勅使川原三郎、令和4年度文化功労者顕彰に寄せて「知る喜びを他者と分かち合うことほど面白いことはない」

ワールドレポート/東京

香月 圭 text by Kei Kazuki

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photo by Akihito Abe

勅使川原三郎が令和4年度の文化功労者として顕彰されるにあたり、記者取材会が10月22日カラス アパラタスにて行われた。勅使川原自身の筆による素描画が飾られたスタジオに、全身黒のスーツで登場した勅使川原は穏やかな表情で次のように受賞の辞を述べた。
「この選定に私が選ばれたということはありがたいことで、身が引き締まる思いです。私が行ってきたことに対して、これまで関わって頂いた仲間や賛同してくださった 方々、支援 ・激励してくださった方々、そして教えていただいた方々に感謝したいと思います。皆様の支えなしでは私がこの場にいることはあり得ません。
ダンスを創るためにはまず身体があり、思いがあることが出発点ですが、それだけでは作品を創ることができません 。自分の中にある、決して充足することのないもどかしさが創作への最も強い力になっています。自分がどんなものを感じる人間であるかということを探り、 未知なるものへの興味を湧かせながら創作をしています。無知であること、また自分がいかに何もできないところから〈知る喜び〉を感じることができます。知らないことと出会い、それに対して語りかけてくれる仲間ができ、たとえ見知らぬ人達であってもそのような喜びを分かち合えることがあったら、それほど面白いことはないと思っています。
半分に折った紙に例えると、折り目の半分側はやりたい事から一旦離れ、苦手なことに取り組むことに費やしたこれまで50年間の表現者としての歩みであり、まさにこれから折り目の反対側へ向かって、私は一歩足を踏み出したところであります。創作はこれからも大いにやっていこうと思っているので、今回の顕彰はこれまでご苦労さんという意味よりも、〈これからも頑張れよ〉と言われているような気がします。」

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photo by Akihito Abe

彼の独創性について質問されると、彼は以下のように答えた。
「私はダンスを創る以前に、まず人間として生まれ、皆さんと同じように以前から様々なことを感じていたと思います。そして〈自分がどのように感じているか〉ということを言語化したり人に伝える前に、一人で吟味し大事にしていたように思います。言葉にしてしまうと人に知られてしまうかもしれないという幼い思い、あるいは自信のなさとともに孤独でいた時間もあったかもしれません。空の一点にある雲をじーっと長い時間見ていたことがあり、そのとき自分自身は何を感じ、何を見ていたのかということを自問自答することが始まりました。ごく当たり前のことでも観察を続けると謎や疑問、興味など何かを感じ始めるものですが、感じたことをどう膨らませるかという点に独創性が問われると思います。 もしかしたら他の人たちも同じように感じるかもしれないし、彼らには絶対分からないものであるかもしれません。つまり独創とは誰でも感じることでもあるし、その人しか感じないことであるかもしれない 。しかしそれは真似ということとは全く違うことであるし、人といかに違うかということでもないと思います。」
クラシック・バレエを10年間学んで 創作活動に移行した経緯について、彼は次のように説明した。
「はじめはドローイングとか絵を書きたいと思っていましたが、ある時〈自分の体があるのに、他の代替物のようなものを使って表現するのはどうももどかしい〉と感じました。自分が得意なことだけに執着していたら、自我の中に埋没してしまって自分は駄目になると思ったのです。慣れ親しんだ世界から離れて、今まで経験したことがない、自分を見せるバレエをすることによって、自分の知らない世界に自分というものを飛び込ませようとしたのです。しかしその時から思い通りに動かない身体をもどかしく感じることによって、逆に自分自身を初めて感じることができました。西洋では何百年も続けられ、能と同じくらい長い歴史を誇っているクラシック・バレエの技術を習得しようと、10年間お稽古だけをしていました。しかし、私がやりたいダンスの表現の技術はそれだけでは収まらず、数では数え切れないもの、あるいは線では描けないもの、質感やボリューム、スピード感といった数値化できず、造形化もできないことを私は表現したかったのです。古今東西の名作の真似をする気は一切なく、ダンスを行い、実験することが好きでした。自分が創りたい作品の要素や考えはすでに溢れるほど抱えており、ひとたび作品を創ることになってからは創作に集中しています。ダンスの技術については研究することによって得られますが、ダンスの創作に関しては、ダンスのことから一旦離れないとダンスの創作はできないというのが私の考え方です。」

勅使川原三郎は昭和28年に東京都に生まれ、美術を志す中で舞踊に転じ、クラシック・バレエを10年学んだ後、昭和56年から独自の創作活動を開始する。昭和60年に宮田佳とダンスカンパニー「KARAS」を結成、昭和61年に世界的なダンサー・振付家の登竜門とされるフランスのバニョレ国際振付コンクールで日本人として初めて入賞。独自のダンスメソッドを礎として、肉体と空気や光との関わりに着目し、それまで取り上げられてこなかった要素を身体表現として結実させた。その作風は欧米のダンスや我が国の舞踏とも異なり、舞踊の新たな地平を切り拓いたとして高い評価を得ている。パリ・オペラ座バレエ団、フランクフルト・バレエ団、ネザーランド・ダンス・シアター、バイエルン国立歌劇場バレエ団など欧州のカンパニーに委嘱され、作品を創作してきた。
彼は振付・演出・舞台美術・照明デザイン・衣裳・音楽といった舞台のすべての要素にも携わり、オペラ演出の分野では、エクサンプロヴァンス・フェスティバルやフェニーチェ歌劇場などで演出・振付・照明・衣装デザインを手がけている。令和2年より愛知県芸術劇場の芸術監督に就任。舞踊に留まらない様々な芸術分野における活躍が今後も期待されている。
創作活動と平行して、国内外でのワークショップを運営、また平成18年より立教大学、平成26年から多摩美術大学で教壇に立つ。
昭和63年、平成13年、平成20年に舞踊批評家協会賞、平成19年に芸術選奨文部科学大臣賞、同21年に紫綬褒章、同29年にフランス芸術文化勲章オフィシエ、平成4年にヴェネツィア・ビエンナーレ・ダンス金獅子功労賞など国内外での受賞多数。

11、12月にはミラノやフェラーラ、ペサロ、ソロメオ、モデナ、ブレシアのイタリア6都市で『Adagio』を巡演し、年明け2023年1月13日、14日、15日には東京・両国のシアターΧにて「ドローイングダンス」第二弾の上演が決定している。

KARAS公式サイト
https://www.st-karas.com/

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