バレエを育んだロマン派の時代とは? リサイタル直前! シアターオーケストラトーキョー ソロコンサートマスター、浜野考史インタビュー

ワールドレポート/東京

坂口 香野 Text by Kaya Sakaguchi

シアター・オーケストラ・トーキョーのコンサートマスターとして熊川哲也芸術監督の信頼篤い浜野考史が、3月29日、ソロリサイタルを行う。

『白鳥の湖』をはじめ、多くのバレエ作品では、主人公の心情がヴァイオリン・ソロによって語られる。演奏とは「音で語ること」と考える浜野が選んだのは、古典バレエを育んだロマン主義時代の名曲の数々だ。
パリを拠点とする浜野に、バレエとロマン派音楽やフランス文化との深い関係について、オンライン取材でたっぷりとうかがった。

――バレエ公演では、オーケストラ・ピットの中でコンサートマスターとして楽団を率い、ダンサーとのスリリングなやり取りを通じて数々の名舞台をつくっていらっしゃいます。今回はピットを飛び出してのソロ・リサイタルですが、どんな公演にしようと考えていらっしゃいますか。

浜野 そう、ふだんとは自分の役割がちょっと違うんですよね。
バレエ公演の場合、舞台があって、音楽があって、お客様がいる「三位一体」のような関係があります。どれが欠けても成り立たない。ダンサーと呼吸を合わせ、お客様の息づかいを感じながらひとつの総合芸術をつくる。演奏者の中にはオーケストラピットで演奏するのを嫌う人もいますけれど、劇場ならではの三位一体の感覚が、僕は大好きなんです。
音楽ファンの中には、純粋に音楽だけを楽しみたいという方もいます。一方、バレエファンの中には、舞台のないコンサートは地味で退屈なんじゃないかと思う方もいるかもしれませんね。今回のリサイタルでは、できれば両方の方に満足していただきたいので。舞台はないけれど、聴いていると様々な情景が浮かぶような、いわば音楽で何かをお見せするような、そんなリサイタルになればと思っています。

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© Cheol Nam

――ヴァイオリンの調べを聴きながら脳内に「幻のバレエ」を思い描く......バレエファンなら、そんな贅沢な楽しみ方もできそうですね。

浜野 大きなチャレンジですが。そんなふうに聴いていただけるように頑張ります。

――今回の選曲のポイントや、聴きどころについて教えてください。

浜野 バレエ音楽の中でも、僕にとって特別な存在であるチャイコフスキーの『白鳥の湖』と、フランスが生んだショーソンの名曲『詩曲(ポエム)』を軸にプログラムを組み立てたいと思いました。
『詩曲』はヴァイオリン弾きが「いつかは」と憧れる名曲のひとつですが、技術的に難しいだけでなく、何とも神秘的でとらえがたい魅力のある、深堀りに値する曲なんですよ。優雅でありつつ情熱的で、濃厚な死の匂いも含んでいる。僕は20代のとき、初リサイタルで『詩曲』を演奏しているんですが、今考えればなんて怖いもの知らずだったんだろうと思います。コンマスとして経験を重ね、フランスで学び始めて8年目になる今回、あらためてチャレンジすることにしました。
では、チャイコフスキーとショーソンをどう結びつけるか......と考えたとき、浮かび上がったのがポリーヌ・ヴィアルドという女性です。彼女はソプラノ歌手で作曲家でもあり、後半生、彼女がパリ郊外で催したサロンは、サン=サーンス、フォーレ、マスネ、フランク、ベルリオーズ、画家のドラクロワや作家のフローベールなど当時一流の芸術家たちが集う場でした。チャイコフスキーも彼女の邸宅を訪れたという記録があります。今回取り上げた作曲家は、全員彼女と交流があったのです。
ポリーヌはショパンやジョルジュ・サンドとも親しく、サンドは彼女をモデルに『歌姫コンスエロ』という小説を書いています。

