集中力と情感を研ぎ澄まして『アルルの女』のフレデリを踊りきった水井駿介(牧阿佐美バレヱ団)に聞く

ワールドレポート/東京

インタビュー=関口紘一

――伊達コンペティションで審査員特別賞、NBAのバレエコンクールで入賞され、スカラシップでウィーン国立バレエ学校に行かれましたね。これはどういう経緯ですか。
水井 スカラシップをいただいたときに選んでいただいたのが、ウィーン国立バレエ団の先生でした。

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「アルルの女」水井駿介
撮影/鹿摩隆司

――まだ、マニュエル・ルグリがウィーン国立バレエ団の芸術監督に就任していませんでしたか。
水井 僕が行った最初の年は来ていませんでした。2年目に芸術監督に就任されることが決まりました。僕はその2年目が卒業の年で、卒業と同時にバレエ団の研修生に選んでいただいて、ルグリが芸術監督のカンパニーと1年間一緒に活動しました。

――芸術監督のルグリはどんな感じでしたか。
水井 毎日のクラスはルグリと一緒に受けていていました。本当にもう、「ザ・オテホン」なので見ているだけでも吸収できることはたくさんあって、やっぱり、音の取り方とか、踊りの見せ方とかがすごく勉強になりました。

――日本でもNHKバレエの饗宴で、子供たちを教えていましたね。カンパニーの中でもルグリが芸術監督になる、というので期待もあったのではないでしょうか。
水井 ルグリがくることが決まった時はまだスクールにいましたが、僕にとっては憧れのダンサーだったのでこのカンパニーに入りたいな、と思っていました。

――ウィーン時代の印象に残っていることと言いますと、どういうことでしょうか。バレエ学校時代を含めて。
水井 バレエ学校時代の1年目は、ずっと基礎でした。ロシア人の先生だったのですけれど、基礎・基礎・基礎で、日本だったら一通りの練習をするのですが、バーだけで1時間以上かけて行い、センターの途中まで終わっちゃうというような、とにかく基礎・基礎の繰り返しでした。それが今では、僕のベースになっているので、基礎を一から学べたのは本当にありがたかったですね。

――バレエ学校時代に国際バレエコンクールに出られていて、いくつも入賞されています。その中に、スラベンスカ・コンクールがあって、『白鳥の死』という映画主演した美貌のバレリーナですね。久しぶりに名前を聞いたので、H.Pを見たら彼女の写真は画面にすーっと浮かんできて、すごい懐かしかったです。すみません、個人的で・・・。
水井 たまたま受けたらスラベンスカの記念コンクールだったんです。

――水井さんは審査員特別賞を受賞されたましたね。その後、ポーランド国立バレエ団に入団されました。このカンパニーはおそらく来日していないと思うのですが、、、どういうカンパニーですか。
水井 僕が入団したちょっと以前から、クリストフ・パストールが芸術監督でした。彼はポーランド人なんですが、元オランダ国立バレエ団のダンサーで、その後、ネオクラシックの振付家として活躍しています。物語バレエも振付けますが、トリプルビルで上演するような作品も多いです。彼の作品も上演しつつ、古典バレエも上演していました。僕がマキューシオを踊った『ロミオとジュリエット』もクリストフの振付作品でした。それから『テンペスト』。これではアリエルという役を踊らせていただきました。クリストフの作品の他にも現代の振付家の作品がありましたので、レパートリーはすごく良かったですね。

――『ロミオとジュリエット』はどういう作品ですか。マクミランの振付などとも共通するところはありましたか。
水井 衣裳なども現代的で振りもネオクラシックですね。剣とかは出てこないんです。素手というか、組み合って闘います。最後に殺すところはナイフを使いますが、フェンシングの剣の戦いはないです。少し『ウエスト・サイド・ストーリー』を思い出させるような演出でした。

――『ロミオとジュリエット』のマキューシオを踊られたんですね。
水井 僕は18歳でポーランド国立バレエ団に入団したのですが、向こうのダンサーは身長も高く、あまり重要な役もつかなかったので、いろいろ悩んでいる時がありました。入団3年目でマキューシオを踊ることが決まり、一番最初に配役された大きな役でした。それまで舞台に立つ機会がそんなに多くなかったということもあり、ポーランドには7年間いましたが、とても印象に残っている役の一つです。

