バレエの系譜を未来へつなぐ、知的な魅力あふれる舞台――「ダンスの系譜学」安藤洋子×酒井はな×中村恩恵

ワールドレポート/東京

坂口 香野 Text by Kaya Sakaguchi

Dance Base Yokohama TRIAD DANCE PROJECT「ダンスの系譜学」 安藤洋子×酒井はな×中村恩恵

『瀕死の白鳥』ミハイル・フォーキン原型、酒井はな:改訂 『瀕死の白鳥 その死の真相』岡田利規:演出・振付
『BLACK ROOM』よりソロ イリ・キリアン:振付 『BLACK ROOM』中村恩恵:振付・出演
『MOVING SHADOW』安藤洋子:振付・出演 『Study♯3』ウイリアム・フォーサイス:振付

「学」の名を冠したダンス公演は珍しい。
その名のとおり、知的な豊かさに満ちた公演だった。
古典バレエを更新したミハイル・フォーキン、バレエとモダンダンスの融合を目指したイリ・キリアン、バレエを脱構築したといわれるウィリアム・フォーサイス。
これら巨匠たちの理念を継承するとともに、時には彼らを触発してきた3名のダンスアーティスト、安藤洋子、酒井はな、中村恩恵が、その原点となるオリジナル作品の上演と今日的な継承/再構築に取り組む、というのがこのプロジェクトの趣旨だ。

このプロジェクトは2020年2月、コロナ禍拡大と同時にスタートし、長い延期の後、約1年半ぶりに上演が実現した。 延期の間も横浜のダンスハウスDaBY(ダンスベースヨコハマ)でトライアウトが重ねられ、より深く練り上げられた形での上演となった。
酒井はなが最初に踊ったのは、フォーキンによるオリジナルの『瀕死の白鳥』。周知のとおり、この作品はトウで小刻みに移動するステップ、パ・ド・ブーレのみで踊られる。シンプルゆえに深い余韻を残す作品である。
舞台上で四家卯大が奏でるチェロとともに、美しく息絶えた酒井が、再度もう少しラフな雰囲気をまとって現れ、足首を回したりして体をほぐし始めた。ここからが国内外で注目される演劇作家、岡田利規演出・振付による『瀕死の白鳥 その死の真相』だ。

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『瀕死の白鳥』© Naoshi HATORI

四家が「瀕死」の冒頭を弾き始める。酒井がはばたきのポーズを取り、もう一度踊るのかと思いきや、ぱたっと止めて四家に話しかける。「瀕死」を踊るときにどういうことに気をつけなくてはいけないかとか、この白鳥は最初から「どうも死ぬっぽいな」と思っていたかどうかとか。
四家は微妙な表情で酒井の話を聞きつつ、返事のように「瀕死」の断片を弾く。酒井はバレリーナの身体になったり素に戻ったり――要するにバレエスイッチを入れたり切ったりしながらしゃべり続け、「素嚢(そのう/鳥がもつ消化管の一部)のところが苦しくなって......」と言い出したりもする。ミステリーのように、白鳥の"死因"が、酒井の語りで明らかになっていく。これはいったい、ダンサーなのか鳥なのか。酒井本人に似たバレエダンサーと、美しく理想化されたフォーキンの白鳥と、自分の死因について語る白鳥という妙なキャラクターがゆらゆらと透けてみえ、非常にスリリングだ。

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『瀕死の白鳥 その死の真相』© Naoshi HATORI

この作品では、オリジナルでは語られていない白鳥の「死因」を決めつけることで、オリジナルがもつ余韻や美しさをあえて台無しにしたと岡田は語る。また、だらだらしたテキストをしゃべらせることで、酒井の身体が「バレエの身体としての高い到達点から引きずりおろされる」ことを意図したという。なぜそんなことをしたのか? 
「(ダンスを現在の社会の中に文脈づける方法があるとすれば、)ダンスが高い到達点から引きずりおろされる<試練>にぶつかってもがいているさまそのものを提示することによってではないか......という気がぼくにはなんとなくしているからです」(公演プログラム「『瀕死の白鳥 その死の真相』創作ノート」より)。

つまり岡田は『瀕死の白鳥』を瀕死に追いやったというわけなのだが、そのことで日頃私たちがイメージする「白鳥」とは何か、現実の白鳥との隔たりなど様々なことを考えさせられた。そして、バレエに磨き上げられた酒井の存在感は、バレエスイッチを切っても、だらだらしたテキストをしゃべりながら踊っても、やはり強く魅力的だった。