――すごい顔ぶれです。ポリーヌはさぞ魅力的な女性だったのでしょうね。

浜野 容姿はさほど美しくはなかったけれど、歌声が素晴らしく物腰が優雅で、知性とセンスにあふれた女性だったようです。彼女の最も熱心な崇拝者が、ロシアの作家ツルゲーネフです。彼はポリーヌを尊敬してやまず、ついには彼女の邸宅内に執事のような立場で住み着いて、彼女の子どもたちの世話もしていたとか。
最期は彼自身が贈った別荘で、彼女に看取られて息を引き取ったそうです。

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――それこそ、オペラかバレエにでも出てきそうなお話です。

浜野 『詩曲』は、ツルゲーネフがルネサンス期のイタリアを舞台に描いた小説『勝ち誇る愛の歌』にインスピレーションを得て書かれた交響詩です。ツルゲーネフとショーソンの関係も、ポリーヌの周囲でつながったわけですね。

――恥ずかしながら、取材の前にはじめて『詩曲』を聴いたのですが、非常にドラマチックで、何か異界に誘われるような魅惑的な作品だと感じました。

浜野 劇音楽ではなく純音楽として作曲されていますが、様々な情景を彷彿とさせるモチーフがいろいろと出てきますので、物語を知っているとさらに楽しめるんじゃないかと思います。簡単にいえば、ヴァレリアという美しい乙女と、彼女に憧れたファビオとムツィオという青年の三角関係のお話なんですね。ファビオとムツィオは幼なじみでしたが、ヴァレリアが結婚相手としてファビオを選んだため、ムツィオは失意のうちにインドへ旅立ちます。何年か経って、ムツィオは口のきけない召使いと不思議な東洋の品々を持って、ファビオとヴァレリア夫妻のもとへ帰ってくる。その品々の中に、三本しか弦のないヴァイオリンのような楽器がありました。ムツィオがその楽器を奏でると、ヴァレリアは熱病に浮かされたようにもだえ始めるんです。

――なるほど。『詩曲』の音楽も、東洋的であやしい旋律が印象的でした。

浜野 曲は、とても静かなテーマで始まるのですが、僕は弾いているとイタリアの石畳の街と午後の日差しを思い浮かべます。明るいけれど、どこか闇を感じさせる風景。そこへ、あやしげなヴァイオリンの音が響いてくる。それがもつれにもつれ、はじけて、情念のドラマが展開していく。
この旋律は聖女のような女性だというヴァレリアのテーマかなとか、ここで魔術が働いているのかなとか、聴いているといろいろな情景が浮かびますよね。

――半音階で激しく上がっていったかと思うと平穏が戻ったり、熱に浮かされた踊りのステップを思わせるところがあったり......。

浜野 ファビオのムツィオへの疑念や殺意なのか、ヴァレリアの感情の高まりなのかわからないけれど、曲はクライマックスへ向かい、最後に平和が戻ります。小説は、ヴァレリアが「私は子を宿したのではないか」と感じたところで唐突に終わるんですが。

――そんな終わり方とは......。

浜野 最後の音は、とてもあかるい響きなのです。経緯はどうあれ、新しい希望のような何かが誕生する暗示だと、僕は勝手に思っているんですよ。『勝ち誇る愛の詩』は電子書籍で手軽に手に入りますし、結末に至るディテールに緊迫感があっておもしろいですから、ぜひ読んでみてください。

――お話をうかがって、『ジゼル』『白鳥の湖』『ラ・シルフィード』『ラ・バヤデール』などと通じる、非常に「バレエ的」な物語だと感じました。熊川哲也監督が振付けた『死霊の恋』の雰囲気も近いと感じます。現実より幻想を追い求めたり、死の世界に足を踏み入れたり......。みんな「ここではないどこか」へ行きたがっている。

