<スリルとスピードの中に生まれる美しい間>Kバレエカンパニー『くるみ割り人形』公演レポート

ワールドレポート/東京

坂口 香野 Text by Kaya Sakaguchi

熊川哲也Kバレエカンパニー

『くるみ割り人形』熊川哲也:演出・振付

2005年に初演された熊川哲也演出・振付のKバレエ版『くるみ割り人形』は、精緻に組み上げられた「仕掛け絵本」のような作品だと思う。先へ先へと観客の気持ちを引っ張っていく布石や複線がたっぷりと詰め込まれ、観るたびに発見がある。
2021年12月2日、17:30開演の公演を観た。

たとえば序曲は、聴いているだけで心が弾んでくる音楽だが、熊川版は聴かせるだけではない。途中に、人形の国の王女マリー姫がねずみに変身させられる不穏なシーンがはさまる。ドロッセルマイヤーは、人形の国から現実世界へ、マリー姫にかけられた呪いを解ける人間を探しにきた人物で、時計職人を装っている。ダンスの見せ場も多い、陰の主役のような役所だ。

この日ドロッセルマイヤーを踊ったグレゴワール・ランシエは初役。ことさらにミステリアスさを強調せず、自然な演技でさらりと日常に入り込んでくる印象だ。クララの母(戸田梨紗子)に魔法をかけてパーティに招待させ、広間に人形の国との出入り口になる柱時計を設置する。そして、パーティの来客や子どもたちの様子をじっと観察する。クリスマスツリーの火が灯ると、一瞬、金色の羽をつけた天使が現れる。その姿を、クララ(世利万葉)だけが目撃する。
遠い呼び声のような旋律とハープの響きが絡み合う、白昼夢そのもののような音楽。照明が空気の色を変え、他の客たちは静止画となる。現実の中に突如割り込んでくる「魔法の時間」だ。
さて、不思議な空気は瞬時に切り替わり、「行進曲」で子どもたちが踊り出す。弾むようなジャンプや回転、馬跳びなどの遊びが入った元気な踊りだ。クララの弟フリッツを踊ったのは関野海斗。あまり「悪い子」には見えなかったが、クリアで端正な動きが心地よい。ドロッセルマイヤーは、クララこそ人形の国を救える純粋無垢な心をもった人間だと確信し、クララにくるみ割り人形を与える。ドロッセルマイヤーが人形の国の窮状をクララに伝える人形劇、女の子たちの人形遊びとそれを邪魔する男の子たちの戦争ごっこなど、パーティのシーンは見所が盛りだくさんだが、車いすに乗った祖母が、クララたちにキャンディを渡すさりげないシーンには、何ともいえず優しさがあり印象に残った。

深夜になると、クララの前に巨大なねずみたちが現れ、くるみ割り人形を奪って時計の中へ逃げ込む。クララはくるみ割り人形を救うため、勇気を振り絞って時計の中へ。時計の向こう側の世界では、ねずみたちと、くるみ割り人形が指揮する人形の兵隊たちとの戦いが始まっていて......。

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この日、くるみ割り人形・王子を踊ったのは栗山廉。手足の固まった人形振りを完璧に貫きつつ、全力で戦う。人形の仮面をつけていても、本当はこの人は王子なのだということがひしひしと伝わってくる。カクカクと踊っていてもノーブルで清廉、かつ温かい空気をまとっているのだ。
負傷して倒れ込むくるみ割り人形を助けるべく、クララはねずみの王様(ビャンバ・バットボルト)に一撃を加える。武器は、祖母にもらった棒キャンディだ。もしかしたら、クララを思う祖母のパワーも手伝ってねずみ王を退散させたのかもしれない、と考えると楽しい。

熊川版のクララは、難しい役柄だと思う。全幕にわたって、不思議な世界を駆け抜けていく驚きや喜びを自然に、かつ観客にはっきりと伝わるように表現しなくてはならないし、1幕の後半にはくるみ割り人形とドロッセルマイヤーと踊るリフト満載のパ・ド・トロワ、2幕にはドロッセルマイヤーと踊るパ・ド・ドゥがある。世利万葉はなめらかなポアントワークに気持ちを乗せて、くもりのない目をもつ少女クララを生き生きと踊った。

1幕の最後は、粉雪のワルツ。史上最速では、と思えるテンポで畳みかけ、刻々と変わってゆくフォーメーションは乱れ飛ぶ粉雪や雪の結晶を思わせる。雪の女王(岩井優花)と王(本田祥平)はその要として力強い踊りを見せた。息もつかせぬスピードの中、全員がすっと静止する瞬間が心に残る。

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© Hidemi Seto

熊川版では、ねずみ王は2幕でようやく倒される。「花のワルツ」の音楽の中でねずみにされていたマリー姫(小林美奈)が美しい姿で目覚め、マリー姫とティアラをつけたクララが、まるで姉妹のように同じ振りで踊る。各国の踊りは、いずれも音楽のもつ世界観をぴりりとまとめていて見応えがあった。たとえばスペイン人形(栗山結衣、望月恭花、上野風我、高橋芳鳳)の踊りは、きびきびしたリズムと小気味よくシンクロしつつのびやかなジャンプを見せ、宙を泳ぐオレンジ色のスカートが目に鮮やかだった。アラビア人形の岩井優花は、首や指先までしなやかに使って妖艶に踊り、雪の女王とは別人に見えた。
小林美奈と栗山廉は、本作で何度も共演を重ねているペアだ。グラン・パ・ド・ドゥでは、少し悲しみの混ざった美しい音楽とともに高いリフト、フィッシュダイブなどの華やかなポーズを、ちょうどフラッシュが焚かれた瞬間のように鮮やかに決めていった。栗山はヴァリエーションの連続ジャンプでも、つねに端正でしなやかなラインを保ち、王子らしさを印象づけた。マリー姫のヴァリエーションは、細かなステップの一つひとつまでまろやかで、粒ぞろいの真珠のようだ。

スピード感のある展開や高いテクニックを要求する振付は熊川作品の大きな魅力だが、スピードとスリルがあるからこそ、一瞬のポーズやさりげないしぐさが印象に残る。そこに、様々なイマジネーションをかきたてられるのだ。力強いフィナーレの音楽を聴きながら、もしかしたらそのような「間」こそがバレエの魔法の正体かもしれないと思った。
(2021年12月2日 17時30分開演 Bunkamura オーチャードホール)

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© Hidemi Seto

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