平和を祈念するダンサーたちは最高の演技を披露、会場は満場の喝采に包まれた「キエフ・バレエ支援チャリティー BALLET GALA in TOKYO」

ワールドレポート/東京

香月 圭 Text by Kei Kazuki

「キエフ・バレエ支援チャリティー BALLET GALA in TOKYO」

草刈 民代:芸術監督

草刈民代は、かつて共演したアレクセイ・ラトマンスキーのウクライナ支持の声明に共感し、日本でもキエフ・バレエを救うための慈善公演の企画を4月下旬に本格的に立ち上げた。わずか2ヶ月後の7月5日に、昭和女子大学人見記念講堂にて「キエフ・バレエ支援チャリティー BALLET GALA in TOKYO」が開催された。出演者の選定に始まり、演目の決定からリハーサルの立ち合いに至るまで多岐に渡る作業を彼女はスタッフと協力して遂行し、そして本番を迎えた。セリフのない舞踊芸術の世界に生きるダンサーたちは実生活でも寡黙だというイメージが先行しているが、本公演のパンフレットには、危機に瀕したウクライナのダンサーたちを間近で見たり、彼らへの支援や平和を祈念する出演者をはじめとしたバレエ関係者の思いが記されている。
上演作品は19世紀末のロマンティック・バレエの名作『ジゼル』からプティパによる『海賊』、そして20世紀初頭のフォーキンの『薔薇の精』、アシュトンの『二羽の鳩』、20世紀後半のプティ振付の『ノートル・ダム・ド・パリ』、イリ・キリアンの『小さな死』、ウクライナで生まれた名作『森の詩』などで、モダン・コンテンポラリー作品では20世紀前半のマーサ・グラハムの『Deep Song』とノルウェーの新進アラン・ルシアン・オイエンによる『And... Carolyn.』と幅広い時代から選定され、バランスのよいプログラムとなった。草刈自身による演目解説には、今回の作品選定の理由や上演に漕ぎつけるまでの経緯なども説明されていて興味深く拝読した。

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水井 駿介『デューク・エリントン・バレエ』より The Opener
©フォトスタジオアライ

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中野 伶美/二山 治雄『薔薇の精』
©フォトスタジオアライ

開幕を飾ったのは『デューク・エリントン・バレエ』より 「The Opener」。ローラン・プティが2001年に創立45年を迎えた牧阿佐美バレヱ団のために振付けた作品で、草刈自身も思い入れが強いという。デューク・エリントンのスウィング・ジャズに乗って牧阿佐美バレヱ団の水井 駿介が軽やかに舞台を駆け巡り、公演への期待感を高めていく。
続いてフォーキン振付の『薔薇の精』では、タイトル・ロールに扮した二山 治雄の波打つようになめらかな腕の動きと空中を漂っているかのような重力を感じさせない跳躍に客席は静まり返った。彼には両性具有的な魅力もあり、初演のニジンスキーを想起させるような雰囲気を醸し出していた。彼と少女役の中野伶美は演者のなかで最年少で、舞踏会にデビューしたばかりの初々しい可憐さがよく出ていた。ファッション・シーンで活躍する丸山敬太による薔薇の精の衣装のシックな紅色のグラデーションが美しい。

