グリジやエルスラー、チェリートが踊ったロマンティック・バレエの黄金時代を彷彿させたバレエ協会公演『ラ・エスメラルダ』

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

2022都民芸術フェスティバル 日本バレエ協会公演

『ラ・エスメラルダ』ユーリ・ブルラーカ:復元振付・演出

2022都民芸術フェスティバルのバレエ協会公演は、ユーリ・ブルラーカ復元振付・演出による『ラ・エスメラルダ』全幕だった。

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林田翔平、川島麻美子 撮影/staff TES

『ラ・エスメラルダ』の原作は、周知のようにヴィクトル・ユゴーの長編小説『ノートルダム・ド・パリ』。何回か映画化され、オペラやミュージカル、長編アニメーションとしても制作されている。15世紀末のパリのノートルダム寺院界隈を舞台に、独特の存在感のある登場人物たちが活発に生き抜く波乱に満ちたストーリーが世界的な人気を集めている。映画では、エスメラルダをモーリン・オハラ、ジーナ・ロロブリジータ、レスリー=アン・ダウン、カジモドをチャールス・ロートン、アンソニー・クイン、アンソニー・ホプキンスなどの名優たちが演じている。中でも1956年にジャン・ドラノワが監督したフランス映画は大作だった。この映画では冒頭から、壮麗な建築のノートルダム寺院の周縁で生きる人々を描いている。『天井桟敷の人々』などでも見られた、ヨーロッパの中心地パリの下層階級の奇想天外な人物たちの人間くさい活力の漲る群衆の姿である。
バレエは、モブシーンを使って群衆のエネルギーを描くことはできないので、『ラ・エスメラルダ』というタイトルにより、運命に翻弄されるヒロインに焦点を絞って創られている。1844年にジュール・ペローの台本・振付、チェーザレ・プーニの音楽により、カルロッタ・グリジがタイトルロールを踊って、ロンドンで初演された。その後、プティパ版が上演された時によく知られる「ダイアナとアクテオン」が挿入された。今回は、元ボリショイ・バレエの芸術監督で、古典バレエの造詣が深いことで知られるユーリ・ブルラーカによる復元版で、フョードル・ムラショフが振付補佐を務めた。公演パンフレットによると、1899年にプティパが再振付したヴァージョン(クシェシンスカヤ主演)はステパノフ式の記譜が残されており、これに基づいてブルラーカとヴァシリー・メドベージェフが復元し、2009年にボリショイ劇場で上演された。そのほかの著名なヴァージョンには、ウラジーミル・ブルメイステル振付『エスメラルダ』1950年、ローラン・プティ振付『ノートルダム・ド・パリ』1965年がある。

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川島麻美子、奥田慎也 撮影/staff TES

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キム・セジョン、川島麻美子 撮影/staff TES

物語は、美しいロマの娘エスメラルダ(川島麻美子)をめぐって、ノートルダム寺院の異形の鐘撞き男カジモド(奥田慎也)、貧しい詩人グランゴワール(キム・セジョン)、王の親衛隊長フェブ(林田翔平)、司教補佐のフロロ(村山亮)という4人の男たちにより繰り広げられる。
詩人のグランゴワールは、昼は不自由な身体で物乞いをするが夕暮れには普通の身体に戻るというイカサマ連中が屯する魔窟<奇跡の庭>に迷い込み、たちまち身ぐるみ剥がされる。だが、金目のものを何も持っていなかったため、ボスが決めたルールにより奇怪な裁定が下される。「この男と結婚する女が現れなければ殺す」と。グランゴワールは必死で女たち働きかけるが、誰も振り向かない。そこにエスメラルダが現れ、彼を死から救うために結婚を承諾する。しかしそれは彼を助ける方便で、現実の結婚は頑なに拒否される。
神に使える司教補佐でありながら、美しいエスメラルダへの情動を抑えられないフロロは、異形のカジモドを使って強引に我がものにしようとする。偶然その場に来合わせた親衛隊長フェブはエスメラルダを助け、カジモドを捕らえる。エスメラルダは捕縛されたカジモドを憐れんで水を与える。醜い姿から人々に徹底的に蔑まれてきたカジモドに、エスメラルダは初めて人間らしい優しさを感じさせた。
フェブはエスメラルダと愛し合うようになり、高価なスカーフを彼女に与える。ところがフェブにはフルール=ド=リ(平尾麻実)という裕福な貴族の娘の婚約者がいた。その屋敷にロマの一団が招かれて踊りを見せることとなり、エスメラルダは愛するフェブと婚約者フルール=ド=リの目前で、あのスカーフを使って踊った。実はそれはフルール=ド=リのフェブへの贈り物だった。エスメラルダとフェブの関係を知ったフロロは嫉妬に狂い、二人が睦みあっているとき、フェブの背中に短刀を突き立てる。そしてあろうことか、エスメラルダをその殺人未遂の犯人に仕立てた・・・。

