熊川哲也版『カルメン』三者三様のラストシーンと圧巻の「ハバネラ」!リハーサルレポート

ワールドレポート/東京

坂口 香野 Text by Kaya Sakaguchi

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熊川哲也 © Ayumu Gombi

熊川哲也版『カルメン』が、6月1日〜5日に東京・オーチャードホールで上演される。2014年の初演以来、数多くの観客を熱狂させてきたドラマティック・バレエの傑作だ。開幕2週間前の5月18日、東京・小石川のKバレエカンパニー本拠地で、主要4キャスト全員参加による公開リハーサルが行われた。

「このバレエは『形式美』じゃない。言葉のないドラマとして、感情に迫ってくるような演技を見てほしい。そこで今日は、それぞれのキャストの『死に様』もしくは『殺め様』をみてもらおうかなと思って」。
熊川哲也芸術監督の言葉に、報道陣一同、若干前のめりになった。
ラストシーンでドン・ホセがカルメンを殺す。その行為は突発的なのか計画的なのか、心を占めているのは怒りか悲しみか――複雑な感情が混ざった表現を、3組の主要キャストが目の前で演じてくれるというのだ。そして今回、4年ぶりに全幕主演復帰を果たす浅川紫織が、カルメンの最大の見せ場のひとつ「ハバネラ」を踊るという。

尚、ここからは18日時点の、かなり筆者の妄想が入った感想であることをお断りしておく。開幕2週間前だから本番はまったく違っている可能性もある。ただし、この時点でも妄想をかきたててやまない、迫力あるリハーサルであった。

1組目は日髙世菜×石橋奨也。ピアノが不穏さをあおるようなフレーズを弾き始め、石橋が嫌がる日髙を引きずるようにして現れる。ここは闘牛場の外。闘牛場の中では、カルメンの新しい恋人エスカミーリョが喝采を浴びている、という設定である。

熊川版「カルメン」では、プロローグで、カルメンに捨てられたドン・ホセが自らの頭に銃口を押しつけた後、引き金を引くのを思いとどまる姿が描かれる。この姿は、時系列的にはこれから演じられるラストシーンの直前に当たる。つまりホセは、この時点ですでに自分の死を意識しているのだ。

石橋ホセは、とても真面目で直情型のようだ。カルメンの足下に身を投げ出し、愛してくれと懇願しながら、しだいに怒りを募らせていく。日髙カルメンは、石橋が全力でぶつかってきても、最初は無反応に近い。もう好きじゃないから関心すらないのだろうか。が、石橋の怒りのボルテージが上がり、殺意へと高まるにつれ、日髙の中にゆらり、と底知れぬエネルギーが立ち上る感じがした。高くリフトされつつ、首を絞められる。トゥシューズで踏む、地団駄みたいなステップ。日髙はまるで殺しても死なない獣のようだ。しかし、現時点はまだ「火がついた」段階の演技で、本番はまったく違うのではないかという予感がした。
リハーサル後、熊川監督に役柄について問われ、石橋は「世菜さんのカルメンの空気感を大事に踊りたい」と語った。「ホセは真面目で熱い男。このシーンは、怒りが強い。プロローグで登場したところから、すでに気持ちのタガが外れている状態だと思います」。
日髙は「カルメンの自由奔放な性格をとらえた上で、歌うように踊りたい」と語った。

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日髙世菜、石橋奨也 © Ayumu Gombi

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日髙世菜、石橋奨也 © Ayumu Gombi

続いて成田紗弥×山本雅也組。空気感ががらりと変わる。山本ホセは成田カルメンを手荒に引きずって登場するものの、彼女への眼差しが切ないほど優しい。彼はどこか希望を捨てきれずにいるようだ。こんなにも愛しているのだから、誠心誠意気持ちを伝えれば振り向いてくれるのではないかと......。おそらく、この3組の中では山本ホセがいちばん女性にもてる自信があり、プライドも高い人物ではないだろうか。しかし、対する成田カルメンの眼差しの冷ややかさといったら! 山本が切々と懇願を繰り返すうち、一瞬「かわいそうに」というような、微妙な表情を見せた。逆に山本の方は一変。火に油を注ぐように怒りを燃え上がらせ、一気に結末へとなだれ込む。感情の振れ幅が大きく、ドラマティックでありつつどのシーンを切り取っても美しい二人だ。
「最後は怒りですね。でも、序盤はちょっと悲しさがある。彼女のために全部捨ててきたのになんで気持ちが伝わらないんだと」と山本。「私のカルメンは、ホセにはあまり情はなくて。今風に言えばワンナイトラブをしちゃった相手なので、うざったいなって感じで演じようと思っています」という成田の言葉に、つくづく山本ホセが気の毒になった。

