「堀内充バレエコレクション」でストラヴィンスキーの『カード遊び』を復刻する堀内充に聞く

ワールドレポート/東京

インタビュー=関口紘一

堀内充インタビュー

――「堀内充バレエコレクション」が10回目を迎えます。今回は1982年11月にお父様の堀内完先生が初演されたストラヴィンスキーのバレエ音楽『カード遊び』を復刻上演されますね。初演後、初めての上演となりますか。

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「胡蝶」リハーサル

堀内充 初演の半年後の1983年に再演をしましたが、その後は再演の機会がなく、一時は封印していました。初演の時、私はまだ18歳でした。20代30代の時に再演してもよかった作品ですが、父も言い出すことがなく、私もこの作品は大好きでしたが、なぜか再演する機会がありませんでした。18歳の頃の作品が今回久しぶりに再演できるのは嬉しいですし、一つの親孝行になるのかな、と思います。

――初演の時はジョーカーを踊られたのですか。

堀内充 はい、私がジョーカーを踊りました。スペードの女王は力丸純奈さんという伝説的なダンサーが演じました。このバレエはカードゲームの「ポーカー」を題材としたもので、3回の勝負があります。原作のバランシンは、3回ともジョーカーに勝たせていますが、堀内完の振付では3回目の勝負で「お前負けろ」と言われました。その負ける相手に強い女性が欲しい、と言って、ローザンヌ国際バレエコンクールに一緒に出場して競い合ったダンサーの力丸純奈さんに出演をお願いしました。
彼女とは清水哲太郎先生振付の『薔薇の精』も踊りました。森下洋子さんと清水先生がこの作品を踊られたのを拝見し、とても感動しました。松山バレエ団にも出演していた父が清水先生に連絡をとってくれました。そして、当時は夢にも思いませんでしたが、40年後、清水先生に「私の『薔薇の精』を踊ったのだから」と、松山バレエ団で森下洋子さんと踊らせていただくことになったわけです。
私はジョーカーのヴァリエーションが気に入っていて、ローザンヌでも踊りました。ローザンヌの創設者で当時理事長だったブランシュワイグ氏も喜んでくれました。

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第11回ローザンヌ国際バレエコンクール(1983年)準決選フリーヴァリエーション「カード遊び」

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表彰式で理事長ブランシュワイグ氏よりメダルを授与される

――『カード遊び』は台本もストラヴィンスキーですね。ギャンブルを題材にしています。だからジョーカーの活躍が重要なわけですが、なかなかユニークな作品だと思います。

堀内充 父の代表作は『春の祭典』でした。ですからストラヴィンスキーの音楽は好んでいたと思います。あの難解な音楽をよく理解していました。父の『春の祭典』のスコアを見ると、一生懸命、1,2,3,4,5 1,2,3,4,5,6,7,8とリズムをとって解読しているのです。『カード遊び』も同様に4拍子がいきなり3拍子になって、また4拍子になるという複雑なリズムと取り組んだ後がありました。スコアの拍子がどんどん変わってくるところを捉えています。今回『カード遊び』が復刻上演できたのも、父が音に細かく合わせて振りを作っていたおかげで、ほとんど95パーセントくらい父の振付を再現できました。今までにも『ジャズコンボとオーケストラの対話』『小組曲』などを復元して上演していますが、解読不可能な部分は私が手を加えて作り直していました。今回の『カード遊び』に関しては、父がおそらくこの作品は残そうとしたのではないか、と思えます。やはり、父が健在の時に上演しておけばよかったな、と思います。

