日本、中央アジア、アイルランドとの国際協働制作プロジェクト最終章へ! クリエイションレポート&北村明子インタビュー

ワールドレポート/東京

坂口 香野 Text by Kaya Sakaguchi

ダンサー、振付家の北村明子が2020年に立ち上げた、日本、中央アジア、アイルランドとの長期国際共同制作プロジェクト『Echoes of Calling』が、3月10日〜12日、いよいよ最終章を迎え、『Echoes of Calling- rainbow after-』を上演する。
1990年代からヨーロッパで活躍し、アジア諸国でクリエイションを行って高い評価を受けてきた北村が、今どんな地点を目指しているのだろうか。
初日に向けてクリエイションが進む稽古場で、ダンスの今とこれからについてうかがった。

2月初旬、東京・森下のスタジオ。この日は5人のダンサーがクリエイションに参加していた。北村がサンプルとして振り渡しをした一連の動きを断片に分け、それぞれでつくりなおす作業が始まっている。北村の「サンプル」は、それだけでカッコいい動きだ。背中から手先までビュン! と伸びて固まったかと思うとチーズのように柔らかくほどけ、床にくずれたかと思うときりきりと回転したりする。「動きの質はキープして、自由につくってください。リピートしてもカノン(時間差でずらす)にしても、リバースしてもいいです。出てきた動きによっては、すごく速くするかも」

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© Hiroyasu Daido

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© Hiroyasu Daido

黒田勇、近藤彩香、ミンテ・ウォーデの3人は、英語と日本語のちゃんぽんと身振りで話し合いつつ、元の動きを少しずつずらしながら絡んでいく複雑なコンビネーションにつくりかえている。西山友貴と岡村樹は、北村の指示でリフトを取り入れた動きをつくり始めた。といってもただのリフトではない。西山の肩を岡村の背中が押し上げ、西山の体がふわりと宙に浮く。しかし、岡村はすぐに体をずらし、体重の預け合いは一瞬で終わる。「〜し損ねる感じ」「くにゃっと」「寄りかかれそうで寄りかかれない」など、北村がイメージを伝えていく。

続いて、ダンスによる対話のようなシーン(仮称「ぺちゃくちゃ」)の復習が始まった。バレエテイストが感じられたり、しなやかでアクロバティックだったり、動きのテイストが少しずつ違うダンサーたちが、鋭く切り込んだりかわしたり弾んだり、身体で「ぺちゃくちゃ」と語り合う。そこかしこで会話がはじける感じで、たった5人で踊っているとは思えないにぎやかさだ。この日はメトロノームのように淡々とリズムを刻む音楽が流されていたが、本番ではウズベキスタンの吟遊詩人アフロル・バフシ、神秘的な伝統歌シャン・ノースの歌姫ダイアン・キヤノンが、ライブで歌声を重ねていくという。いったいどういうふうになるのだろうか。

リハーサル終了後、北村に話を聞いた。

――お疲れさまです。今のシーンに、歌も加わるんですね。

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アジアの伝統芸能では、歌と踊りを分けないことの方が多いですよね。アイルランドにも似たところがあって、「シャン・ノース」には「古いやり方」という意味があり、歌と踊りの、古くから伝わるスタイルを指す言葉なんですね。今回はダイアンの歌に加えて、アフロル・バフシに中央アジアの英雄叙事詩を歌い、語ってもらいます。歌も語りもリズムをつくるので、今クリエイションしているダンサーの動きも、たぶん声に影響されて揺れてくる。歌が踊りに、踊りが歌に、互いに加勢しあうような感じになるんじゃないかなと思います。

――北村さんのモチーフが分解されて、そこから新しい動きがどんどん生まれてくる過程が、とてもスリリングでした。

私の動きは単なるコミュニケーションのツールで、なんなら原型を残さないくらいまでつくりかえてほしいなと。私は一糸乱れない、かっちりした動きも好きなんですけれど、昔はそこからもれてくるノイズのようなものに興味がありました。今はむしろどんどんモディファイしてもらって、私の動きがノイズのように残っているくらいが面白いなと思っています。

――分解のアプローチも、ダンサーによって様々ですね。

たとえばミンテさんはアイルランド在住のエチオピア人で、コンテンポラリー・ダンスとアフリカの伝統舞踊の融合を目指す振付家でもあります。来日の翌日に、松本でアフリカンダンスのワークショップをしてもらったんですけど、すごくカッコいいんですよ。子どもも高齢者の方も、ふだんはダンスをしない学生たちまで一緒にガンガン踊っていて、「あ、これだとみんな楽しいんだな」と。エチオピアの舞踊は結婚式で踊られたり、男女のランデブーの場にもなっているのだそうです。ダンスを通じて、いろんなことが発生するようにできている。彼がもっているグルーヴ感をどう面白く生かせるか、考えているところです。

