせた。
こうして男女の様々な愛の形が提示されたが、ノイマイヤーは「私にとりダンスは、無限の愛の形を理想劇に表現する手段でもあった」と語り、「アルマンとマルグリットのような愛」と例をあげた。物語バレエが続いた後は、音楽をバレエ化した作品からバッハの『クリスマス・オラトリオI--VI』。キリストの降誕を祝福する音楽だが、ノイマイヤーは「ダンスは神と人との関係、さらには、我々が抱く疑念、不安、そして信仰の歓びとエクスタシーさえも映し出す」と語る。示唆するものは奥深い。ここでは、華やかな群舞で盛り上げて第1部の幕が閉じられた。

23-0302_HamburgBallet_JN_0922(photo_Shoko-Matsuhashi).jpg

〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉 © Shoko Matsuhashi

第2部は『ニジンスキー』で始まった。20世紀初頭にダンサー・振付家として偉才を発揮しながら、精神を病んで舞台から消えたヴァスラフ・ニジンスキーの波乱万丈の生涯に迫った作品である。ロマノフ王朝下で起きた「血の日曜日」をテーマにしたショスタコーヴィチの交響曲第11番の煽るよう音楽に合わせて、軍服を羽織ったダンサーたちが飛び跳ねる暴力的な群舞は、すべてを飲み込んでしまうような凄さで圧倒し、ニジンスキーを脅かした時代を色濃く反映していた。狂気に苛まれるニジンスキーの魂をアレイズ・マルティネスは繊細かつ振幅の大きな演技で伝え、邪険にされても夫に寄り添い、優しく包み込む妻ロモラを務めたヤイサ・コルの演技と拮抗していた。ロモラが狂気にむしばまれたニジンンスキーをソリに乗せて引いていくシーンは、荒れ狂う時代を渡っていくように思えて痛々しく映った。ほかに、兄スタニスラフが狂気にとらわれていく様をリアルに伝えたルイ・ミュザン、『春の祭典』の生贄の乙女を一心不乱に踊った妹ブロニスラヴァのパトリシア・フリッツァも印象に残った。また、『春の祭典』の初演時にオーケストラに向かってニジンスキーが「1、2、3、4」と叫んで拍子を取ったエピソードを織り込み、ノイマイヤーの分身のエヴァンスに、ニジンスキーが得意としたペトル―シュカを踊らせるなど、演出もきめ細やかだった。

23-0302_HamburgBallet_JN_1003(photo_Shoko-Matsuhashi).jpg

〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉 © Shoko Matsuhashi

『ゴースト・ライト』は、コロナ禍で劇場がロックダウン中の2020年にシューベルトのピアノ曲を用いて創られた作品。タイトルは誰もいなくなったステージに置かれる、電球が一つだけ灯されたスタンドのことだという。そのゴースト・ライトが置かれた薄暗い舞台に、ダンサーがペアになって現れる。アレクサンドル・リアブコがアッツォーニを人形のように操って踊ってみせたり、男が男を追い求めるようなデュオが演じられたりしたが、菅井とニコラス・グラスマンによるゆったりと情感を紡いでいくようなデュオが際立った。
『作品100--モーリスのために』は、親交のあったモーリス・ベジャールの70歳の誕生日を祝して創られた2人の男性のための小品で、全編が上演された。サイモン&ガーファンクルの「オールド・フレンズ」と「明日に架ける橋」が響く中、引き締まった細身のリアブコと彼より一回り大きいレヴァツォフは、視線を交わしながら楽しそうに同じ動作を受け渡し、相手を刺激し合いながら絆を強め、濃密なデュオへと高めていった。リアブコの身体から放たれるオーラがまぶしかった。

23-0302_HamburgBallet_JN_1224(photo_Shoko-Matsuhashi).jpg

〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉© Shoko Matsuhashi

最後を締めたのは、シンフォニック・バレエの傑作、『マーラー交響曲第3番』から最終第6楽章の「愛が私に語りかけるもの」。緩やかに始まり、昇華するように高揚していく音楽にのせて、赤い総タイツの女性たちと白いパンツの男性たちが躍動感あふれる踊りを繰り広げていったが、アザチャンとペアを組んでしなやかな演技をみせた菅井の存在が光った。ノイマイヤーも登場し、分身を務めたエヴァンスと抱き合った。音楽の持つパワーとダンスの持つパワーの相乗効果で、感動を呼ぶ舞台になった。終演後は当然のようにスタンディング・オベーションの嵐だった。ノイマイヤーという稀有の天才が歩んできた創作の道のりをたどる〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉。その世界の豊穣さに改めて感じ入ったが、「ダンスは、愛ゆえの仕事だ」というノイマイヤーの言葉が胸に刺さった。旺盛な創造力の源泉は様々な「愛」にあるのだと改めて知る思いがした。
(2023年3月2日 東京文化会館)