――完先生は貝谷バレエ団で踊られていました。貝谷八百子さんはグランド・バレエを志向していたと思うのですが・・・。

堀内充 貝谷先生も次第にディアギレフに傾倒し始めたと思います。『三角帽子』も上演しています。そういうことも父は貝谷バレエ団で体験していたと思います。その後、父はジャズのバレエ団を作ってバレエから離れて行きました。しかし、子供たちがバレエを踊るようになって、父は貝谷バレエ団時代の記憶をもとに、ディアギレフのバレエ・リュス作品を追求し始めたのだと思います。『カード遊び』や『春の祭典』『薔薇の精』『カルナヴァル』『ペトルーシュカ』『火の鳥』、ダリウス・ミヨーの作品など、ディアギレフが手がけたバレエを始めました。当時は、牧阿佐美先生や松山樹子先生方が、グランド・バレエを中心にされていましたので、父はそこから離れて、バレエ・リュスの作品を一つの特色にしたのかな、と思います。

――完先生はジャズをやられていてニューヨーク志向がありましたね。

堀内充 私も中学生の時に元と、父にニューヨークに連れて行ってもらい、最初に見に行ったのがニューヨーク・シティ・バレエです。父も文化庁の海外研修でニューヨークに行っていたのですけれど、男二人の子供に見せるのはニューヨークだ!と言って連れて行ってくれました。その時、ニューヨーク・シティ・バレエを初めて観たのですけれど、よく解りませんでした。私は当時、牧阿佐美先生のところでバレエの教えを受けていたのです。牧阿佐美バレヱ団の『くるみ割り人形』でフリッツ役を踊ったりしていましたから、グランド・バレエに馴染んでいたのだと思います。
父がなぜこんなにニューヨーク・シティ・バレエの小品ばかり見せるのかな、と当時は正直言って分かりませんでした。でも、後になってから「そうか振付か」と思いあたりました。父は自分が振付家だから、振付のことも視野に入れて、元と私にニューヨーク・シティ・バレエの公演を観せたのかなぁ、と思っています。

――そして、スクール・オブ・アメリカン・バレエ(SAB)にも留学されました。

堀内充 私がSABに3年間留学した時は、振付とは新しいものを創るんだという意識がSABの中にもありました。ですからSABでは、現役で踊っているダンサーの振付作品をよく踊りました。今、思うと、バランシンがSABのために振付けた作品をカンパニーにどんどん持ってくる。『セレナーデ』をバレエ学校で振付けてカンパニーで踊る。そういう姿を見ることができてよかったと思います。「バレエコレクション」も今回が10回目になりますが、発想は同じです。私も大阪芸術大学で作品をどんどん作っている。大学で作った作品をこうして「バレエコレクション」という形で上演していこう、そうした発想で始めたのがきっかけです。

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「カード遊び」リハーサル

――今回の『カード遊び』を復活させようと思ったきっかけは何でしたか。

堀内充 父には機会あるごとに「お前は作れ」「とにかく作れ」と言われていました。兄の元よりも早くから言われていて、「お前はニューヨーク・シティ・バレエに入れなかったのだから、それだけ時間はあるのだから振付をどんどん進めて発表していけ」とよく言われていました。もし父にそう言われていなければ、私は振付をやっていなかったかもしれません。私は元よりも早く、21か22歳の時に作り始めました。この公演は1年に1回ですけれど、7回、8回と公演を重ねていくうちに、父の作品も残していきたい、と思うようになりました。まだ少ないですが、父の作品は3作品目になります。2019年に『小組曲』という作品を上演し、『ジャズコンボとオーケストラの対話』も復元しました。

――『カード遊び』を復刻することは面白いと思います。今の日本のバレエ界ではとても珍しい作品ですし。

堀内充 3年くらい前から復刻しようと思っていましたが、コロナ禍になり、なかなか実現できませんでした。今回やっと上演することができます。自分自身、振付家としてもベートーヴェンの『月光』や、ウエストサイドストーリー「シンフォニック・ダンス」など作りたい作品がありました。しかし、40年経ってもどこかのバレエ団で『カード遊び』を上演したという話は日本では聞きませんでしたので。

――『カード遊び』はニューヨーク・シティ・バレエにもレパートリーとして残っていないんですね。英国ロイヤル・バレエ団にはあるのかな。あとはクランコが振付けたものがありますね。