浜野 この時代のバレエやオペラによく描かれる東洋趣味も、魔術やオカルト、狂気への興味も、根底に未知の世界、神秘的なものへの憧れがあります。それがそのまま、ロマン主義の精神といえると思います。
フランスと日本を行き来していると、日本文化の土壌に仏教や神道があるように、フランス文化の根本にあるのはカトリックの考え方だと感じます。今は、昔ほど敬虔な信者の方は減っているとは思いますが―。
フランス革命後、政治情勢はめまぐるしく変わり、従来の秩序は大きく崩れていきました。人々が自由や自我の解放を求め、神秘的なものや不条理に惹かれたロマン主義の精神は、20世紀以降の芸術にもつながっています。

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© Cheol Nam

――『白鳥の湖』の音楽にも、周囲になじめない孤独感や自由への憧れが含まれている気がします。

浜野 『白鳥の湖』は、まさにロマン主義のかたまりのような音楽かもしれませんね。鳥に変身すること自体が自由の象徴とも考えられます。チャイコフスキーは『白鳥』を書くにあたって、アダンやドリーブなど、過去のバレエ音楽をたくさん研究したらしい。有名な「情景」のメロディは、『白鳥』初演の何年も前に、親戚の子どもたちが踊った私的なバレエのために、すでに作曲されていたそうです。
『白鳥の湖』って、元の台本がわからない。チャイコフスキーの音楽ありきのバレエなんですよ。レイジンゲルという振付家による初演は不評だったのですが、プティパとイワーノフが音楽の順番を変えたりカットしたりして、バレエ作品として見やすいように整理したものが、現在多くの劇場で上演されている「プティパ・イワーノフ版」です。
チャイコフスキーは、劇場からの注文に添ってというより、シンフォニックな音楽に幻想的なバレエがついたものをイメージしつつ、かなり自由に書いたのではないかと思います。バレエという芸術に、すごく入り込んでつくっている印象があるのです。
今回のリサイタルでは、2幕のオデットと王子のパ・ド・ドゥ、3幕の黒鳥のパ・ド・ドゥなどヒロインの心情を語る重要な曲を、チャイコフスキーの原曲に近い形で演奏します。

――浜野さんにとって、『白鳥の湖』はなぜ「特別」なのでしょうか。

浜野 オデット・オディールはバレリーナにとって特別な役。特に2幕のオデットのソロや王子とのパ・ド・ドゥは真剣勝負ですよね。それは、あのシーンでソロを弾くヴァイオリニストにとっても同じなんです。まさに白鳥が舞い降りるかのような登場のシーンや、王子との出会い、二人が恋に落ちてゆくアダージョなど、この作品の白眉ともいえる心情表現を失敗したら、舞台はだいなしです。同じ振りでもダンサーによってまったく表現が違い、性格すら違って見えるので、どう弾けば彼女の目指すオデットを共に音楽でつくりだせるか、つねに考えています。
そういう大切な作品ですから、心理的にも準備を整えないと弾けない。本番の一週間前くらいからお酒をやめたりカフェインを控えたり、好き勝手な生活をあらためて心を落ち着けるようにしています。

――数々の名ダンサーと共演していらっしゃいますが、特に印象に残っているダンサーと言いますと。

浜野 どのダンサーも素晴らしいですけれど、忘れられないのはシルヴィ・ギエムですね。
ソロ演奏中は集中していますから、僕らはステージ上のダンサーはほぼ見えないんです。でもダンサーの "気" が伝わってくる。僕はオデットの登場シーンを弾き始める前、ハープが前奏を奏でているとき、舞台袖からダンサーが登場する瞬間だけは必ず見るようにしています。そのたたずまい、スピード感や雰囲気を受け取って「こんな感じでくるのか、じゃあこんなふうに弾こう」と心が決まるんですね。
ところがギエムは、こう弾いてやろうなんて考える隙すら与えませんでした。舞台袖から何かものすごい "気" が、指先までビリビリと伝わってきたんです。エレガントさと生命力が、そのままストーリーを語ってくるみたいな。「こう弾くしかないでしょ」みたいな感じです。そのすさまじい気配にひきずられるように弾きました。