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芝本 梨花子/猿橋 賢『海賊』©フォトスタジオアライ

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福田 昂平『海賊』©フォトスタジオアライ

『海賊』よりパ・ド・ドゥ。ガラ公演などではギリシャの娘メドゥーラと海賊の首領コンラッドの忠臣アリによるパ・ド・ドゥとして踊られることが多いが、今回は田中 祐子の振付によるメドゥーラとコンラッドの二人のダンスが加わったヴァージョンとして上演された。メドゥーラ役の芝本 梨花子はコンラッドを演じた猿橋 賢とアリ役の福田 昂平の間を巧みにパートナーを変えながら優雅な踊りを展開していった。猿橋演じるコンラッドは恋人メドゥーラを優しくサポートする端正さを見せ、福田によるアリは核爆発したようなエネルギーで次々と高難度のパを決めていった。
『グラン・パ・クラシック』はパリ・オペラ座バレエのイヴェット・ショヴィレによって1949年に初演され、以後彼女の当たり役となる。今回出演したスウェーデン国立バレエの佐々晴香は芸術監督ニコラ・ル・リッシュの指導を受けたという。髙橋裕哉とのペアは超絶技巧のテクニックが次々と繰り出される早い展開の踊りを余裕をもった態度でしっかりと見せた。白い衣装がノーブルな雰囲気を醸し出す。
ノルウェー国立バレエの松井 学郎が選んだのはノルウェーの新鋭振付家アラン・ルシアン・オイエンによる『And...Carolyn.』。彼の父は戯曲家イプセンが一時期芸術監督を務めたノルウェー、ベルゲンのデン国立劇場で衣装方を務めていたこともあり、幼少時代は演劇を大いに吸収して育った。この作品ではサム・メンデス監督の映画『アメリカン・ビューティー』のトーマス・ニューマンによる音楽を背景に、劇中のセリフや効果音も聞こえる。2018年世界バレエ・フェスティバルでオレリー・デュポンとダニエル・プロイエットが披露している作品でもある。松井と大谷遥陽は緊張感を感じさせる表情で、現代の混沌とした世界観を表現した。二人の動きはあえて連動していない場面も多く、女性が倒れ込む男性を支えたりとクラシック作品のような整頓された振付とは対局にある。厭世観とでもいうべき時代の気分を表現したコンテンポラリーの作品を見られる機会は貴重だった。

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佐々 晴香/髙橋 裕哉『グラン・パ・クラシック』
©フォトスタジオアライ

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大谷 遥陽/松井 学郎『And... Carolyn.』
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草刈自身がマーサ・グラハム・ダンス・カンパニーで踊った折原美樹のワークショップを受講し、グラハム作品の豊かさを実感した経験から、今回のプログラムに1937年初演の『Deep Song』が登場した。1936年に勃発したスペイン内戦での人々の苦悩をテーマにした作品である。今回抜擢された佐藤 碧は白黒の縦縞のロングスカートの衣装でベンチに腰掛け、上半身の動きとスカートで隠された下半身の動きで戦争に翻弄される人間の苦悶を表現していく。頭や腕などをよじらせ苦しそうな上半身のムーブメントとは裏腹に、スカートの縞模様が始終変化していく様は流麗な有機体のように見えて、視覚的なインパクトがあった。戦地に暮らすウクライナの人々の心持ちはまさにこのように重苦しいものだろう。
牧阿佐美バレヱ団の青山 季可と菊地 研はローラン・プティの『ノートルダム・ド・パリ』で息の合ったパ・ド・ドゥを見せた。青山扮するエスメラルダは慈愛に満ちた表情が印象的で、菊地が演じた異形のカジモドも醜い容貌の奥底に心の優しさを感じさせる。プティがこの作品で創出した数々の独創的なポーズの美しさが、青山の脚線美によってさらに高められている。

