新芸術監督寺田宣弘、プリンシパルダンサーのオリガ・ゴリッツァとニキータ・スハルコフが記者会見を開催、ウクライナ国立バレエ団来日

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

ロシアの侵攻が長期化し、過酷な冬を迎えつつあるウクライナの首都キーウの国立歌劇場(旧キエフ国立歌劇場)が来日した。12月17日より23年1月15日まで、ウクライナ国立バレエ団(旧キエフ・バレエ)『ドン・キホーテ』、ウクライナ国立歌劇場管弦楽団「第九」、ウクライナ国立歌劇場(旧キエフ・オペラ『カルメン』、ウクライナ国立歌劇場「新春オペラ・バレエ・ガラ」(第1部 名曲アリア・歓喜の歌、第2部バレエ『パキータ』)などを全国13都市で開催する。バレエ団52名、指揮者とオーケストラ54名、オペラ・合唱56名ほか、日本からの出演者も加えて総計200名が出演する。あらゆる条件が非常に厳しい状況下だが、「歴史に残る奇跡のツアー」とも言える大規模な引越公演が実現した。
そして今回公演の特記すべきことは、寺田宣弘が新たにウクライナ国立バレエ団(旧キエフ・バレエ)の芸術監督に就任した最初の日本公演である、ということだろう。いうまでもなく旧キエフ・バレエ団は、ボリショイやマリインスキーとともに世界に広く知られており、この名門バレエ団の芸術監督に日本人が就任した、ということは、師走の『くるみ割り人形』のメロディが流れている日本のバレエ界にとっても、特筆大書すべきニュースである。20世紀の世界のバレエ地図を知る者にとっては、まさに隔世の感がある、と言っても言い足りないほどの出来ごとであった。

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このウクライナ国立バレエ団の公演のために12月16日に神奈川県民ホールで、劇場総裁ミコラ・ジャジューラ、新芸術監督に就任した寺田宣弘、プリンシパルダンサーのオリガ・ゴリッツァとニキータ・スハルコフが登壇して、来日記者会見が開かれた。
ウクライナの最大の劇場、国立歌劇場があるキーウでは、ロシアの侵攻を受け、現在も昼夜を問わず空襲警報が鳴りわたることも多く、その度にリハーサルが中断される。しかし、週2回公演は続けられており、400人に限定されているが満員の観客が詰め掛けている、という。
つい先日行われたウクライナ民族舞踊専門のカンパニーによる公演では、5歳から10歳の子どもたちのアンサンブルの舞台が15時に始まる予定だったが、14時に空襲警報が鳴り響いた。直ちに子どもたち全員が退避した。そしてその1時間後、子どもたちは誰一人怖気付くことなく全員が舞台に戻って、公演は無事行われた。舞台にもどった子どもたちの目の輝き、勇気ある行動に、寺田芸術監督は心を打たれたという。また、今回の『ドン・キホーテ』公演で主役のキトリを踊る、オリガ・ゴリッツァは「最初は、サイレンが鳴ると慌ててしまい、何をしていいかわからなくなってしまいました。しかし、この頃はどうすれば良いか、段々と分かってきています」。実際、バレエ団ではサイレンがなってもリハーサルから脱落するダンサーは全くいない、そうだ。

そして囲み取材に応じた新芸術監督の寺田宣弘は、「12月の初めに総裁に呼ばれて、『もう精神的にも強くなっているだろうから、新しい仕事を引き受けてほしい』と言われました。その時はどういう仕事か分からなかったのですが、その翌日に要請を受け、正式に芸術監督に就任することになりました」「私がキエフ・バレエ学校の芸術監督に就任した2014年には、ロシアのクリミア侵攻がありました。ウクライナに来てから35年間の人生の中で旧ソ連の崩壊など様々な出来事がありましたが、私はウクライナという素晴らしい国とともに歩んできました。劇場総裁からは『新しい時代を創って欲しい』と言われました。私としてはよりいっそう国際交流を進めて素晴らしい芸術を提供していきたいと思います」と前を向いて強く語った。また、「今、キーウに残って踊っているダンサーたちとヨーロッパのほかの国に行って活動しているダンサーたちでは、考え方が全く異なっています。彼らをまとめていくことを、35年間ウクライナでバレエに打ち込んできた日本人の私に託したのだ、そうとも考えることも出来ます」とも語る。
「今、ウクライナには95名のダンサーが残っていますが、彼らは心からウクライナの文化・芸術を愛しています。日本でウクライナのカンパニーが公演をすることで、世界中にいるウクライナの人々にウクライナの芸術が生きていることを証明できます」
また、「ロシアに占領されているミコライウなどのウクライナの人々は、苦しくてもロシアから提供された食物を誰も受け取リませんでした。そういう状況の中で国民と一体になるために、我々もチャイコフスキーの音楽を使用しません」「私は10月にウクライナに戻りましたが、その日、私の家から歩いて5分くらいのところに2発のロケット弾が落ちました。その時、私はウクライナに戻って来てよかったな、と思いました。私が35年間お世話になった大好きな国の人たちの苦しみの10パーセントか20パーセントかを理解することができた、と思ったからです。そしてその時、私はチャイコフスキーは今は我慢すべき時だ、と思いました」
今後の舞台については、「まず、ジョン・ノイマイヤーとハンス・ファン・マーネンの作品の上演を実現したいと思っています。運良く、ノイマイヤーのカンパニーには3人のウクライナ人のプリンシパルがいます。ファン・マーネンのスタッフにもウクライナ人がいます。今、振付家やダンサーをウクライナに招聘する状況にはありませんが、彼らは『我々はウクライナに行くのは怖くない。母国のウクライナに戻ってサポートすることは生きる価値がある』と言って協力してくれます。こうして世界中の芸術家のサポートを受け、素晴らしい作品を上演してウクライナのカンパニーが進んでいき、各国に散っているダンサーたちにまた戻って来てほしいと思います」そして「95名のダンサーたちに夢と希望を与えることができるかどうか、まだ分かりませんが、毎日毎日前に進んでいこうと思います」と新芸術監督としての固い決意を表明した。
私は今回の記者会見の中で、特に、ミコラ・ジャジューラ総裁の「外国に来ても救急車のサイレンに身体が反応してしまう。けれども、今、ここでこうして皆さんが質問をしてくれるということは、ウクライナに本当に関心を持ってくださっていることだと思う。それにお答えすることは、戦場の第一線で戦っているのと同じだ、と思っている」という言葉が印象に深く残った。

ウクライナ国立バレエ来日公演の詳細は
https://www.koransha.com/ballet/ukraine_ballet/

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