『シルヴィア』ジョン・ノイマイヤー:振付・ステージング

ギリシャ神話を題材にした『シルヴィア』は、1876年、ルイ・メラントがトルクァート・タッソの牧歌劇「アミンタ」を基に、レオ・ドリーブの音楽を用いてバレエ化し、パリ・オペラ座で初演したもの。その後、セルジュ・リファールやレフ・イワノフ、フレデリック・アシュトンらも振付けているが、ノイマイヤーは、これを「神話をテーマにした3つの舞踊詩」として独自の解釈を施し、現代的なセンスを加えて、新たなシルヴィア像を提示した。もとはノイマイヤーがパリ・オペラ座バレエ団のために創作し、1997年に初演したものだが、同じ年に自身のカンパニーのレパートリーに採り入れた。日本では初の全幕上演となったが、ポップで抽象的なヤニス・ココスによる装置とあいまって、四半世紀も前の作品とは思えないほど新鮮に映った。タイトルロールは、4回公演のうちの3回を菅井円加が務めた。日本が祖国ということもあるだろうが、彼女に対するノイマイヤーの信任は厚そうだ。

第1部は「ディアナの聖なる森」。説明の必要はないと思うが、ディアナは狩りと純潔の女神で、シルヴィアら女狩人のニンフたちを統率している。開幕前から舞台は始まっていた。下手から壁伝いに出てきた羊飼い・アミンタのアレクサンドル・トルーシュはゆっくりと上手へ向かい、上手から現れた森の精の男女たちは踊りながら下手へと横切った。続いてディアナ(アンナ・ラウデール)や女狩人たちが登場し、2階のバルコニー席にも2人の女狩人が現れ、下手前方に置かれた的に矢を放って退場した。ディアナには1階の客席通路を通らせた。劇場全体をディアナの森にしてしまうような演出だろう。幕が上がると、左手後方に据えられた抽象的な一本の木と、空に懸かった三日月が見えるだけのシンプルな舞台。右手の細長い出入り口から、愛の神・アムールのクリストファー・エヴァンスが白の短パンに赤いリュックを背負って現れた。様子をうかがいながら大きく体を動かし、跳びまわると、赤いパンツをはいて羊飼いのティルシスに変身した。

s23-0310_HamburgBallet_Sylvia_HP3_0677(photo_Kiyonori-Hasegawa).jpg

「シルヴィア」 © Kiyonori Hasegawa

今度は森の精の群舞である。白いパンツの男たちと緑色のワンピースの女たちは、男性だけや女性だけで踊ったり、ペアを組んだりと、流れるように踊り続けた。シルヴィアを探して森に入り込んだアミンタはシャツを脱ぎ捨て、身体を小刻みに震わせ、落ち着かない様子で踊り、木陰に隠れた。すると、革のベストに黒いショートパンツの女狩人たちが弓を持って登場し、雄叫びを上げて猛々しく踊った。ダイナミックなジャンプを見せたシルヴィアの菅井は、抜群のコントロールで強靭なソロを披露し、ディアナから黄金の弓を授けられた。女狩人たちはディアナを中心に図形のようにマスを形成し、軍団のような団結力を示した。シルヴィアひとりが残るとアミンタが現れ、パ・ド・ドゥ(PDD)が始まった。菅井は初めて異性に触れたシルヴィアの驚きや不安、好奇心を手に取るように伝えた。相手の手と自分の手を不器用に合わせ、呼応してみせるが、アミンタに捕まれるとピクッと身体を震わせ、抱えられると足先をフレックスにしてこわばらせた。戸惑いを見せながら拒みはせず、次第に距離を縮め、シンクロした動きになっていくのが微笑ましかった。トルーシュもおずおずしながらシルヴィアと触れ合う様に、アミンタの純朴さを伝えていた。二人は抱き合っているところを水浴びから戻ったディアナたちに目撃される。責められたシルヴィアは、アミンタのシャツを拾い上げて嗅いだものの床に落とし、ディアナに許しを乞い、皆の前でアミンタの頬を打った。彼女はディアナが支配する女だけの世界にとどまることを選んだのだ。

