能舞台で繰り広げられる、欲望と希望の物語、『藪の中』リハーサルレポート

ワールドレポート/東京

坂口 香野 Text by Kaya Sakaguchi

島地保武演出・振付のダンス作品『藪の中』が、1月13日より、東京・渋谷のセルリアンタワー能楽堂で上演される。出演は津村禮次郎、酒井はな、小㞍健太、東海林靖志、島地保武。去る12月27日に行われたリハーサルの模様をレポートする。

謎だらけの証言ドラマをダンサーの身体だけでシンプルに描く

能楽堂に入ると、松が描かれた鏡板を背景に3人のシーンが進行中だった。島地が酒井の腰をとらえ、酒井が小㞍にすがりつく。時折、各々の視線がぎらりとぶつかりあう。酒井の体がむちのようにしなって、闘いとも誘惑ともとれる、濃厚な妖艶さが漂う。男たちは酒井を争って闘っているようにも、結託して酒井を組み伏せようとしているようにも見え、息を呑んだ。物陰から津村が「ホーッホッホッ」と笑う。能・狂言によく出てくる伝統的な「笑い」だが、まさに鬼が笑っているようだ。

芥川竜之介の短編小説『藪の中』は、藪の中で起きた殺人事件をめぐるサスペンス仕立ての物語。登場人物一人ひとりのキャラクターが強烈なのだが、その証言が食い違い、事実が見えない。「真相は藪の中」という言い回しはこの作品から生まれた。

盗人の多襄丸(島地保武)は、武士の武弘(小㞍健太)とその妻真砂(酒井はな)と出会い、垣間見た真砂の顔に惹かれて「この女を奪おう」と決意。夫婦をだまして藪の中に誘い込み、武弘を縛り上げて真砂を手込めにする。ここまでは「事実」らしい。その後、武弘が死体で発見される。第一発見者は木樵り(東海林靖志)。武弘を殺したのは誰か? 多襄丸と真砂は「自分が殺した」と言い、巫女が呼び出した武弘の霊は「自害した」と語るのだが......。
能楽師の津村禮次郎は、取り調べをする役人になったり、巫女になったり、はてはハエや馬? になったりと、古典芸能のテクニックを駆使して変幻自在に物語を動かしていく。

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島地保武

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酒井はな、小㞍健太

この作品は、能楽堂でコンテンポラリーの振付家がクリエイションを行う「伝統と創造シリーズ」の12本目の作品。2008年に始まった同シリーズには、毎回日本を代表する振付家・ダンサーが参加し、数々の優れた作品を生んできた。2012年に初演された『藪の中』は、能舞台を人工芝で覆い、鏡板の松をムービングライトで七色に輝かせるなど、挑戦的な演出が話題となった。そこから10年を経て、同じメンバーで踊られる今回の『藪の中』は、新作に近い再構築版だ。
「前回は、能舞台にないものを導入して『こんな見せ方もあるだろ!?』と提示する作品づくりをしましたが、今回の挑戦はまったく違う方向です。見た目の複雑さは全部取り払って、シンプルに身体の動きと関係性だけで、内面の複雑さを内包させたい」と島地は語る。

能面をつけるとダンサーの動きはどう変わる?

能面を使ったソロの「証言」シーンでは、キャラクター一人ひとりの「複雑さ」がまざまざと表現される。仮面を使ったダンス作品は多いけれど、バレエダンサーやコンテンポラリーダンサーが本物の能面をつけてここまで激しく踊る作品は少ないのではないだろうか。面をつけると体の表情が変わり、まるで別の人格が出てくるようだ。
たとえば真砂。素顔で踊る現実のシーンでは、床を転げ回っても強靱な体幹が見え、髪を振り乱しながらきりきりと回転するなど、野性的な美しさを感じさせる。一方、面をつけて踊るソロは、繊細で密度のある動きで、凄惨にも、滑稽でかわいらしくも見える。

酒井は真砂について次のように語る。
「真砂さんは本能的に強い方、楽しい方を選んでしまう人なんだけれど、意外と常識的なところもあって、混乱している。自分は多襄丸が好きかもしれない。でも、夫に軽蔑されるのは耐えられない。結局自分がいちばんかわいいというか......ジュリエットやカルメンみたいにシンプルじゃなくて葛藤があるけれど、そこがチャーミングですね。
お面をつけて踊らせていただくのは今回が初めて、私にとって大きなチャレンジです。視界が制限されるので、必然的に感覚が研ぎ澄まされる。顔の表情が見えない代わりに、身体の表情が際立つ気がします」。

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酒井はな、小㞍健太

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酒井はな

真砂の夫・武弘役の小㞍が踊るソロシーンは、巫女に呼び出されて亡霊として登場する設定だ。「お面をつけると自分の腕も足下も見えないので、外側から見た自分の姿を想像しつつ踊る感覚になり、とても集中できます。能楽堂は正方形の空間なので、4本の柱の位置から自分の立ち位置を確かめながら動く。必然的に世界の感じ方が変わりますね。ダンサーのかたはぜひ、一度お面をつけてみては」と小㞍。
島地や酒井と素顔で踊るシーンでは、互いに間合いをはかって繰り出されるダイナミックな動き、どんなに不安定でも決して倒れない強さが印象的だが「島地くんには、コントロールしすぎないで、もっと足下を不安定にしてくれって注意されます」と小㞍は笑う。
「小㞍さん演じる武弘は、真面目にコツコツ生きて出世してきた人物だと解釈しています。プライドが高くて、いつも『大丈夫だ、俺が何とかするから!』って言っているんだけど、実は不安で足下はふわふわしている(笑)。小㞍さんの安定感は抜群だけれど、この作品ではあえてぐらついてほしい」と島地。

