「堀内元バレエ・フューチャー」に出演する、プリモルスキー・ステージの矢野まどかにインタビュー

ワールドレポート/東京

インタビュー=坂口香野

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「ラ・バヤデール」初演後カーテンコール
Photo by Alexander Filkine

7月26日、東京で「堀内元バレエ・フューチャー2022」が開催される。
ウラジオストクにあるマリインスキー劇場分館プリモルスキー・ステージで活躍中の矢野まどかは、ロシアのウクライナ侵攻による厳しい国際情勢によりやむをえず帰国し、出演を決定。堀内元公演には16歳で初参加以来、5回目の出演となる。7月15日には神戸でのチャリティー・バレエ公演「Love&Peace」にも出演予定だ。

6月初旬、帰国したばかりの矢野まどかに、ロシアでのダンサー生活や現状について、公演への思いについてうかがった。

----昨夜羽田に到着されたのですね。お疲れさまです!

矢野 ウラジオストクから羽田までは、直行便で2時間半ほどなんですが、戦争が始まってすぐ直行便は止まってしまったので。今回はモスクワに3日間ほど滞在して、最後かもしれないので少し市内を見て、昨日トルコのイスタンブールからの直行便で帰ってきました。

----距離的にはとても近いのに、地球を半周した感じですね。劇場で公演は続いているのですか。

矢野 以前と変わらず、公演もリハーサルも続いています。もちろん、お金の両替ができなくなったり、物価が少しずつ上がっていったりということはあるんですけれど、それ以外のことはびっくりするほど変わりません。インターネット等で見る海外のニュースと身近な状況にギャップがありすぎて、とても複雑です。
今はだいぶ落ち着いていますけれど、戦争が始まった頃は自分が働いている国が戦争をしていることがショックですごく気持ちが不安定になってしまって。日々状況は変わるので、様々なことが不安になりました。今までいただいてきたお給料はどうなるのかとか、今は中東経由で帰れるけれどそれも止まってしまったらどうしたらいいのかとか。

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マリインスキー劇場プリモルスキーステージ前にて

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マリインスキー劇場プリモルスキーステージ外観

----帰国の決断をされたのはいつ頃ですか。

矢野 かなり最近で、4月に入ってからですね。私たちの劇場には外国人も多くて、私のほかにも日本人の子がいるんですけれど、3月中に帰国した人もいるんですよ。でも私はなかなか決心がつかなくて......。
プリモルスキー・ステージは、2013年にオープンし、2016年にサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場と提携した新しい劇場で、マリインスキー・バレエとの交流がとても盛んです。マリインスキーのダンサーをゲストで呼んだり、年に2、3回のツアー公演でマリインスキー劇場に出演できたり。先生方もマリインスキーのダンサーだった方が多いです。衣裳も舞台美術も、とても豪華で素敵なんですよ。気がつけば、この劇場でもう4年半働いています。
今年1月から新しく入られたナタリア・ラルドゥギナ先生は、やはりマリインスキーで踊っていた方なんですけれど、とても熱心にご指導いただいていて。これで自分の踊りがさらによくなっていくんじゃないかと手応えを感じていた矢先にこの状況になったので。せっかく素晴らしい先生と出会えたのに、ここで全部投げ出して帰国する気にはなれず、一度はロシアに残る決心をしたんです。
モスクワやサンクトペテルブルクでは、多くの外国人のダンサーはこの状況になってすぐ帰国していますが、ウラジオストクは戦場から遠いこともあり、3月中旬までは皆が帰国をためらっていましたね。停戦交渉が続いていたので「すぐ終わるかもしれない」という淡い期待もありました。でも、4月になっても解決の見通しは立たなくて、これは長期化するなと判断しました。

----それは......難しい判断でしたね。

矢野 帰国することは、仕事を失うことでもありますから。でも4年半働いてきて、できることは全部やったという気持ちもあります。ロシア・バレエが大好きなのでつらくはありますが、今後のことは地元の大阪に帰って考えようと思います。

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----ロシアでのダンサー生活についても教えてください。大阪のソウダバレエスクールで学ばれ、2015年、ユース・アメリカ・グランプリのニューヨーク・ファイナルに出場、スカラシップを得てポルトガル国立ナショナル・コンセルバトワール・ダンススクールに留学されています。ロシアに行かれたきっかけはどんなことでしたか。

矢野 バレエ学校の先生が、キーロフ・バレエ時代のマリインスキー・バレエで、ご夫婦で主役を踊っていた方だったんです。その先生が、マリインスキー・バレエのプリモルスキー分館でオーディションをしているから行ってみたらと紹介してくださり、履歴書を送ってみました。

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----もともとロシア・スタイルのバレエに興味があったのですか。