――うかがっただけで、なんだか汗が出てきました。

浜野 つくづく、バレエ以外では決して味わえない、面白い仕事をさせてもらっていると思いますよ。

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――今、浜野さんが感じていらっしゃる、フランス文化の根底にあるものとは何でしょうか。

浜野 8年間生活してみて痛感するのは、「言語化」という文化の強さです。仏語で責任は「レスポンサビリテ」、直訳すれば「答えられる能力」という意味になります。まず自分の考えを言語化する。カフェでもどこでも、フランス人はしょっちゅう議論しています。私はこう思う、あなたはどう思う? そこから議論が始まる。大学入学資格試験・バカロレアでも、いちばん重要な科目は哲学なんですよ。
フランス式の議論は、まず与えられたテーマの定義に始まり、自論を展開した後、必ず反論を入れてから結論づけます。別の視点を入れることが非常に重んじられているんですね。
僕らにとっての言語は音楽です。作曲家が音符で書き記した音楽をどう読み解き、どう響かせるか。僕は師匠のオリヴィエ・シャルリエに、今も「なんとなく」「雰囲気で弾くな」と注意されることがあります。作曲家が生きた時代の空気や精神を知った上で作品を正確に読み解き、その上で意志を持って表現せよと。作曲家のメッセージを精査し、瞬間芸術として浮き上がらせよということなんですね。それが音楽を「語る」ということなんです。

フランスに来た当初、リハーサルで当時の師匠の代理でコンサートマスターとしてフランクの宗教曲のヴァイオリンソロを弾いたことがあります。演奏の後、共演者のソリストはコンマスに感謝の言葉を述べたりするのですけれど、その日のソプラノ歌手に、僕はまったく無視されてしまい、ショックを受けました。技術が劣っていたわけではないと思います。僕はその音楽を「語れて」いなかった。語るべき言葉をもっていなかったので、彼女たちと同じ議論のテーブルにすらつくことができなかったんですね。

――「音楽で語る」とは厳しいことなのですね。ダンサーもきっと同じで、「身体で語る」ことができなければならないのでしょうね。

浜野 ええ。ただ、「言語化」という言葉と矛盾するようですけれど、お客様に伝わるのは言語というより、それこそ "気" のようなものかもしれません。お客様はそれをどう受け止め、どう解釈しても自由なのです。表現者がその作品をどう語ろうとしたか、その手の内をお客様は知らなくてもいい。ただ、語るべきことをもっている作品は、きっと何らかの形でお客様に伝わる。僕はそう信じています。

――ダンサーと演奏者、そして観客の間にも、その「気」はやり取りされているように思います。

浜野 バレエ公演の主役はダンサー、コンサートの主役は演奏者というのが一般的な考え方ですけれど、僕は本当のエンターテイナーは作品だと思うんです。僕らがやるべきことは、作品を誠実に、魂を込めて演奏することだと思っています。

思い返してみれば、僕は20代の頃、沖縄でイヴリー・ギトリスという伝説的なヴァイオリニストのマスタークラスを受けたとき、その青い目でじっと見つめられて「もっと音楽で語ってごらん」って言われていたんですよ。あの頃はなんのことやらわからなかった。あれから30年経ち、バレエの仕事を専門とし、フランスで学びなおしてみて、ようやく少しわかってきたという感じですね。

――リサイタル、とても楽しみです。今日はありがとうございました。

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浜野考史ヴァイオリンリサイタル

日時:3月29日(日)19時開演
会場:浜離宮朝日ホール(音楽ホール)

曲目:ショーソン「詩曲(ポエム)」、マスネ「タイスの瞑想曲」、チャイコフスキー「白鳥の湖」より、他

チケット:全自由席 前売券3,800円(当日券4,000円)税込
※未就学児童入場不可

http://www.theater-orchestra-tokyo.com/concerts/c20220329_hamano.html

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