『Der Wandererーさすらい人』公演で演出振付家と舞踊家をつなぐNoism国際活動部門芸術監督 井関佐和子にきく
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香月 圭 text by Kei Kazuki
2004年の設立以来、日本初の公共劇場専属舞踊団として活動してきたNoismは、これまでの歩みを振り返って新潟市が明文化したレジデンシャル制度に基づき、9月より新体制となった。
井関佐和子が国際活動部門芸術監督に就任、学校などへのアウトリーチや市民向けのオープンクラスなどを運営する地域活動部門の芸術監督は山田勇気、双方を見据えてNoism全体の活動を総括していく芸術総監督は金森穣が務める。この新体制下の新作第一弾は、シューベルトの歌曲に振付ける愛と死を主題とした『Der Wandererーさすらい人』である。現在進行中の創作や新体制について、Noism0、Noism1を率いる井関佐和子に話を聞いた。
――副芸術監督という立場から国際活動部門の芸術監督に就任されましたが、創作の現場でご自分の意識において変化はありますか
井関佐和子 / 撮影:松崎典樹
井関:副芸術監督の時代は、芸術監督の(金森)穣さんが不在のときの代理として時折、皆のリハーサルを見たりすることはありましたが、基本的には舞踊家としての活動に重点を置いていました。今回就任した国際活動とは国内外に作品を創り、発信をしていくという意味合いで、Noism0と1の芸術監督という立場です。責任が結構のしかかってくるように感じますが、負けず嫌いなので、肩書きだけが独り歩きしないよう頑張っています。自分が踊っているときはもちろん集中しますが、皆を見ているときも五感をフル回転させて集中するので、これまで以上に疲れると感じるときがあります(笑)。
これまで穣さんが舞踊家に直接指導するというような二者の直線的な関係だったのが、私が加わることによって三角形になるイメージです。演出振付家と舞踊家双方にとって最善の方法は何だろうと考えるのが芸術監督の仕事です。どちらかだけに寄ることはなく、中立的な立場として両方に寄り添います。舞踊家たちが「演出振付家の意図がわかりかねる」というときに、私と(山田)勇気が通訳という形で介在できればと思っています。本来ならば、それぞれが年月をかけて自ら学ぶべきだとは思いますが、私たち二人にはこれまで過ごしてきた18年の歴史で蓄積されてきたものがあるので、それらを若いメンバーに分け与えるべきだと考えます。私が18年の中で積み重ねてきたことは、先輩としてどんどん伝えていきたいなと。私自身も舞踊家として若い時分にそういう人がいたら良かったなと思います。私は教師にはなれないと思いますが、コーチには向いているのではないかと思います。
―― 井関さんは副芸術監督以前、バレエミストレスという肩書きでしたが、この職務は一般的にはリハーサル責任者という位置づけなのでしょうか。
井関:バレエミストレス、バレエマスターというのはリハーサル監督にあたります。現在、Noism1には 専任者が不在の状態なので、今はそのポジションも私が兼任しています。 私自身Noism1にはリハーサル監督がすごく必要だと感じるので、次の段階で私の下にそういう立場の人がいるのが理想です。バレエミストレスはどちらかというと、舞踊家寄りの立場だと思いますが、芸術監督はカンパニーとして作品をどのような振付家にお願いするかや、その演出振付家の意図をどうやって最大限活かしていくかに力点を置いて見ていくものです。
―― 今回の新作『Der Wandererーさすらい人』の音楽は、シューベルトの歌曲のなかから愛と死をテーマにした20曲ほどが選ばれており、『魔王』『野ばら』など非常に有名な曲も含まれています。歌曲を単体として聴くときは歌詞の内容に思いを寄せて鑑賞しますが、金森さんによると「歌詞を逐一追った舞踊ではない」とコメントされていますね。
井関:歌詞はメンバーには渡されていて、もちろん皆その歌詞は読んでおりますが、詩にはメタファー(暗喩)が使われているので、どう解釈するかは個々に異なると思います。なので穣さんが内容をどう受け取っているかが影響します。どういう解釈であれ、詩の内容を説明するための舞踊ではありません。