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『BLACK ROOM』© Naoshi HATORI

中村恩恵は、イリ・キリアンが中村のために振付け、2001年に初演された『BLACKBIRD』と、中村が振付けた新作『BLACK ROOM』を踊った。
先に踊られたのは新作『BLACK ROOM』。「言葉を呑み込んでしまうのは、傷つきたくないから」「傷つけたくないから」「言葉を信じられないから」「人間を信じられないから」。中村自身の声で読み上げられるテキストが、静かに、しかし突き刺すように響く。言葉とともに、中村はひと足、ひと足歩みを進める。踏み込みが深く、まるで冥界へ下りていく巡礼者のようだ。ただ四角形を描いて歩く動きが、らせん階段を底へ底へと下っているように見える。
「Black Room」とは、「発されることのないままに葬られた言葉たち」の墓場だという(公演プログラム「『Black Room』創作ノート」より)。たしかに、誰の心の中にも「言葉の墓場」はあるかもしれない。自分の内側から聞こえる、答えのない問いや助けを求める声を、私たちはたいていなかったことにして呑み込んでしまう。それらと誠実に向き合い続けることはつらすぎないだろうか。中村は全身の毛穴まで感覚を開き切って、闇の中に響く「言葉たち」に身を委ねているように見えた。
続けて踊られたキリアンの『Black Bird』は、一転して光や強い生命力を感じさせた。足元はもう沈み込まない。踏みしめ、蹴って飛び上がることのできる大地だ。
この作品は「私たちは何者か? どこから来たのか? 愛は私たちをどこに導くのか? 最後はどこへ向かうのか?」といった根源的な問いを扱っており、振付は答えを探すものではなく「できるだけ明瞭に、的確に、問いを投げかけることを意図」しているとキリアンは語っている。「もしかしたらこの作品は祈りのような形で浮かび上がるのかもしれません」(公演プログラム「『Black Bird』創作ノート」より)。
中村はこれらの問いに、キリアンの明瞭な言葉とは違う形で向き合い続けて『Black Room』に達したのではないだろうか。そして、『Black Room』の後に見ると、『Black Bird』は問いに対する答えのようにも、闇の底から飛び立つための祈りのようにも感じられた。

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『BLACKBIRD』© Naoshi HATORI

安藤洋子も、先に自身が振付けた新作『MOVING SHADOW』を、続いてフォーサイスが安藤と島地保武のために2012年に振り付けた『Study♯3』を踊った。

安藤とともに『MOVING SHADOW』を踊ったのは、オーディションで約80人の応募者の中から選ばれた木ノ内乃々と山口泰侑。ともに20歳をすぎたばかりの若いダンサーだ。音楽とともに流れるテキストは、宮沢賢治『春と修羅』序の英訳。英訳されたことで、「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」という、科学と詩が溶け合った賢治の言葉がますますクールに聞こえる。三人の衣裳のやわらかな格子縞や、床に投影される繊細な幾何学模様が、テキストの内容と響きあって美しい。木ノ内はピアノ線のような軸のある体で切れ味鋭く、山口はしなやかで強靱なバネのきいた動きで、目にあざやかな軌跡を残す。安藤の動きはどこまでも自由で柔らかい。山口はときどき、何か注文したいのに店員さんが気づいてくれないときのように「すいませーん!」と呼びかける。三人の身体は感度の良いアンテナであり、受信と発信を同時に行っているようにみえた。

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『MOVING SHADOW』© Naoshi HATORI

続いて、安藤と島地保武による『Study♯3』。二人のためにフォーサイスが振付けた、即興によるデュオ作品だ。
フォーサイスといえば、ガラ公演でよく踊られる『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』のような、バレエテクニックを極限まで駆使した作品を思い浮かべる人が多いだろう。クラシック・バレエではつねに垂直に保たれる軸を体の中や外、あらゆるところに設定して動きの可能性を大きく広げたことから、フォーサイスは「バレエを脱構築した」振付家といわれる(恥ずかしながら、私もフォーサイスについてはここまでしか知らなかった)。しかし、フォーサイスの探求はそこにとどまらなかった。安藤や島地が設立当初から解散まで活躍したザ・フォーサイス・カンパニーでは、ダンサーたちの即興によるクリエイションが重ねられた。フォーサイスは複雑で精緻な即興のメソッドを確立し、それが現在のコンテンポラリー・ダンスに大きな影響を与えている。
安藤と島地の動きは、スリリングなのに安らかさがあった。予定調和ゼロで何が起きるかわからないのに、温かさを感じる。安藤はこの作品を、偶然と必然が織りなす「雲と空みたいなダンス」と形容する。
フォーサイスとのクリエイションについて、安藤は次のように述べている。
「フォーサイスは、ダンサーに細かい振りは与えずに、空間と時間を与えてくれるんです。(中略)『ここの広場で、この素材を使って二人で遊ぼうよ』と言って、その組み立てを一緒に考えていくような感じ」
「(感情やパッションを)ただ発散するのではなく、あくまでも建設的・構築的・数学的に動きを作っていくことができなくてはいけない。そういう強さが必要とされていたとも思います」(プログラム掲載 唐津絵理によるインタビューより)
新作『MOVING SHADOW』で描かれたのも、フォーサイスと安藤たちが遊んだ「広場」とよく似た場所に違いない。ダンサーの体と体が化学反応を起こし、電気が流れて光が明滅し、雲が湧き上がっては消えていくような、ダンスが生まれ続ける場所だ。

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『Study#3』© Naoshi HATORI

最後に、出演したダンサーたちが次々と舞台に登場して、全員で踊った。ダンサーの体は、ダンスの歴史と現在をつなぐ時の結び目でもある。ダンスは生きていて、これからも続いていく。そのことを確信させてくれる、力強い幕切れだった。

アカデミックであることとエンターテインメント性は必ずしも矛盾しない。
碩学とか知の巨人と呼ばれる人、たとえば世界的な物理学者の話は、物理に興味がなくても面白い。そういう意味では、この公演はきわめて高度な知的刺激にあふれたバレエ・コンテンポラリーダンス入門講座といえるかもしれない。
(2021年10月2日 愛知県芸術劇場 小ホール)

尚、「ダンスの系譜学」は、「DaBYパフォーミングアーツ・セレクション」の中で再演される予定(2021年12月10日〜12日、KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ)。ただし、12月11日のチケットは完売。
https://dancebase.yokohama/info/5012

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