堀内充 クランコの振付は、深川秀夫さんがドイツで出演され、モノクロームの映像がニュース的にダイジェストで残っているようです。私は全然見つけられませんでした。父にも聞いていません。とにかく、父は楽譜というかレコードの解説書などを頼りにして振付けたのだと思います。

――実際に復元する作業は大変でしたか。

堀内充 楽譜は見つけました、当時の舞台写真などもありました。私の記憶では、創作の際、父は随分悩んでいました。第2楽章の終わりなど、電車ごっこのような振りで終わる所も随分時間がかかりました。「これから先がどういうふうに作ったらいいか分かんねーんだよ」などと悩んでいました。私たちは振付を待っているのですけれど、全然思い浮かばなくて。「この先、どうすればいいんだろう・・・今日はここまで!」なんて言って、声を荒げて「俺はもう帰る!」というような時もありました。ある日、突然閃いてこういう展開ができた、ということなのです。
私はそういう時に、父の振付家としての姿をまじまじと見た気がしました。ですから振付を作るということは、悩むのが当たり前であって、必ず壁にあたるものなのです。そして、ここで挫けてはいけないんだ、そういうことを私は父から学びました。
『カード遊び』というのは難しい作品です。『チェックメイト』(ニネット・ド・ヴァロワ振付)などとは違い、「ポーカー」はギャンブルです。バレエは美を描くものですから、ある意味バレエにはそぐわない題材なのかもしれません。それでもストラヴィンスキーは「ポーカー」が好きで、ウォッカが好きで、葉巻を吸うし、それで作曲する人だったから、自分の私生活をそのまま作品にしてしまった、ということらしいのです。父もかなりお酒が好きで、かつてはギャンブルもしていたみたいです。ですから父も楽しく振付けていたのではないかと思います。性格にも合っていたのかもしれません。

――美術は朝倉摂だったのですね。

堀内充 今回は朝倉先生の衣裳は実現できなかったのですが、舞台装置は朝倉先生のバイオグラフにも写真が載せられているものです。朝倉先生には娘さんがいらっしゃるのですが、このバレエの美術を手がけていたことは忘れられていたようです。私が写真を示しましたら、非常に驚かれました。私の方で実物を保管していたことをお伝えすると、「残っていたなんて素晴らしい!どうぞ、ご自由にお使いください」とおっしゃってくださいました。40年前のものがほぼ完全に近い状態で残っていることは奇跡に近いことのようです。今回の公演では、朝倉先生の舞台装置をそのまま使いますので、ぜひ、観ていただきたいと思います。
父は朝倉先生にも助けられて『春の祭典』など、振付家として認められている作品は全て朝倉先生が手がけてくださっています。朝倉先生は父より年上ですが、同時代を生きて作品を一緒に作ってきました。朝倉先生と父のコラボレーションなのです。
『ペトルーシュカ』のサーカス小屋や、『卒業舞踏会』のウィーンを思わせるようなドロップ、『春の祭典』のメタリックな美術オブジェなどは残っていますが、年月が経っているので使えるかどうかはわかりません。『カード遊び』に関してはデザイン画が全部残っています。

――音楽はバレエ・リュスの時代の音楽家のものが多いのでしょうか。

堀内充 父の代表作は『春の祭典』ですが、ストラヴィンスキーの三大バレエは全て手がけ、ディアギレフの時代のドビュッシーやダリウス・ミヨー、シューマンなど。父がこれもやりたいあれもやりたいとリストに挙げていたものは、ディアギレフのバレエの系統だったような気がします。