この作品の命題は、今の世界情勢を受けどのように哀しみなどを表現するかというところにあるので、舞台に出る一人一人の人間が愛や死をどう表現するか、それを歌詞が包み込んでくれているという構造になっています。 舞踊家がその歌詞を表現しているわけではなく、ピアノの伴奏と歌と、舞踊家の三者のバランスで一緒に踊るという感じです 。そのなかで言葉というのはすごく強いので追いかけたくなるのですが、それを追いすぎるとすごく説明的になってしまいます。どこにも引っ張られない中間部分、それを観客の方々がご覧になったときにどう感じるかということが重要なのです。何か訴えようとするものが身体から溢れてしまい、それがたまたま歌詞と同じ意味合いだったという塩梅がちょうどいい。穣さんの言う「沈黙の言語」という言葉が一番ぴったりくる感じがしますね。
『Der Wanderer ーさすらい人』リハーサルにて、Noism0の井関佐和子、山田勇気 / 撮影:遠藤龍
9月1日のNoism新体制記者会見にて、井関佐和子
―― 詩人が紡いだ言葉をシューベルトは自分なりに解釈して、そのイメージから作曲しているので、 彼の音楽自体も詩そのものではないですね。
井関:おっしゃる通り、シューベルトの音楽も彼が見る詩の世界というイメージなので、その詩の言葉のなかのどの部分で本当に寄り添っていたのかというのは、私たちにはわかりません。あえて外す伴奏の箇所もありますし。あの不思議な感覚というのがまさに穣さんが表現したいところです。 観客の皆様は歌詞を一読されても、ストーリーを作りすぎない方が作品を楽しんでいただけるかと思います。一人の人間の長い人生を見ているような感覚で御覧いただけますよ。
―― 金森さんは個々のメンバーに「課題やチャレンジを課してどのように変容するか、彼らがどこまで到達するかを期待する」そうですが、現時点では芸術監督から見て、彼らはどのような感じでしょうか。
井関:彼らの内側にあるものが出るようになってきました。内側から見る自分と外側から見る自分とは随分違うもので、彼らが良いと思っているものが果たして最善なのかどうかを吟味する必要があり ます。 彼らはまだ若くて蓄積がない分、 自分が良いと思うものを観客の皆様にストレートに伝えようとしても結果的に一方通行のコミュニケーションとなり、深みが出てこないのです。そこであえて試練なり、彼らがいつもやらないようなことを振付として与えることで、彼ら自身が 「自分にはこういう良い点があったんだ」ということに気づき始めているように見えます。自分の課題とまだ戦い続けていたりもしますが、彼らが戦っている様というのは見ていてすごくいいなと思っています。人の振付を踊るとき、最終的にはその振りがすべて抜けて己が出現してこそ完結するわけですが、その完成形を近道で先に見つけてしまうということはすごく危険なことです。やはりいろんなところから刺激を受けて遠回りをしても最終的に見つけるのが真っ当な道だと思います。そういう意味では、今、それが始まったように感じます。振付けされた当初は、皆戸惑いながら与えられたことを一生懸命こなすことでいっぱいになります。表面的に先輩を模倣しても、彼ら自身の柔らかい質感だったり音色が出てくるようになるまでには相当時間がかかります。彼らは自分が納得するまで本当に長い間、ずっと稽古してますね。
―― 前作の『鬼』では集団として一体化して踊る場面が多く見られましたが、今回は各メンバーがソロを一曲ずつ担当するという構成です。舞踊家たちはソロを踊るという喜びと同時にプレッシャーも感じているのではないでしょうか。
井関:苦しんでる子もいますし、プレッシャーから抜け始めた子もいて、個々に本番に向かう途上にいます。全体的には、皆少しずつ成長してきています。そうすると一つのことに向いて共に進んでいる人たちだからこその「集団性」が浮き彫りになってくるという、不思議なことが起きています。
『Der Wanderer ーさすらい人』リハーサルにて、Noism0の井関佐和子 / 撮影:遠藤龍
『Der Wandererーさすらい人』のリハーサル指導をする井関佐和子 / 撮影:遠藤龍
―― 新作に向けて邁進しているNoism1のメンバーに芸術監督として伝えたいことはありますか。
井関:客観的に自分を外から見る、何か感情的になったときに一歩引いて状況を見るということができるようになると、受け取れるものが多いと思います。Noismのメンバーはすごく真面目なので、頑張るがゆえに自分の眼の前のものしか見えなくなりがちですが、視野の広さを常に持っておくといろいろなことを吸収できるし、舞台に立つ恐怖心も吸収できるようになります。心を閉じてしまうと恐怖心すら味わえないので、目と心を開いて作品と向き合えば次の段階に進めると思います。舞台に一人で立つ恐怖を知るのは、お客様が入ってからなので、本番でその重みを存分に味わってほしいです。私自身も経験がありますが、足が固まって一歩も動くことができない、でも自分の選択で足を出すしかない、という瞬間が存在するのです。そういうときは怖いものの、一番ゾクゾクするときです。そういった体験を含めて、彼らには未知の世界があると思うので、私自身もワクワクしています。
