『レ・ミゼラブル』フランス革命の動乱の時代を背景に描かれた壮大な人間の魂のドラマ、谷桃子バレエ団

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

谷桃子バレエ団

『レ・ミゼラブル』望月則彦:演出・振付・選曲、高部尚子:再演出・改訂振付

谷桃子バレエ団がかつての芸術監督時代に望月則彦が演出・振付けた『レ・ミゼラブル』を、現芸術監督の高部尚子が演出・振付に手を加え、12年ぶりに上演した。初演は2003年。2010年には谷桃子バレエ団の60周年記念公演として、この大作を再演している。再演では今井智也がジャン・ヴァルジャン、三木雄馬がジャヴェール警部、高部尚子がコゼットを演じている。
『レ・ミゼラブル』は19世紀のフランスの文豪、ビクトル・ユーゴーの長編小説。日本語に翻訳された文庫本では全4冊、総計2500ページにも及ぶ大長編。しばしば映画化され、名優ジャン・ギャバンがジャン・ヴァルジャンを、リノ・ヴァンチュラがジャヴェール警部を演じた映画もある。日本でも早川雪洲の主演で伊藤大輔監督とマキノ雅弘監督によって映画化されている。また、ミュージカルとして世界的に大ヒットしたこともよく知られている。

谷桃子バレエ団の『レ・ミゼラブル』のセットは、舞台奥に長い高台があり、その下には三つのアーチが切られ奥は回廊のように人々が出入りする。両側に石段が組まれており、何かの侵入を拒絶する砦のようにも見える造形だ。全12景とエピローグはこのセットを使い、時代を映すうす暗く原色を際立たせる照明などとともにさまざまに変容して、ドラマの表現を支える。衣装や小道具は、時代背景であるフランス革命の動乱期のものを考証して作られている。望月はこうした物語の世界観を追求しつつ、時代や関係性にこだわらず広く選曲を行い、振付を作り、人間の魂の壮大なドラマを描こうと試みたと思われる。音楽はパブロ・カザルス「鳥の歌」、アルヴォ・ペルト「タブラ・ラサ」、べドルジハ・スメタナ「我が祖国」、古楽アンサンブルのタブラトゥーラ、アルフレート・シュニトケほかが使われている。

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今井智也 撮影/羽田哲也

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小林貫太 撮影/羽田哲也

冒頭は農民など厳しい生活を余儀なくさせられている人たちの群舞。何か一つの小物、什器などを手に、上体を屈め両手を大きく動かして生きることの過酷さを表す踊り。さらに厳しく差別される囚人たちも現れる。飢えた姉の子どものためにわずか一斤のパンを盗んだジャン・ヴァルジャン(今井智也)は、黒いマントに黒い山高帽、ステッキを手にしたジャヴェール警部(三木雄馬、牧村直記とWキャスト)に捕らえられる。
厳しい徒刑に耐えられず何回も脱獄に失敗して刑を加えられ、ようやく19年の刑期を終え出獄したジャン・ヴァルジャン。しかし、徒刑囚だった彼が一夜を過ごせる宿はどこにも無かった。絶望の果てにたどり着いた家、ミリエル司教(小林貫太、内藤博とW)だけが彼を優しく迎え入れた。温かいスープと柔らかいベッドを与えられたジャン・ヴァルジャン。ところが彼は、食事を振る舞われた時に密かに目をつけていた銀食器を盗んで逃げた。たちまち捕らえられ、「これはあなたのものですか? もらったと言っているのですが」と突出される。するとミリエル司教は、「ええ。もちろん、これはあなたに差し上げたもの。銀の燭台を持っていくのをお忘れになりましたね」と。まったく思いもがけず、生まれた初めて与えられた深い慈愛溢れる救い。しかし、地獄で出会った天国をにわかに信じることができないジャン・ヴァルジャン。そこへ陽気な少年プティ・ジョルヴェ(松尾力滝)がコインを投げをして遊びながら通りかかる。足元に落ちたコインをジャン・ヴァルジャンは素早く奪い、少年を怒鳴りつけて追い払った。その時、彼は初めて、いつも当然のように行ってきた自分の行いの愚かさ・汚さに気がついたのだ。このまるで童話の1場面のような出来事がジャン・ヴァルジャンの心の奥に眠らせ抑えつけてきた魂を蘇らせた。無自覚に本能のままに生きてきたジャン・ヴァルジャンは、魂を宿した一人の人間となった。
ここまでは速いテンポで物語は進む。全世界を敵にしていた男が、初めて感受した慈愛により、心の奥深くに眠っていた魂が目覚めるまで演じた、今井智也の渾身の演技が光った。三木雄馬の「法」にすべての拠り所を置くジャヴェール警部との厳しい対立が、それぞれの舞踊表現により浮かび上がった。