――日本の舞台にディアギレフのスピリットを生かそうとしたんですね。そういう意味でも『カード遊び』の復刻は意味があると思います。

堀内充 『ペトルーシュカ』も、うちの家族は男の兄弟二人と姉一人がダンサーでしたので、まさにバレリーナとムーア人とペトルーシュカになるのでうってつけの作品だ、と父は思っていました。ですから上演した時は、本当に嬉しかったと思います。それから『火の鳥』も上演しています。イワン王子は私で、火の鳥は姉のかおりでした。当時は『火の鳥』を上演するのですから、もう少し話題になってもいいはずでしたけれど・・・。大手のバレエ団が競い合って海外からゲストダンサーを呼んでグランド・バレエを上演していましたので、時代の波に入りたかったのかもしれないのですが、かき消されていました。
『火の鳥』もいつか復元して上演したい、とは思っています。美術は朝倉先生でしたし、衣裳は真野誠二さんという日劇ダンシングチームや宝塚で衣裳デザインをされていたレビュー衣裳の第一人者の方でした。

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「EPISODE」リハーサル

――今回は新作も3作品上演されますね。(『金と銀』『胡蝶』『EPISODE/エピソード』(ピアノ演奏:小佐野圭))

堀内充 『EPISODE/エピソード』は、小佐野圭さんという玉川大学で知り合ったピアニストの方の演奏で踊ります。今回で3回目になりますが、それまで小佐野さんはバレエ公演では演奏されたことがなく、リサイタルでしか弾かれない方でした。ピアノのタッチひとつでもバレエのピアノとは全く異なります。やはり演奏家に演奏してもらい、そこで踊るのが本当ではないか、と思います。よくバレエ公演でオーケストラに、私のテンポがこうだからこのテンポで演奏してください、という人もいますけれど、僕はそういうのは一切なしです。お好きなテンポで演奏していただきコラボレーションします。
ポロネーズ「英雄」も、すごくロマンティックに演奏されますが、その演奏で踊るのが本当の舞踊家だと思います。バレエのテンポに合わせて演奏してもらってもしょうがないと思うのです。ショパンはバレエ用に作曲していないのですから。音楽と真に向き合う、2020年のベートーヴェンの『月光』の時もそうでした。演奏家ときちんと向き合い踊っているので、ぜひ演奏も聴いていただきたいですし、ダンスも観ていただきたいと思います。音楽の視覚化とはどういうことなのか、ということも観ていただきたいと思います。

――バッハの「G線上のアリア」やラフマニノフ、プーランク、ショパンなどいろいろな音楽が演奏されますが、小佐野さんが構成されているということですね。

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堀内充 そうです。小佐野さんは、お父様を亡くされたり、ご友人が闘病生活に入られたり、そうしたことに対する気持ちや、生きることへの勇気や希望など、そうした想いにより演奏したい、と仰っています。
私も長いこと振付をしていますが、小佐野さんとコラボレーションすることにより、振付に対する新しい意欲が湧いてきます。私はポロネーズ「英雄」をバレエにしようとは思ってもいませんでしたし、ベートーヴェンの「月光」もそうです。そういうチャンスを与えいただいたという、音楽家との共演が振付家としての新しい境地を切り開かせてくれるのだと思います。

――『金と銀』も上演されますね。

堀内充 『金と銀』の音楽は『メリーウィドウ』などで知られるレハールです。燕尾服に女性が夜会服でワルツを踊る、という短い作品です。バランシンも『ラ・ヴァルス』を作っています。
私は音楽系の大学で教えていますが、そこで音楽、マエストロと出会うことがあります。お亡くなりになりましたが、小松一彦さんという高名な指揮者の方がいらして、海外から帰国されて演奏会を開いた時に、「今度レハールの『金と銀』を演奏するのだけれども、バレエを振付けて欲しい」と言われました。それがきっかけでした。『カルメン』を振付けたのもオペラを上演するからと小松さんからのお話がきっかけでした。最初はオペラの中のバレエでしたが、その後、バレエの『カルメン』も振付けました。音楽家がそうして僕を導いてくれたのだと思います。

