生と死の鮮烈なイメージが踊られた黒田育世の『波と暮らして』『ラストパイ』、シアターコクーン休館直前公演

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

黒田育世 再演譚 vol.2

『波と暮らして』『ラストパイ』黒田育世:振付

黒田育世は谷桃子バレエ団からイギリスのラバン・センターへ渡ってコンテンポラリー・ダンスを学んだ。2002年にはBATIKを設立し、「バレエテクニックを基礎に、身体を極限まで追いつめる過激でダイナミックな振付」の作品を数多く発表してきた。そして昨年からは、初演とは異なったダンサーが踊る再演譚シリーズをスタート。今回はそのvol.2として『波と暮らして』と『ラストパイ』を、シアターコクーンが長い休館に入る直前のダンス公演として行った。
『波と暮らして』は1990年にノーベル文学賞を受賞したメキシコの詩人、オクタビオ・パスの短編小説にインスピレーションを受けて振付けられ、2015年の初演では柳本雅寛と黒田育世が踊った。音楽はフレデリック・ショパンの「ノクターン」、美術は松本じろ、衣装は萩野緑。2018年に再演している。
原作となったオクタビオ・パスの小説は邦訳されていて、文庫本のわずか9ページにも満たない短編だが、散文詩のような美しい言葉で綴られた魅惑的な小説だ。オクタビオ・パスは外交官でもあって、シュルリアリストのアンドレ・ブルトンなどとも交流があった。1952年には来日しており、芭蕉の『おくのほそ道』のスペイン語訳も刊行している。
小説『波と暮らして』の冒頭は、海から帰ろうとした時、波がついてきた・・といったような記述で始まる。海は死のイメージと思われるから、話は俄に怪談じみてくるが、小説はやはり、死をめぐる幻影譚が基本的な構造であろう。

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『波と暮らして』撮影/瀬戸秀美

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『波と暮らして』撮影/瀬戸秀美

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『波と暮らして』撮影/瀬戸秀美

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『波と暮らして』撮影/瀬戸秀美

今回の再演譚シリーズでは、宝塚歌劇団の男役のトップスターとして活躍した柚希礼音と優れたコンテンポラリー・ダンサーとして知られている加賀谷香が踊った。
舞台はブルーシートで区切られ、暮らしを感じさせる小物が飾られた家。部屋の奥にはステレオセットが置かれ、キャンバスが立てられ描きかけの絵が垣間見えている。中央の台の上にはアイスピックが置かれていた。小説は、メキシコに住む男性の一人称で書かれているが、ダンスでは柚希礼音の扮する「ある男」は画家で犬を連れているという小説にはない設定になっている。犬は舞台美術に描かれたイラストの中にだけ姿を見せている。
ある男(柚希礼音)が海で出会い、彼について来た波(加賀谷香)とともに同じ動作をしながら登場する。軽い日常的な動作のシンクロは、同じ波形を繰り返す波の運動を連想させる。そして二人の愛の暮らしやもつれなどが、キャンバスに絵を描いたり、アイスピックを振り上げたり、時折、つぶやきも交えられ、「ノクターン」が感情の起伏を謳うかのように流れ、さまざまに展開されていく。男性に扮した女性と女性のデュエットは、ソフィステケイトされた魅力があり、思わず惹き込まれる。
オクタビオ・パスのシュルリアリスティックな原作小説は、海から波がついてきたという男の妄想を描いたもの、あるいは、海に溺れる男が、一瞬のうちに見た走馬灯のような幻想を描いたもの、といった解釈がなされているが、公演パンフレットの解説によると、ダンスの『波と暮らして』は、こうしたオクタビオ・パスの言葉が可能にした解釈のすべてを舞台に表している、と言う。それはブルーシートを取り去ったり、犬とある男と波が描かれた背景画を4分割して、ストーリーに応じて並べ替えたりして表現されていたと思われるのだが、私にはそのストーリーを読み取ることはできなかった。しかし、二人のダンサーの不規則な動きの中に現れる微妙なバランスと「ノクターン」のメロディと舞台装置のダイナミックな変化による空間の様相は、言葉から感じることのできない大きな実感となって心に響いてきた。そして、加賀谷の両手をひらめかせて波が持つリズムを表す愛らしい動きに魅了され、「ある男」でなくとも波と暮らしてみたくなるに違いない、とも感じたのであった。

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『波と暮らして』撮影/瀬戸秀美

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『波と暮らして』撮影/瀬戸秀美

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『波と暮らして』撮影/瀬戸秀美

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『波と暮らして』撮影/瀬戸秀美

『ラストパイ』は『波と暮らして』とは対照的に、ダンサーたちが躍動して音楽とともに生命力が迸るような舞台だった。2005年にNoismの委嘱作品として初演され、「身体と精神力を極限まで追い込む過酷な振付がなされて」おり、ソロパートとアンサンブルに分かれて踊られる。初演では金森穣がソロパートを踊った。2018年の再演では菅原小春がソロを踊っている。今回は、黒田が「いま、このソロパートを踊れるのは織山尚大(少年忍者/ジャニーズJr.)以外に考えられない」と直感。織山のコンテンポラリー・ダンスへの初めての出演が実現した。音楽・演奏は松本じろ、衣裳は山口小夜子。

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『ラストパイ』撮影/瀬戸秀美

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『ラストパイ』撮影/瀬戸秀美

舞台上手奥には鉄パイプで組まれた高い塔があり、その頂上では、地鳴り系ガットギター奏者の松本じろが鮮烈なオレンジの衣裳を着け、ズシン、ズシンと響く激しい脈動音とともに演奏する。
ソロパートを踊る織山は、上半身裸、黒い強烈なオレンジを配した衣裳を腰の辺りに着け、塔の対角線上の照明灯に向き合って速射砲のように踊りを繰り出し続ける。アンサンブルは、織山を中心に広がるように踊っているが、突然、その群舞の中の一人が、「どうしても離れられない!」とでもいうように、織山の下に身体を投げ出す。すると集団がいっせいに離脱した一人を引きずるようにして、集団の中に引き戻す。するとその一人はまた、群舞を抜けて織山の下に身を投げ出す・・・それが何度も何度も繰り返される。その間も織山は、集団の引力を跳ね返して激しく踊り続ける。基本的な大きな動きはそれだけ。強く踊り続ける織山と戻されても戻されても群舞を抜け出して、織山に身体を投げ出し続ける一人。この運動は、巡り続ける音楽とともに繰り返される。ソロパートにはいくつかの踊りのパターンが組まれていたが、アンサンブルは激しいが自由で気ままな動きで、奇声を発したり喜びを表しながら異端の一人を引き戻したりしていた。これはあるいは人間の社会行動原理を現すパターンなのかもしれない、などと勝手な空想を巡らせた。
終始一貫、激しく踊り切った織山は、心身ともに極限に至っており、仲間のダンサーたちに支えられながらカーテンコールに姿を見せていた。
『ラストパイ』は、黒田育世が「ダンスで何かを表現するのではなく、自分がダンスそのものになりたい」と渇望して創った作品だという。つまりそれは、<命の息づくダンスになりたい>という意味だったのであろうか。
(2023年3月22日 Bunkamura シアターコクーン)

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『ラストパイ』撮影/瀬戸秀美

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『ラストパイ』撮影/瀬戸秀美

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