――それからブルーバードやブロンズアイドルも踊られましたね。
水井 ブロンズアイドルは、英国ロイヤル・バレエ団で上演しているのと同じナタリア・マカロワ版の『ラ・バヤデール』でした。ブルーバードはグリゴローヴィチ版でしたし、その他にもノイマイヤーやキリアン、ベジャールとか、ポーランド国立バレエ団はかなり幅広いレパートリーを揃えています。

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「アルルの女」青山季可と  撮影/鹿摩隆司

――日本人ダンサーは他にもいましたか。
水井 結構多かったですね、僕が入る前に海老原由佳さんともう一人女性の方がいて、僕が入った時に日本人が5人くらい一緒に入りました。その後に影山茉以さんも入られ、今も日本人が大活躍しています。

――今の牧阿佐美バレヱ団の公演の方式と比べてどうですか。
水井 そうですね、踊っている役とかも全然違うので・・・なんとも言えないですけれど。ただポーランドの場合は、火曜日から土曜日朝10時〜18時まで決まった時間で、クラスとリハーサルをしていました。リハーサルが決まった時間でしたから、本番までにコンディションとかを整えやすかったですね。公演前のスケジュールも大体決まっていて、月にコンスタントに公演がありました。

――ロシア・バレエの影響もありましたか。
水井 そうですね、今の監督がくる前は割とロシアの作品を上演していました。クリストフが監督になってから、もっと西側の作品を取り入れるようになりました。

――ショパンの曲による作品などはありましたか。
水井 ショパンのコンチェルト1番と2番をダブルビルで、1番をリアム・スカーレットが振付けて2番をクリストフが振付けるという構成で上演したこともありました。ポーランドも戦争でたいへん悲惨な経験をしていますので、反戦もの、例えば『グリーン・テーブル』なども上演していました。

――ダンサーとしての目標といいますか、好きなダンサーと言いますと。
水井 僕はもうずっとルグリが大好きです。ルグリの『アルルの女』も何百回も見ました。オーレリー・デュポンと踊った『眠れる森の美女』も好きで、ルグリは何を踊っても本当に素晴らしいです。この人は「これ」、というのではなくてすべての作品を自分のものにして踊れるというのは、本当にすごいダンサーだと思います。

――ポーランドの国立バレエ団で7年間踊られて、日本に拠点を移されてから感じられることはありますか。
水井 僕はウィーン国立バレエ団とポーランド国立バレエ団という国立のバレエ団でずっと踊ってきて、日本に帰ってきてプライベートのカンパニーに入りました。日本のプライベートのカンパニーではいろいろな方が支えてくださっていて、スポンサーであったりいろんな方のお力添えがあって踊ることができるという、有り難さであったり、応援してくださる方が近い存在にいるんだなと思いました。外国の国立バレエ団だと観客は観光客の方だったりしますし、地元の方もいますが、そこまで身近に感じることはなかったですね。日本に帰ってきてそういう方たちのお話とか、サポートしてくださることに対して本当にありがたいと思います。お客様もそうです、今までは見にきてくださって生で感想を聞くことも少なかったので、素直に嬉しいです。日本のバレエ・ファンの方は応援してくださる気持ちがすごく熱いので、ダンサーもそれに応えていかなければならないな、と思っています。

「リーズの結婚」_水井 駿介_2021年(撮影 山廣康夫)_LM21-5483.JPG

「リーズの結婚」撮影/山廣康夫

――牧阿佐美バレヱ団に入られてから踊られた全幕作品の主な役は、『眠れる森の美女』の王子、『リーズの結婚』のコーラス、『くるみ割り人形』の王子、『アルルの女』のフレデリ。そして『ロミオとジュリエット』のロミオ、『ドン・キホーテ』のバジル、『ノートルダム・ド・パリ』のフロロが公演中止になってしまいました。その中で一番踊りたかった役はどれでしたか。
水井 僕の中ではやはり、一番は『アルルの女』のフレデリですね。『リーズの結婚』のコーラスも憧れていた役で、その二つの作品が同じ年に上演され、二つ踊らせていただいて本当に嬉しかったです。ウィーン国立バレエ団の研修生時代に初めて観た『アルルの女』が忘れられなくて・・・客席で観たのですが、僕の中で衝撃的で鳥肌が立ってとても感動しました。今まで観たバレエとはまったく別物でした。

