上野水香が集大成ともいうべき崇高なニキヤを造形し、柄本弾のソロルと息の合った舞台を見せた

ワールドレポート/東京

佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki

東京バレエ団

『ラ・バヤデール』ナタリア・マカロワ:振付・演出(マリウス・プティパの原振付による)

東京バレエ団がマカロワ版『ラ・バヤデール』を5年振りに上演した。この古典バレエの名作は、古代インドを舞台に、愛し合う舞姫(バヤデール)ニキヤと戦士ソロルが、ニキヤに求愛する大僧正ハイ・ブラーミンや、ソロルに娘ガムザッティとの結婚を強いる国王ラジャの陰謀により引き裂かれる悲劇を壮大なスケールで描いたもので、異国情緒にあふれている。バレエ団としての初演は2009年で、再演を重ね、シュツットガルトやオマーンでも高い評価を得た自信作である。
ニキヤとソロルはダブル・キャストだった。一組は、バレエ団の看板スター、上野水香と柄本弾。もう一組は、プリンシパルに昇進したばかりの躍進目覚ましい秋山瑛と、端正なテクニックや演劇性に定評のある秋元康臣だった。ガムザッティは、前回も上野&柄本と共演した伝田陽美と、今回が初役の二瓶加奈子が務めた。上野は、今年、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞するなど円熟期を迎えており、今回がこの作品の集大成の舞台ともいえる。そこで上野と柄本が出演する初日を観た。

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© Koujiro Yoshikawa

マカロワ版は3幕構成。第1幕では、トラ狩りから戻ったソロルら戦士の入場に始まり、拝火の儀式やソロルとニキヤの逢引などが続き、ラジャの娘との婚約を迫られるソロルの逡巡や、ソロルを巡るガムザッティとニキヤの確執が描かれる。場面はガムザッティとソロルの婚約披露宴に移り、祝いの舞を踊るニキヤが花籠に隠された毒蛇に噛まれて死ぬまでが、一気にドラマティックに展開される。第2幕の"白いバレエ"として有名な「影の王国」は、ソロルが見た幻覚の世界である。第3幕は神殿での婚礼の場。ニキヤの幻影がソロルの心を惑わし、ガムザッティを恐怖に貶め、儀式が混乱に陥る中、神々の怒りが神殿を破壊し、すべてを埋め尽くす。静けさが戻り、ニキヤの魂がソロルの魂を天上に導いていく、救いを象徴するシーンで幕となる。
マカロワ版では、婚約披露宴での「太鼓の踊り」などの特色ある民族舞踊は省かれており、踊りの多様性の点では物足りなさを覚えもするが、反面、ドラマは凝縮され悲劇性は高まった。また、一時期は削除されていた「神殿崩壊」を復活し、婚礼の儀式の進行を丁寧に描いている。特に、ソロルとガムザッティの踊りにニキヤの幻影が割り込み、ラジャも交えてのパ・ド・カトルになる様はスリリングで、ニキヤに渡されたのと同じ花籠が持ち込まれもする。こうした演出により、ニキヤへの永遠の愛の誓いを反故にしてガムザッティとの婚礼に臨むソロルや、ニキヤへの罪悪感に苦しむガムザッティ、自分たちの画策の結末と対峙させられるラジャやハイ・ブラーミンなど、それぞれのあり様が浮き彫りにされる。そんな人間の業の深さが神々の怒りを招いたのだと、マカロワは訴えているようだ。

ニキヤは上野が繰り返し演じてきただけに、仏像に特有の腕や手のポーズを滑らかにこなし、高く振り上げた脚に意志をこめ、跳躍や回転技でも身体の隅々まで感情を行き渡らせていた。神殿の舞姫という低い身分にもかかわらず、ハイ・ブラーミンのしつこい愛の告白を毅然とはねつけ、ソロルとの密会ではリフトされる度に喜びを溢れ出させて弾む心を伝えていた。高価な宝石を押し付けてソロルとの別れを迫るガムザッティに抵抗するうち、刃物を振りかざしてしまうが、逃げるように去る時、そんな行動に走った自分への嫌悪感のようなものも見て取れた。
婚約披露の宴では、振り上げた脚に儚さを滲ませ、背中には哀しみを漂わせて踊ったが、ソロルからの贈り物と信じて花籠を受けて喜ぶ姿との落差は大きく、毒蛇に噛まれた自分を見捨てようとするソロルに絶望して果てる最期を際立たせた。
「影の王国」では透明感のある流れるような美しい踊りをみせ、「神殿崩壊」では、風が吹き抜けるように人々の間を縫ってステージを横切ったが、恨みからではなく、神に遣わされての行動のようにみえた。幕切れ、白いスカーフを高く掲げてソロルを導く姿は清々しく映った。こうして上野は、権力や財力などに屈せず、純粋に愛を貫く崇高なニキヤを造形してみせたのである。集大成といえる演技だったろう。

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© Koujiro Yoshikawa

ソロル役は共演を重ねてきた柄本弾だけに、息の合った舞台だった。しなやかなジャンプなど躍動感あふれる踊りで、どの瞬間を切り取っても絵になるようなポーズの連続だった。ニキヤとの密会では溌剌とデュオを展開したのに対し、婚約披露の宴ではガムザッティには慇懃に接し、踊りの見せ場では勇士らしくパワフルな跳躍や強靭な回転技を披露した。ニキヤに心を残しながらガムザッティとの結婚を承諾するといった煮え切らないソロルを自然体で表現していたが、瀕死のニキヤを置いて去ろうとしたものの、彼女が息絶えようとする間際に慌てて駆け寄り抱きしめた。そこにソロルの本心をみる思いがした。
「影の王国」ではニキヤと呼応するように透明感のある踊りを見せたが、「神殿崩壊」では、ニキヤの幻影に取り憑かれて抜け殻になったような状態で終始しただけに、ニキヤの魂に救われて天上に向かうラストがまぶしかった。

ガムザッティの伝田陽美は、ニキヤには命令に従うように威圧的に振る舞い、ソロルに対しても彼の心をコントロールしようとするなど、気位の高いわがままな王女そのものだった。婚約披露の宴では勝ち誇ったように安定したイタリアン・フェッテやグラン・フェッテを披露したが、神殿での結婚式では見えないニキヤの幻影に怯え、自身の罪深さに苛まれる様が、自業自得とはいえ哀れにみえた。ハイ・ブラーミンはブラウリオ・アルバレスで、ニキヤへの狂おしい愛やソロルに対する嫉妬のあまり、大僧正という立場を忘れて行動してしまう生身の人間をリアルに伝えていた。ダンサーでは、苦行僧の長マグダヴェーヤの岡崎隼也が拝火の儀式で豪快なジャンプをみせ、ブロンズ像の池本祥真が、神殿の神々に捧げるように、空中での脚のポーズも逞しくスケールの大きなジャンプを繰り返した。
群舞もこの作品の見どころである。幕開け、儀式に臨むバヤデールたちの清楚な群舞と、裸に近い苦行僧たちのワイルドなジャンプが観る人を異国の世界へと引き込んだ。最も注目されるのは「影の王国」の群舞。白いチュチュのバヤデールの精霊たちが、一人ひとり斜面を下りて舞台上に並び、フォメーションを変えながら、指先や足先の角度まで美しくそろえて踊り、静謐で神秘的な雰囲気を醸していた。ニキヤとソロルの踊りや、3人の精霊によるヴァリエーションも含め、見応えある「影の王国」だった。
『ラ・バヤデール』の魅力である多彩な踊りとスペクタクルな展開が十全に発揮された公演である。
(2022年10月12日 東京文化会館)

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