日本初の音声ガイド付きバレエ公演が実現!「チャイコフスキー3大バレエの世界へようこそ」公演レポート

ワールドレポート/東京

坂口 香野 Text by Kaya Sakaguchi

横浜市の神奈川県民ホールは、年齢、国籍、障害の有無に関わらずすべての人にひらかれた劇場であるために、これまでも他言語対応スタッフや手話通訳士による案内、字幕付き公演など、数々の取り組みを行ってきた。8月20日の公演 OPEN THEATER 2022「チャイコフスキー3大バレエの世界へようこそ! 」(出演:東京シティ・バレエ団)では、視覚に障害がある観客のための音声ガイドを準備。クラシック・バレエの音声ガイド付き公演は、日本では初めての試みだ。

目が見えなくてもバレエは楽しめる

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撮影:川島浩之

もし目が見えなかったら、「見る音楽」ともいえるバレエをどうやって楽しむのだろう。 音声ガイドがあれば楽しめるものなのだろうか。取材にあたり、まず頭に浮かんだのはそんな疑問だった。神奈川県民ホール事業課の師岡斐子氏と、音声ガイドを手がけたPalabra株式会社の松田高加子氏らに、公演前日の慌ただしい中、リモートでお話をうかがうことができた。
「音声ガイド付きバレエ公演は、難しいチャレンジだとは思います。でも、今回の公演は三大バレエの見所がギュッと詰まった、大人も子どもも楽しめる構成になっていますので、やらずにあきらめるよりまずはやってみようと」と師岡氏は語る。「バレエ公演では、男性の回転ジャンプや32回転グラン・フェッテなど、素晴らしい技が決まったときにみんなで拍手して楽しみますよね。私自身、バレエを見慣れていない頃は拍手のタイミングがわからず、戸惑ったことがありました。誰もが疎外感を感じることなく、一緒に拍手ができる公演にすることが目標です」。
映画や舞台芸術、スポーツ観戦の音声ガイドや字幕などを手がけてきた松田氏は、自身がバレエ経験者だが、今回のガイドを引き受けるにあたって少なからず迷いがあったという。「先天性の盲目で視覚を使ったことのない方にとっては、バレエはおおむね音楽でしかないですし、バレエを見たことがある中途失明の方は『今の自分には楽しめない』と思われるのではないかと。だからといって、チャレンジする前から"視覚障害者はバレエを見ない"と決めつけてしまうのは絶対間違いだと思います」

ヒアリング会

ヒアリング会

神奈川県民ホールでは、これまでも公演やイベントの前後にヒアリングの場を設けて当事者の方々の意見を聞いており、聴覚障害者の観客向けに、字幕などで鑑賞サポートを行った公演も好評だったという。「聴覚に障害がある音楽好きの方は多いんです。『健聴の人に、聴覚障害だから音楽は楽しめないでしょうって言われると腹が立つ、勝手に決めつけないでほしい』ってよく言われます」と松田氏。今回も、事前ヒアリングで視覚障害者の方々から様々な意見を得た。
「20代の男性で先天性盲目の方は、最初は生オーケストラが聴けるなら行ってもいいかな、くらいの反応だったんですけれど、いろいろ説明しているうちにちょっと興味がわいたと言ってくださって。来てくださるなら、音楽だけでなく動きの素晴らしさも伝えたい! と気持ちに火がつきました(笑)」(松田氏)。
「バレエは言葉や気持ちを身体で表現する芸術でしょうから、単に動きの情報だけでなく、動きの感情も教えていただけたら共感できるかもしれないと答えてくださった方がいて。たしかに、ダンサーの身体からあふれてくる精神性こそ、バレエの見所ですよね。逆にバレエの見方を教えていただいた気がしました」(師岡氏)。

今回のプログラムは、『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』の名場面で構成されている。音声ガイドのシナリオは、物語の解説や見せ場のテクニックなどについて事前に執筆を進めておき、公演5日前の通し稽古で詳細を把握した上、一気に完成させたという。
「舞台上から聞こえるのが何の音なのか。トウシューズがどんなものでどんな立ち方をしているのか、適切な情報を出していくことで、舞台ならではの臨場感を味わっていただけるのではないかと」と松田氏は語る。
たとえば小刻みに舞台を移動していくトウシューズの音、ジャンプの踏切や着地音。音声ガイドの解説と舞台上の音から浮かび上がる「バレエ」は、きわめて豊かな世界かもしれない。むしろ、バレエを見慣れている自分は「バレエとはこういうものだ」と頭で決めつけて、ちゃんと見ていない――目の前で起こっていることの素晴らしさを味わい切れていないのかもしれない、とも思えてきた。
音声ガイドは、「目で見ながら聴いていても違和感がないこと」が大切だという。そんなガイドなら、視覚障害者のみならず、バレエを初めて見る人にとっても素晴らしいに違いない。しかし、音楽もしっかり聞かせつつ、見せ場のテクニックも、踊りの感情や物語も伝えるなんて可能だろうか。翌日、私自身も少しドキドキしながら劇場を訪れた。