――でも、そうすると『ロミオとジュリエット』全幕でロミオを踊ること、仙台予定されていた『ドン・キホーテ』全幕でバジルを踊ることは、両方とも初主演だったわけですね。それは本当に残念でしたね。伊達コンクール以来、仙台で踊る予定でしたのに。
水井 そうですね、僕が中学校2年生の時に初めて仙台に行って、それが初めてのコンクールでしたし、その時に審査員特別賞とスカラシップを頂いて、サラソタのバレエ学校に留学させていただきました。
『ロミオとジュリエット』も楽しみにしていました。それまではマキューシオを踊ってきたので僕の中ではマキューシオのイメージが強くて・・・自分のロミオってどんなふうになるのだろうって、楽しみにしていたんです。

――ローラン・プティ作品は踊られたことはあったのですか。
水井 ないです。『ノートルダム・ド・パリ』も中止になってしまいましたが、この時、プティ作品を初めて踊る予定だったのです。『ノートルダム・ド・パリ』のリハーサルは進行していましたが、結局、プティ作品を初めて踊ったのは『アルルの女』になってしまいました。
ポーランドではプティ作品はレパートリーになかったので、牧阿佐美バレヱ団に入ってプティ作品を踊るのを楽しみにしていたのです。

――結局、ルイジ・ボニノも教えにこられなかったのですか。
水井 ええ。リモートで練習しましたが、とても難しかったです。時差もありますし、画面越しなのですべてのニュアンスを受け取るのに苦労しました。彼も動きでいろいろを見せようとして努力してくれていましたが、動けるスペースも限られているのでリモートでリハーサルするのは本当に大変でした。生の空気感とか緊張感とかがリモートになると半減してしまうようで、ルイジがこられなかったのが本当に残念でした。

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「アルルの女」  撮影/瀬戸秀美

――でもウィーン国立バレエ団で『アルルの女』を観ていて良かったですね。
水井 そうですね、だいぶ前でした、当時、僕は16歳くらいでしたか。でもすごく印象に残っているのは、やはり、最後のファランドールでしたね。

――『アルルの女』では、<アルルの女>が舞台には登場しませんし、ヴィヴェットも観客も誰も見えていません。でも、主題になっている<アルルの女>を表現しなければならない、というたいへん難しい役でしたね。
水井 そこは僕もいろいろと悩みましたね。結局、タイトルにある<アルルの女>って、いったい誰なんだ、というところが。それを表現できるのはフレデリを踊る僕にしかできない、それをお客様の脳裡にどのように映し出すか、観るそれぞれのお客様によっても多分<アルルの女>ってこういう人なのかな、というイメージがあると思うですけれども。舞台上に現れない登場人物を想像させる、ということには僕もかなり苦悩しました。

――私には見えました! <アルルの女>の輪郭が舞台の上に浮かんだように感じました。視線のさまよわせ方、と言いますか、それが重要なのではないかと感じましたが。
水井 そうですね、視線の使い方はかなり研究しました。結局、自分の中で思っているものを目で遠くに表現するという・・・自分のイメージだと映画館のスクリーンに投影しているみたいなイメージを持って、かなり、遠くに<アルルの女>を想像して、ヴィヴェットを見るときも見ているのだけれども、僕の心が見ているのはもっと先のところ・・・今、会っているけれど「この人のこと見ていない」ということを表現しないといけないわけです。

――他にないですね、こういうバレエは。
水井 本当にすごい作品だなって、改めて作品の力ってすごいな、と思いました。その作品を踊ることによってダンサーの集中力とか情感が舞台で研ぎ澄まされて、それがお客様と一体化というか、劇場の空気感がいつものバレエとは違うな、という感じがしました。すごい作品なんだな、と改めて思いました。

