ステファン・リスナー(パリ・オペラ座前総裁)は語る、「パリ・オペラ座―響き合う芸術の殿堂」展

ワールドレポート/東京

香月 圭 text by Kei Kazuki

東京・京橋のアーティゾン美術館にて「パリ・オペラ座―響き合う芸術の殿堂」展が好評開催中だ。17世紀から現在までのパリ・オペラ座の歴史を彩った音楽、舞台芸術、建築、絵画、彫刻、そして文学、写真、ファッションに至るまでさまざまな芸術を丹念に取り上げ、総合芸術の発信の場として発展してきたパリ・オペラ座の魅力を多方面から考察している。
本展開幕に際し、パリ・オペラ座前総総裁ステファン・リスナー(サン・カルロ劇場総裁 )が来日し、11月5日(土)、「パリ・オペラ座ーー響き合う芸術の殿堂」の土曜講座 に「近代美術としてのオペラ」をテーマに講演を行った。彼は、パリ・オペラ座総裁在任時に、スペシャル・アドバイザーとしてこのプロジェクトの誕生を後押しした。
展示会場で姿を現したリスナーは、瀟洒な知的雰囲気を纏った典型的なフランス紳士だった。パリ・オペラ座展について、オペラ座バレエ団について聞きたいことは山ほどあった。しかし、超多忙な著名人への質問は、許されたごく短い時間だった。その中でも真摯で丁寧な紳士的な対応が心に残った。

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「パリ・オペラ座―響き合う芸術の殿堂」展 入口

ーーあなたが企画をサポートされたこの素晴らしい展覧会で、オペラ座の歴史についての理解が深まりました。舞台芸術の中心地であるパリ・オペラ座のバレエというのはどのような存在でしょうか。

リスナー:いつも申し上げていることですが、私にとってバレエは、そのクオリティーと歴史において、オペラと同様に重要なものです。パリ・オペラ座ではオペラとバレエのチームが同様に誇りを持って仕事に取り組んでいます。ガルニエ宮とバスティーユという新旧の二つの特徴を持った劇場を持つという点が、唯一無二の「パリ・オペラ座」なのです。

ーーCovid-19が蔓延していた期間、パリ・オペラ座はどのようなことを実践しましたか。

リスナー:パンデミックのおかげで、アートの力というものが社会に不可欠だと、私たちはあらためて考えさせられました。その間、パリ・オペラ座は観客の方々と関係性を保つために 様々な企画に取り組みました。「第3の舞台 (3e Scène)」と題した短編アート映像のストリーミング配信もスタートさせました。

ーーストリーミングのおかげで、ポール・マルクがエトワールに昇進する様子が見られたので、すばらしい試みだと思います。あなたの目指すオペラ座バレエの未来はどうなっていると思いますか。

リスナー:パリ・オペラ座の未来というのは、世界のバレエの未来といえます。コロナの間にオペラ座に限らず、あらゆる劇場や映画館 が閉まってしまいました。これからどうするか考えていく必要がありますが、そのことに関しては講演会で詳しくお話しします。

ーーパリ・オペラ座の舞踊監督がオレリー・デュポンからジョゼ・マルティネスに変わりますが、この人事についてどう思いますか。

リスナー:パリ・オペラ座というのは非常に複雑な組織で、監督としてバレエ団を率いて行くのもたいへん難しいことなのだと思います。彼の仕事がうまくいくように願っています。

ーーお忙しいところ、お時間をいただき、ありがとうございました。

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アーティゾン美術館

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エドゥアール・マネ《オペラ座の仮装舞踏会》1873年、石橋財団アーティゾン美術館

アーティゾン美術館で開催された「パリ・オペラ座ー響き合う芸術の殿堂」の土曜講座 第一回 で、ステファン・リスナーは「近代美術としてのオペラ」について語った。(本講座の逐次通訳は高野勢子が担当した)
リスナーは、「オペラ制作というのは非常に費用がかかるもので、助成金を受けられる公的劇場でないと費用を賄うことは難しいのです。パリ・オペラ座でさえ、助成金がなかったら、チケットの料金は現状の二倍に高騰してしまいます。オペラを創り上げるには、歌手、オーケストラ、演出家、照明、音響、衣装、緞帳を釣る係など、百程度の膨大な職務があり、稽古を何週間も行って作品を完成させていきます。20世紀になると、立体の舞台装置が平面的な背景画にとって変わりました。また現在ではビデオ映像も舞台で流すこともあり、 LED 照明などの費用もかかります。『魔笛』などの制作費は今のほうが余計費用がかかっているといわれています。現在、ウクライナとロシアの関係が悪化してインフレとなり、さらに制作費が高騰しています。」

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フランソワ=ガブリエル・レポール《悪魔のロベール、第5幕第3場の三重唱》1835年、フランス国立図書館
©Bibliothèque nationale de France