s23-0310_HamburgBallet_Sylvia_HP3_0975(photo_Kiyonori-Hasegawa).jpg

「シルヴィア」 © Kiyonori Hasegawa

ひとりになったディアナは、アミンタが脱ぎ捨てたシャツに袖を通し、永遠の眠りにつかされたエンディミオンを偲ぶよう踊り、シャツを床に戻した。すると、いつの間にかエンディミオン(ヤコポ・ベルーシ)が横たわっている。ディアナは目を閉じたままのエンディミオンと一緒に床を転がり、彼に身体を絡ませ、逆さにリフトされたりし
たが、二人のPDDには互いを愛撫するようなニュアンスがあった。ここでのディアナは男勝りとは真逆なしとやかさを滲ませていた。場面は移り、傷心のアミンタと茫然としているシルヴィアが行き交うのを見たアムールは、二人を結び付けることはせず、今度はオリオンに変身して自らシルヴィアを誘惑する。シルヴィアは抵抗しながらオリオンに抱えられ、大きく脚を開いて身を任せてしまい驚愕する。ためらいながらもオリオンの差し伸べる手を取ったシルヴィアは、ディアナの森から出て、未知の世界へ踏みだす選択をした。

第2部は「アムール/オリオンの宴」。白い部屋の中央には、顔や手足のない胴体だけの巨大な男の彫像が置かれている。赤いイヴニングドレスで着飾ったシルヴィアは、タキシード姿のハンサムなオリオンにディアナから与えられた弓を取り上げられ、心許なさを漂わせて踊り始める。女狩人の時とは対照的な柔らかな動きで、ポアントも地面を突き刺すような鋭さはなく、伸びやかで美しかった。シルヴィはオリオンのリードで踊り、タキシードの男たちに手渡されるうち、新たな感覚に目覚め、自分を解き放っていった。けれど戸惑いがないわけではなく、アミンタやディアナを思い出しもした。アミンタの幻影が現れてシルヴィアとオリオンに絡むシーンや、シルヴィアがディアナから差し出された黄金の弓を彼女に返すといったシーンを織り込むことで、揺れ動くシルヴィアの心の内を浮き彫りにしていた。エヴァンスは、やや狂言回し的なアムールやティルシスと、粋で格好の良いオリオンを上手く演じ分けていた。

s23-0310_HamburgBallet_Sylvia_HP6_0207(photo_Kiyonori-Hasegawa).jpg

「シルヴィア」 © Kiyonori Hasegawa

第3部は「冬」。最初と同じ聖なる森だが、木は右手後方に置かれ、空には三日月が懸かっている。白髪まじりのアミンタは「森を守ろう」と書かれたプラカードを掲げて現れ、渋いオレンジ色のスーツ姿で鞄を持ったシルヴィアと再会する。シルヴィアはアミンタの口を手でふさいで話をさせない。彼と抱き合いはするがその腕からすり抜け、彼が去ろうとすると走り寄るといった具合だったが、一緒に踊り始めた。初めて出会った時のように、ぎこちなさを残したPDDだったが、過ぎ去った歳月は取り返しようがなく、切ない思いが滲み出ていた。そこにサラリーマン風のスーツ姿の男が現れ、シルヴィアの手にキスして彼女の鞄を取ると、シルヴィアは当然の様に彼と腕を組み、後ろを振り返ることなく去っていった。アミンタはプラカードをぶら下げて、消え入るように退場した。木陰で成り行きを見ていたディアナは、永遠の眠りについたエンディミオンと逢瀬を重ね、女狩人たちを従えるこれまで通りの世界にとどまるが、それで悔いはないのかと疑問を抱かせもした。幕切れで、客席に向かって弓を構えるディアナの表情がうつろに見えたからだ。加えて、「結局、アミンタからシルヴィアを奪ったのは、寿命だった」というノイマイヤーの解説も意味深長である。ギリシャ神話の人物を通して、生きることの真の意味を考えさせる作品といえるだろう。ダンサーたちは総じてレベルが高く、表現力も豊かで、一体となって物語を紡いでいた。終演後は、もちろんスタンディング・オベーションの嵐だった。ノイマイヤーの記念の年にふさわしい、充実した公演だった。
(2023年3月10日 東京文化会館)

記事の文章および具体的内容を無断で使用することを禁じます。

ページの先頭へ戻る