自らが演じる多襄丸については「世の中のルールに従わない」ところに共感すると島地は語る。
「『能楽堂にどれだけ場違いな身体性でいられるか』という挑戦自体が、多襄丸的でいいなと思って(笑)。原作には、役人に対して『わたしは殺すときに太刀を使うけれど、あなた方は直接手を下さずに権力で殺しますよね』といったせりふがあって、芥川竜之介の肉声がこもっている気がします。多襄丸は武勇伝を話したがる、ちょっとダメな男でもあるけれど、自分の生き方には正直な人物だと思います」(島地)。

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小㞍健太

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津村禮次郎

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島地保武

日本のクラシック・能とかろやかに遊ぶ

今回、能舞台は橋掛かりから舞台の下、切戸口や貴人口という出入口まで縦横に使われる。能舞台そのものが「藪」という見立てで、この藪を仕事場にしている第一発見者の木樵りも、とぼけていて面白いキャラクターだ。
「島地くんの振りは、骨一本、筋繊維一本まで細かなイメージをもってコントロールすることが求められ、それが日々アップデートされていく。難しいけど、掘り下げ方が面白いです」と木樵り役の東海林は語る。
この日も、振付はメンバーのアイデアを取り入れながらアップデートされていった。この木樵り、独り言の癖があるらしく、着ている毛皮を腹話術のようにたくみに操って話し相手にしていたりする。
「今日できたシーンですけど、木樵り、相当へんなやつですね(笑)。追いかけっこのような素早く動くシーンもありますが、能舞台は床が滑るので、必然的にすり足になる。メンバーの技術のベースは皆違いますが、それぞれが日本人的な、少し抑制のきいた動きになるんですね。この空間ならではの身体の使い方は見所だと思います」(東海林)。

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津村禮次郎

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東海林靖志

津村は、「伝統と創造シリーズ」に初回から関わり、ダンサー向けに能の指導も行っている。扇や御幣などのシンプルな小道具を駆使して、様々な役を楽しそうに演じているが、時折物語全体を司る神のような凄みを見せる。作品の冒頭では、新年を言祝ぐ謡曲『高砂』の一節を謡う。
「初演版は複雑だったけれど、今回の作品はシンプルですごくいいですよ。やっぱり、身体だけで表現するのがダンスの根本だと思うので。能もそうです。(酒井)はなさんの基礎がクラシック・バレエであるのと同じように、僕のベースは能にある。基礎との距離感を、いつも感じながら動いています」(津村)。
バレエファンの中には、能楽堂に足を踏み入れたことがない人も多いかもしれない。津村は「クラシック・バレエも大好きですから、こういうご縁は嬉しいですね」と語る。「能も日本のクラシックです。ぜひ見てください!(笑)」(津村)

能舞台の機構をそのまま利用する演出や、原作のストーリーに忠実な展開。島地はこれまで、このような「誰もがやりそうなこと」をするのに何か気恥ずかしさを感じていたという。
「最近になって、ある意味わかりやすい作品づくりを自分に許せるようになってきました。ただし、見る人の想像力に働きかけるような余白や抽象性は大切にしたい。僕は子どもの頃から身体やモノを使って遊んだり、工作したりするのが好きで。2015年まで所属していたザ・フォーサイス・カンパニーで、遊ぶ力をさらに引き出してもらったと思います。今回のリハーサルでも、みんなの声や湿度、どこかに書き込まれた記憶みたいなものが、フッと動きになることがあるんですね。意味はわからないけれど、必然性がある。そういう感覚は信じたい」(島地)。
尚、原作はまったく「藪の中」のまま終わるのだが、今回の作品では、事件の「真相」が明かされる。黒澤明『羅生門』も、人間の闇を描きつつ希望を見出せるような力強いエンディングだったが、本作も、何かスケールの大きな明るさを感じさせる幕切れにしたいと島地は語る。

能楽堂でリハーサルを見学していて感じたことは、この空間の風通しの良さだ。舞台と客席の間の空気が途切れていない。ダンスを見ていると、いつの間にか自分も踊っている感覚になることがあるが、この空間では息遣いや間合い、ダンサーのイマジネーションから生まれる風景まで共有できそうな気がする。
ジャンルを超えたアーティストたちが織り成す、誰も観たことのない『藪の中』。能楽堂で、ぜひその結末を見届けたい。

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小㞍健太

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酒井はな、小㞍健太

伝統と創造シリーズ vol.12
「藪の中」
2022年1月13日(木)〜16日(日)
https://www.ceruleantower-noh.com/lineup/2022/20220113.html

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