ダンサーもろとも世界のすべてが消えていく見事な演出とピアノ連弾によるヴィヴィッドな動き、新国立劇場バレエ『春の祭典』

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

新国立劇場バレエ団

『半獣神の午後』平山素子:演出・振付、『春の祭典』平山素子 柳本雅寛:振付

新国立劇場バレエ団が平山素子振付の2作品、新作の『半獣神の午後』と『春の祭典』を上演した。
『半獣神の午後』は初演で新国立劇場バレエの男性ダンサーによる、群舞、デュオ、ソロで構成されている。音楽は笠松泰洋作曲の「Expiration」とクロード・ドビュッシーの「シランクス」「牧神の午後への前奏曲」を笠松が監修して構成している。出演は福田圭吾、渡邊峻郁、木下嘉人ほか12人の男性ダンサーが踊った。

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「半獣神の午後」撮影:鹿摩隆司

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「半獣神の午後」撮影:鹿摩隆司

半獣神とはギリシャ神話のサテュロスで森の妖精だが、半人半獣で男性として表現されるので男性ダンサーの踊りとしているのであろう。集団との関わりやパートナーとの関係の中で、<時空を越える旅人><重なり合い答えを探す存在><輝く肉体の交錯>という三つのシーンがドビュッシーの「美しく呪術を帯びた」音楽とともに踊られた。
舞踊構成は説得力のある建付けでおもしろかったのだが、ダンサーたちの理解がやや弱いようにも見えた。
<半>獣神ということも突き詰めた表現とも異なるわけで、ちょっと緩くなってしまったのかもしれない。もちろん、整然とした力強い群舞を目指したのではないだろうが、少々、決めかねたような気持ちで踊っていたようにも見えたのは、ちょっと残念だった。

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「半獣神の午後」撮影:鹿摩隆司

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「半獣神の午後」撮影:鹿摩隆司

『春の祭典』は再演だが、素晴らしい舞台だった。作曲家のイーゴリ・ストラヴィンスキーの趣旨を生かしたピアノの連弾演奏により、池田理沙子と中川賢が踊った。生演奏のピアノの音がダンサーの脳髄を刺激するのだろうか。音が二人のダンサーの身体の中に吸い込まれて共鳴し、二人のダンサーの身体から新たな表現となって溢れ出しているかのようで、客席が鋭い臨場感に包まれた。中川のシャープな安定した動きと池田のクラシック・バレエにより鍛えられた身体が、語り合うような春の音と融和して感じられてとても興味深かった。
ラストのダンサーもろとも地上のすべてが消えていく演出も、さすがに初演時の鮮烈な印象ほどではなかったとはいえ、実に効果的だった。ノアの方舟の物語にある大洪水を思わせる春の洪水より、世界が消えていくようにも感じられ、存在と非存在のコントラストが鮮やかに浮かび上がった。初演は男性二人のピアノ連弾だったが、今回の再演では女性二人の演奏にしたということだが、やはり微妙な音の違いがダンサーに大きな影響を及ぼすことがあるのだろう。
2005年にワスラフ・ニジンスキー振付『春の祭典』の復元版で生贄の少女役を踊って以来、平山の中で醸成されてきたストラヴィンスキーの音楽への創作の一つの帰結、ともいうべき舞台である。
(2022年11月26日 新国立劇場 中劇場)

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「春の祭典」池田理沙子、中川賢 撮影:鹿摩隆司

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「春の祭典」池田理沙子 撮影:鹿摩隆司

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