「その音で私を踊らせて・・・」伊藤郁女と笈田ヨシの『綾の鼓』は忘れ難い舞台となった

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi


『Le Tambour de soie 綾の鼓』

伊藤郁女、笈田ヨシ:演出・振付・出演

舞台前中央には鼓がひとつ置かれ、下手にはパーカッションがセットされている。背景には劇場空間と現実を分けるかのような幕が下がっている。上手にダンサーの楽屋。
笈田ヨシ扮する掃除人が舞台を掃除しながら「苦しみ 生まれ 生きる」、といった詩の一節のような言葉(フランス語)を呟く。真紅の衣装のダンサー 伊藤郁女がダンスの本番のために身体慣らしを始める。舞台の掃除人は、それを見ていて魅せられ次第に身体が動き出す。ダンサーはその反応に興味を示し、音楽に合わせる動きに誘う。奔放な動きに振り回されながら、若い血が巡り始めたか、ダンスの魔力が作用したか・・・。掃除人はスポットライトを浴びるダンサーとその鮮烈なダンスに魅了され恋に陥る。
「あなたのような女性とお近づきになれたとは 人生で最高の夢でした」
「この鼓を差し上げます」
「その音で私を踊らせて」「いい音が出たら思いは叶えて差し上げましょう」
しかし、鼓は絹に張り替えられていて鳴らなかった。それはもともと鳴らることのない鼓だったのか。
激しい恋の想いが途絶した掃除人は絶望し怒り、去っていく。
ダンスの本番の舞台が始まる。
血にまみれた掃除人の幻影が現れ、ダンサーと踊る。
「苦しみ 生まれ 生きる」
能の所作を連想させる動きなどがあり、愛と死の相克とでも言うべき緊迫感が舞台に漲る。
掃除人は懸命に鼓を叩く、鼓は鳴ったが、ダンサーは聞こえない、と。
掃除人は絶望してはける。
ダンサーは本番を終え「おつかれさま」と、鼓を片づける。
「苦しみ 私は踊り 生きる」この詩は私の母も口ずさんでいた、とダンサーは言った。
「苦しみ あんたは踊り わしは生きる」

「私にも聞こえたのに あと一つ打ちさえすれば」と言ってダンサーは、ラジカセを舞台に置くと「Dance Dance Dance」という曲が流れ、掃除人はモップを相手に一人踊った・・・。

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笈田ヨシ、伊藤郁女 © Y. Inokuma

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笈田ヨシ、伊藤郁女 © Y. Inokuma

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© Y. Inokuma

伊藤郁女と笈田ヨシの振付・演出によるダンスシアター『綾の鼓』は、能楽『綾鼓』と三島由紀夫の「近代能楽集」に収められた『綾の鼓』にインスピレーションを得て創作され、2020年10月にフランス、アヴィニヨン芸術週間で世界初演された。出演はフランスやスイス、日本など国際的な舞台で活躍する舞踊家・振付家の伊藤郁女とピーター・ブルックとともに数々の創作を行ってきた笈田ヨシ(88歳)。音楽は矢吹誠だか今回公演には出演できず、矢吹の音楽に基づき吉見亮が演奏した。テキストはルイス・ブニュエル監督『昼顔』やフォルカー・シュレンドルフ監督『ブリキの太鼓』ピーター・ブルック演出の『マハーバーラタ』などの脚本を書いたジャン=クロード・カリエール。彼は昨年2月に89歳で亡くなり、この作品が遺作となった。
三島由紀夫は能楽『綾鼓』を現代を舞台として戯曲化し1951年に発表した。法律事務所の老小使が向かいの洋装店に現れる華子という女性に恋するという設定だった。
伊藤郁女と笈田ヨシの『綾の鼓』は、老掃除人が若い女性ダンサーに恋をするというもの。老掃除人がダンスの本番前の若い美しいダンサーと出会い、魅了される。しかし、若いダンサーにとっては踊ること自体が生きることであり、苦しむことだった。同時にダンサーは、愛と死の幻影である血まみれの老掃除人と幻想の中で踊る。これは舞踊とは、愛と死を内包する様式であることを示唆している。一方、老いた掃除人は生きることは恋することであり、苦しむことだった。
ダンスシアターの『綾の鼓』は、ダンスを踊ることと幻影を創造する空間である劇場という設定を活かして、叶うことのない恋をすると言う情念がどのように帰着していくか、を巧妙に(スペクタキュラーに)仕上げた作品、と言うことができると思われる。
伊藤郁女の身体に鋭敏な感覚を秘めたダンスと笈田ヨシの力強い所作と声による卓越した存在感、パーカッションの臨場感のある鋭い音場との饗宴に魅了された。そして何よりも、ラストシーンでモップを相手に'Dance' を踊る笈田ヨシには、生死を超えた飄逸感が活き活きと現れていて秀逸。見事な幕切れであり、忘れ難い舞台となった。
(2021年12月25日 KAAT神奈川芸術劇場<大スタジオ>)

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© Y. Inokuma

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