矢野 いいえ。今、思うとすごい先入観なんですけど、ロシア・バレエはロシア人のものだろうと。脚が長くて背が高くてお顔も小さい、生まれながらに美しいラインをもったロシア人のバレリーナにしか踊れないものだと思っていたんです。実際はたくさんの外国人ダンサーがロシアで働いています。先生にお話をいただいたときは私がロシアに行くなんて大丈夫かな? と思っていたんですけど、受け入れてたくさん踊らせていただいて、結局4年以上働いていました。

----どんなオーディションだったのですか。

矢野 カンパニーのクラスレッスンを受けて、それを審査していただきました。ディレクターのエルダー・アリエフは谷桃子バレエ団の『海賊』に改訂振付を行い、指導するなど、日本とつながりの深い方ということもあり、採用していただきやすかったのかもしれません。オーディションは毎年行っていて、様々な国からダンサーが集まっています。

劇場の向かいの景色。観光名所の黄金橋を望む.jpg

劇場の向かいの景色。観光名所の黄金橋を望む

----レッスンやリハーサルのスタイルに、日本やバレエ学校時代と違いがありましたか。

矢野 全然違いました。プレパレーションのしかたからしてヨーロッパやアメリカとは違うので、最初はすごくとまどいました。ロシアのバレエ学校で学んだ子たちは、手の使い方などがそろえようとしなくてもそろっているんです。コールド(群舞)に入るとひと目で違いがわかってしまうので、鏡を見て自分で直したり、先生にも繰り返し注意していただきました。
それと、驚いたのが公演の多さですね。週2、3回公演があって、たいてい2演目やるんです。だから、月に8演目くらい踊っていますね。

----月に8演目!! ハードですね。

矢野 次々、次々に覚えないといけないので、最初の頃はついていくのに必死でした。たいてい木曜と土曜に公演があり、来週の演目を練習しつつ、今日の本番はこれを踊って......という感じです。ヨーロッパやアメリカではリハーサル期間を1か月くらいとるカンパニーが多いと思いますが、ロシアの劇場はどこも公演数が多いみたいですね。とてもハードですが、ひととおりレパートリーを覚えてしまえば何とかなる。初めの頃を乗り越えれば大丈夫です。

----この4年間で、特に印象に残っている舞台について教えてください。

矢野 どれも印象深いですが、先シーズン末に『ラ・バヤデール』の「影の王国」の第1ヴァリエーションを踊ったことですね。初めはセカンドキャストでもなかったのですが、ソリストのダンサー方とファーストキャストとして踊らせていただきました。純粋クラシックで、ラインのすみずみまで見えてしまう作品ですから、リハーサルでも白いタイツを履いてくるように言われて、体型のことからポアントの立ち方まで、厳しく指導していただきました。大変だったけれど、踊り切れて嬉しかったです。

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「ラ・バヤデール」初演後

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ヨーロッパな街並みのセンター通り

----食生活や気候など、生活面で苦労したことはありますか。

矢野 すごく良い環境で働けていたと思います。食事にもすぐ慣れました。ただ、役によっては朝のクラスからずっとリハーサルが続いて夕方になってしまい、ゆっくりお昼を食べられないことは多かったですね。ロシア人のダンサーがみんな細いのは、忙しすぎるからなんだってよくわかりました(笑)。劇場には食堂があって、ピロシキやお総菜パンを買ってリハーサルの合間に食べることもできます。

----ちなみに、ウラジオストクの名物というと......。

矢野 カニやイクラが新鮮でおいしいです。イクラはブリヌイというパンケーキに乗せて食べたり。

----北海道と近いですものね。冬は相当寒いのではありませんか。

矢野 冬は零下20度以下になります。室内は暖かいのですが、外に出るとマフラーの口元が凍るくらいの寒さです。今は外国企業はすべて撤退してしまいましたが、現地でも日本製のダウンコートが人気でした。

----今回の公演についても教えてください。今回出演される堀内元さんの作品『バランチヴァーゼ』と『ジャズ・ア・ラ・フランセーズ』は、昨年の大阪公演でも踊られていますね。

矢野 元さんの作品は、振りがズバッと音にはまっていて、踊っていて気持ちがいいんです。『バランチヴァーゼ』は、元さんが「これがバランシンの典型的なステップで......」と解説しながらリハーサルしてくださいました。とても難しい、超絶技巧が盛り込まれた作品なので、今年も踊り切れるかなってドキドキしています。『ジャズ・ア・ラ・フランセーズ』は、ジャズ・ピアニストの桑原あいさんたちの生演奏に乗って踊る、すごく楽しい作品です。