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ロビー風景 撮影:岩田えり

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ロビー風景 撮影:岩田えり

オープンシアターで体験!「観ながら聴く」バレエ

今回の公演ではバックステージツアーなども企画されており、子どもの姿も多い。舞台前方には車いす席や補助犬の同伴が可能な席、聴覚補助のためのヒアリングループ席が設けられている。音声ガイドは、美術館や博物館などでよく見かける、片耳にかけるタイプのもの。聞きやすい位置に調整すると、開幕前の解説が流れ出した。
「ただいま皆様の目の前にあります舞台は、すでに幕が開いております。舞台の手前3分の1には黒いシートが敷かれ、ここがダンスエリアです。舞台中程から奥はオーケストラのスペース......」目を閉じて聴いていると、舞台奥に並ぶ楽器が目に浮かんでくる。「演奏者は全部で70人、重厚な音楽をお楽しみください」
続いて、バレエの説明が始まる。衣裳やシューズの説明、トウシューズでの立ち方、バレエのテクニックやよく出てくるポーズについても解説があった。
「アラベスクは片足で立ち、上げた脚をまっすぐ後方へ伸ばすポーズです。アラベスクをしながら片手を前方へ伸ばす時などは、脚のつま先から指先まで体のラインがまっすぐになり、目を奪われるほど美しいです」。なるほど、開演前にこんな情報をもらっておけば、上演中に「アラベスク」と言われた時、そのポーズのイメージを浮かべられるかもしれない。

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撮影:川島浩之

「客席が暗くなっていきます。見る音楽、動く絵画と呼ばれる総合芸術を、どうかお楽しみください」。ガイドの声は温かみがあり、控えめに優しい。指揮は湯川紘惠、演奏は神奈川フィルハーモニー管弦楽団。
まずは『白鳥の湖』の有名なテーマを音楽のみでたっぷりと聞かせ、少し間をおいて音声ガイドが物語のあらすじを説明。続いて白鳥のコール・ド・バレエ(群舞)の登場シーンだ。
「舞台上が青い夜の色に染まる。上手奥から一人、また一人と出てくる。横線を何本も描くように、舞台を埋めていく。衣裳は全員同じ、白いトップスに羽でできたクラシック・チュチュ:腰から横に張り出したスカート。羽の髪飾りもつけている。」
動きの解説には、時計の文字盤で方向を伝えるクロックポジションが使われていた。「7時の方向にパン、2時の方向にスープがあります」というふうに介護の現場で使われる、目の不自由な人にとってなじみ深い表現だが、これがバレエの動きと相性がよい。
「4人ずつ縦4列になる。手を大きく回しながら、7時の方向を向く。5時の方向を向く。深呼吸するようにのびのびと体を動かす」
「列が真ん中から割れて、左右が入れ替わる」
 オデット(清水愛恵)とジークフリード王子(吉岡真輝人)が登場し、二人の語らいと4羽の白鳥の踊り、オデットのヴァリエーションと見せ場が続いていくのだが、音声ガイドは的確な動きの説明に、少し主観の入った解説を絶妙のバランスで織り交ぜていく。
「白鳥たち、羽を休めるように両手をそろえてポーズ」「水を蹴るイメージで脚を伸ばす」「波打つ水面のように、チュチュが揺れる」......。目を閉じても、見ながら聴いても別の楽しさがある。

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撮影:川島浩之

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撮影:川島浩之

オーケストラの楽団員と観客も加わってマイムで会話を繰り広げる、アットホームな雰囲気の「体験コーナー」をはさんで、『眠れる森の美女』第3幕から名場面が上演された。リラの精(折原由奈)と妖精たちの踊りに続き、オーロラ姫(斉藤ジュン)とデジレ王子(福田建太)による見せ場たっぷりのグラン・パ・ド・ドゥが始まると、音声ガイドはがぜん、熱を帯びてきた。
「デジレが腕を差し出す。オーロラがピルエット、4回転して倒れ込む。デジレ、地面から45度のところでぴたりと抱き止める」
「オーロラがピルエット、4回転。真上にリフトされ、リプカ:水に飛び込む魚のようなポーズ。オーロラはデジレの太股と腕の間に挟まれ、宙づりの状態で片脚を高らかに上げました」
この感じは、ちょっとプロ野球のラジオ中継に似ているなと思う。聴いているうちにいつのまにか解説に引き込まれ、スタジアムで風に吹かれつつ打球のゆくえを追っている気分になる、あの感じだ。舞台を見ながら聴くと、副音声の実況解説を聴きながら観戦をしている感覚に。斎藤と福田の息のあったパ・ド・ドゥと、ガイドの気持ちの乗った語りが解け合って心地よい。
最後の演目は『くるみ割り人形』。植田穂乃香による金平糖の精のヴァリエーションに続き、『白鳥の湖』『眠れる森の美女』のキャラクターも総出演する特別ヴァージョンの「花のワルツ」がはなやかに踊られ、劇場は拍手に包まれた。終演後のロビーには、くるくる回ったりバレエ風のステップを踏んだりする子どもたちの姿もあった。

