豊かな詩情と飄逸で奥深い人間性、田中泯が造型した良寛が250年の時を跨いで命のリズムを刻んだ

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

東京芸術劇場

『外は、良寛。』田中泯:踊り部

開幕冒頭、客席で大声をあげて争う男たち、彼らが消えると、舞台には赤い着物の女性が一人、幻影ででもあるかのように漂っている。
背景は冬の日本海が眩い白い光に照らされて輝いていたり、果てしなく暗い茫漠とした雪空が広がっていたり、モノトーンの世界が見える。越後の厳冬の山野に渡る音が微妙に聴こえてくる。雪の日の遠い爆音のような地を揺るがす響き、雪に閉じ込められた世界を滑るように吹き抜ける風の音などのランダムに生起する現実の細かな音が、鋭く抽象化されて孤独な人間の耳に響いている。舞台中央の床は大きな空間の底が抜けていて柵が巡らされており、その周りのスペースで踊られる。そして中心に天井から白い太い紐が一本だけ、大地に深く吊り下げられている。

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撮影/平間至

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撮影/平間至

松岡正剛の著した『外は、良寛。』に触発された、田中泯による同名のダンス公演の舞台である。
周知のように、良寛は1758年に越後、出雲崎に名主の息子として生まれたが俗世の仕事に適さず、禅僧となって西国を遊行し、故郷に帰っていくつかの草庵を転々と移り棲んだ。寺に入ることはなく托鉢して暮らし、好んで子どもたちと遊んだが、書、漢詩、短歌、俳句に非常に優れた作品を残した。過酷な環境の中で生き、自由で飄逸な独特の魂のあり様が多くの文芸作品に結実しており、当時から今日まで広く人々に畏敬されている。松岡正剛の『外は、良寛。』は、書を中心に松岡ならではの博覧強記を駆使して、広い視野で良寛の芸術を論じた一冊である。
加えて今回の公演では、身体言語=田中泯、言語空間=松岡正剛、空間透影=杉本博司が舞台を構築し、作曲・三味線・唄に本條秀太郎、衣裳に山口源兵衛が加わった。出演は「踊り部」田中泯と石原淋、緒形敦、甫木元空、三嶋健太。

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撮影/平間至

良寛を踊る田中泯は、闇の中、不安定ながらゆっくりと動き、身体に手持ちのスポットの光が当てられて登場する。赤い着物の女性との淡い交流もあった。
良寛の書がホリゾントに大写しされ、その下では子どもが遊んでいた。やがて良寛は一人遊びに熱中する。小さな紙幟をつけた竹ざさを手に、舞台に空いた空間の周りを駆け巡る。時折、声にならない身体が発する音を振りまきながら、果てしないかの様に一心に集中して走った。
そして、ほんとうに微かな聴こえるか聴こえないかのメロディが、少しづつ少しづつ大きくなってくると、♫さようならさようなら、元気でいてね。、、、、たとえ別れて暮らしてもお嫁なんかにゃいかないわ、、、♫ 都はるみの「好きになった人」だった。フルコーラスを一気に踊った田中泯の独舞は表情豊かに空想に遊ぶ。ひとり遊びの集中とはまた異なった喜びが全身に溢れる見事なものだった。これは良寛を慕いその晩年に寄り添った貞心尼に良寛が思いを馳せた心だろうか。二人の間に結ばれた深い信頼と優しい情愛が都はるみの明るい歌声とともに舞台に木霊した。
最後は、『外は、良寛。』のタイトルを生んだ
淡雪の中にたちたる三千大千世界(みちおほち) またその中に泡雪ぞ降る
この有名な短歌に基づいて、本條秀太郎が作曲し唄った曲とともに「踊り部」田中泯が踊った。
本條の微妙な妙なる唄と三絃が淡雪のしんしんとつもる中、レクイエムを奏でているかのようでもあった。この美しいサウンドと田中泯のごく微細な痙攣を秘めた霊的な動きが、良寛が歌った繊細で豊かな詩情と飄逸で奥深い人間性を彷彿させた。
暴力沙汰もあったであろう揉め事や俗事に翻弄された若き日の良寛、越後のたいへん過酷な環境の中の孤独な存在感、子供らと遊び興じる自由な心、母を亡くした良寛の女性のイメージなどによって浮かび上がった田中泯の造型した良寛が、250年を超える時を跨いで呼吸し、命のリズムを刻んだ。
田中泯の踊ることへの気迫と舞台に現れた良寛の飄逸な自由な魂の軌跡が、不思議なバランスを保って舞台に現れていたことが印象に残った。
(2022年12月17日 東京芸術劇場 プレイハウス)

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撮影/平間至

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撮影/平間至

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撮影/平間至

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撮影/平間至
芸劇dance
踊り部 田中泯 「外は、良寛。」

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