----映像を拝見したのですが、音楽とダンスが一緒に盛り上がっていく様子がとてもスリリングでした。

矢野 私、ロシアではほぼ純粋なクラシック作品しか踊っていなくて、アメリカ的なジャズの動きに慣れるまではちょっと大変でした。手足が一緒になっちゃったり(笑)。でも振りが体に入るとどんどん楽しくなっていきました。クラシックのコールドだと、つねに列と列をぴたっと合わせて踊らなくてはならず、音の取り方も全部決まっていますけれど、元さんの作品は音楽に合わせて自由に踊ることができる。あいさんのトリオとは同じ舞台上で演奏するので、息づかいまで聞こえてきますし、受け取るパワーがすごくて。初めて一緒にリハーサルしたときはびっくりしました。

----アドリブ演奏もありますか。

矢野 あります! 振りの方は決まっているんですけど、あいさんはベース、ドラムの方と呼吸を合わせつつ、ずっとダンサーのほうを見ながら即興でアレンジを加えてくださるんですよ。最初は「あれっ、なんか今違うふうに弾いてはる!?」って焦りましたけど、すぐに音楽とのやり取りを楽しめるようになりました。最後のほうはステップも難易度がものすごく上がっていくのですが、音楽と踊りが一緒にどんどん盛り上がっていきます。あいさんは、ポアントによる床の振動まで足で感じながら弾いてくださっているそうで......。元さんの作品は、音楽とひとつになれるところがとても魅力的です。

----贅沢な公演になりそうですね。

矢野 桑原あいトリオの演奏だけでも素晴らしいですし、様々なスタイルのバレエ作品を一晩で楽しめる、たくさんの魅力がギュッと詰まった公演になると思います。

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Photo by Ilya Korotkov

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Photo by Yukihiro Kondo

----7月15日には神戸でのチャリティー・バレエ公演「Love&Peace」にも出演されますね。

矢野 はい。同じ劇場で働いていて、先に帰国していた井口陽花さんや横溝穂花さんが声をかけてくれて。踊る場所があるのはありがたいことですし、それを失ってしまったダンサーたちへの応援にもなると思い、参加を決めました。
今の情勢については、本当に複雑な気持ちです。私たちの劇場にもウクライナ人のアーティストはたくさん働いていますし、ハーフの人もいます。でも、その人たちはウクライナから離脱したわけでもなく、ロシアに残ってふつうに仕事をしています。内心は複雑な思いがあるとは思うけれど、少なくとも身近なところでは、ロシア人をヘイトしたりということはまったくないです。ウクライナ人の子は「これは8年前(のクリミア侵攻)からすでに始まっていたこと」「私たちにはどうにもできない。でも、いつか終わることを願っている」というふうに話していました。私もそれ以上、踏み込んだ話はできませんでした。

----ウクライナの文化・情報大臣や芸術教育庁長官ら有志が、世界各国のメディアにロシアへの文化的制裁を求める嘆願書を出しています。そのような流れを受けて、チャイコフスキーなどロシア人の作品を公演から外すといった動きも一部にあるようですが、それは何か違うのでは......と、本当に複雑な気持ちになります。

矢野 この状況だと「ロシアのものはすべて自粛しよう」となりがちですが、芸術と政治は分けて考えるべきだと思います。ロシア国内でも、今、厳しい経済制裁をされているからといって、アメリカやヨーロッパ諸国の芸術作品を悪くいったりはしない。どこの国のものだって、良い舞台であれば皆ブラヴォー!と叫んでいます。
特にバレエの世界では、ウクライナとロシアのつながりは本当に深くて、互いに兄弟のような存在なんです。ウクライナで働いているロシア人ダンサーや教師もたくさんいます。たとえ国と国とが戦っていても、そういう個人的なつながりが簡単に切れることはないと思います。対話によって、何とか解決の方向へ向かってほしいです。本当に悲しいことなので。

----こういうときこそ芸術が必要なのかもしれませんね。

矢野 戦争が始まってすぐ、ディレクターが言っていました。「私たちは踊るしかない。私たちはこれまで通り、劇場で仕事をしていこう」と。
ロシアはバレエの国、芸術の国で、素晴らしい劇場やバレエ学校がたくさんあります。どんな小さな劇場でも古典バレエが踊られていて、ダンサーがプロとして踊れる環境が整っています。ロシアの素晴らしい芸術を学ぶ場所、踊る場所があるのに、それをあきらめなくてはいけないのはつらいことです。
私たちには「踊る」という小さなことしかできないけれど、一日でも早く平和が戻ることを祈っています。

----ありがとうございました!

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海が身近なウラジオストク。街のセンターにある小さなビーチ。夏は海水浴も。

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街の中央広場。ロシア正教らしい教会と黄金橋

堀内元バレエ・フューチャー2022
https://www.balletfuture.com/

LOVE & PEACE「芸術の灯火で世界が愛で満ち溢れますように」
〜チャリティー・バレエ公演〜
https://www.kobe-i-ballet.com/

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