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佐藤 碧『Deep Song』
©フォトスタジオアライ

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青山 季可/菊地 研『ノートルダム・ド・パリ』
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この公演の2日前に帰国したばかりという平野 亮一。加治屋 百合子とリハーサルできた時間はわずかばかりだったと思われるが、『ジゼル』で二人が見せた幻想的な光景は素晴らしかった。アルブレヒト役の平野がジゼルに扮した加治屋を抱えてふわりと高くリフトする様を目の当たりにして、観客は妖精ウィリの世界に引き込まれていった。アダージョの終わりまであっという間で、その続きも見たかった。
イリ・キリアンの『小さな死』の上演を提案したのはカナダ国立バレエの江部 直哉。キリアンの出身のチェコ国立バレエでは彼の作品が多く上演されるということで、団員の藤井 彩嘉との初共演が決まった。キリアン作品のコーチなども手掛ける中村 恩恵の働きかけで、今回特別に作品の抜粋上演が許可されたという。「小さな死」とはフランス語でオーガズムの隠喩であるという。今回の抜粋は男女二人のデュエットで、コルセット姿の藤井と上半身裸の江部がモーツァルトの響きに乗せて、鍛え抜かれた強靭な肉体でアクロバティックなポーズを紡いでいき、そこに官能的な造形美が表出した。
フレデリック・アシュトンの『二羽の鳩』にはバーミンガム・ロイヤル・バレエに長年在籍した佐久間 奈緒と厚地 康雄が出演した。一度は裏切った恋人に再び許しを乞う若者とすぐには許すことが難しい心の葛藤を抱えた乙女の和解の場に、平和の象徴の白い鳩が静かに寄り添う。感情の揺れ動きを全身に込めた両名の円熟した踊りには胸が熱くなった。鳩を優しく抱く二人の姿に「赦す」ということが今いかに大事かということにも思いを馳せた。
加治屋 百合子が再び登場し、『コッペリア』第三幕でスワニルダとフランツの結婚を祝福する場で踊られる「祈り」を厳かに踊った。その場にいた観客が想起するのは当然、平和への願い。彼女が在籍していたアメリカン・バレエ・シアターから提供を受けた、衣装のスパンコールやビーズの波打つ輝きがほの暗い舞台で美しさを放った。

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加治屋 百合子/平野 亮一『ジゼル』
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藤井 彩嘉/江部 直哉『小さな死』
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佐久間 奈緒/厚地 康雄『二羽の鳩』
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加治屋 百合子「祈り」©フォトスタジオアライ

そして、最後の演目はキエフ・バレエのアンナ・ムロムツェワとニキータ・スハルコフによる『森の詩』終盤のパ・ド・ドゥだった。森の精マフカと青年ルカーシュは恋に落ちるが、人間の暮らしになじめず、彼は母親が連れて来た別の女性と結婚することになる。今回上演されたのは、良心の呵責に耐えかねたルカーシュが森の中をさまよい、マフカの幻影を見つけて束の間二人で踊るが、ついにはルカーシュが倒れ込んでしまうというラストのクライマックス・シーンである。ムロムツェワは森の妖精の浮世離れした美しさと儚さを感じさせ、スハルコフは苦悩する若者を全身で表現した。両名とも凄まじい集中力を感じさせ、ウクライナの劇場が極めて過酷な状況下に置かれているとは微塵も感じさせない、完璧な踊りだった。ウクライナの美しい森が再び元に戻ることを祈らずにはいられなかった。

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アンナ・ムロムツェワ/ニキータ・スハルコフ『森の詩』©フォトスタジオアライ

一部の演目(後述の上演作品のうち「*」がついたもの)は井田勝大の指揮によるシアターオーケストラ トーキョーの生演奏で、メリハリが効いていて、バレエ・ファンにはとても聞きやすいテンポだった。全演目を客席で見守った草刈は最後の舞台挨拶に登場し、キエフ・バレエ副芸術監督の寺田宜弘から花束を贈呈された。

終演後の囲み取材に現れた草刈は晴れやかな表情を浮かべて「数ヶ月でプロジェクトを立ち上げ、すべてをやり遂げることができました。観客の皆様から予想した通りの反応をいただけて大変嬉しいです。今回のように何か問題が起こったときにそれについて考えるということが、芸術創作の土台になるのだなと実感し、私自身も大変勉強になりました。この経験は今後の芸術活動に生かされていくものと確信します」と終演後の感想を述べた。
アンナ・ムロムツェワは「3年ぶりに来日することができてうれしいです。このようなチャリティー公演を企画していただいた民代さんに深く感謝します。『森の詩』はウクライナの詩人の原作で、作曲家も振付もすべてウクライナ人の手によるものです。ウクライナの人々にとってとても大切なこの作品を日本で上演できてとても嬉しく思います」と出演しての感想を述べた。ニキータ・スハルコフは「日本の優れたダンサーの方々と共演できて幸せです。素晴らしいオーガナイズに感謝します」とコメントした。
加治屋百合子は「アンナさんと楽屋が一緒で、戦争勃発時、何も持たずに避難したことなどを聞かされました。こうしてキエフ・バレエのダンサーと一緒に支援につながるような舞台に立てることを嬉しく思います」と語った。平野 亮一は「自分でも何かウクライナの人たちを助けることができないかと思っていたところ、このような機会をいただき、深く感謝しています」と話した。
この日の公演会場(昭和女子大学人見記念講堂)では、来場者からの寄付金が7,279,200円に上った。またこの公演の模様は7月11日まで有料配信された。
(2022年7月5日 昭和女子大学人見記念講堂)