――「ぺちゃくちゃ」のシーンも印象的でした。

「しゃべるように踊って」と伝えています。英語がしゃべれないメンバーの方が多いんですが、言葉で説明するより動きの受け渡しのほうが速かったりする。私がまず、「ぺちゃくちゃ」っていうのは相手が聞いてようが聞いていまいがしゃべり倒す感じ、というふうに説明してから動きのサンプルを渡して、それをみんなで解体したり、ゼロからつくったりしています。だから、ぐちゃぐちゃというかカオスというか(笑)。振付言語をつくる過程を、あえてカオティックにしたいので。

――それはどういうことでしょうか。

コンテンポラリー・ダンスも体系化が進んでいるので、新作をつくるために動きを出し合うと、出てくるテクニックがほぼみんな一緒、ということがよくあって。私はそれを不自然に感じることがあるんです。見たこともないボキャブラリーを出してくる素晴らしいカンパニーもたくさんあるけれど、新しい動きをゼロから発見すること自体が難しくなっていると思います。だったら、それぞれが持っている身体言語でやり取りを始めたらどうなるのかしらと。または、いったんボキャブラリーをつくってから、それぞれがつくりかえたり、壊したり、あえてひっちゃかめっちゃかにしたい(笑)。

――ここで少し、北村さんの活動について振り返らせてください。80年代後半〜90年代には、ピナ・バウシュやウィリアム・フォーサイスをはじめ、ヨーロッパのコンテンポラリー・ダンスが次々と日本で初上演されました。私も北村さんと同世代なので、バレエともモダンダンスとも違う、何かすごいダンスが来てるぞ! と周囲が盛り上がっていた雰囲気はよく覚えています。北村さんはその頃、大学在学中にいち早く渡欧してコンテンポラリー・ダンスのテクニックを学び、1994年の大学院生時代にレニ・バッソを結成して、以後、ヨーロッパを中心に一線で活躍されています。2001年初演の『finks』は世界60都市以上で上演されました。

ロジカルに身体で思考を深めていく、知的で、かつエンタテインメントでもあるコンテンポラリー・ダンスに憧れて、95年からは在外研修員としてベルリンに留学しました。レニ・バッソで作品を発表しつつ様々なテクニックを学んでいましたが、昔からちょっとあまのじゃくなところはあったかなと思います。相手に体重を預けながら動いていくコンタクト・インプロビゼーションを学びつつ、なんでこんなに簡単にもたれあうことができるんだろうと思ったり(笑)。『finks』は絶対相手に触らず寸止めしあう闘いみたいなシーンが続き、最後の最後に触れあう作品になりました。

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© Hiroyasu Daido

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© Hiroyasu Daido

――2010年からはソロ活動として、東南アジアや南アジアでのリサーチとクリエイションを続けられていますね。

アジアでの国際共同制作プロジェクトを始めたのは、ヨーロッパでの長期ツアー中、芸術フェスティバルで出会ったアジアのコンテンポラリー作品や伝統舞踊がきっかけです。バレエなどの西洋的な動きとはまったく質の違う動きを見て、どんどん興味が湧いてきました。

――以前うかがった、アジアの武術と伝統芸能の深いつながりや、日本の神楽にまでつながる身体ボキャブラリーのお話はとても興味深かったです。現在は作品のクリエイションと並行して、信州大学で身体論や舞踊論の研究もされています。

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知っているコンテンポラリー・ダンスの文脈が通じないところで、自分のボキャブラリーを更新たいなという気持ちはつねにあります。
たとえばウズベキスタンには新作をつくる豊かな土壌はあるけれど、振付家が振り渡しするやり方が主流で、ダンサー側から動きを引き出したり、ダンスでない動きをダンスのボキャブラリーに昇華するといった作業にはあまり関心がもたれていません。でも、昨年11月に大学内の劇場で公演をしたら、学生さんたちの反応があまりにもよくてびっくりしました。アフタートークをしたら質問責めにあって、これはダンスなのかパフォーマンスなのかとか、私はこんなストーリーをこの作品に見たという感想まで、ひっきりなしに手が上がって。わからないものに飛びついて自分なり解釈を与える、そういう意識がすごく高いんですよね。