また、現在のオペラの観客について「これだけ多様な要素をまとめあげて作られたオペラの成功は簡単には望めません。オペラを見るには集中力、意欲が必要ですが、上演の際にはいろんな不具合が起こりうるものなので、それらを受け入れる寛容さも必要だと思います。批判精神はほどほどにしておいたほうが終演後の感動が増すのではないでしょうか。歌劇場には毎回来てくれる会員組織があります。しかしそういったオペラ・ファンは保守的な傾向があります。リヒャルト・シュトラウスが「オペラの問題、それは燃え尽きた灰を拝むようなものである」と言ったように、大胆な脚色はスキャンダル、冒涜と評され、自分が持っている CD のバージョンと近い演奏を好み、昔はよかったと嘆きます。彼らは 専門家の中の専門家で、自分が思っている演奏と違うと野次を飛ばすのです。こういった態度はオペラにあまり詳しくないお客様に、自分は正しく理解していないのか不安を与えます。演者の名人芸を期待するオペラ・ファンが私の目には残酷に映るときもあります。演者が失敗するのではないかと、半ばアクロバットを見るような目で彼らを見るのです。しかし、私は技巧を超え、自分の言葉として表現することができる歌手こそ偉大なアーティストだと思います。」これはそのままバレエの観方にも当てはまるだろう。

オペラの演出について「私はこれまでスペイン・イタリア・オーストリアなどで仕事をしてきました 。一般的に、ラテン諸国とアングロサクソン系とでは傾向が大きく違います。ラテン諸国ではまず何よりも美の探究を第一の目標とし、その美しさがまず第一の目標として舞台を作っていきます。一方、アングロサクソン系の劇場では、あるコンセプトのもとに美学を求めて完成させていくので、上演の際、物議を醸すこともありがちです。
また最近はオペラ上演の際に字幕を見せるようになってきており、私はこれを疑問視しています。今までオペラの舞台を見るというのは、オペラの演者の演技を見て、歌を聴くというこれまでも複数のことを観客に強いてきたわけですが、さらに字幕を見るという行為が加わり、肉体的神経的な負担が増大していると思います。さらに現在はビデオ映像も流すことがあり、観客が字幕を読むのに集中しすぎて舞台に目がいかなくなるのではと危惧しています。」

オペラの将来への提言として「社会が多様化していくにつれ、観客もそれに合わせて変化していくでしょう。私は従来の観客に加えて、より多くの新しい観客層を開拓したいと考えています。何を観客に提案すべきか、レパートリーに加え、芸術的アプローチについても考える必要があるでしょう。100年前の作品が現代の観客に訴える力を示すためには、伝統的で具体的な演出は面白くないと思います。特に若い層に向けて、時代設定を現代に移し替えることで男女の問題の普遍性を浮き彫りにしたり、現在の社会問題を反映したりすることができると考えます。」

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パリ・オペラ座ガルニエ宮内観
© Jean-Pierre Delagarde / Opéra national de Paris

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《『タンホイザー』初演のポスター》1861年、フランス国立図書館
©Bibliothèque nationale de France

パリ・オペラ座の未来について、リスナー氏は以下のようにしめくくった。「パリ・オペラ座にはガルニエ宮とバスティーユの二つの劇場があり、それぞれ建築様式や舞台の色彩なども異なるため、演出家はそれぞれの作品にあった劇場を選ぶことができます。1875年に落成式を行ったガルニエ宮からほぼ100年後、オペラ・バスティーユは1989年にガルニエ宮よりさらに巨大な劇場として誕生しました。最初のうちはオペラとダンスで劇場を分けていました。 建物は作品の雰囲気と共鳴すべきです。モーツァルトの音楽や『椿姫』のヴィオレッタのメランコリックな雰囲気はガルニエ宮にぴったりです。オペラをより身近に感じていただくために、オペラ・バスティーユではより多くの観客を受け入れています。バスティーユでオペラやバレエに親しんだ方々には、クラシックで優美なガルニエの方にも足を運んでいただければ幸いです。パリ・オペラ座の歴史と伝統に恥じないために、過去の遺産を引き継ぐだけという慎重な態度では不十分です。若い人たちには劇場に足を運んでいただくためには、彼らに敷居が高いと思わせてはなりません。革新性に満ち、未来に開かれた劇場であり続けてほしいと思います。」

「ボーモルのコスト病」(実演芸術のコストについて、経済学者のウィリアム・ボーモルは、オペラは時代が変わっても、生産性の向上が見込めないと論じた。すなわち、19、20、21世紀と時代とともに技術が進歩しても、クラシックの実演にかかわる人数はほとんど変化していないという主張[『舞台芸術―芸術と経済のジレンマ』(1966年)]、ルソーの「新エロイーズ」といったあまたの教養を引用しながら展開したリスナーの論説は、フランスの知識階級の鋭敏な知性を感じさせるものであった。革新性こそパリ・オペラ座の未来を切り拓くという、世界最高峰の劇場経営を歴任してきた人物の矜持を、聴講者は感じたことだろう。本展の公式サイトには今後の土曜講座についても紹介されている。

「パリ・オペラ座―響き合う芸術の殿堂」展 スペシャルサイト
https://www.artizon.museum/exhibition_sp/opera/

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