古典バレエを深化させて生と死のドラマの構築を試みた、新国立劇場バレエ団新制作『ジゼル』

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

新国立劇場バレエ団

『ジゼル』ジャン・コラリ、ジュール・ペロー、マリウス・プティパ:振付、吉田都:演出、アラスター・マリオット:改訂振付

新国立劇場バレエ団が『ジゼル』を新制作し、10月21日より全9公演を開催した。新版の制作にあたり、舞踊芸術監督の吉田都が自ら演出を手掛け、アラスター・マリオットがコラリ、ペロー、プティパの振付に基づき改訂振付を行った。マリオットは、英国ロイヤル・バレエ団ではソリストとして踊り、2003年にはプリンシパル・キャラクター・アーティストとなって振付家としても活動し、その舞台はオリヴィエ賞や英国批評家協会賞にノミネートされている。ロイヤル・バレエ時代には吉田とも多くの舞台で共演しており、お互いの芸術性を理解し合っているという。美術・衣裳は、新国立劇場バレエの『火の鳥』や『アラジン』も担当したディック・バードだった。吉田もマリオットもピーター・ライトの影響を受けており、現在も英国ロイヤル・バレエ団で上演されていて評価の高いライト版『ジゼル』(1987年)とは、どのように異なった表現を作るのか、ということにも興味を惹かれた。
今回は、小野絢子・奥村康祐、柴山紗帆・井澤駿、木村優里・福岡雄大、米沢唯・渡邊峻郁、池田理沙子・速水涉悟という5組の主役キャストが組まれていた。私は初日の小野絢子・奥村康祐のペアで観ることが出来た。ヒラリオンは福田圭吾、ミルタは寺田亜沙子、ベルタが楠元郁子、バチルドが益田裕子、ペザントのパ・ド・ドゥは池田理沙子・速水涉悟だった。

Z9A_9209.jpg

「ジゼル」小野絢子、奥村康祐  撮影:鹿摩隆司

開幕では、多くの村人たちがあちこちで葡萄の収穫祭のために忙しく立ち働いている情景。『ジゼル』は、秋模様の美しい風景の中にアルブレヒトが登場する、という開幕シーンがルーティーンだからいささか虚をつかれ新鮮に感じられた。その後もテンポ良く物語が進行し、終始、盛りだくさんの踊りが舞台に繰り広げられた。
この新制作のヴァージョンの1幕の物語的特徴は、ペザントのパ・ド・ドゥがジゼルが首飾りを貰ったお礼としてバチルドとクールランド公一行に見せるために踊られる、という点だろう。通常版では葡萄の収穫祭の余興として踊られるこの踊りが、ドラマの中に組み込まれ、貴族の娘バチルドと村娘のジゼルがそうとは知らずアルブレヒト一人を婚約者と思い込んでいることの悲劇の振幅を一段と高めている。収穫祭はドラマの背景として進行しており、ジゼルはこの祭りの女王に選ばれアルブレヒトと楽しい踊りのひと時を過ごした後に、ヒラリオンの告発となる。
一方、ピーター・ライト版の『ジゼル』では、ぺザントのパ・ド・ドゥは男性3人と女性3人のパ・ド・シスとして踊られる。パ・ド・シスに改訂したのは、収穫祭の余興ではなく、村人たちの祭りそのものを表現するために、より空間的な広がりを持つ踊りにしたと推察される。村という共同体がそれぞれの村人たちの役割によって支えられ、葡萄の収穫を分かち合い、同じ精神的風土を持った人たちが共鳴し共感するイベントとしての祭りを表している。
ジゼルの母、ベルタの描き方も異なっている。ライト版のベルタは、ヒラリオンから狩の獲物を貰ったり重いものを持って貰うなど親しく暮らしている。ベルタには村人としての生活感があった。新制作のヴァージョンのベルタは、細々とした描写はないが、恐ろしいウィリ伝説を語り、視線はどこか遠くを見ている。彼女は死の国からのメッセージを伝える人の様でもあり、生活感のある母親というよりも抽象的な存在にみえた。そして2幕のミルタとパラレルな存在として位置付けられているのではないか、とも感じられた。

2幕はとても良かった。登場人物の把握とドラマの成り行きが明解であり、ほとんど隙なく充実した踊りが展開していたし、舞台全体が音楽に乗って進行していた。リトアニアの十字架の丘からインスピレーションを得たというディック・バードが作った十字架が立ち並ぶセットは、ウクライナ戦争の墓地をも連想させ、プリミティヴな死の国の様相が実は現代に通底するものとして表されており、不可思議な雰囲気を漂わせていた。
全体に、ロマンティック・バレエが主題としている幻想的な美を、生と死の演劇的ドラマとして捉え直している。生の国は貧富や階級という不条理によって構成されており、厳しい愛の悲劇が起きる。しかし、その悲劇は死の国を経て、真実の愛となることができる、とこのドラマは語っていたのではないだろうか。そこには、古典バレエを深化させることにより、今日的な命題を描く、というチャレンジングな試みがあったと思われる。

No_1509.jpg

「ジゼル」小野絢子、奥村康祐  撮影:鹿摩隆司

小野絢子は彼女ならではの嫋やかな魅力を充分に表し、テクニックにも安定感があった。そしてラストシーンの、自身の墓の中に安寧を得るまでのジゼルの人生をしっかりと踊り切った。帰路についた観客のそれぞれの胸には、小野絢子のジゼルが結像していたに違いない。奥村も2幕は苦しみしかないが、良く踊り、身体を投げ打つようにして悔悟とジゼルへの深い愛を表した。幕切れでは、生まれ変わった自分自身にちょっと戸惑っているようにも見えたのは、熱演の賜物なのかも知れない。ヒラリオンの福田圭吾も寺田亜沙子のミルタも楠元郁子のベルタもそのほかのソリストも、それぞれの登場人物像をはっきり理解して演じていることが感じられた。舞踊芸術監督が強調していた演劇的な成果はあったと思われる。また、コール・ド・バレエもポワントの音も揃って乱れがなかったし、日本人らしいエレガンスを舞台全体に醸し出していたことには、大変に感心させられた。
(2022年10月21日 新国立劇場 オペパレス)

No_1371.jpg

「ジゼル」寺田亜沙子(中央)  撮影:鹿摩隆司

記事の文章および具体的内容を無断で使用することを禁じます。

ページの先頭へ戻る