―― 井関さんご自身も出演なさいますが、金森さんから課題など出されていますか。
井関:穣さんに言わせると、逆に私が彼に課題を出しているそうです。クリエーションが始まり、私の振付の時間になって嬉しくなり 「よし!」と気合を入れて振り入れに望むと、振りのアイディアに対して意見して時間を引き延ばしてしまうこともあるそうです(笑)。また音楽が鳴り、覇気を出している私を見て「何か成立したように見えるから、まあいいかな」と思ってしまうらしいです。けれど「違う。俺は何かだまされてる。これではだめだ」と我に返るそうです。まるで私が悪魔みたいですね(笑)。穣さんとのよりクリエイティブな対峙のしかたというのが最近ようやくつかめてきたので、それはすごく楽しいです。Noism0は、Noism1のメンバーの成長を見守ると同時に、金森穣自身 がどれだけ新しいことに挑戦できるかというところに寄り添っているので、私自身も山田と共にそこに挑んでいきたいと思います。
―― 新潟ではスタジオ公演で観客の皆さんは舞踊家たちを間近で見られますが、東京公演は世田谷パブリックシアターという劇場で、それぞれ異なる上演になりそうですね。
井関:新潟のスタジオ公演は11回あり、至近距離でお客様に踊りをお見せするというのはすごく緊張します。大きい空間をイメージして踊るのですが、やっぱり空間が閉じている中で舞踊家と観客との密なる関係というのはすごく圧力を感じるものです。逆に舞踊家たちを間近で観るというのは、お客様にとっても緊張感を強いられることだと思います。その圧を感じて新潟で11回上演を終えた後の世田谷パブリックシアターでの抜けた空間で踊るときには、たまっていた圧が広がって大きなカタルシスを得られるのではないかと思います。舞踊家にとって、その落差を今回味わうことができるというのはすごく良い経験になるでしょう。今回の公演は二つの劇場の規模が違うのでやはり演出も変わってくるはずで、両者は全く違う公演になりそうです。公演回数も多いので、できれば両方見ていただきたいです。
―― リハーサル動画で舞台の周りが赤い花で飾られていますが、本番でも登場するのでしょうか。
井関:愛の象徴としての薔薇で、リハーサルで試行錯誤をしている段階で最終的にどうなるかはまだ未定です。「薔薇は白でもいいし、何色でもいいんじゃない?」と穣さんに話してみましたが、彼が「愛の象徴は赤い薔薇だ」と。今回の舞台美術は木工美術家の近藤正樹さんに担当していただいており、見どころのひとつです。すでに出来上がりに近い段階で、私たちもまだ実物は拝見していないのですが、彼のInstagram(https://www.instagram.com/masakikondo.woodworks/)などにも今回の舞台美術の 一端が伺えます。Noismとは『カルメン』(2014年)、『ASU〜不可視への献身』(2014年)、『ラ・バヤデール ─ 幻の国』(2016年)など、これまで何度もコラボレーションを行っていますが、素晴らしいアーティストです。
―― 今回の衣装も『鬼』『お菊の結婚』に続いて堂本教子さんがご担当されますね。ロングスカート姿でリハーサルしていらっしゃるようですが。
井関:はい、その通りです。今回は『鬼』のようなユニタードではありません。衣装は何処かの遠い異国の郷愁を感じる雰囲気になっていますね。今回の衣装もご期待ください。
―― 公演を楽しみにしております。本日はお忙しいところ、お時間をいただきありがとうございました。
9月1日のNoism新体制記者会見にて
『Der Wandererーさすらい人』
[新潟]
2023年1月20日(金)ー2月4日(土)
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈スタジオB〉
[東京]
2023年2月24日(金)ー2月26日(日)
世田谷パブリックシアター
◆Noism公式サイト
https://noism.jp/
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