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撮影:川島浩之

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撮影:川島浩之

「聴くバレエ」「触れるバレエ」の可能性

劇場内の会議室では、音声ガイドを使用した視覚障害者の方々へのヒアリングが行われた。先天性盲目の方から中途失明で過去にバレエを見たことがある方、まったく見えない方から少しものの形が見える方など、一人ひとり見え方も様々だ。
最初にマイクを渡された女性は、この取り組み自体にとても感動すると語った。「バレエは、踊りで言葉を表現しているんですね。タイムリーに音声ガイドをつけてくださったので、羽生選手のフィギュアスケートを聴いているようでした。少し世界が広がった感じがしました。盲導犬にも一席いただいて、ゆったり鑑賞することができました」
「僕は全盲なので、見ることを中心とした企画には無縁だと思っていました」と語った男性もいた。「でも今日は『鳥の羽のように両手を広げて』といった情景や、ダンサーがどの方向から登場して去っていったかを解説してくれたので、足音を聴きながら、こういうふうに動いているんだなと想像しやすかった。これを体験したい方はほかにもいると思う。すごくいい企画だと感じています」
オーケストラの音量が大きいとガイドが聞こえなくなってしまうなど、音響の精度などにはまだ課題がありそうだ。しかし、今回の取り組み自体は全体として非常に好評で、スタッフ一同、胸をなでおろした様子だった。数人の女性からは、チュチュの形がイメージしにくいので触ってみたいという意見も出た。「生地は軽いのかな。レースのカーテンみたいな感じかな」「触る企画、良いですね。ぜひバレエ団のほうにお願いしてみましょう」
ヒアリング後には、実際にガイドを担当した持丸あい氏らにも話を聞くことができた。
「言葉が間に合わず、解説が動きとズレてしまったら見える方は不快に思われるんじゃないかと不安でしたが、『嘘だけはつかないように』と肝に銘じてガイドしていました」。『眠れる森の美女』では、こんなに盛り上げていいものかと迷ったものの「この素晴らしさを伝えなくては」と、ついつい熱が入ったと持丸氏は語る。また「バレエは磨かれた技術の結晶でもあるので、テクニック名も入れたほうがバレエ公演を観に来た感じが出るのでは」という考えのもと、ポアント、ピルエットなどのバレエ用語を、説明を交え要所要所で取り入れたという。「今後はバレエを見慣れている人向けやバレリーナのコメントが聴けるなど、いろいろな音声ガイドチャンネルが選べるようになったら楽しいかもしれない」「もっとテクニック名の解説をしてほしい、あそこはピルエットが入ってたんじゃないの? なんておっしゃるようなリピーターがみえたら嬉しいですね」などと、スタッフ一同から様々なアイデアが出た。「触る」企画についても、衣裳やシューズを触るだけでなく、ジャンプの着地の振動や跳んだ距離、ピルエットが起こす風を稽古場で間近に体験する機会があったら、もっとバレエの素晴らしさを感じてもらえるかもしれない。

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撮影:川島浩之

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撮影:川島浩之

すべてのおとなと子どもたちに ひらかれた劇場へ

全国で数多くのバレエ団がバレエの普及活動に取り組んではいるが、バレエ団単独の活動では限界がある。神奈川県民ホール、KAATなどを管理運営する神奈川芸術文化財団は、すべての人が楽しむことができる劇場運営を目指して、2021年に「社会連携ポータル課」を立ち上げた。
「芸術は多くの方に望まれているにも関わらず、それを提供する私たち劇場側が、様々なリスクや批判を恐れて、鑑賞サポートに積極的に取り組んでこなかったのではないかと思います。オープンシアターのシリーズは、そういう反省のもとに皆でチャレンジしています」と社会連携ポータル課課長事務代理の駒井由理子氏は語る。
「今回、障害者の方々にお話を聞いてみてわかったのは、『このようなサポートを準備していますから来てください』と公演側が発信していないと、来てはいただけないということ。もちろん、体験してみて自分は楽しめないと思う方もいるでしょうけれど、実際は一度も体験しないうちから『バレエは晴眼者が見るものでしょう』とシャッターを閉めてしまう方が多い。今回のチャレンジで、その扉が少しだけ開いたのは、すごいことだと思います」と松田氏。「神奈川県はとてもバレエがさかんな地域です。神奈川県民ホール自体、バレエの殿堂とも言われていますので、年齢や障害の有無に関わらず、すべての人が楽しめるバレエ公演を今後もやっていきたいですね」と師岡氏も語った。
このようなバレエの扉を「ひらく」取り組みには、地方自治体や企業、ダンサーやバレエファンなど様々な立場で協力することができるのではと思う。今回の「音声ガイド付きバレエ公演」を成功させた出演者と神奈川県民ホールのスタッフの方々に、心から拍手を送りたい。

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