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撮影/staff TES

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撮影/staff TES

クライマックスは第2幕の愛するフェブとその裕福な婚約者の前で、ロマのダンサーとしてエスメラルダが踊るシーン。川島麻美子のエスメラルダは、最愛の人が豪華な館ーー<奇跡の庭>とコントラストを際立たせているーーで、麗しい婚約者と共に見つめる中、彼らのための余興のダンスを踊らなければならない。エスメラルダは、彼女の心中を思いやるグランゴワールに助けられながら必死に踊るが、いつもは肌身離さず身体の一部のように扱っているタンバリンを取り落としそうになったり、哀しさを堪えながら弱々しく振る。すると普段は明るく単純なリズムを刻むタンバリンが、幽(かそけ)く儚げな音を響かせ、観客の涙腺を刺激する。結局、エスメラルダは救われ、ハッピーエンドとなって彼女の魂の籠ったタンバリンはカジモドに与えられる。
川島は指先まで全身を一致させて、情感豊かに哀しみを表して見事に踊り切った。彼女の素晴らしい舞台を観ながら、かつてのロマンティック・バレエ黄金時代の大スター、カルロッタ・グリジやファニー・エルスラー、ファニー・チェリートなどが、エスメラルダを踊り観客が熱狂するさまへと空想を巡らせることもできた。キム・セジョンのグランゴワールはエスメラルダに翻弄されるが、彼女を愛し心を寄せる優しい人物像を描いた。林田翔平のフェブは、親衛隊隊長というかっこいい男性だが、裕福な婚約者ではなく窮地に陥ったエスメラルダを救い結ばれる。意外に人の良いところもある性格を表した。また、劇中に挿入された「ダイアナとアクテオン」は根岸莉那と二山治雄が伸びやかに踊り喝采を浴びていた。

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キム・セジョン、川島麻美子 撮影/staff TES

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撮影/staff TES

開幕前には、この紆余曲折に富んだ、文庫本にして1000ページを越す物語をバレエの表現で表することは、かなり難しいことだと思われた。しかし冒頭から力強く勢いのいい群舞、マイムを交えた舞踊の流れも快適で、物語の成り行きは意外にすんなりと納得することができた。ある程度の予備知識はあったとはいえ、やはり、演出とそれぞれ登場人物たちの表現力も優れていて、全体が理解しやすく演じられていたからであろう。面白さを手際よく纏めてバレエ化した、ペローやプティパの才気、そして何よりもロシア・バレエの豊かな物語表現の伝統が強く感じられた。
6月11日、12日には、牧阿佐美バレヱ団がローラン・プティ振付の『ノートルダム・ド・パリ』を上演する。このヴァージョンではまた、プティの機知に富んだ大胆な演出を楽しむことができる。
(2022年3月6日マチネ 東京文化会館)

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撮影/staff TES

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村山亮、川島麻美子 撮影/staff TES

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撮影/staff TES

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撮影/staff TES

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撮影/staff TES

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