――『胡蝶』はどのような作品ですか。

堀内充 今回上演する『胡蝶』も大学で作った作品が基になっています。作品自体は違うのですが、コンテキストや衣裳、女性の動きなど、僧侶がいて蝶々が飛んで・・・という設定は同じです。2008年に大学で作り、パリではルーブル美術館で上演して好評でした。また、上海で開催された万博会場でも上演しました。
『胡蝶』は牧阿佐美先生の「『胡蝶』よりパ・ド・ドゥ」を拝見した時に、すごく美しくて「ああ、こういうバレエもあるんだな」と思って、パリや上海に持っていく作品として振付けました。牧先生の作品は、確か森英恵さんの衣裳でした。牧先生は本当に美しいものがお好きです。とにかく美しいものを追い求めていらした、とすごく感じさせられます。「蝶」というのは「風」にも負けずにずっと輝き続ける、というとても純粋なバレエでした。
昨年10月にお亡くなりになられましたが、牧阿佐美先生は私にとっては本当に忘れることのできない師匠のお一人です。ですから、今回のプログラムに、牧先生に触発されて振付けた作品を入れました。
音楽は、シンセサイザーのキタロウです。彼は「シルクロード」の後、アジア系のコンテンポラリー・ダンスの音楽も手がけるようになっていますが、その中のひとつです。最後には能の『胡蝶』の曲を被せています。牧阿佐美先生の「『胡蝶』よりパ・ド・ドゥ」が上演された時、バレエと能の共演として能の『胡蝶』も上演されていました。

――今回は「バレエコレクション」の10回目として、新作3作品と『カード遊び』を上演されるわけですが、一番伝えたいことはどのようなことでしょうか。

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堀内充 やはり、勇気とか希望というものが必要だと感じられる時代です。そういう意味では『エピソード』の中に入っているポロネーズ「英雄」に代表される想いが伝われば嬉しいです。
私もこれまでに多くの作品を作ってきました。「バレエコレクション」で上演したものだけでも30作品になります。最も大切にしていることは、バレエに対する誠実さです。私の作品は、奇を衒うというか叛逆的なところはありません。ダンス界では、コンテンポラリー・ダンスにしても、常に何か違うことをやることによって、ダンスは活路を見出す、という何かそういう考え方が、舞踊批評の方の中にもあるように思います。いつもいつも「もっと面白いことやれ」と言われているようにも感じます。しかし私としては、バレエに対する誠実さ、ということをとても大切にしています。バレエの美しさに対して反逆的なことをするというのは、私は好きではないのです。自分が生きてきたのはバレエのお陰ですし、バレエに対するリスペクト、誠実さをよりどころとして生きてきたわけですから。作品にしても純粋にその気持ちに基づいて作っています。本当にバレエの美しさに対する誠実さというものを、しっかりと残していかなければならないと思っています。バレエは生命力がとても強いですし、残し続けるということが一番大切なことだと思っています。

――本日はお忙しいところ興味深いお話をありがとうございました。10回目の「堀内充バレエコレクション」大いに期待しております。

堀内 充

幼少より双子の兄(堀内元)とともに両親のバレエスタジオでバレエを始める。1981年モスクワ国際バレエコンクール銅賞、1983年ローザンヌ国際バレエコンクール・ローザンヌ賞を受賞し、ニューヨーク・スクール・オブ・アメリカンバレエ(SAB)に3年間留学。帰国後、舞踊活動を開始。青山劇場バレエフェスティバル、新国立劇場バレエ団、松山バレエ団、東京シティ・バレエ団、日本バレエ協会、東京バレエグループ、佐多達枝バレエ公演など多くのバレエ公演に出演。また、南米やフランス、米国サンフランシスコ、韓国、中国上海、札幌のダンスフェスティバル等にも招かれている。現在、振付活動として「堀内充バレエプロジェクト」を展開。1994年グローバル森下洋子・清水哲太郎賞受賞。バレエダンサー・振付家として、また大阪芸術大学教授、母校の玉川大学芸術学部非常勤講師、京都バレエ専門学校講師、日本音楽高校特別講師、新国立劇場研修事業委員(舞踊)、バレエスタジオHORIUCHIのバレエマスターを務め、後進の指導にもあたっている。

「堀内充 Ballet Collection 2022」
●5月27日(金)18:30開演 17:45開場
●めぐろパーシモンホール 大ホール

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