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成田紗弥、山本雅也 © Ayumu Gombi

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成田紗弥、山本雅也 © Ayumu Gombi

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小林美奈、堀内將平 © Ayumu Gombi

3組目の小林美奈×堀内將平組は、最も闇が深い感じがした。それまでは和やかにおしゃべりしつつ、リフトのタイミングなどを確認していた二人だが、ピアノが鳴り始めたとたん、豹変した。堀内ホセは、カルメンに懇願する手が震えている。彼は山本ホセと違って、最初から絶望しているようなのだ。彼はたぶん、どんなに頼んでも、カルメンは二度と自分のものにならないとわかっている。でも、懇願せずにはいられない。対する小林カルメンは、もはや虫を見るような目でホセを見つめ、嫌悪感と恐怖をあらわにする。そしてしだいに覚悟を決める。「殺すなら殺せばいい。私は自由に生きて自由に死ぬ」そんなせりふが、強い立ち姿から聞こえるようだ。
「カルメンは自分の意志のままに、自由奔放に動いていきます。本当にストレートに、そのまま生きて恋をして、結果男性を誘惑して翻弄してしまう」(小林)。「全部彼女のために捨ててきたのに、逆に捨てられて傷ついている。愛を伝えようとするんだけど、伝わらないことに混乱して撃ってしまう、という感じです」(堀内)。二人からは、身体的な瞬発力はもちろん、感情の瞬発力の凄みを感じさせられた。

尚、この作品はオペラをもとに井田勝大が編曲した音楽が採用されている。銃声が鳴り響き、カルメンが倒れた後、美しい「間奏曲」の断片が流れる。我に返り、立ち尽くすホセの姿はそれぞれに見応えがあった。

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小林美奈、堀内將平 © Ayumu Gombi

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浅川紫織 © Ayumu Gombi

最後に、浅川紫織と多数の男性ダンサーたちがスタンバイ。ピアノが蠱惑的なハバネラのリズムを奏で始める。小柄な浅川の体から強い磁力が放たれる。文字通り、彼女のまわりに男たちが群がる。ギリギリまで引き寄せては、突き放す。ポアント上の危ういバランスで、相手のほうに倒れかかりそうでいて絶対に倒れない。しなやかなボディや腕のライン、強靱なつま先の曲線が艶やかで、ジャスミンやくちなしなど、濃厚な香りを放つ花のよう。ポーズを決めるたび、バッと開脚するたび、男たちが吹っ飛ぶ。こう書くと昭和のマンガみたいだけれど、男たちを絡め取り、操る糸が目に見えるようなのだ。ブランクを感じさせないどころか、カルメンその人が目の前にいるような圧巻の踊りだった。尚、浅川の再起の経緯については、以下の動画に詳しい。
https://www.youtube.com/watch?v=jRlP6B4EUqk

彼女のパートナーをつとめるのは髙橋裕哉。ラストシーンについては「ホセは闘牛場に至る前に母危篤の報を受けていて、すでに思考回路が怪しくなっている。かなりカオスというかダークな接し方の結果......という感じですね」と語った。浅川は、熊川版『カルメン』という作品そのものが大好きだという。「『あんたに惚れることは一生ないかもしれないし明日かもしれない』、でも『私に惚れられたらご用心なさい』というオペラの歌詞が好きです。今回リハーサルを始めたとき、この歌詞のイメージが私の中にありました。実際、どんなカルメンになるかは、ぜひ劇場で確かめていただきたいと思います」(浅川)。

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浅川紫織 © Ayumu Gombi

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浅川紫織 © Ayumu Gombi

熊川監督は、役柄の表現については「あえて口を出さない」という。「彼らには彼らの見せ方がある。教えられた通りの踊りではアイデンティティがない。俺はこう演じたけどお前たちはどうなの? って議論はしますけど」。初演時、熊川自身がホセを演じた時は「死ぬ前にカルメンにもう一度思いを伝えたい」と会いにいったものの、突発的に殺してしまうという流れだったそうだ。カルメン役のロベルタ・マルケスとは年齢差が大きかったこともあり「大人をおちょくるな!」という感じで殺意がこみ上げたという。「同じ役でも、二回、三回と演じると違ってくる。恋愛や出会いや別れを経験して成長していくことが、ダンサーたちにもわかっているはず」。
その日、そのダンサーでしか見られない「運命の恋」の物語。熊川版『カルメン』、開幕はまもなくだ。

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© Ayumu Gombi

熊川哲也Kバレエカンパニー
SPRING 2022『カルメン』

●Bunkamuraオーチャードホール
●2022年6月1日(水)〜6月5日(日)
https://www.k-ballet.co.jp/contents/2022carmen

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