――そもそも、アイルランドと中央アジアの国際共同制作プロジェクト「Echoes of Calling」は、どんな経緯で始まったのですか。 

アイルランドのゴールウェイ2020というフェスティバルで、クリエイションをしないかとお声がけいただいたのがきっかけです。ずっとアジアで活動していたので迷いましたが、U2をはじめとしたアイルランドの音楽に興味があったので、2019年の夏、とにかくリサーチに行くことにしました。アジアに通っているうちに歌にも興味が湧いていて。友だちに言われて気づいたんですけど、私は「こぶし」に興味があるみたいです。祈りにつながる、独特の裏声やこぶしのきいた節回しがアジア各地にありますが、シャン・ノースも、死者を悼む「泣き女」が歌ったという伝統を持っています。現地に詳しい方々の勧めで 、アイルランド西部の都市ゴールウェイから船でアラン諸島へ渡りました。

――アラン諸島って、ドキュメンタリー映画『アラン島』で有名なところですね。

ええ。3つの島のうち、いちばん小さいイニシア島にアートセンターがぽつんとあるんです。生死に関わる厳しい天候にさらされてきた島で、そこに古くから口承で伝わるシャン・ノースの歌は、世界への祈りが含まれているような強さを感じました。
アイルランドの夏には各地でフェスティバルが行われていて、街全体がすごく盛り上がっていましたね。パブでご飯を食べていると誰かがフィドルを弾き始め、歌と踊りが始まる。音楽コンクールに参加するミュージシャンたちが朝から会場にやってきて、別のグループと「やる?」「じゃ、このコードでね」なんていってフリージャズのようにセッションが始まる。そこへ通りがかったおじいさんやおばあさんが歌い出したり、障害を抱えた少女が踊り出して拍手を受けたり。歌と踊りがすごくオープンなんです。インドネシアの人たちが伝統舞踊や影絵芝居を、お弁当を広げながら8時間もかけて見るのと似た雰囲気があって、すごく面白いなと思いました。それで、もともと気になっていた中央アジアのリサーチとあわせて2020年に始めたのが「Echoes of Calling」です。

――中央アジアへの興味はどのように?

東南アジアや南アジアでのリサーチ中から「この先はどうなっているんだろう」と思っていて。中央アジアの音楽にも魅力を感じていました。2020・21年度の文化庁の文化交流使に任命いただいたこともあり、コロナ禍で当初はオンラインだけでしたが、ウズベキスタンとの交流が始まりました。

――今回来日されるウズベキスタンの吟遊詩人「バフシ」とはどういう存在なのですか。

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かつてはシャーマンの役割を持っていたといわれる芸能者で、いろいろなタイプのバフシがいますけれど、現在では結婚式や割礼儀式などに招かれて伝統的な英雄叙事詩を語るのがおもな仕事です。ドンブラという弦楽器を弾きつつ、英雄叙事詩の様々な物語の中から、人生の節目にみあうエピソードをもってきて、韻を踏みながら即興で歌う。韻の美しさがバフシの技能の高さを示すポイントだそうで、聴いているとラップか面白い祝詞みたいですごく素敵なんですよ。後から歌詞の意味を聞くと、とても崇高な内容を歌い上げていたりして、よく即興でこんな美しい言葉を思いつくなと驚かされます。今回来日するアフロル・バフシは現代的な創作のセンスもある方で、ポップス界にも影響を与えています。
2022年2月の前回公演『Gushland』では、アフロル・バフシに音楽を提供してもらいました。昨年11月のウズベキスタン公演の時に初めてリアルで会って、彼の家やホテルの地下で夜な夜なセッションをしましたね。チラシに載せている詩は、彼が歌ってくれた詩に私が少し手を入れたものです。

――「在ることの意味を問う前に/天と地 からだ を貫く/すべての震えに身を委ねよう」というフレーズが印象的です。

バフシには、人々の悲しみに共感し、それをうたいあげて癒すという役割があります。国民的なバフシであったアフロルのお祖父さんは、旧ソ連時代、その優れた歌の力ゆえに、国民を扇動したと糾弾されてシベリアへ流刑にされたそうです。誰かの痛みや苦しみを、バフシが即興詩や古代の英雄たちの物語に託して歌い、それを共同体の皆が共有し、受け止める。それがある種の救いになっていく。

今回の舞台の骨格になっている『エル・トゥシュテュク』という叙事詩は、主人公が地下世界で悪い魔女を退治したり、失われた命をよみがえらせたりしながら地上に帰ってきて、最後は天に昇って真の救済を得るという垂直構造のお話で、日本やアイヌの神話にもよく似た部分があります。ただ、その物語そのものを伝えたいわけではないんです 。