――『若者と死』の若者が自殺すること、『ランデヴー』で青年が女性に殺されること・・・ローラン・プティの中では不条理な死、というものがいつも若い男性の生と対峙している、そんなことも感じました。
水井 作品も30分くらいの作品で、最初から最後のファランドールまでの集中力と感情を途切らせない、というのが難しかったですね。緩んでしまうと目線が泳いだりして台無しになってしまいますから。本当に心底から<アルルの女>を思ってなければなりません。集中力を最高に高めて気持ちを集中して、踊らないといけない、本当に難しかったです。
でも、舞台に上がってしまえば「あっ」という間なんですけれども。本番はいい意味で落ち着いて踊れたと思います。

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「アルルの女」青山季可と  撮影/瀬戸秀美

――20日と空けずに2つの舞台で踊られましたね。(「NHKバレエの饗宴」、牧阿佐美バレヱ団「ローラン・プティの夕べ」)
水井 続けてそのチャンスがあったというのは、本当によかったです。「NHKバレエの饗宴」の時と「ローラン・プティの夕べ」の時は、自分の中で違う感覚がありました。

――2回とも青山季可さんと踊られましたね。
水井 そうです。2回目の方が季可さんのフレデリに対する想いが強かった、と感じました。想いが強ければ僕の方もアルルの女とヴィヴェットへ想いの差が大きくなって、それが感情の起伏になってきました。
季可さんとはすごくたくさん話し合いました。舞台で踊るにしても、一つ一つ、今、なにを思って動いているのか、とか、とにかくあらゆることを確認しながら話し合いました。
振りもプティ独特のものがありますから、パートナリングというか絡み方が他の振付とは違いますから。何回も何回も試してみて、それでも、これっていう納得のいく動きにはなかなかならなくて。本番の前日までいろいろなことを話し合いました。パートナーが季可さんでよかったな、と思います。二人で話し合って創り上げていくことができたこと、その大切さを知ったということは本当に大きかったと思います。

――役に入り込んでしまって、幕が降りてもなかなか現実に戻れなかったのではないですか。
水井 最後に窓に飛び込んで、マットがあるのですが、そこにしばらくじっとしていたい、と放心状態になっていました。でもカーテンコールがあるので、すぐに立ち上がっていかなければならないのです。

――そうですか。やっぱり、牧阿佐美バレヱ団に入って一番大きい経験ですか。
水井 レパートリーに『アルルの女』があるのは知っていたので、いつか絶対に踊りたいなと思っていました。
『アルルの女』は牧阿佐美バレヱ団が日本初演しましたが、近年は長い間、上演されていなかったので、このタイミングで巡り合って踊れたということは、本当に良かったです。

――他の演目は中止となって踊れなかったものもありましたが、『アルルの女』を踊ることができて良かったですね。
水井 他の作品でもこの経験を活かして繋げていけたらいいな、と思っています。

――牧阿佐美先生がお亡くなりになってしまいましたが・・・
水井 僕が入団したのは2019年の夏です。在籍年数は多くはないのですが、阿佐美先生には入団してから本当に良くしていただいて、こんなにたくさんの機会を与えてくださったので、もうただただ感謝しかないですね。
思い出すことといえば、よく事務所に阿佐美先生が座られていた時にお話をさせていただいて、何時間もバレエのことをお話ししました。海外の状況とかどういうことをやってるのとか、バレエに対する想いが深く強かった、ということがとても印象的でした。
阿佐美先生に以前のバレエのお話とかを聞くことが僕は好きでした。僕の中では稽古場にいらっしゃるよりも、事務所でバレエについていろいろお話したことがすごく記憶に残っています。バレエの世界も狭いのでいろいろとお話ししていくうちにあちこちで繋がってくるので・・・繋がっていてバレエの世界ができています。阿佐美先生もバレエ界で世界中の人たちと繋がっていましたし。期間はそれほど長くはなかったのですが、本当にいろいろなお話ししていただきました。
バレエ・アステラスに出演して『薔薇の精』を踊ったのですが、最後に阿佐美先生がリハーサルに来てくださって、「もっと跳んで」とアドヴァイスをいただいたのが最後でした・・・。

――本当に貴重なお話をありがとうございました。

牧阿佐美バレヱ団 https://www.ambt.jp

NMKバレエの饗宴「アルルの女」放映予定
https://www.ambt-dancers.net/2022/02/07/3-20放送-nhkバレエの饗宴2021-in-横浜

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