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カーテンコール ©フォトスタジオアライ

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左から平野 亮一、加治屋 百合子、草刈 民代、アンナ・ムロムツェワ、ニキータ・スハルコフ©フォトスタジオアライ

「キエフ・バレエ支援チャリティーBALLET GALA in TOKYO」上演作品
草刈 民代:芸術監督
『デューク・エリントン・バレエ』より「The Opener」
音楽:デューク・エリントン
振付:ローラン・プティ
出演:水井 駿介(牧阿佐美バレヱ団)
『薔薇の精』
音楽:カール・マリア・フォン・ウェーバー
振付:ミハイル・フォーキン
出演:中野 伶美(シビウ劇場バレエ)/二山 治雄
『海賊』よりグラン・パ・ド・ドゥ
音楽:アドルフ・アダン/リッカルド・ドリゴ/レオ・ドリーブ
振付:マリウス・プティパ/田中 祐子
出演:芝本 梨花子(デンマーク王立バレエ)/猿橋 賢(イングリッシュ・ナショナル・バレエ)/福田 昂平(元ノヴォシビルスク・バレエ)
『グラン・パ・クラシック』
音楽:フランソワ・オーベール
振付:ヴィクトル・グゾフスキー
出演:佐々 晴香(スウェーデン王立バレエ)/髙橋 裕哉
『And... Carolyn.』
音楽:トーマス・ニューマン
振付:アラン・ルシアン・オイエン
出演:大谷 遥陽(イングリッシュ・ナショナル・バレエ)/松井 学郎(ノルウェー国立バレエ)
『Deep Song』
音楽:ヘンリー・カウエル「Sinister Resonance(編曲:Associated Music Publishers, Inc.)
振付・衣装:マーサ・グラハム
出演:佐藤 碧(マーサ・グラハム・ダンス・カンパニー)
『ノートルダム・ド・パリ』
音楽:モーリス・ジャール
振付:ローラン・プティ
出演:青山 季可(牧阿佐美バレヱ団)/菊地 研(牧阿佐美バレヱ団)
『ジゼル』より アダージョ
音楽:アドルフ・アダン
振付:ジャン・コラーリ/ジュール・ペロー
出演:加治屋 百合子(ヒューストン・バレエ)/平野 亮一(英国ロイヤル・バレエ)
『小さな死』
音楽:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
振付:イリ・キリアン
出演:藤井 彩嘉(チェコ国立バレエ)/江部 直哉(カナダ国立バレエ)
『二羽の鳩』
音楽:アンドレ・メサジェ
振付:フレデリック・アシュトン
出演:佐久間 奈緒(元バーミンガム・ロイヤル・バレエ)/厚地 康雄(元バーミンガム・ロイヤル・バレエ)
「祈り」(アメリカン・バレエ・シアター版『コッペリア』より)*
音楽:レオ・ドリーブ
振付:フレデリック・フランクリン
出演:加治屋 百合子(ヒューストン・バレエ)
衣装提供:アメリカン・バレエ・シアター
『森の詩』
音楽:ミハイル・スコルリスキー
振付:ワフタング・ウロンスキー
出演:アンナ・ムロムツェワ(キエフ・バレエ)/ニキータ・スハルコフ(キエフ・バレエ)
*演奏:井田 勝大(指揮)/シアター オーケストラ トーキョー

◆「キエフ・バレエ支援チャリティーBALLET GALA in TOKYO」公式サイト
https://www.classics-festival.com/rc/kyiv-ballet-gala-in-tokyo-2022/

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