――死者や精霊、神様と出会う話は、お能など日本の伝統芸能にもよく出てきますね。

以前は、伝統芸能は自分の日常生活からかけ離れたものだと思っていたんです。でも、年を重ねて家族や友人の病気や死が身近なものとなり、考えが変化してきています 。
大切な人ともう二度と会えない、話せないということは、頭でわかってもなかなか受け入れられません。でも、記憶をたぐっていてふと「そういえばあんなこといってたな」と、亡くなった人の言葉を思い出すことってありますよね。そんな時は、もういないはずのその人が、ちゃんとそこに生きています。カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した『ブンミおじさんの森』というタイ映画にも、亡き妻がふつうに出てきて一緒にご飯を食べたりするシーンがありましたが、お盆に死者があの世から帰ってくる、という古い日本の考え方にも通じると思います。

歌や踊りを通して、死者や言葉の通じない遠い存在に呼びかけること――コーリングは「祈り」とも言い換えられます。祈りは遠い過去や伝統とつながる行為でもある。古代からの伝統が自分の中にあるとすれば、それをどう咀嚼していくかを考えることが面白くなったんです。それは、もしかしたら遠い未来へもつながる行為かもしれません。歌と踊りはその場で消えていくけれど、そこに込められた祈りは、私たちがいなくなった後も残ればいいなと。

――舞台紹介映像の中には「言葉の失われた世界」というフレーズも出てきますね。

実は前回の『Gushland』は、私の母が失語症になったという個人的な体験を取り込んでつくったのですが、今回はもう少しオープンなつくりにしようとしています。
たとえば、言葉が通じなくなる。経済秩序が崩れて、世界中から貨幣も銀行もなくなる。国も自治体もすべて滅びてしまうとか。大げさにいえば、今まで当たり前と思っていた世界の秩序がすべて崩壊していくとしたら、あなたはどうするか? という問いを出発点にして、皆で考えています。
それを動きで表現するとどうなるか。重力が変わって、ふつうに立ったり座ったりできなくなるかもしれない。今は重力にあらがってジャンプしたり、身体を思い切り解放していくダンスが快感だけれど、そうなると止まっていることのほうが快感になるかもしれないねとか。ダンサーにとって床や地面はよりどころですが、その自明の感覚を変えてみることは、今回ひとつの課題にしています。

――なるほど。だからぐにゃっと溶ける動きや、相手に頼れそうで頼れないリフトが出てきていたんですね。

そう。頼れないことを楽しむダンスがあってもいいと思うんですよ(笑)。

――副題の『rainbow after』とはどんなイメージでしょうか。

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© Hiroyasu Daido

2019年、アラン諸島に行った日がものすごい暴風雨だったんです。私は島をつなぐ乗り継ぎの船を待つ間、お腹が空いてパンを買いに行ったんですけど、30分歩かないとお店がない。店からの帰りに歩けないほどの雨が降り出して、びしょびしょのサンドイッチを抱えて必死で港へ帰ってきたんですが、2時間待っても船はこないし誰も通らない。このまま日が暮れたらここで野宿かなと不安に思っていたら、突然ばーんと晴れて虹が出たんです。この世の終わりに見る虹みたいな気がしました。

虹には幸福なイメージがあります。英雄叙事詩の最後には救済が語られますが、現実には解決できない問題が散らばっています。戦争は今も続いているし、災害も病気も貧困もある。その一方でメタバースのようなリアルな仮想空間も現実になりつつあります。私たちは、そこでは幸福な夢を見ることができる。しかし、それが実現するかはわからない。空に虹がかかった後、希望を叶えるためにどんなことを選んでいくのか? そんなニュアンスを込めています。

日本、中央アジア、アイルランドとの共同制作とうたっていますけれど、本当はどこの国の何だかわからなくなりたいんです(笑)。大文字の文化交流ではなく、踊り手、歌い手一人ひとりの体験や遠い記憶、問題意識を取り込みつつ、今まさにクリエイション中です。お客様には、そのひとかけらでも共有して、イメージを広げていただけたらうれしいですね。

――虹の先にあるもの、ぜひ見てみたいです。今日はお疲れのところ、ありがとうございました。

2023年3月10日(金)〜3月12日(日)
『Echoes of Calling - rainbow after -』
http://akikokitamura.com/works/ec-rainbowafter/

トレーラー

https://youtu.be/YlhqdR__M4E

尚、アフロル・バフシの演奏の映像が、公演日まで以下で限定公開されている。
https://youtu.be/YyXSW4zArtg

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