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今井智也  撮影/羽田哲也

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今井智也  撮影/羽田哲也

ジャン・ヴァルジャンは、徒刑囚だった過去を伏せて事業を起こして成功。人々の信頼を得て市長に推される。ここで彼は、生きていくために身を切る思いで幼い娘を他人の家庭に預けざるを得ない一人の母、ファンティーヌ(馳麻弥、加藤末希とW)と出会う。彼女が娼婦にまで堕ちたのは、ジャン・ヴァルジャンの会社を馘首されたためだったと知る。彼は救いの手を差し伸べるが、ジャヴェール警部の厳しい追求にあって果たせず。ファンティーヌは虚しく亡くなる。馳麻弥は男たちにもみくちゃにされる汚れ役だったが、「どうしても守りたい娘、自分の命より大切なコゼットの存在があったからこそ最後まで彼女を守るために生きた」という薄幸の母の深い嘆きを一心に演じて、踊り、観客の心に哀しみを印した。

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馳麻弥  撮影/羽田哲也

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今井智也、馳麻弥  撮影/羽田哲也

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竹内菜那子  撮影/羽田哲也

ジャン・ヴァルジャンはファンティーヌの娘コゼット(山口緋奈子、齊藤耀とW)を連れて修道院に身を隠す。
第2幕に入ると、パリは革命の動乱の中にあった。政府軍と戦う民衆の先頭に立つアンジョラス(吉田邑那、森脇崇行とW)とマリユス(檜山和久、昂師吏功とW)。まだ悲劇は続く。マリユスは、ジャン・ヴァルジャンに愛情を込めて育てられ、美しく成長したコゼットにひと目で魅了され、愛し合うようになる。一方で、コゼットと縁のあるエポニーヌ(竹内菜那子、永倉凜とW)はマリユスを深く慕っている。彼女は愛するマリユスの愛が叶うために力を尽くし、儚い一生を終えた。竹内菜那子は、革命と混乱の時代に愛する人のために自身を犠牲にして生きた「男装の人」を、この舞台で「一番の乙女」らしく、健気に踊った。
ジャヴェール警部は革命軍に政府側のスパイとしてが潜入するが捉えられる。ジャン・ヴァルジャンは、コゼットの愛するマリユスを探していて、宿命の人と出会った。スパイを抹殺することが決まると、ジャン・ヴァルジャンはその役目を引き受け、人目のないところにジャヴェール警部を連れ出し、意外にも縄を解いて逃す。完全に死を覚悟していたジャヴェール警部は、簡単に癒すことのできない衝撃を受けた。
ジャヴェール警部を演じた三木雄馬は、寸分の隙も見逃さない気迫を表すように眼光鋭く、黒装束を決めてステッキを手に強いラインを描く鋭いステップで踊り、ドラマの一方の軸として、格好良すぎるくらいの存在感を見せた。法を一方的に頑なに守るという正義が実は人間にどのような事態をもたらすのか、否応なく認識させられた時、彼はセーヌ川に身を投げるしかなかったのだ。

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吉田邑那・檜山和久・竹内菜那子 撮影/羽田哲也

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今井智也、三木雄馬 撮影/羽田哲也

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山口緋奈子  撮影/羽田哲也

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山口緋奈子、檜山和久  撮影/羽田哲也

革命の擾乱に巻き込まれながら、マリユスとスとコゼットは愛し合う。だが、マリユスは瀕死の重傷を負う。危ういところでジャン・ヴァルジャンは彼を地下水道に匿って、困難を極めながらも助け出し、コゼットのもとへ届ける。山口緋奈子と檜山和久は、ジャン・ヴァルジャンやファンティーヌが生きた困難を受け止め、しかし率直に生きる希望を表す表現を作った。革命後の新時代を生きる人たちの姿を予感させた。
しかし、やはり特筆大書すべきは、この創作バレエの大作の主人公、ジャン・ヴァルジャンを演じ切った今井智也の演技と踊りだろう。前半の主人公の屈曲した心の歪みを、全身を使って見事に表した。特にミリエル司教から「銀の燭台も忘れないように」と言われたときジャン・ヴァルジャンが受けた衝撃を、実に鮮烈に演じ、存在のすべてを表した。この深く力強い演技が、『レ・ミゼラブル』の第1幕の成功を保証した、と言っても過言ではないだろう。後半は、コゼットに深い愛情を注ぎつつも、時折、孤独と人間的な苦悩をも垣間見せた。そしてついにジャヴェール警部の追求からも解放され、コゼットの成長も見届けたジャン・ヴァルジャンの孤独な魂の救済された。
(2022年8月10日 メルパルクホール)

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三木雄馬  撮影/羽田哲也

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撮影/スタッフ・テス 中岡良敬

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撮影/スタッフ・テス 中岡良敬

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